無事に球技大会が終わり、清蘭学園のテストシーズンがやってきた。
萌香を悩ませたのは試験範囲の広さ。
生徒の多くが有名塾や家庭教師に勉強を教わっているため、清蘭では普通の学校の二倍の速度で授業が進んでいく。三年生になったとき、受験勉強だけに集中するためだという。
予習、復習してもなにがなにやらわからない萌香は、当然ながら赤点連発だった。
一週間後には追試がある。
萌香は、恥を忍んであの人に泣きついた。
「――この公式は暗記してください。大問で必ず出ます」
母屋のライブラリールームで、萌香は眼鏡をかけた参悟から勉強を教えてもらっていた。
全教科で満点をとっているだけあって教え方が上手だ。
問題は、萌香の理解力である。
苦手な数学の問題集を解いてもう一時間がたつ。
集中力切れを起こして目玉をぐるぐるさせていたら「少し休憩しましょうか」と甘いティーラテを取りにいってくれた。
一人残された萌香は、ペンを置いてはぁとため息をつく。
「また赤点だったらどうしよう……」
寝る間も惜しんで机に向かっているが、勉強するほどに効率が落ちている気がする。
参悟のすすめで、テストに出やすい箇所に集中する方針に切り替えてからも、萌香はがんばりすぎてから回っていた。
(留年したら、学費を払ってくれてる壱岐さんに失礼だよ。がんばらないと)
そよそよ吹く風に頬をなでられて眠くなってきた。参悟はまだ戻ってくる気配がない。
(ほんの少しだけ目を閉じていてもいいかな)
萌香は、ノートの上に伏せるように目を閉じた。
「お待たせしました。……萌香さん?」
二人分のティーラテを盆にのせてライブラリールームに入った参悟は、萌香がテーブルにつっぷして眠っているのを見て肩をすくめた。
(お疲れのようですね)
盆を置き、彼女の隣の椅子に腰かけて寝顔をながめる。
カールしたまつ毛はモカ色の髪と同じ色。
健やかな寝息にあわせて上下する体は細く、これでよく今まで生きてこられたと感心する。
壱岐の話では、萌香は両親を亡くして親戚の家を転々としてきた。
恵まれた生活をしてきた参悟には思いもよらない苦労があったに違いない。
(ここ数年の間に、甘贄が襲われる事件が増えてきているそうです。萌香さんのご両親も、その被害者かもしれない)
襲っているのは飢鬼だと思われる。
すでに鬼化している参悟にとって他人事ではないし、壱岐が萌香を保護したのも同じ理由だろう。
華族には飢鬼が多い。
萌香の両親を殺したのが同族なら、華族の上にたつ桜鬼家には彼女を保護する責任がある。
(本当にそれだけでしょうか?)
鼻をかすめる甘い匂いが参悟の思考をくもらせた。
甘贄が発する独特の香りは飢鬼にしかわからないという。
強い飢餓感にさいなまれた飢鬼が、甘贄を見つけて我慢できるとは思えない。
参悟は知っている。
壱岐が週に一度、萌香を自室に呼んでいることを。
凛々しく気高い兄が人払いをさせてまで彼女と何をしているのか、考えたくない。
「……萌香さんはそれでいいんですか」
薔薇色の頬に指をすべらせる。
壱岐はここに触れただろうか。
唇を寄せて、舌でなぞって、この少女で飢鬼としての渇きを癒したのだろうか。
穢らわしい。
そう思うのに、なぜか参悟の胸は高揚していた。
飢鬼になったのは半年前だ。
死なない程度に食物は口に入れているが、味がしないと心が飢える。
(壱岐お兄様が夢中になるくらい、萌香さんはおいしいのでしょうか)
そんなに甘いのなら、そんなに満たされるのなら、自分も少しでいいから味見をしてみたい――。
参悟は顔を近づけて、萌香の頬に控えめに唇を落とした。
ほんの少し触れただけなのに口内に甘みが広がって、脳がグラッと揺れる。
(おいしい)
参悟の目つきが変わった。
理性は一瞬で吹き飛び、萌香を味わうことしか考えられなくなる。
もっと食べたい。飲み込みたい。
この甘贄を自分だけのモノにしてしまいたい――
「ん……? 参悟さん?」
萌香が目をこすって起き上がった。
「あ……」
参悟は我に返って驚愕した。
萌香にキスしてしまった。蜜蜂が花に吸い寄せられるように、欲望にあらがえなかった。
自分のなかに眠っていた暴力性が恐ろしくなって、口元に手を当てて立ち上がる。
このまま萌香のそばにいたら、彼女に何をするかわからない。
「すみません。用事を思い出しました」
廊下に出ようとすると、出口を塞ぐように弐亜が立っていた。
(見られていた)
血の気が引く。弐亜はそんな参悟をさらに追い詰めるように口角を上げた。
「優等生ぶってても飢鬼は飢鬼だね。お前は僕らと同じだ。萌香ちゃんを食べたくてたまらないんだよ」
「違う!」
参悟は声を荒らげた。
壱岐は許せるが、弐亜と同類扱いされるのは我慢ならない。
「私は貴様のように萌香さんを傷つけたりしない……!」
手のひらに神力を集めて、弐亜へ向けて放つ。
その瞬間、弐亜をかばうようにして萌香が割り込んできた。
