3
その日の帰宅後。岩崎がキッチンを通りかかると、料理中の母親に話しかけられる。
「うちのお金なら、心配しなくていいからね」
「……はい?」
シビアな口上に始まり、コンロの火を消した母親は本格的に話を展開していく。
「崇人が生まれてからの十七年ぶん、お給料から少しずつだけど教育費なら積み立ててるの」
「……はぁ」
「大学卒業までにかかる費用を最低ラインの目標にしようって、崇人が生まれたときにお父さんと話し合ってね」
「それは、どうも」
そっけない返事になったが、ありがとうございます。親の愛情に感謝。
……しかし、これは一体何の話だ。何が目的だ。どうして母親は真剣なトーンでいるんだ?
岩崎が情報を処理しきれないでいる間に、どんどんと母親の様子は思いつめたものになっていく。
ふうっと呼吸を整えたあと、菜箸を置いて母親は言った。
「学校の勉強が難しいなら、塾に通ってもいいんだからね?」
「塾?」
「塾が嫌なら、家庭教師の先生にお願いするでもいいの──」
「ちょっと待って、なんの話?」
事態を飲み込めないでいる岩崎に、母親は全てを悟っているかのような落ち着きを装備して、
「居残りで補習受けてるんでしょう?」
岩崎は目を丸くした。
「補習なんて受けてないけど」
岩崎が否定すると、今度は母親が目を丸くした。
「じゃあ、学校が終わったらどこで何してるの?」
「勉強だよ。ど、同級生の家で」
これまでの人生で縁遠かった単語に、舌がもつれた。
「……同級生に仲いい子がいるの?」
もはやドンびき、というニュアンス。
信じられない……と、今にも言いださんばかりの目つきで母親に観察される。頭から胴、足先まで。
「い、いるよ。俺にだってそのくらい──」
「名前は? フルネームよ」
「佐古田温」
仕入れたてほやほやの、男に関する情報。決定的な証拠として突き出してみせた。
「心配ないから」
「そう?」
「……うん」
喉が渇いているわけでもないが岩崎は冷蔵庫を開け、こっそりと母親の様子をうかがってみる。
用件を伝え終えた母親は鍋の蓋片手に、水面に浮きあがるアクをせわしなく掬っている。漂う出汁の香り。煮物でも作っているんだろう。再開された日常の風景に岩崎は胸を撫で下ろす。
学校での孤立は今に始まったことじゃない。だが改めて母親に心配されると、いかに自分が置かれた状況が哀れであるかを痛感した。
勉強仲間だと称される同級生は架空人物ではないか。そう疑わせ、フルネームを問いたださせてしまうことは恥だ。
友達の存在が岩崎から感じられないこと。
母親が気にするのは、兄を育てた経験と比較するからだろう。
五歳離れた岩崎の兄は、広い交友関係を持つ人物だ。岩崎のぶんまで吸い取って生まれたとしか思えない社交性の持ち主。
そんな兄の高校生当時といえば、ほぼ毎日の確率で帰宅が遅かった。晩ご飯が食卓に並んだころにようやく連絡がついて、そのうち鞄から鍵を取り出す音が外から聞こえてくる。
何度注意をしても悪びれない兄に、母親は怒ることを通り越して呆れ返っていた。
だが思い返せば、友達と遊んでいたという兄の釈明自体を怪しんではいなかった気がする。岩崎に対してとはまるで違う。
ちなみに、大学生になった兄は『サークルで飲み会だから』と今晩はどこかに泊まる予定らしい。母親は家族三人分の夕飯を作っている。
「そうだ。崇人、お土産はどうしてるの?」
味見用の小皿を食器棚に探す母親がたずねてきた。
「お土産って?」
「手土産よ。佐古田くんだっけ、その子のお家で勉強してるんでしょう?」
「あー……」
気遣いを持って行ったことのないことを悟られる。
「そうねぇ、お兄ちゃんの友達はうちに遊びに来るとき、個別包装のお菓子とか持ってきてくれてたけど」
「きのこの林みたいな?」
「お母さん明日買い物行くから、買っておいてあげようか?」
ほんの一瞬だけ甘えがよぎったが、
「いいよ。自分でどうにかする」
さすがの岩崎もおつかい程度の買い物はできる。そのきっかけとなる、肝心な気こそ回らないのだけど。
「大事にしなさいね」
母親が言った。煮汁を一口すすったあと、さりげなく。
「……うん」
親の心子知らず、なんて言葉があるけれど、そこには照れくささが横たわっているんだと思う。
親心というのは案外ちゃんと子供に伝わっているものだ。
