4
悲劇と偶然とが無作為に引っかかり、から結びになった。それが佐古田との縁だ。
自分と佐古田は違う世界線に存在する人間。
世界線という言い方がオーバーだとしても、この狭い街の中、自分たちは違う時間軸で生きている。
わかっている。ちゃんとわかっている。わかっているつもりだから、
──ないんじゃない?
──多分ね、仲良くなってないと思う
あんなに強く否定しなくたっていいじゃないか。
少しはオブラートに包めよ。できないなら、せめてオブラートの箱を持ってくるくらいはしろよ。
先日の佐古田の発言を受けて、やはりこの人には『他人への配慮』が欠けているのか──と岩崎は正直落ち込んだ。
同世代ながら佐古田の抜け目のなさには一目を置いていただけあって、残念に思うのだ。
……それとも。
まさかとは思うが、知らないのか?
嘘も方便。リップサービス。
世の中、正直が正義であるとは限らないんだぞ──
「岩崎くん」
すぐそばで呼ばれ、反射で体を震わせた。
「大丈夫?」
椅子の高さに合わせて担任は身をかがめ、岩崎の顔を覗き込んでくる。その視線が次に向かうのは岩崎の手元。
着地したとたん、担任はぎょっとまぶたを開いた。
後を追うように岩崎も目を落とし──全く同じ反応で驚いてしまう。
五センチほどの芯が、シャーペンの先端から繰り出されている。
カチカチとノックをした自覚はないため、それは無意識のことだった。
小学生の手遊びみたいなシャーペンをきっかけに、現在の状況についてだんだんと整理ができていく。
今は授業中。金曜日で、古典を受け持つ担任がここにいるということは三限目。
「……すみません」
謝りを入れると、何事もなかったかのように授業は再開された。
机と机の間を巡回しながら、担任が蜻蛉日記の一節を音読する。
それはなんとも新鮮な響き。佐古田への不満が連なって、授業内容なんて全く耳に入っていなかった。
*
「機嫌悪い?」
放課後、佐古田に聞かれる。
「……別に」
岩崎は冷たい受け答えで応じた。
機嫌を損ねていた自覚はなかったが「機嫌悪い?」と、たった今佐古田に窺われたことで斜めに傾いたかもしれない。
「珍しいじゃん」
腹の虫が悪いことをわかってくるくせに、佐古田はこちらへの刺激をやめない。
「学校でなんかあった?」
何もなかった。が、無視する。面倒くさい。
「昼飯食ってないの?」
食べた。が、無視する。自分は腹の空き具合で感情が上がり下がりするタイプではない。
「またなんか嫌がらせされた?」
過去に絡めて突かれた。
もしかして佐古田とクラス担任は似ているのか? 唐突にそう思った。関連性がない二人すぎて重ならなかったけれど、あぁこの他者に対する配慮のなさ。それも悪気のないパターン。
尽くす手はないのだろうかと岩崎がため息をつくと、佐古田が神妙な顔つきになる。
まずい。誤解されたかもしれない。
「心配されなくても、あれ以降は何もされてない」
俺のテンションを低くしているのは、お前の何気ない一言なんだよ──
そんなことを思われているとは知らない佐古田は「そっか」と安堵したように呟いた。
知り合ってまだ日は浅いけれど、佐古田はいい奴なんだろう。
これまでの学生生活、教室内の人間関係を慎重に見極めてきた岩崎だ。審美眼は優れているほうだと思う。
だったらどうしてあんな発言──
推し量ってもらえないなら、こちらからぶつけるしかないのか。
「……この前のあれって、どういう意味なの?」
「この前のあれ? 何のこと?」
くるくるとペン回しをしながら、佐古田は片手間で返事をした。
しかし、こちらは真剣な話をしていること。目で訴えかけたら、佐古田は不謹慎な指の動きをぴたっと止めた。
「同じ学校だったら、友達にはならなかったって。なんであんなこと……」
気丈にしていようと思ったのに駄目だった。それ以上を続けられないでいると、
「だってさ、あんた俺のことすげぇびびってたんだもん」
ケロリとした声が会話を乗っ取った。
「正直、関わりたくないって思ったでしょ?」
ドラッグストアで客としてやってきたとき。と、ピンポイントで言い当てられた。
「まぁ俺のことぱっと見て、誰も真面目とは判断しないだろうけど?」
耳たぶのピアスをいじりながら佐古田は笑う。
「それにしてもひどかったよ」
「そんなこと──」
