「せっかくだから、力仕事頼むよ。松下君の方が背高いし」
「力仕事って?」
「そうだなぁ」
ぐるりと周囲を見回し、一周半したところで顔を止める。
「そうそう。あの物置の中身、頼める?」
「りょ」
温室の角に合わせて置かれている物置は大葉の身長と同じくらいの高さで、横幅はもっとある。縦横に大きいせいか、やけに平べったく、奥行きがないように感じられた。錆と土で汚れた引き戸を引っ張ってみるが、三センチほど動いただけで止まってしまう。
「開かねぇ! 油差しとかないか?」
「その扉の中」
「マジか。意味無いし」
唸りながら押して引いて、汗が垂れてきたところで大葉が言った。
「扉ごと外したら?」
「……早く言ってほしかった」
「あ、ごめん」
僅かに開いた隙間に手を差し込み、上下にずらす要領でレールから扉を外す。金属の板は持ち上げてしまえば予想外に軽く、バランスを崩して倒れそうになった。
「うおっと」
「危ないなぁ」
汗ばむ背中に大葉の手を感じた。人の掌って、こんなに熱かっただろうか。
「大丈夫?」
「あ、りがとう」
支えてもらったのはいいが、後ろに反った変な態勢で重心が定まってしまい、かえってそのまま動けなくなる。
「もうちょい押してくんね」
「よっと」
予想外に強くひっくり返されて、今度は前につんのめった結果、開いたばかりの倉庫に頭から突っ込む羽目になった。
「お前さぁ」
「ごめんごめん。お詫びに何かおごるよ」
「王子の財力、見せてもらうからな」
 一歩下がってみると、倉庫の中は錆びたシャベルやらバケツやら、もはや使えるのかも分からない肥料の袋やら。
「もう倉庫ごと捨てちまえよ」
「うん。俺も今そう思った」
「でもって買い替えればいいじゃん」
「それは無いな」
即答だった。
「ここの温室、もうすぐ取り壊されるんだよ。あの事故で悪いイメージ付いちゃったし、そもそも生徒が自由に使える場所じゃ無いなら、学校になくていいんだ」
「……ふうん」
「たぶん、この中庭自体がいずれ無くなっていくと思うよ。工事して部活用のコートとか作ったりするっぽい」
たぶん学校としてもその方が良いんだろう。
「じゃあ、何で花の手入れなんかしてんの」
「もうすぐなくなるからだよ。最後こそ、美しく終わるべきなんだ」
「何かの小説の受け売りか? 王子の言うことは違うねぇ」
「俺、そんなに王子様っぽい?」
さすがに揶揄いすぎただろうか。怒っているのかと大葉を見ると、別に表情は変わっていなかった。でも手は咲いている薔薇の花びらをあちこち千切り取っている。
「あ、あのさ」
「ウチの両親、若いころに駆け落ち同然で結婚したらしくてさ。でも色々あって生活苦しくなって、結局は理事長……つまり婆さんに頭下げて頼るしかなかったんだって。そのせいで今も頭上がんなくてさ。俺も巻き込まれて、期待通りの道に進学するしかない訳よ」
「そっか。苦労してんだな」
とりあえず俺は、もう冗談でも王子と呼ぶのをやめた。
「この学校入ったならもう良いんじゃね? 成績優秀、品行方正、将来有望。そんなに『良い子』を積み上げてどうすんだよ」
「ぶっ壊すためだね」
「あ?」
大葉が千切り取った花びらをグラデーションになるよう並べながら、楽しそうに上気した顔で続ける。その目はたぶん、鮮やかな花びらも机も見えていない。
「家族の期待と安心を積み上げて、積み上げて、最高の瞬間に全部ぶっ壊してやるんだ。楽しみだろ」
そんなの哀しいとか、じぶんの人生大事にしろとか、そういうことを言うべきなんだろうとは思う。でも言いたいとは思わなかった。
「楽しみにしとくよ。俺もその瞬間、見てみたいわ」
「何それ。嫌味?」
「本心だっての。面倒な奴だな」
お互い黙ったところで、ちらっと大葉の顔を盗み見る。これは俺も何か告白しなきゃいけない流れなんだろうか。
「さっきの話だけど。前の冬、ここで死んだ庭師の爺さんがいただろ」
大葉は少し怪訝な顔をしながらも頷いた。見知らぬ死者に対するぞんざいな言い方に違和感があったのだろう。
「俺の爺ちゃんだったんだよ」
温室の手入れをしていた庭師が、外に出たところで亡くなっていたらしい。ヒートショックによる心臓発作だそうだ。学校には他にも職員がいたのだけれど、会議が長引いて外に目を向ける者がおらず、発見が遅れてしまった。
「……えっと」
「一応言っとくけど、謝んなくていいぞ。ウチにも理事長と学校の人がゾロゾロ来て、安全管理がどうとか詫びてたけどさ。そもそも事故だし」
