5

「じゃあ買い出しは岩崎くんで」
 クラス委員女子が議決を採る。黒板に設けられていたカッコの中へ、丸っこい字で書かれていく『岩崎』の文字。雨の降り始めみたいにまばらな拍手が教室に起きて、採択の意を示す。
 気がつけば季節は十月下旬。気がつけば自分は文化祭準備の買い出し要員に選出されていた。
「プラスもう一人くらい買い出し行ってもらおうか?」
 教卓に立つクラス委員男子がクラス全体に問いかけるのだが、その提案は、
「いや一人で大丈夫じゃね?」
 だらけた態度の小島により、秒で却下される。椅子の後ろ脚二本を支えに、シーソーみたいにギコギコとバランスを取っている。いつかこいつは派手にひっくり返るだろう。あ、今もちょっと危なかった。
「でも岩崎くんに任せっきりはちょっと」
 真面目なクラス委員男子が困惑の顔つきになる。
「そうだよ。スーパーに段ボール貰いに行ったり、ホームセンターに塗料買いに行ったり、一人じゃ大変だと思う」
 黒板から振り返ったクラス委員女子も同様の表情を浮かべた。
 二人が柔和に説得するも、出張でこの場には担任がいないのをいいことに小島は引く様子を見せない。
 クラスメイトはテレパシーで伝達しあっているのか、みんなして議論の行く末を静観している。
 そして、本音では小島を支持しているだろう。ただでさえ放課後の買い出しなんて面倒なのに、相手がコミュ障の岩崎なんて地獄絵図だからだ。
「あの」
 自分から手を上げた。おずおずとした岩崎の主張。クラス委員男子に拾われる。
「どうかした?」
「あ、俺一人で買い出しいくよ」
「一人で?」
「……うん、俺は全然──」
「無理しないで、岩崎くん」
 横入りの制止。え? と思っているうち、
「誰かー、買い出し行ってくれる人いますか?」
 クラス委員女子が挙手を募りだすから、岩崎は慌てて首を振った。
「一人で大丈夫なんで」
「でも」
「自転車で学校来てるから段ボールも積めるし、店ハシゴすることもできるし……」
 本当に大丈夫だ、ともう一押ししてクラス委員二人には納得してもらえる。
「じゃあ岩崎くんにお任せしようかな」
 ありがとう、よろしくね、と言われてうなずく。
 眼鏡フレームの向こうでは、小島らが寄り合ってこそこそと話している。あいつらのことだ。どうせ自分を笑っている。
 傍から見ると、自分は文化祭の買い出しを一人で背負わされた奴、になるんだろうが、岩崎としては何も辛くない。
 空気の悪い教室にいるより、むしろ一人で学校周辺を回るほうが息がしやすいとすら思っている。そんなことより気がかりなのは──
「え、しばらく来れない?」
 押し歩いていた自転車を停めた佐古田に続いて岩崎も立ち止まり、そしてうなずく。
「時間大丈夫? 歩きながら話そう」
 促すと、佐古田は再び自転車を引き始める。
 駅前から学校方面への道を共にしているのは、二人して時間確認をしそびれていたからだ。
 勉強会のあとに登校する佐古田を考慮し、普段、岩崎はもっと早い時間に店をお暇するのだけど、この件をどう伝えようか考えあぐねていたらついつい長居してしまったという次第。
「十一月の二週目に文化祭があるんだけど、放課後に準備しないといけなくて」
「へぇー、文化祭」
「どうしても準備は全員参加みたいで……ごめん」
「何で謝んの?」
 半笑いで聞かれ、ふと考える。
「学校が優先になるのは当然じゃん」
「それは、そうだけど」
「行事とかその準備なんてさ、その場にいて、ちゃんとやってるふうにしときゃいいんだよ」
 言葉の端々に感じるものがあったのか、佐古田は疎ましそうに言ってのけた。そうだね、と返す。
 クラスの団結を目的としているのに親睦は深まるどころか、ときに対立を生む。それが学校行事。
 友達がいたなら、その過程も振り返ったときにいい思い出となるのかもしれないが、岩崎にとってはいつまでも面倒な経験のままだろうから、参加する意義を見つけられない。
 今回の文化祭もそう。お化け屋敷をするなら教室の改造や、衣装の製作などいろいろ準備があるだろう。きっと、当日が終わるまで放課後の時間は全てそこに消費されてしまうだろう。
 はっきり言って嫌だ。他人のために時間を使うなら、佐古田と一緒に勉強するほうがよっぽど有意義だ。
「クラスで何か出し物でもすんの?」
 佐古田に聞かれた。
「お化け屋敷らしい」
「らしいって、他人事だな」
「だって決めたの俺じゃないから」
 他のクラスが去年していたのをそのままパクろう、そう手を叩き、勝手に意見をまとめたは小島らだ。
「そっか、でも楽しそうじゃん。岩崎はお化け役?」
「いや、俺は買い出し担当」
 買い出し? 佐古田が繰り返す。
「近所のスーパーとかで必要なもの買って、学校に届ける係みたいな。お金は後で予算と立て替えてもらえるんだけど」
「いいじゃん。岩崎に合ってるよ」
「……ひど」
「え、何が?」
 何が、は岩崎の台詞だ。悪びれもしない佐古田の様子には思わず笑った。飛びそうになった鼻水を拭う。
「パシリ向いてそうってシンプルに悪口だよ」
「は? 違うし」
「じゃあ……どういう意味?」
「大人数が苦手なら、まずは少人数から始めてみるのがいいんじゃない? ってこと」
 コミュニケーション、と付け足される。
「一対一は大丈夫なんでしょ?」
 佐古田は、自分と岩崎とを交互に指さしてみせた。
「あー……うん」
 この男は勘違いしているみたいだ。買い出しにクラスメイトは誰も同行しない。しかも自分から望んでのこと。
 でもこれは言わないほうがいい。文化祭が終わっても黙っておこう。
 静かにそう決心したところで、遠くの前方から自転車がやってくる。
 広くない道なのに、横に並んでやってくる三台。邪魔だなぁと思っていると、
「佐古田」
「んー?」
「……行き先変更」
 慌ててサドルを跨ぎ、靴裏でペダルを手繰り寄せる。は? と聞き返した佐古田を置き去りに、そのまま岩崎は自転車を急発進させた。
「何? 急にどうした!」
 適当に一番近くの角を曲がった岩崎に、佐古田は声を張った。
「……クラスメイトが」
「クラスメイト?」
 佐古田が来た道を振り返る。すると小島らサッカー部三人が自転車で通過していく。
「あぁ、あの子ら」
「……びっくりして。ごめん、いきなり方向変えて」
 元の道へ合流するため、岩崎は再び自転車を走らせた。
 遠くに見えたあいつらを避けたのは、佐古田にバレバレだっただろう。きっとダサいと思われた。
「ねぇ!」
 後ろから呼ばれ、ブレーキをかける。声の元を辿ると、
「文化祭って生徒じゃなくても行けんの?」
 自転車のハンドルに腕の体重を預ける佐古田がいて、
「え……あ、うん。二日目なら」
「じゃあさ俺、行きたいんだけど」
「え?」
「文化祭。俺も行っていい?」