萌香が清蘭学園に登校したのは、結局その翌日だった。
弐亜に噛まれた傷を見た参悟から、一日休養するように勧められたからだ。
彼の神力で傷口はすぐにふさがったけれど、寝込みを襲われた心の傷を心配された。
夜には壱岐が帰ってきた。参悟から事情を聞いて怒ってくれたが、弐亜はどこかに出かけていて話はできなかった。
「清蘭学園は幼稚舎から大学部までエスカレータ式なんです。萌香さんが転学するのは高等部の一年。私は二年なので教室の階は違いますが同じ校舎ですよ」
参悟は、萌香に高級ホテルのような校舎を案内してくれた。
どこを見ても豪華だ。平民の学校のように汚れたり壊れたりしている場所はなく、談笑する生徒もみんなお淑やかで、萌香が知る高校生とはかけはなれている。
それは隣を歩く参悟も同じ。
すらりとした背丈と落ち着いた態度は大人のようなのに、萌香の一学年上だというから、びっくりしてしまった。
「私はここで。後でお会いしましょう」
職員室に送り届けられた萌香は、担任の女性教師に挨拶した。
彼女と一緒に教室に向かって、朝のホームルームのはじめに紹介の時間を作ってもらう。
「こちらは野宮萌香さんです。自己紹介は自分でできるかしら?」
「は、はい! 皆さん、はじめまして。野宮萌香です。よろしくお願いします!」
がばりと頭を下げる。礼儀正しく机についた生徒たちはパラパラと拍手を送ってくれた。
(あんまり歓迎されていない、かな?)
親戚の家を転々としてきただけあって転校には慣れている。
最初の感触でクラスになじめるかどうかがわかるのだが、ここはイマイチだ。
よくない雰囲気を感じた教師はパンと手を叩いた。
「萌香さんは清蘭が初めてなの。代々ここの理事を務めている桜鬼家で暮らしているそうだから、華族の者はとくに力になってあげるように」
桜鬼家の名前が出た瞬間、生徒たちの顔に驚きが浮かんだ。
(ここでも影響力ばつぐん……。桜鬼家って本当にすごいんだなぁ)
窓際の一番後ろの席に座った萌香は、ホームルームが終わるなり生徒に取り囲まれた。
「桜鬼家で暮らしているって本当なの?」
「もしかして、参悟様と一つ屋根の下ってこと!?」
「ぼくは壱岐様が目標なんだ。話を聞かせてほしい」
「え、えっと」
女子も男子も桜鬼家の話を聞きたいようだ。だが、萌香に語れることはあまりなかった。
壱岐と出会ってまだ三日目。
母屋の間取りさえ覚えていないのに、彼らの知られざる秘密を語れるわけがない。
「ごめんなさい。教科書を忘れちゃったみたいで……購買に行ってくるね!」
耐えきれずに教室から走り出た。
残されたクラスメイトは顔を見合わせる。
「高等部に購買はないよね?」
「何でも買ってきてくれるコンシェルジュはいるけど……」
萌香は、ろくに知らない廊下を走り抜けて、だだっ広い校舎で当然のように迷った。
「ここはどこなんだろう……」
右も左も空き教室。授業が始まったせいか出歩く生徒はいない。
さすが清蘭学園。サボったり早退する生徒はいないようだ。
職員室で地図をもらおうと歩いたが、どこをどう間違ったのか中庭に出てしまった。
巨大な噴水が中央にあり、左右は色とりどりの花が咲きほこる花壇になっていた。
白いパラソルの下にはガーデンテーブルと椅子が設置されて、このままカフェが営業できそうだ。
「いいお天気だし、ここでカフェオレを飲んだら気持ちよさそう」
晴れた空を見上げて噴水に近づいていく。歩きつかれたので休憩がしたかった。
噴き上げられて落ちていく水の帯を目でたどると、揺らめく水面の向こうに人影が見えた。