年を越えて松の内が開けたら、祖父の一周忌がある。だからということもないが、何となく見に来たくなってしまったのだ。幼いころから自慢され続けた花園を。
「強く厳しく在るしかない、とある女性がいてさ。疲れた時に安らぎにくる場所なんだと。だから自分はそこをずっと守ってきたんだって。普段はこの学校の頂点に君臨してなきゃいけない女王様が、ひととき休める場所だから」
大葉はしばらく言葉を探していた。でも結局見つからなかったらしく、小声で訊いてきた。「何で俺が謝ると思ったの」
「そういうとこ、律義そうだから。本当は悪いと思ってなくても形式的に言いそうな顔してるし」
大葉がちょっと笑った。
「それ、どんな顔?」
「あとで鏡見てみろよ。もしくはそこのガラスで」
言ってはみたが、温室の汚れたガラス壁には顔なんか映らなかった。それどころか外も良く見えない。かろうじて外でしぶとく咲いているパンジーの黄色や紫が判別できる程度である。
 同じものを見ているらしい大葉がぽつりと言った。
「花って、何で咲くんだろうね」
「理由なんかあるかよ」
強いていうなら、子孫を残すためだろう。花を咲かせて受粉して実を付ける、生命体としての本能だ。
「だからだよ。せっかく成長して、エネルギー使って咲き誇って、いざ実をつけるぞーってところで刈り取られるんだよ。頑張った全部が無駄じゃないか」
それなら咲かなきゃいいのにね、と屈託なく笑う。
「咲かせてんのはお前だろ」
「ああ、確かに」
今度は初めて気づいたかのように真顔である。こいつは何なんだろう。頭の良さと思慮深さは別物なのかもしれない。
 外と内、両方で咲く花を見比べながら俺が言った。
「こんな童話あった気がするんだよなぁ。反対の季節の植物が半分ずつ咲いてる庭、みたいなのが出てくるやつ」
「夏の庭と冬の庭。俺も思ってたんだよ、この場所は童話みたいだって」
すぐに答えが返ってきて、のんびり構えていた俺の方がワンテンポ遅れてしまう。
「そんな題名だったっけか」
そんな気もするし、そうじゃない気もする。イマイチすっきりしなかった。喉から半端な低音を出して唸る俺に反して、大葉の方は機嫌よそうに、ちぎったバラの花をグラデーションに並べて遊び始めた。虹色の列をこちらに伸ばしながら語り出す。
「遠出することになった商人が、娘たちに土産は何が良いかと尋ねた。上の娘たちは綺麗な服や宝石を希望し、末の娘は薔薇の花が欲しいと言う。でも季節は冬で、薔薇などどこにも咲いていない。商人が困っていると、いつのまにか不思議な屋敷に迷い込んでしまう。そこには豪華な屋敷と美しく広大な庭があり、庭の半分は夏の花が、もう半分は冬の花が咲いていた」
「あ、そう、そんな話!」
勢い込んで言ったらグラデーションの後半を吹き飛ばしてしまった。慌てて拾い集めていたら、ふと疑問が湧く。
「でもさ、グリム童話ならどこかで聞く機会もありそうなもんだろ。昔一回読んだっきりな気がするんだよな」
だから今の今まで忘れていた。
「この話はグリム童話集の完成版では削除されてるんだ。よく似た話として美女と野獣が残ったようだね」
「へえ。そういや、美女と野獣ってグリム童話だったか」
色々な創作物で題材に使われているためか、原作が何だったかつい忘れてしまう。
「そもそもグリム童話って、その地方の民話や昔話を小説としてまとめたものだからね。本当の大元は何だったのか、今では分からないんだろう。グリム童話の後にペロー版、そのあとにボーモン夫人版がそれぞれ小説として出版されてるし」
「内容違うのか?」
「大筋は同じだけど、グリム版が短い童話なのに対して、ボーモン夫人版はもっと読みごたえのある長編小説だよ」
なるほど。いつの時代も二次創作は人気のようだ。
 さて、俺としては童話の続きが少々引っかかってしまう。
「あのさ。その商人が折った薔薇の代わりに、娘が屋敷に留め置かれるんだよな」
「そうだね」
涼しい顔して笑っている。
「……その娘が俺とか言わないよな?」
「自分の罪は自分で償うってことで」
それはもちろん、薔薇を折ったのは俺自身だけれども。
「じゃあ何だ、お前は自分の呪いでも解いて欲しいのか⁉」
「そこまで考えてなかったよ」
「なら二週間も拘束すんなよ! せっかく冬休みなんだぞ!」
「それはそれ、これはこれ」
抗議を続けながらも俺は悟っていた。たぶんこれは、本当に二週間を費やす羽目になるやつだ。そしてもしかしたら、それ以上にも続いていく何かの始まり。


 例えばそれは、全てを壊そうとする野獣を人間に戻してやるような。孤独な王子の呪縛を解くような、そんな物語の始まりかもしれない。