一口サイズのデザートに舌鼓を打った萌香は、外の空気を吸いに廊下に出た。
 壱岐は世間話が商談に発展して席を外している。
 弐亜は本家に嫁入りを企む令嬢たちに捕まり、参悟は学園OBの長話を抜けられず、四葉は休憩室で昼寝している。
(一日がかりのパーティーだと疲れちゃうよね)
 萌香は一人きりで窓ごしの満月を見上げる。
 桜鬼家に世話になると決まったときには、宴に同行させてもらえるまでになるとは思っていなかった。
 ましてや、花嫁にするつもりだなんて……。
(夢みたい)

「野宮様、お手伝いをお願いしてもよろしいですか?」
 呼びかけてきたのは人が良さそうな執事だった。
 振袖だけど荷物運びくらいならできるので、頷いて彼についていく。
 執事はどんどん屋敷の奥に進み、和室に入った。
 後に続いた萌香は、なかで待っていた人物に驚いた。
「当主様と……おじさん?」
 なぜか、萬治郎の隣には最後に世話になっていた親戚の従叔父がいた。
 思わず顔をしかめると、萬治郎は「保護者が探していたぞ」とまるで家出少女を前にしたように話し出した。

「そなたは壱岐に一目ぼれして、無理やり桜鬼家に居座っているらしいな。保護者を呼んでやったから帰るように」
「居座っているわけではありません。おじさん、引っ越しについては壱岐さんと話がついたはずですよね」
「いやぁ? どうだったけなぁ」
 ニヤニヤと笑う従叔父のポケットは膨らんでいる。隙間から札束が見えたので、萌香は買収されたのだと悟った。
 萬治郎は萌香を意地でも壱岐たちから引き離すつもりだ。
「さあ、行くぞ。萌香。表に車を待たせてある」
 従叔父にぎゅうっと腕を掴まれて、萌香は悲鳴を上げた。
「離してください!」
「おれに抵抗するとは何様のつもりだっ」

 バチン!
 従叔父は萌香の頬を平手で打った。
 すごく痛い。けれど、萌香は足に込めた力を抜かなかった。
(壱岐さんたちと離れるなんて嫌!)
 彼らは萌香を甘贄ではなく、一人の人間として必要としてくれた。
 親戚の家をたらいまわしにされていた頃には感じられなかった愛を与えて、慈しんでくれた。
 ここにいたい。それは、萌香が心の底から想う願い。

「私は、絶対に桜鬼家を離れない……! みんなを愛しているから!!」
 高らかに宣言する。と、萌香の胸の辺りから桜色の光が放たれた。
「うわあああっ!」
 光は巨大な流れになって従叔父の体を跳ね飛ばす。
 萬治郎は度肝を抜かれた様子で、震える唇を開いた。
「なぜ桜鬼家の神力が宿っているのだ……。まさか、あの兄弟に番がいるのか!?」
 萌香は桜吹雪のように舞う光を手のひらにのせた。
 花びらの形をしていて、壱岐や参悟、四葉が放った神力と同じ気配を感じる。
(これは、何?)

 見とれていたら、部屋に壱岐が駆け込んできた。
「この甘い匂いは……萌香!」
「壱岐さん!」
 萌香が手を伸ばすと力いっぱい抱きしめてくれる。
 心細かった萌香は、それだけで泣きそうになった。
 壱岐は、床に倒れた従叔父と呆けた萬治郎を見て何が起きたか察し、ぎりっと唇を噛んだ。
「当主様、あなたがどんな手を使おうと萌香は俺の――桜鬼家の甘贄だ」
「わかっているのだろうな。運命の番となったら最後、飢鬼は甘贄に一生を狂わされる。かつては家を乗っ取られて滅んだ華族もいるのだぞ!?」
 つばを飛ばして説得する萬治郎を、壱岐は月に似た冷たい瞳で一蹴した。
「萌香に人生を狂わされるというなら本望だ。萌香――」

 呼びかけられて顔を上げる。
 壱岐は切なげな表情でぽつり、
「愛している」
 と告げて口づけてきた。
 結婚式で愛を誓うような清らかな触れ合いに、萌香もそっと目を閉じる。
 彼が運命の番だったらいいのに、と心の奥で思いながら。