学生時代の友達は貴重だから大事にしろ。それは親としてのアドバイス。
しかし兄に向けたことはないだろう。
わざわざ言葉にさせたのは幸か不幸か、岩崎は考えずにいられなかった。
*
翌週になって、再び勉強会が開かれたとき。
よう、と手を挙げて岩崎を歓迎した佐古田にレジ袋を渡すと、何これ、と佐古田はその中身を確認した。
「わ、めちゃお菓子いっぱいじゃん!」
はしゃいだ声にほっとする。
自分のことだから自分でどうにかする。母親にはそう啖呵を切ったものの、いざ学校帰りにスーパーへ寄ると、緑色のカゴ片手にお菓子コーナーで立ち尽くしてしまった。
好みだったり、家族構成だったり、佐古田に関してはまだ知らないことが多すぎたから。
「これ弟が好きなやつ」
ファミリーサイズのクッキーを手に佐古田がはにかむ。
「弟いるの?」
「中学生の弟二人と、小学生の妹が一人」
「佐古田は長男?」
「そう。下町の居酒屋の御曹司ね」
「この前は自営業の息子って名乗ってたのに」
「同じようなもんだろ」
ケケケと笑い飛ばしながら、佐古田は袋の封を両手で開けた。
「岩崎も食う?」
「俺はいい」
「付き合い悪いな」
「だってこれは手土産で持ってきたんだし」
「別にいいじゃん」
「でも」
「あ、岩崎自体は甘いもの好きじゃない?」
「……そういうわけじゃないけど」
じゃあ一緒に食おと、佐古田によって個包装の中身がざぁっとテーブルの上に出される。細い指とがさつな手つきがミスマッチで、思わず凝視してしまった。
初めて店に来たとき座った四人がけの席は、佐古田と勉強するときの定番になっている。問題を解説しやすいよう、岩崎と佐古田は向かい合わせになって座るのだ。
店の奥から飲み物とおしぼりを持ってきて席に着くと、
「これ、スーパーで買ってきた?」
佐古田はお菓子の空袋を指さして岩崎にたずねた。
「駅前の『ゆあばすけっと』で」
岩崎が具体名で返すと、佐古田は頬杖をついた。
「ふうん」
「……え、何」
「俺んところでもよかったのに」
テーブルの上のお菓子から自分へと、流れるように視線が移動してきてドキッとする。
俺んところ、というひと言には『ドラッグストアにはお菓子コーナーがあるんだから、なんでうちのエビスドラッグで買い物をしなかった?』という圧を感じる
「ご、ごめん。次からは気をつける」
おろおろと岩崎が返す様子を、佐古田はじっくりと眺めた。
何、怖い。怖い、怖い怖い怖い──
「あんた最高だね!」
いきなりだった。佐古田が声を上げて大笑いし始める。
「……は?」
首の前の筋を伸ばすみたいに、顎先を天井に向けて爆笑する佐古田を、岩崎は一歩引いた視点で、冷静な心地で見つめた。
「別にうちの店でお菓子買っても買わなくても、俺ただの店員だからどうでもいいし」
喜ぶの店長くらいじゃね? と佐古田は指で目尻を拭っている。涙が出るほど、何かがツボにはまったらしい。
「それに、バイト先に知り合い来るとか嫌だわ」
「そうなの?」
「当り前だろ。授業参観の日くらい嫌」
絶対来るなよ、と念を押されたので、うなずいておいた。
「まぁでも、これからは気遣ってくれなくていいよ」
「え?」
いいよっていうか気遣いは禁止で、と佐古田は言い方を改める。
「俺の友達とかいつも手ぶらで来るけど、母ちゃんも別に気にしてないしね」
面白いエピソードが浮かんだのか、佐古田の表情が華やぐ。
「そこの冷凍庫にアイス入ってんだけどさ、中学からの付き合いの奴が買ってきたやつなの。キープとかいってさ」
「……そうなんだ」
「勝手だよな。うちは実家かって」
呆れたように笑う佐古田は、その当時のことを思い返しているんだろう。
友達。会話に何気なく登場したその存在は、岩崎が知らない佐古田を連れてきた。
自分と佐古田が会うのは週二回。合計してもせいぜい二時間程度で、それ以外の時間をお互いにどう過ごしているかは知らない。
例えば、岩崎が日中授業を受けているとき、バイト以外に佐古田は一体何をして過ごすんだろう。
「何考えてんの?」
いつの間にか、佐古田は肘から下を机にべたりとつけて身を伏せ、岩崎のことを覗き込んでいた。
「いや、何も」
話を切り替えるように岩崎は膝の上に置いたリュックから参考書を取り出すのだが、その様子を佐古田は目でずっと追いかけてくる。
岩崎が少し目線を動かせば、タイムラグなしに瞳はかち合う。
