「萌香ちゃん!」
 弐亜が抱きとめる。神力で頬や足に怪我をした萌香は、痛そうに顔を歪めながら「平気です」と笑った。
 あからさまな笑顔は弐亜の心に火をつけた。
 萌香を一人で立たせると、言葉を失っていた参悟につかみかかる。
「こんな場所で神力を放ったらどうなるか考えなかったわけ!?」
「萌香さんを傷つける気はありませんでした。お前がよけたのが悪いんでしょう」
「ふざけんなよ!」
 殴り合いに発展しそうになって、萌香はうろたえた。
「弐亜さんも参悟さんも落ち着いてください!」

「そうだよ。モカが困ってる」
 氷を叩いたような声が加勢して、三人はいっせいに戸口を見た。
 入ってきたのは四葉だった。
 彼は、白い指先で萌香の手を握ると、喧嘩する兄二人を冷たく見すえる。
「放っておくならオレがもらう。モカ、行こう。手当てしてあげる」
 感情の読めない声で告げて四葉は歩き出した。
 引っ張られた萌香はついていかざるを得なくて、あわあわと振り返る。
「私は大丈夫ですから、仲直りしてくださいー!」

 残された弐亜は、バツが悪そうな表情で手を下ろした。
「……腹が立つけど、あの子の言う通りだ。萌香ちゃんの手当てを優先するべきだった」
「先に、萌香さんに謝るべきでした」
 参悟もまた自分の間違いを認めて反省した。
 兄弟のなかでも弐亜と参悟は仲が悪く、普段は顔を合わせないようにしている。
 それなのに、なぜ今回はお互いに衝突してしまったのか。

 理由は漠然とわかっていた。二人とも飢鬼だからだ。
 甘贄を前にすると、ひとりじめしたい欲を抑えられなくなる。
 萌香に近づく飢鬼は滅せよという本能からの警告が冷静さを失わせた。
「四葉くんに一本取られちゃった。今日は痛み分けにしよう、参悟。萌香ちゃんにはちゃんと謝るんだよ?」
「こんなときだけ兄貴風を吹かさないでください。言われなくてもそうします。手当てはあの子がしてくれるそうですから、夜にでも」
 肩をすくめる弐亜も、暗い表情で反省する参悟も、欲にかられない四葉がうらやましかった。
 飢鬼でない彼であれば、きっと打算なく萌香を大切にできるから。


 ――四葉に手を引かれて離れにやってきた萌香は縁側に座らされた。

 いつもなら四葉の母が挨拶に出てくるが、今日は外出しているらしい。
 数名の使用人も母屋の手伝いに行っている時間で、正真正銘の二人きりだ。
 そのせいか、四葉は腰を下ろしても手を離そうとしない。
「あ、あの四葉くん?」
「弐亜兄も参悟兄もひどいね……」
 もの憂げに目を伏せた四葉が、手首にはめていた腕輪を外す。
 途端に、握られた手が熱くなって、伝わった温度が萌香の全身を包み込んだ。
(神力だ!)
 壱岐も使っていた治癒の法で、参悟につけられた傷は綺麗に消えてしまった。

「ありがとう。四葉くんにも神力があったんだね。飢鬼になっていないから、持ってないかと思ってた」
「これで抑え込んでた。強い神力があるとお爺様に知られたらいけないからって。でも……モカに会って覚悟ができた」
「覚悟って?」
 萌香が首を傾げたと同時に、四葉の腕輪にピシッとひびが入る。
 ひびはあっという間に広がって、腕輪は粉々になってしまった。
「割れちゃった!」
「……大人になる日がきた。つっ」
「四葉くん!?」

 四葉は苦しそうに背を丸めた。
 不思議なことに、彼の体は桜色の光に包まれていき、光が広がるごとに四葉はうめいた。
「い、たい、痛い……」
 萌香はたまらず彼を抱きしめて助けを求める。
「誰か! 誰かいませんか!」
「呼ばないで、モカ」
 顔を上げた四葉は、涙をためた目に萌香を写して、苦しくも幸せそうに微笑む。
「モカにだけ見てほしいから……」

 カッと光が強くなり、萌香の視界が真っ白に染まった。
(まぶしい!)
 思わず目を閉じるが、何も起こらない。
 そうっと目蓋を開けると光はすっかり消えていて、萌香の肩に手を置いた四葉はうつむいていた。
「よ、四葉くん。大丈夫?」
「モカ――」
 白い指にあごをすくいあげられる。
 はっとしたときには、萌香の唇は四葉のそれと重なっていた。
(四葉くん!?)

 どうしてキスしているんだろう。四葉と萌香は、友達だったはずなのに。
 喧嘩の場から連れ出して、傷の手当てをしてくれた優しい四葉。
 それが今は、食物連鎖の上にいる肉食獣みたいに萌香に食らいついている。
「ん……」
 萌香の動揺をよそに、夢中で口内を味わった四葉は、唇を離してあやしく笑った。
「モカが甘い……。オレも、やっと飢鬼になれたんだ……!」
 瞳孔をぱっくり開け、白皙の頬を染めて、四葉は歓喜に包まれる。
 その様子に、萌香はゾッとした。
 壱岐や弐亜は飢鬼になってあんなに苦しんでいるというのに、四葉もそうなりたかったというのか。
 急に、四葉が正体不明な怪物のように思えてきて、体の震えが止まらない。

 逃げたい。
 だけど、逃げても意味がないとわかっている。
 四葉は、桜鬼四兄弟のなかでもっとも獰猛な鬼だ。
 萌香が逃げたら地の果てまで追ってきて、この体を食べつくすだろうと、甘贄の本能が警告してくる。
(こわい。四葉くんが、すごくこわい)
 おびえる萌香の濡れた唇を指でなぞって、四葉は甘ったるく目を細めた。
「おいしかったよ、モカ」