「あったね、あんたは俺のこと怖がってた」
小便漏らされたらどうしようって思ったし、などと佐古田はジョークを言ってのけ、小さく上下に肩を動かしてみせた。
「……ごめん」
「しゃーねぇよ、人間だって動物だから。見た目で判断ちゃうとこってあるよな」
俺もそうだったもん、と佐古田は続ける。
「俺もって?」
「地味で根暗そうな奴って思ってたよ、あんたのこと」
単刀直入がすぎる。
「まぁ……それはあながち間違いじゃないけど」
「髪はノーセットでぼさぼさで、目ぇ見えないくらい前髪は重いし、鬱陶しいから俺が切ってやろろうか? って。背高いから威圧感すごいし、んで、口開いたら開いたで──」
「もういいって!」
慌てて手のひらを向けて制止する。そうでもしないとこの男の口は止まらない。
それは佐古田の目には岩崎が相当なダメージを喰らったように映ったのか、椅子から腰を上げると佐古田は机に片方の手をつき、笑いながら、もう片方の手でぐしゃぐしゃと岩崎の頭を撫でてくる。
「やめろよ」
撫でるというか、もはやかき混ぜる手つきだ。
嫌がる岩崎が手を払ってもやめてくれない。乱暴な動きで、今さっき馬鹿にした岩崎の髪をさらにぼさぼさにする。
「……何」
その動きがいきなり、止まる。頭頂部を覆うみたいに手を置いたまま、佐古田は仏頂面の岩崎を見つめている。
「何だよ」
こちらの問いかけは無視するくせに、予告なく距離は詰められた。
「ちょっ……」
机にある手を支えに、佐古田はどんどん身を乗り出してくる。
無言で。数秒前が嘘みたいに真剣な顔で。
近すぎてもはや焦点が合っていないのに、視線を逸らそうともせず。
二人だけの世界を創り出すみたいに接近してくる。
キス、という言葉が浮かぶ。
「やっぱり!」
自分に注がれる瞳が、気づきを得たようにいきなり見開かれる。
それから佐古田は姿勢をかがめると、 岩崎の顔をがばっと下から覗き込んだ。
「……何なの、さっきから」
佐古田が自分を仰ぐシチュエーションはこれまでに何度かあったのだが、ここまで入念に見られることはなかったので戸惑った。
正面、左右、斜めの角度。
補食されるんじゃないかと、命の危機を感じる勢いだ。黒目の大きい瞳が佐古田の特徴なのに、真剣すぎて三白眼になっている。
「伊達?」
至近距離で聞かれた。その声がいつもより低くて、
「……うん」
岩崎の心臓は変なふうに脈打つ。何、なにこれ。
「やっぱりそうだ」
知りたいことを知れて満足したのか、前のめりな姿勢をやめて佐古田は椅子に掛け直す。
「前から、レンズが変に光ってるなって思ってたんだよね」
「それは、プラスチックだから」
「じゃあ目悪くないってこと?」
「両目揃って一・二」
「すげぇ羨ましいんだけど、何で眼鏡かけてんの?」
「それは──」
話の流れ的に、聞かれてもおかしくない質問。だが返答には時間を要した。
「……目立ちたくなくて」
佐古田が眉をひそめる。あぁ、こういう反応をされるのが嫌だった。
「人と目合わせるの苦手だからガードになるし、変装するにもちょうどいいなって」
「いや、あの、十分目立ってるよ?」
顔の前を仰ぐみたいな仕草で否定される。
「目立ちたくないなら、ボリューム層に擬態しとかないと」
盲点。言われてみればたしかに、岩崎の周りでこんな分厚いフレームの眼鏡をかけた人はいない。
愕然とする岩崎に向かい、ふっと佐古田は笑ってみせる。
折りたたんだ腕を枕にして、再三、机に伏せながら見つめてくる。
瞬間、戸惑いが訪れる。
それは唐突なデジャヴでもあり、なんだろうと考え、初めて佐古田と会ったとき、と思い出す。
ドラッグストアのレジカウンターで店員の佐古田は、猫と遊ぶみたいに岩崎から消毒液を取り上げた。
佐古田はよく岩崎のことを見上げる。身長の関係で。頬杖をついたり、人の顔を覗く、という佐古田の癖の関係で。
自分はよく佐古田を見下ろす。だけど出会いの瞬間から、いつだって佐古田は優位にいる。
悲劇と偶然とが無作為に引っかかり、から結びになった。それが佐古田との縁だ。
自分と佐古田は違う世界線に存在する人間。
世界線という言い方がオーバーだとしても、この狭い街の中、自分たちは違う時間軸で生きている。
わかっている。ちゃんとわかっている。わかっているつもりだから、
──ないんじゃない?