隠し事をするな、佐古田がそう言いたげなのが伝わった。
他の何かに気を取られていること。つい今しがた、佐古田が岩崎の態度に感じ取ったように。
「想像、してしまいまして」
「想像って?」
「……もし俺と佐古田が同じ学校に通ってたら、仲良くなってたかなって」
自覚があるくらいだ。あまりに突飛だったろう。
自分が変なことを言い出したものだから佐古田は黙り込んでしまい、沈黙に辛抱ならなくなった岩崎はさっと目を伏せた。
「ごめん、そんな深い意味で聞いたんじゃ──」
「ないんじゃない?」
「え?」
佐古田は首をかしげていた。
「多分ね、仲良くなってないと思う」
佐古田は爪の間をいじりながら呟いたあと『うん』と首を縦に振り、自身の発言を改めて肯定してみせた。
「……何それ」
乾いた笑いが、ぽとりと近くで落下する。
大事なところでどうして鈍感になるんだろう。
岩崎が今どんな気持ちでいるか、佐古田にはきっと届いていない。
その日の帰宅後。岩崎がキッチンを通りかかると、料理中の母親に話しかけられる。
「うちのお金なら、心配しなくていいからね」
「……はい?」
シビアな口上に始まり、コンロの火を消した母親は本格的に話を展開していく。
「崇人が生まれてからの十七年ぶん、お給料から少しずつだけど教育費なら積み立ててるの」
「……はぁ」
「大学卒業までにかかる費用を最低ラインの目標にしようって、崇人が生まれたときにお父さんと話し合ってね」
「それは、どうも」
そっけない返事になったが、ありがとうございます。親の愛情に感謝。
……しかし、これは一体何の話だ。何が目的だ。どうして母親は真剣なトーンでいるんだ?
岩崎が情報を処理しきれないでいる間に、どんどんと母親の様子は思いつめたものになっていく。
ふうっと呼吸を整えたあと、菜箸を置いて母親は言った。
「学校の勉強が難しいなら、塾に通ってもいいんだからね?」
「塾?」
「塾が嫌なら、家庭教師の先生にお願いするでもいいの──」
「ちょっと待って、なんの話?」
事態を飲み込めないでいる岩崎に、母親は全てを悟っているかのような落ち着きを装備して、
「居残りで補習受けてるんでしょう?」
岩崎は目を丸くした。
「補習なんて受けてないけど」
岩崎が否定すると、今度は母親が目を丸くした。
「じゃあ、学校が終わったらどこで何してるの?」
「勉強だよ。ど、同級生の家で」
これまでの人生で縁遠かった単語に、舌がもつれた。
「……同級生に仲いい子がいるの?」
もはやドンびき、というニュアンス。
信じられない……と、今にも言いださんばかりの目つきで母親に観察される。頭から胴、足先まで。
「い、いるよ。俺にだってそのくらい──」
「名前は? フルネームよ」
「佐古田温」
仕入れたてほやほやの、男に関する情報。決定的な証拠として突き出してみせた。
「心配ないから」
「そう?」
「……うん」
喉が渇いているわけでもないが岩崎は冷蔵庫を開け、こっそりと母親の様子をうかがってみる。
用件を伝え終えた母親は鍋の蓋片手に、水面に浮きあがるアクをせわしなく掬っている。漂う出汁の香り。煮物でも作っているんだろう。再開された日常の風景に岩崎は胸を撫で下ろす。
学校での孤立は今に始まったことじゃない。だが改めて母親に心配されると、いかに自分が置かれた状況が哀れであるかを痛感した。
勉強仲間だと称される同級生は架空人物ではないか。そう疑わせ、フルネームを問いたださせてしまうことは恥だ。
友達の存在が岩崎から感じられないこと。
母親が気にするのは、兄を育てた経験と比較するからだろう。
五歳離れた岩崎の兄は、広い交友関係を持つ人物だ。岩崎のぶんまで吸い取って生まれたとしか思えない社交性の持ち主。
そんな兄の高校生当時といえば、ほぼ毎日の確率で帰宅が遅かった。晩ご飯が食卓に並んだころにようやく連絡がついて、そのうち鞄から鍵を取り出す音が外から聞こえてくる。
何度注意をしても悪びれない兄に、母親は怒ることを通り越して呆れ返っていた。
だが思い返せば、友達と遊んでいたという兄の釈明自体を怪しんではいなかった気がする。岩崎に対してとはまるで違う。
ちなみに、大学生になった兄は『サークルで飲み会だから』と今晩はどこかに泊まる予定らしい。母親は家族三人分の夕飯を作っている。