(誰かいる)
服の色合いから高等部の生徒のようだ。
萌香は顔色を明るくして駆け寄った。
「すみません! 道を聞きたいんですけど――」
噴水を回り込んだ萌香は、ピタッと足を止めた。
噴水のへりに腰かけてスマホを操作していた人物は、弐亜だった。
シャツの襟をくつろげていて、首にかけた二連のチェーンが胸筋にそって垂れるのが見えた。
「どうして弐亜さんがここにいるんですか」
「サボりだよ。僕、ここの生徒だから」
「高校生だったんですか!?」
思わず大声を出してしまった萌香に、弐亜は不本意そうに唇をとがらせた。
「そんなに驚かれると傷つくな~。涙が出てきちゃった。ハンカチ貸してくれる?」
「これでよければ、どうぞ」
素直に差し出すと、パシッと手首をつかまれて引き寄せられた。
「きゃっ」
どさっと倒れ込んだ先は弐亜の胸だった。彼は、萌香の首筋を確認して肩をすくめる。
「傷、治されちゃったんだね。せっかく僕のモノだって印をつけたのに」
「私は弐亜さんの所有物ではありません!」
「じゃあ、壱岐の?」
弐亜の視線が剣のように鋭くなったので、萌香は硬直する。
赤い瞳から感じるのは、こごり固まった血のように黒い感情。
どうも弐亜は、壱岐に憎しみにも似た感情を抱いているようだ。
(兄弟なのに)
家族をすべて失った萌香には、血をわけた相手を敵対視する弐亜が理解できない。
どうせなら仲良くしたらいいのに。胸がもやもやする。
「……私は、壱岐さんのモノでもありません。一年の教室がどこにあるか教えてくれませんか? 迷っちゃったんです」
ダメもとで聞いたら、弐亜は吊り上げていた眉をカクンと下げて吹き出した。
「萌香ちゃんって天然だよね。いいよ、案内してあげる。萌香ちゃんの方から僕のモノにしてっておねだりしてくれるように、点数を稼いでおかないとね」
弐亜は萌香を支えて立ち上がると、手を引いて歩き出した。
大きな手のひらは、お父さんみたいで安心する。
(強引でとらえどころがないけど、悪い人じゃないんだ)
その後、無事に教室に戻った萌香は、クラスメイト総出で捜索されそうになっていてびっくりした。
弐亜に噛まれた傷を見た参悟から、一日休養するように勧められたからだ。
彼の神力で傷口はすぐにふさがったけれど、寝込みを襲われた心の傷を心配された。
夜には壱岐が帰ってきた。参悟から事情を聞いて怒ってくれたが、弐亜はどこかに出かけていて話はできなかった。
「清蘭学園は幼稚舎から大学部までエスカレータ式なんです。萌香さんが転学するのは高等部の一年。私は二年なので教室の階は違いますが同じ校舎ですよ」
参悟は、萌香に高級ホテルのような校舎を案内してくれた。
どこを見ても豪華だ。平民の学校のように汚れたり壊れたりしている場所はなく、談笑する生徒もみんなお淑やかで、萌香が知る高校生とはかけはなれている。
それは隣を歩く参悟も同じ。
すらりとした背丈と落ち着いた態度は大人のようなのに、萌香の一学年上だというから、びっくりしてしまった。
「私はここで。後でお会いしましょう」
職員室に送り届けられた萌香は、担任の女性教師に挨拶した。
彼女と一緒に教室に向かって、朝のホームルームのはじめに紹介の時間を作ってもらう。
「こちらは野宮萌香さんです。自己紹介は自分でできるかしら?」
「は、はい! 皆さん、はじめまして。野宮萌香です。よろしくお願いします!」
がばりと頭を下げる。礼儀正しく机についた生徒たちはパラパラと拍手を送ってくれた。
(あんまり歓迎されていない、かな?)