──多分ね、仲良くなってないと思う
あんなに強く否定しなくたっていいじゃないか。
少しはオブラートに包めよ。できないなら、せめてオブラートの箱を持ってくるくらいはしろよ。
先日の佐古田の発言を受けて、やはりこの人には『他人への配慮』が欠けているのか──と岩崎は正直落ち込んだ。
同世代ながら佐古田の抜け目のなさには一目を置いていただけあって、残念に思うのだ。
……それとも。
まさかとは思うが、知らないのか?
嘘も方便。リップサービス。
世の中、正直が正義であるとは限らないんだぞ──
「岩崎くん」
すぐそばで呼ばれ、反射で体を震わせた。
「大丈夫?」
椅子の高さに合わせて担任は身をかがめ、岩崎の顔を覗き込んでくる。その視線が次に向かうのは岩崎の手元。
着地したとたん、担任はぎょっとまぶたを開いた。
後を追うように岩崎も目を落とし──全く同じ反応で驚いてしまう。
五センチほどの芯が、シャーペンの先端から繰り出されている。
カチカチとノックをした自覚はないため、それは無意識のことだった。
小学生の手遊びみたいなシャーペンをきっかけに、現在の状況についてだんだんと整理ができていく。
今は授業中。金曜日で、古典を受け持つ担任がここにいるということは三限目。
「……すみません」
謝りを入れると、何事もなかったかのように授業は再開された。
机と机の間を巡回しながら、担任が蜻蛉日記の一節を音読する。
それはなんとも新鮮な響き。佐古田への不満が連なって、授業内容なんて全く耳に入っていなかった。
*
「機嫌悪い?」
放課後、佐古田に聞かれる。
「……別に」
岩崎は冷たい受け答えで応じた。
機嫌を損ねていた自覚はなかったが「機嫌悪い?」と、たった今佐古田に窺われたことで斜めに傾いたかもしれない。
「珍しいじゃん」
腹の虫が悪いことをわかってくるくせに、佐古田はこちらへの刺激をやめない。
「学校でなんかあった?」
何もなかった。が、無視する。面倒くさい。
「昼飯食ってないの?」
食べた。が、無視する。自分は腹の空き具合で感情が上がり下がりするタイプではない。
「またなんか嫌がらせされた?」
過去に絡めて突かれた。
もしかして佐古田とクラス担任は似ているのか? 唐突にそう思った。関連性がない二人すぎて重ならなかったけれど、あぁこの他者に対する配慮のなさ。それも悪気のないパターン。
尽くす手はないのだろうかと岩崎がため息をつくと、佐古田が神妙な顔つきになる。
まずい。誤解されたかもしれない。
「心配されなくても、あれ以降は何もされてない」
俺のテンションを低くしているのは、お前の何気ない一言なんだよ──
そんなことを思われているとは知らない佐古田は「そっか」と安堵したように呟いた。
知り合ってまだ日は浅いけれど、佐古田はいい奴なんだろう。
これまでの学生生活、教室内の人間関係を慎重に見極めてきた岩崎だ。審美眼は優れているほうだと思う。
だったらどうしてあんな発言──
推し量ってもらえないなら、こちらからぶつけるしかないのか。
「……この前のあれって、どういう意味なの?」
「この前のあれ? 何のこと?」
くるくるとペン回しをしながら、佐古田は片手間で返事をした。
しかし、こちらは真剣な話をしていること。目で訴えかけたら、佐古田は不謹慎な指の動きをぴたっと止めた。
「同じ学校だったら、友達にはならなかったって。なんであんなこと……」
気丈にしていようと思ったのに駄目だった。それ以上を続けられないでいると、
「だってさ、あんた俺のことすげぇびびってたんだもん」
ケロリとした声が会話を乗っ取った。
「正直、関わりたくないって思ったでしょ?」
ドラッグストアで客としてやってきたとき。と、ピンポイントで言い当てられた。
「まぁ俺のことぱっと見て、誰も真面目とは判断しないだろうけど?」
耳たぶのピアスをいじりながら佐古田は笑う。
「それにしてもひどかったよ」
「そんなこと──」