「だめっ!」
萌香を悩ませたのは試験範囲の広さ。
生徒の多くが有名塾や家庭教師に勉強を教わっているため、清蘭では普通の学校の二倍の速度で授業が進んでいく。三年生になったとき、受験勉強だけに集中するためだという。
予習、復習してもなにがなにやらわからない萌香は、当然ながら赤点連発だった。
一週間後には追試がある。
萌香は、恥を忍んであの人に泣きついた。
「――この公式は暗記してください。大問で必ず出ます」
母屋のライブラリールームで、萌香は眼鏡をかけた参悟から勉強を教えてもらっていた。
全教科で満点をとっているだけあって教え方が上手だ。
問題は、萌香の理解力である。
苦手な数学の問題集を解いてもう一時間がたつ。
集中力切れを起こして目玉をぐるぐるさせていたら「少し休憩しましょうか」と甘いティーラテを取りにいってくれた。
一人残された萌香は、ペンを置いてはぁとため息をつく。
「また赤点だったらどうしよう……」
寝る間も惜しんで机に向かっているが、勉強するほどに効率が落ちている気がする。
参悟のすすめで、テストに出やすい箇所に集中する方針に切り替えてからも、萌香はがんばりすぎてから回っていた。
(留年したら、学費を払ってくれてる壱岐さんに失礼だよ。がんばらないと)
そよそよ吹く風に頬をなでられて眠くなってきた。参悟はまだ戻ってくる気配がない。
(ほんの少しだけ目を閉じていてもいいかな)
萌香は、ノートの上に伏せるように目を閉じた。
「お待たせしました。……萌香さん?」
二人分のティーラテを盆にのせてライブラリールームに入った参悟は、萌香がテーブルにつっぷして眠っているのを見て肩をすくめた。
(お疲れのようですね)
盆を置き、彼女の隣の椅子に腰かけて寝顔をながめる。
カールしたまつ毛はモカ色の髪と同じ色。
健やかな寝息にあわせて上下する体は細く、これでよく今まで生きてこられたと感心する。
壱岐の話では、萌香は両親を亡くして親戚の家を転々としてきた。
恵まれた生活をしてきた参悟には思いもよらない苦労があったに違いない。
(ここ数年の間に、甘贄が襲われる事件が増えてきているそうです。萌香さんのご両親も、その被害者かもしれない)
襲っているのは飢鬼だと思われる。
すでに鬼化している参悟にとって他人事ではないし、壱岐が萌香を保護したのも同じ理由だろう。
華族には飢鬼が多い。
萌香の両親を殺したのが同族なら、華族の上にたつ桜鬼家には彼女を保護する責任がある。
(本当にそれだけでしょうか?)
鼻をかすめる甘い匂いが参悟の思考をくもらせた。
甘贄が発する独特の香りは飢鬼にしかわからないという。
強い飢餓感にさいなまれた飢鬼が、甘贄を見つけて我慢できるとは思えない。
参悟は知っている。
壱岐が週に一度、萌香を自室に呼んでいることを。
凛々しく気高い兄が人払いをさせてまで彼女と何をしているのか、考えたくない。
「……萌香さんはそれでいいんですか」
薔薇色の頬に指をすべらせる。
壱岐はここに触れただろうか。
唇を寄せて、舌でなぞって、この少女で飢鬼としての渇きを癒したのだろうか。
穢らわしい。
そう思うのに、なぜか参悟の胸は高揚していた。
飢鬼になったのは半年前だ。
死なない程度に食物は口に入れているが、味がしないと心が飢える。
(壱岐お兄様が夢中になるくらい、萌香さんはおいしいのでしょうか)
そんなに甘いのなら、そんなに満たされるのなら、自分も少しでいいから味見をしてみたい――。
参悟は顔を近づけて、萌香の頬に控えめに唇を落とした。
ほんの少し触れただけなのに口内に甘みが広がって、脳がグラッと揺れる。
(おいしい)
参悟の目つきが変わった。
理性は一瞬で吹き飛び、萌香を味わうことしか考えられなくなる。
もっと食べたい。飲み込みたい。
この甘贄を自分だけのモノにしてしまいたい――
「ん……? 参悟さん?」
萌香が目をこすって起き上がった。
「あ……」
参悟は我に返って驚愕した。
萌香にキスしてしまった。蜜蜂が花に吸い寄せられるように、欲望にあらがえなかった。
自分のなかに眠っていた暴力性が恐ろしくなって、口元に手を当てて立ち上がる。
このまま萌香のそばにいたら、彼女に何をするかわからない。
「すみません。用事を思い出しました」
廊下に出ようとすると、出口を塞ぐように弐亜が立っていた。
(見られていた)
血の気が引く。弐亜はそんな参悟をさらに追い詰めるように口角を上げた。
「優等生ぶってても飢鬼は飢鬼だね。お前は僕らと同じだ。萌香ちゃんを食べたくてたまらないんだよ」
「違う!」
参悟は声を荒らげた。
壱岐は許せるが、弐亜と同類扱いされるのは我慢ならない。
「私は貴様のように萌香さんを傷つけたりしない……!」
手のひらに神力を集めて、弐亜へ向けて放つ。
その瞬間、弐亜をかばうようにして萌香が割り込んできた。
「だめっ!」