桜鬼家では、本家の屋敷に集まって桜鬼一族が一堂に会する宴がある。
萌香は留守番のはずだったが壱岐たっての要請により出席することになった。
当日、壱岐たちと一緒に会場に入った萌香は、生まれて初めて振袖を着た。
桜が描かれた豪華なもので、髪もセットして壱岐たちの待つ部屋に向かう。
「お待たせしました」
ソファに座っていた四人は、現れた萌香を見て破顔した。
「萌香ちゃん、可愛いね」
「とてもお似合いです」
手放しでほめてくれたのは弐亜と参悟。二人ともスーツを着ていて締めたネクタイが凛々しい。
上着の襟には、桜鬼本家の家紋をあしらった金のバッジがきらめいていた。
「モカ……」
言葉をなくして萌香に見とれているのは四葉だ。彼は中等部の制服を着ていて、家紋のバッジもない。
これまで宴には招待されていなかったが、萌香と同じく壱岐の強い要望で参加が決まったという。
(たぶん、四葉くんが悪目立ちしないように私を連れてきたんだ)
そうでなければ、桜鬼家とは何のゆかりもない萌香のために豪勢な着物一式を準備するはずがない。
今日の仕掛け人である壱岐の方を見ると、彼は兄弟の誰よりも感極まった表情で瞳を揺らしていた。
「すごく綺麗だ、萌香。俺の見立ては間違っていなかったな」
自画自賛する壱岐は、五つ紋付の羽織袴だった。
風格ある着姿に思わずドキドキしてしまう。
壱岐の美しさに比べたら、床の間にかけられた桜の掛け軸や上等な生け花もかすんで見える。
他の三人も同じだ。
兄弟が顔を揃えているだけで美術館に展示される国宝のような神々しさ。
華麗なる兄弟に混ぜてもらった萌香は肩身が狭くて、恐縮してしまう。
「褒められると恥ずかしいです。でも、この振袖、すごく可愛くて好きです。ありがとうございます」
「お礼はいらない。俺が萌香を飾りたかったんだ――」
立ち上がった壱岐は、頭を下げる萌香の手を取って「すまない」と囁いた。
「――これから起きることは、ぜんぶ俺のわがままだ」
どういう意味だろう。
問い返す間もなく、宴の会場である大広間へエスコートされた。
「本家のご兄弟が到着されました」
侍従が壱岐たちの入室を知らせると、晴れ着で集まった人々は惜しみない拍手を送った。
何十畳あるのか見当もつかない和室。そこに無数に置かれたテーブルでご馳走や高級酒が振る舞われている。
桜鬼家の分家とそれに連なる一族が勢ぞろいで、平民の萌香には圧巻の規模だ。
萌香のように振袖を着た令嬢たちは、ギラギラした視線を壱岐や弐亜に送り、手を引かれる萌香に気づくと鬼の形相になった。
(こ、こわい……あれ?)
首をすくめた萌香は、同じように険しい表情でこちらを見る白髪の老人に気づいた。
上座の金屏風のまえで、渋い羽織を着て座った老人の周囲は、そこだけ別世界みたいに静まっていた。
(あの人、もしかして……)
桜鬼家の当主である、桜鬼萬治郎ではないだろうか。
睨まれているのは萌香か、それとも四葉か、両方か。
わからないなりに、萌香は首をすくめて壱岐の手をはなれた。
「壱岐さんが挨拶している間、端にいます」
「わかった。だが、四葉たちのそばにいてくれ」
壱岐は舞台に上がり、弐亜、参悟、四葉の順で舞台袖に並ぶ。
萌香は四葉から距離をとって、壁に背を向けて立った。
「桜鬼家の宴にお集まりいただきありがとうございます。桜鬼グループが代替わりしても変わらず栄えているのは一族の皆のおかげです。どうぞ、本日の宴を楽しんでください。これより本家当主よりご挨拶を賜りますが、その前に紹介したい人がいます――」
壱岐が萌香へ視線をすべらせる。
スポットライトが動いて、萌香がパッと照らされた。
「――彼女は野宮萌香。縁があり、この春から私の屋敷で暮らしています。いずれ、彼女を桜鬼本家に花嫁として迎え入れるつもりです」
「えっ!?」
事実上の婚約者紹介に、萌香はびっくりした。
(花嫁にされるって、私が?)