「あったね、あんたは俺のこと怖がってた」
小便漏らされたらどうしようって思ったし、などと佐古田はジョークを言ってのけ、小さく上下に肩を動かしてみせた。
「……ごめん」
「しゃーねぇよ、人間だって動物だから。見た目で判断ちゃうとこってあるよな」
俺もそうだったもん、と佐古田は続ける。
「俺もって?」
「地味で根暗そうな奴って思ってたよ、あんたのこと」
単刀直入がすぎる。
「まぁ……それはあながち間違いじゃないけど」
「髪はノーセットでぼさぼさで、目ぇ見えないくらい前髪は重いし、鬱陶しいから俺が切ってやろろうか? って。背高いから威圧感すごいし、んで、口開いたら開いたで──」
「もういいって!」
慌てて手のひらを向けて制止する。そうでもしないとこの男の口は止まらない。
それは佐古田の目には岩崎が相当なダメージを喰らったように映ったのか、椅子から腰を上げると佐古田は机に片方の手をつき、笑いながら、もう片方の手でぐしゃぐしゃと岩崎の頭を撫でてくる。
「やめろよ」
撫でるというか、もはやかき混ぜる手つきだ。
嫌がる岩崎が手を払ってもやめてくれない。乱暴な動きで、今さっき馬鹿にした岩崎の髪をさらにぼさぼさにする。
「……何」
その動きがいきなり、止まる。頭頂部を覆うみたいに手を置いたまま、佐古田は仏頂面の岩崎を見つめている。
「何だよ」
こちらの問いかけは無視するくせに、予告なく距離は詰められた。
「ちょっ……」
机にある手を支えに、佐古田はどんどん身を乗り出してくる。
無言で。数秒前が嘘みたいに真剣な顔で。
近すぎてもはや焦点が合っていないのに、視線を逸らそうともせず。
二人だけの世界を創り出すみたいに接近してくる。
キス、という言葉が浮かぶ。
「やっぱり!」
自分に注がれる瞳が、気づきを得たようにいきなり見開かれる。
それから佐古田は姿勢をかがめると、 岩崎の顔をがばっと下から覗き込んだ。
「……何なの、さっきから」
佐古田が自分を仰ぐシチュエーションはこれまでに何度かあったのだが、ここまで入念に見られることはなかったので戸惑った。
正面、左右、斜めの角度。
補食されるんじゃないかと、命の危機を感じる勢いだ。黒目の大きい瞳が佐古田の特徴なのに、真剣すぎて三白眼になっている。
「伊達?」
至近距離で聞かれた。その声がいつもより低くて、
「……うん」
岩崎の心臓は変なふうに脈打つ。何、なにこれ。
「やっぱりそうだ」
知りたいことを知れて満足したのか、前のめりな姿勢をやめて佐古田は椅子に掛け直す。
「前から、レンズが変に光ってるなって思ってたんだよね」
「それは、プラスチックだから」
「じゃあ目悪くないってこと?」
「両目揃って一・二」
「すげぇ羨ましいんだけど、何で眼鏡かけてんの?」
「それは──」
話の流れ的に、聞かれてもおかしくない質問。だが返答には時間を要した。
「……目立ちたくなくて」
佐古田が眉をひそめる。あぁ、こういう反応をされるのが嫌だった。
「人と目合わせるの苦手だからガードになるし、変装するにもちょうどいいなって」
「いや、あの、十分目立ってるよ?」
顔の前を仰ぐみたいな仕草で否定される。
「目立ちたくないなら、ボリューム層に擬態しとかないと」
盲点。言われてみればたしかに、岩崎の周りでこんな分厚いフレームの眼鏡をかけた人はいない。
愕然とする岩崎に向かい、ふっと佐古田は笑ってみせる。
折りたたんだ腕を枕にして、再三、机に伏せながら見つめてくる。
瞬間、戸惑いが訪れる。
それは唐突なデジャヴでもあり、なんだろうと考え、初めて佐古田と会ったとき、と思い出す。
ドラッグストアのレジカウンターで店員の佐古田は、猫と遊ぶみたいに岩崎から消毒液を取り上げた。
佐古田はよく岩崎のことを見上げる。身長の関係で。頬杖をついたり、人の顔を覗く、という佐古田の癖の関係で。
自分はよく佐古田を見下ろす。だけど出会いの瞬間から、いつだって佐古田は優位にいる。