親戚の家を転々としてきただけあって転校には慣れている。
最初の感触でクラスになじめるかどうかがわかるのだが、ここはイマイチだ。
よくない雰囲気を感じた教師はパンと手を叩いた。
「萌香さんは清蘭が初めてなの。代々ここの理事を務めている桜鬼家で暮らしているそうだから、華族の者はとくに力になってあげるように」
桜鬼家の名前が出た瞬間、生徒たちの顔に驚きが浮かんだ。
(ここでも影響力ばつぐん……。桜鬼家って本当にすごいんだなぁ)
窓際の一番後ろの席に座った萌香は、ホームルームが終わるなり生徒に取り囲まれた。
「桜鬼家で暮らしているって本当なの?」
「もしかして、参悟様と一つ屋根の下ってこと!?」
「ぼくは壱岐様が目標なんだ。話を聞かせてほしい」
「え、えっと」
女子も男子も桜鬼家の話を聞きたいようだ。だが、萌香に語れることはあまりなかった。
壱岐と出会ってまだ三日目。
母屋の間取りさえ覚えていないのに、彼らの知られざる秘密を語れるわけがない。
「ごめんなさい。教科書を忘れちゃったみたいで……購買に行ってくるね!」
耐えきれずに教室から走り出た。
残されたクラスメイトは顔を見合わせる。
「高等部に購買はないよね?」
「何でも買ってきてくれるコンシェルジュはいるけど……」
萌香は、ろくに知らない廊下を走り抜けて、だだっ広い校舎で当然のように迷った。
「ここはどこなんだろう……」
右も左も空き教室。授業が始まったせいか出歩く生徒はいない。
さすが清蘭学園。サボったり早退する生徒はいないようだ。
職員室で地図をもらおうと歩いたが、どこをどう間違ったのか中庭に出てしまった。
巨大な噴水が中央にあり、左右は色とりどりの花が咲きほこる花壇になっていた。
白いパラソルの下にはガーデンテーブルと椅子が設置されて、このままカフェが営業できそうだ。
「いいお天気だし、ここでカフェオレを飲んだら気持ちよさそう」
晴れた空を見上げて噴水に近づいていく。歩きつかれたので休憩がしたかった。
噴き上げられて落ちていく水の帯を目でたどると、揺らめく水面の向こうに人影が見えた。
(誰かいる)
服の色合いから高等部の生徒のようだ。
萌香は顔色を明るくして駆け寄った。
「すみません! 道を聞きたいんですけど――」
噴水を回り込んだ萌香は、ピタッと足を止めた。
噴水のへりに腰かけてスマホを操作していた人物は、弐亜だった。
シャツの襟をくつろげていて、首にかけた二連のチェーンが胸筋にそって垂れるのが見えた。
「どうして弐亜さんがここにいるんですか」
「サボりだよ。僕、ここの生徒だから」
「高校生だったんですか!?」
思わず大声を出してしまった萌香に、弐亜は不本意そうに唇をとがらせた。
「そんなに驚かれると傷つくな~。涙が出てきちゃった。ハンカチ貸してくれる?」
「これでよければ、どうぞ」
素直に差し出すと、パシッと手首をつかまれて引き寄せられた。
「きゃっ」
どさっと倒れ込んだ先は弐亜の胸だった。彼は、萌香の首筋を確認して肩をすくめる。
「傷、治されちゃったんだね。せっかく僕のモノだって印をつけたのに」
「私は弐亜さんの所有物ではありません!」
「じゃあ、壱岐の?」
弐亜の視線が剣のように鋭くなったので、萌香は硬直する。
赤い瞳から感じるのは、こごり固まった血のように黒い感情。
どうも弐亜は、壱岐に憎しみにも似た感情を抱いているようだ。
(兄弟なのに)
家族をすべて失った萌香には、血をわけた相手を敵対視する弐亜が理解できない。
どうせなら仲良くしたらいいのに。胸がもやもやする。
「……私は、壱岐さんのモノでもありません。一年の教室がどこにあるか教えてくれませんか? 迷っちゃったんです」
ダメもとで聞いたら、弐亜は吊り上げていた眉をカクンと下げて吹き出した。
「萌香ちゃんって天然だよね。いいよ、案内してあげる。萌香ちゃんの方から僕のモノにしてっておねだりしてくれるように、点数を稼いでおかないとね」
弐亜は萌香を支えて立ち上がると、手を引いて歩き出した。
大きな手のひらは、お父さんみたいで安心する。
(強引でとらえどころがないけど、悪い人じゃないんだ)
その後、無事に教室に戻った萌香は、クラスメイト総出で捜索されそうになっていてびっくりした。