参加者も驚いたようでざわめいたが、弐亜と参悟、四葉は平然としている。
壱岐と打ち合わせしていたようだ。
「……もっとも、私たち四兄弟の誰が彼女を射止めるかはまだわかりませんが」
「許さんぞ、壱岐!」
萬治郎が杖に寄りかかって立ち上がり、壇上の壱岐を指で刺した。
「その女は平民だというではないか。桜鬼の本家に穢らわしい血を入れるのはならん!!」
「彼女は穢らわしい存在ではありません」
断言した壱岐は、不安そうな萌香を視界に入れて、安心させるように柔らかく微笑んだ。
「私を癒し、ときに励ましてくれる、素晴らしい女性です。彼女以外の誰にもその役割は務まらない。私たちには彼女が必要です」
話しかけてくる声は痛いくらいに優しい。
萌香が必要とされるのは甘贄だからだと思っていた。
しかし、壱岐のまなざしは愛してやまない女性に送るそれだ。
彼は目で、声で、態度で、萌香への愛を表明していた。
揺れる萌香の心に、弐亜たちの声が染み入ってくる。
「僕にも萌香ちゃんが必要だよ」
「あなたと一緒にいたいです。萌香さん」
「だいすきだよ、モカ」
三人に笑いかけられて、じわっと涙があふれてきた。
(私、勘違いしてもいいのかな)
一人の人間として愛されているって。
もしもそうなら、萌香の答えは――
「貴様ら、絶対に許さんからな!」
萬治郎はそう言って、怒り心頭で大広間を出て行ってしまった。
「お爺様が……」
「昔かたぎで差別的な人なんだ。いつまで平民を見下すつもりなんだか」
ぼやく弐亜が目で合図する。
壱岐はそれを受けて、挨拶をこう締め切った。
「いずれ、当主にも認めていただく。私たちは彼女を諦めるつもりはありません」
萌香は留守番のはずだったが壱岐たっての要請により出席することになった。
当日、壱岐たちと一緒に会場に入った萌香は、生まれて初めて振袖を着た。
桜が描かれた豪華なもので、髪もセットして壱岐たちの待つ部屋に向かう。
「お待たせしました」
ソファに座っていた四人は、現れた萌香を見て破顔した。
「萌香ちゃん、可愛いね」
「とてもお似合いです」
手放しでほめてくれたのは弐亜と参悟。二人ともスーツを着ていて締めたネクタイが凛々しい。
上着の襟には、桜鬼本家の家紋をあしらった金のバッジがきらめいていた。
「モカ……」
言葉をなくして萌香に見とれているのは四葉だ。彼は中等部の制服を着ていて、家紋のバッジもない。
これまで宴には招待されていなかったが、萌香と同じく壱岐の強い要望で参加が決まったという。
(たぶん、四葉くんが悪目立ちしないように私を連れてきたんだ)
そうでなければ、桜鬼家とは何のゆかりもない萌香のために豪勢な着物一式を準備するはずがない。
今日の仕掛け人である壱岐の方を見ると、彼は兄弟の誰よりも感極まった表情で瞳を揺らしていた。
「すごく綺麗だ、萌香。俺の見立ては間違っていなかったな」
自画自賛する壱岐は、五つ紋付の羽織袴だった。
風格ある着姿に思わずドキドキしてしまう。
壱岐の美しさに比べたら、床の間にかけられた桜の掛け軸や上等な生け花もかすんで見える。
他の三人も同じだ。
兄弟が顔を揃えているだけで美術館に展示される国宝のような神々しさ。
華麗なる兄弟に混ぜてもらった萌香は肩身が狭くて、恐縮してしまう。
「褒められると恥ずかしいです。でも、この振袖、すごく可愛くて好きです。ありがとうございます」
「お礼はいらない。俺が萌香を飾りたかったんだ――」
立ち上がった壱岐は、頭を下げる萌香の手を取って「すまない」と囁いた。
「――これから起きることは、ぜんぶ俺のわがままだ」
どういう意味だろう。
問い返す間もなく、宴の会場である大広間へエスコートされた。
「本家のご兄弟が到着されました」
侍従が壱岐たちの入室を知らせると、晴れ着で集まった人々は惜しみない拍手を送った。
何十畳あるのか見当もつかない和室。そこに無数に置かれたテーブルでご馳走や高級酒が振る舞われている。
桜鬼家の分家とそれに連なる一族が勢ぞろいで、平民の萌香には圧巻の規模だ。
萌香のように振袖を着た令嬢たちは、ギラギラした視線を壱岐や弐亜に送り、手を引かれる萌香に気づくと鬼の形相になった。
(こ、こわい……あれ?)
