少年は、目じりが切れ上がった大きな瞳で萌香をじっと見つめる。
 四方にはねた髪は銀色だが、ミステリアスな雰囲気はどことなく壱岐に似ていた。
「モカ、これ」
 鞄とともに差し出されたマスコットは、萌香が幼稚園の頃に母が作ってくれたもので、『もかちゃんへ』と刺繍が入れられている。
 赤く染まった鞄と違ってこちらは汚れていなかったので、萌香は笑顔で受け取った。
「拾ってくれてありがとう! どうして私が持ち主だってわかったの?」
「んー……」

 少年は、もの憂げにあごに手を当て、ゆっくりした動作で小首を傾げた。
 手首にはめた赤い腕輪が揺れる。
壱岐兄(いつきにい)が写真を見せてくれた。昨日、離れで夕餉をとったときに」
「離れって、桜鬼家の敷地の端にある建物だよね。人が住んでたんだ……」
 大きな池のある日本庭園を歩くと、枝ぶりの大きな紅葉に隠れるように建てられた家が見える。
 萌香はそれを茶室だと思い込んでいた。まさか、住人がいたとは。
「母屋は広くて空いてる部屋もたくさんあるのに、どうして離れに?」
 悪気なく聞いたら、少年は子犬のようにシュンとうなだれた。
「オレ、妾の子だから……」
「え?」
「あそこは、愛人が住む家」

 少年の目から光が消え、テニスコートに、そして体育館に向ける視線がじっとりとした影を帯びる。
 日陰にいるせいか、瞳の色が乾いた血のように黒ずんで見えた。
 けれど、目に浮かんでいるのは憎しみではなかった。
 純粋な憧れだ。
(この子、お兄さんを応援に来たんだ)
 人気のない場所にいるのは、誰かに見られると変な噂を立てられて兄たちに迷惑がかかるからだろう。
 少年のけなげな姿は萌香の胸を打った。

「あなたの名前を聞いてもいい?」
「……オレは四葉(よつば)。壱岐兄とは母親が違うけど認知されてる。桜鬼本家はオレを入れて四兄弟」
 壱岐には、弐亜と参悟の他にも弟がいたらしい。
 萌香は離れに近づかないし、教えてくれる人もいなかった。
 桜鬼家の事情に首を突っ込むなと言われればそれまでだけど、線を引かれているようで少し寂しい。
「四葉くんは、いつから離れで暮らしているの?」
「去年。父さんの葬儀に出たら、壱岐兄が同じ屋敷で暮らそうと言ってくれた。オレも桜鬼家の子どもだからって。だけど、当主のお爺様が認めてくれなくて。落としどころを作るために、オレと母さんは離れで暮らしてる……」
 壱岐、弐亜、参悟、そして四葉の父親は病気で儚くなり、彼が率いていた桜鬼グループは壱岐が受け継ぐことになった。
 桜鬼家の当主は存命の祖父だ。萌香はまだ会ったことがない。
(いつか、ご挨拶することになるのかな)

 その日がちょっとだけ怖い。
 四葉のような子どもですら陰に追いやる人物が、甘贄である萌香を受け入れてくれるとは思えなかった。
 壱岐の重荷になるのであれば、萌香はすぐにでも離れる。
 たとえ、彼がそれを望まないとしても。

「モカは、ずっと母屋にいる?」
 四葉はじいっと瞳をのぞき込んでくる。
 澄んだ赤い瞳に心の奥まで見透かされそうで、萌香は少し身がまえた。
「い、いるよ。私、他に行くあてがないところを壱岐さんに拾われたの」
 甘贄として、という部分はぼかしたが、四葉はそのまま受け入れてくれた。
「そうなんだ。オレと同じ、だね」
 微笑む顔は嬉しそうだ。無垢な反応に、萌香は安堵する。

(四葉くんはまだ飢鬼にはなっていないみたい)
 弐亜のように噛みついてくることはなさそうでほっとする。
 あんな獣が周りに二人もいたら大変だ。
「モカ。今度、離れにお茶しに来て。オレも母さんも喜ぶ」
「学校がお休みの日でもいいなら行くよ。連絡先も交換しよう」
「うれしい。モカ、好き」
「大げさだなぁ」

 あっという間に仲良くなるそばで、ピピ―ッと試合終了の笛が慣らされた。
 二人で顔を見合わせて、こっそり通気口から体育館をのぞく。
 シャツの首をのばして顔の汗をぬぐう弐亜のチームが勝利。
 テニスコートの方も参悟の勝ちでゲームセットしていた。
弐亜兄(にあにい)も、参悟兄(さんごにい)も、かっこいい……」
 四葉はぼそっとつぶやいた。
 あまり感情が表に出ない性格のようだが、瞳はキラキラ輝いていた。

 横目でそれを見ながら萌香は思う。
(四葉くんもかっこいいよ)
 本人に言わないその気持ちは、そのまま萌香の心に残った。