窓の外に桜色の光が見えて、壱岐は表に走り出た。
(今のは桜鬼家の者が鬼化するときの光だ)
 光が放たれたのは離れの方角である。
 離れは異母弟の四葉が住んでいる家で、数名の使用人以外は立ち入らせないようにしていた。
 四葉の神力の強さを周囲に悟らせないためだ。

 桜鬼家の当主である祖父は、華族の血を重んじる純血思想を持っていて、平民の母親から生まれた四葉を疎んでいる。
 彼が壱岐に匹敵するほどの強さを秘めていると知れば、何をしてくるかわからない。
(封じの腕輪を渡していたのに。まさか、外したのか!?)
 庭園を突っ切って離れに向かう。
 大きな紅葉が近くなると、その向こうに信じたくない光景が広がっていた。

 ――萌香が四葉と口づけをかわしている。

 こちらに背を向ける萌香の表情はわからないが、四葉は静かに目を閉じて真摯に彼女を感じていた。
 彼の足元に散らばった腕輪の欠片を見て、壱岐は察する。
(ああ、四葉も俺と同じ飢鬼になってしまった)
 末の弟だけは、この苦しい運命から逃れさせたかったのに。

 桜鬼グループ内の製薬会社には飢鬼を研究する秘密部署がある。
 鬼化を食い止めるのに紅葉から採取された物質が有効だとわかり、試験的に製作したのがあの腕輪だ。
 有効成分を絶えず発するほか、神力を抑え込んで体の成長を阻害する術もほどこした。
 引っ越しもさせた。
 桜の木に囲まれた母屋ではなく、紅葉の植わった離れで暮らさせているのは、四葉を鬼化から守るためだった。
(結局、俺は弟たちを守ってやれなかった……)

 落胆に身をつまされていたら、四葉が目を開けて萌香から離れた。
 彼女の唇で指をなぞった彼は、遠くの壱岐に視線をすべらせて挑発するように笑った。
 その表情は、獲物を見事に仕留めた狩人のようだった。
(まさか……四葉は自ら望んで鬼化したのか?)
 封じの腕輪を外して、欲望の枷を取り払い、甘贄に食らいつくのが、四葉の本望だったとでもいうのだろうか。
 壱岐は、四葉という人間を見誤っていたのかもしれない。
 彼は、壱岐が庇護するべき弱者ではなく、壱岐の幸せをおびやかす敵対者だったのだ。

(萌香は渡さない)
 ぐっとこぶしを握りしめて四葉を見すえる。
 四葉は、早々に壱岐への興味をなくして萌香を愛でているが、その姿もまた壱岐の嫉妬心に油を注いだ。
 甘贄を独占したい想いに、思考が焼ききれそうだ。
 気をやるすんでのところで踏みとどまって、深呼吸をする。
(萌香を独占したい。これは恋か? それとも食欲か?)
 わからない。
 どちらにせよ、萌香は悲しむだろうなと壱岐は思った。
 萌香が壱岐に唇を許すのは、壱岐を愛しているからではない。
 どんな感情を抱いても、彼女の重荷にしかならない。

「さっき光が見えたような……」
「それよりも、私の話を聞きなさい」
 弐亜と参悟が母屋を出てきたので、壱岐は反対方向にきびすを返した。
 残酷な問いへの答えは保留して。
 萌香への想いを胸に秘めて。