首をすくめた萌香は、同じように険しい表情でこちらを見る白髪の老人に気づいた。
上座の金屏風のまえで、渋い羽織を着て座った老人の周囲は、そこだけ別世界みたいに静まっていた。
(あの人、もしかして……)
桜鬼家の当主である、桜鬼萬治郎ではないだろうか。
睨まれているのは萌香か、それとも四葉か、両方か。
わからないなりに、萌香は首をすくめて壱岐の手をはなれた。
「壱岐さんが挨拶している間、端にいます」
「わかった。だが、四葉たちのそばにいてくれ」
壱岐は舞台に上がり、弐亜、参悟、四葉の順で舞台袖に並ぶ。
萌香は四葉から距離をとって、壁に背を向けて立った。
「桜鬼家の宴にお集まりいただきありがとうございます。桜鬼グループが代替わりしても変わらず栄えているのは一族の皆のおかげです。どうぞ、本日の宴を楽しんでください。これより本家当主よりご挨拶を賜りますが、その前に紹介したい人がいます――」
壱岐が萌香へ視線をすべらせる。
スポットライトが動いて、萌香がパッと照らされた。
「――彼女は野宮萌香。縁があり、この春から私の屋敷で暮らしています。いずれ、彼女を桜鬼本家に花嫁として迎え入れるつもりです」
「えっ!?」
事実上の婚約者紹介に、萌香はびっくりした。
(花嫁にされるって、私が?)
参加者も驚いたようでざわめいたが、弐亜と参悟、四葉は平然としている。
壱岐と打ち合わせしていたようだ。
「……もっとも、私たち四兄弟の誰が彼女を射止めるかはまだわかりませんが」
「許さんぞ、壱岐!」
萬治郎が杖に寄りかかって立ち上がり、壇上の壱岐を指で刺した。
「その女は平民だというではないか。桜鬼の本家に穢らわしい血を入れるのはならん!!」
「彼女は穢らわしい存在ではありません」
断言した壱岐は、不安そうな萌香を視界に入れて、安心させるように柔らかく微笑んだ。
「私を癒し、ときに励ましてくれる、素晴らしい女性です。彼女以外の誰にもその役割は務まらない。私たちには彼女が必要です」
話しかけてくる声は痛いくらいに優しい。
萌香が必要とされるのは甘贄だからだと思っていた。
しかし、壱岐のまなざしは愛してやまない女性に送るそれだ。
彼は目で、声で、態度で、萌香への愛を表明していた。
揺れる萌香の心に、弐亜たちの声が染み入ってくる。
「僕にも萌香ちゃんが必要だよ」
「あなたと一緒にいたいです。萌香さん」
「だいすきだよ、モカ」
三人に笑いかけられて、じわっと涙があふれてきた。
(私、勘違いしてもいいのかな)
一人の人間として愛されているって。
もしもそうなら、萌香の答えは――
「貴様ら、絶対に許さんからな!」
萬治郎はそう言って、怒り心頭で大広間を出て行ってしまった。
「お爺様が……」
「昔かたぎで差別的な人なんだ。いつまで平民を見下すつもりなんだか」
ぼやく弐亜が目で合図する。
壱岐はそれを受けて、挨拶をこう締め切った。
「いずれ、当主にも認めていただく。私たちは彼女を諦めるつもりはありません」