「そうだ。崇人、お土産はどうしてるの?」
味見用の小皿を食器棚に探す母親がたずねてきた。
「お土産って?」
「手土産よ。佐古田くんだっけ、その子のお家で勉強してるんでしょう?」
「あー……」
気遣いを持って行ったことのないことを悟られる。
「そうねぇ、お兄ちゃんの友達はうちに遊びに来るとき、個別包装のお菓子とか持ってきてくれてたけど」
「きのこの林みたいな?」
「お母さん明日買い物行くから、買っておいてあげようか?」
ほんの一瞬だけ甘えがよぎったが、
「いいよ。自分でどうにかする」
さすがの岩崎もおつかい程度の買い物はできる。そのきっかけとなる、肝心な気こそ回らないのだけど。
「大事にしなさいね」
母親が言った。煮汁を一口すすったあと、さりげなく。
「……うん」
親の心子知らず、なんて言葉があるけれど、そこには照れくささが横たわっているんだと思う。
親心というのは案外ちゃんと子供に伝わっているものだ。
学生時代の友達は貴重だから大事にしろ。それは親としてのアドバイス。
しかし兄に向けたことはないだろう。
わざわざ言葉にさせたのは幸か不幸か、岩崎は考えずにいられなかった。
*
翌週になって、再び勉強会が開かれたとき。
よう、と手を挙げて岩崎を歓迎した佐古田にレジ袋を渡すと、何これ、と佐古田はその中身を確認した。
「わ、めちゃお菓子いっぱいじゃん!」
はしゃいだ声にほっとする。
自分のことだから自分でどうにかする。母親にはそう啖呵を切ったものの、いざ学校帰りにスーパーへ寄ると、緑色のカゴ片手にお菓子コーナーで立ち尽くしてしまった。
好みだったり、家族構成だったり、佐古田に関してはまだ知らないことが多すぎたから。
「これ弟が好きなやつ」
ファミリーサイズのクッキーを手に佐古田がはにかむ。
「弟いるの?」
「中学生の弟二人と、小学生の妹が一人」
「佐古田は長男?」
「そう。下町の居酒屋の御曹司ね」
「この前は自営業の息子って名乗ってたのに」
「同じようなもんだろ」
ケケケと笑い飛ばしながら、佐古田は袋の封を両手で開けた。
「岩崎も食う?」
「俺はいい」
「付き合い悪いな」
「だってこれは手土産で持ってきたんだし」
「別にいいじゃん」
「でも」
「あ、岩崎自体は甘いもの好きじゃない?」
「……そういうわけじゃないけど」
じゃあ一緒に食おと、佐古田によって個包装の中身がざぁっとテーブルの上に出される。細い指とがさつな手つきがミスマッチで、思わず凝視してしまった。
初めて店に来たとき座った四人がけの席は、佐古田と勉強するときの定番になっている。問題を解説しやすいよう、岩崎と佐古田は向かい合わせになって座るのだ。
店の奥から飲み物とおしぼりを持ってきて席に着くと、
「これ、スーパーで買ってきた?」
佐古田はお菓子の空袋を指さして岩崎にたずねた。
「駅前の『ゆあばすけっと』で」
岩崎が具体名で返すと、佐古田は頬杖をついた。
「ふうん」
「……え、何」
「俺んところでもよかったのに」
テーブルの上のお菓子から自分へと、流れるように視線が移動してきてドキッとする。
俺んところ、というひと言には『ドラッグストアにはお菓子コーナーがあるんだから、なんでうちのエビスドラッグで買い物をしなかった?』という圧を感じる
「ご、ごめん。次からは気をつける」
おろおろと岩崎が返す様子を、佐古田はじっくりと眺めた。
何、怖い。怖い、怖い怖い怖い──
「あんた最高だね!」
いきなりだった。佐古田が声を上げて大笑いし始める。
「……は?」
首の前の筋を伸ばすみたいに、顎先を天井に向けて爆笑する佐古田を、岩崎は一歩引いた視点で、冷静な心地で見つめた。
「別にうちの店でお菓子買っても買わなくても、俺ただの店員だからどうでもいいし」
喜ぶの店長くらいじゃね? と佐古田は指で目尻を拭っている。涙が出るほど、何かがツボにはまったらしい。
「それに、バイト先に知り合い来るとか嫌だわ」
「そうなの?」
「当り前だろ。授業参観の日くらい嫌」
絶対来るなよ、と念を押されたので、うなずいておいた。
「まぁでも、これからは気遣ってくれなくていいよ」
「え?」
いいよっていうか気遣いは禁止で、と佐古田は言い方を改める。
「俺の友達とかいつも手ぶらで来るけど、母ちゃんも別に気にしてないしね」
面白いエピソードが浮かんだのか、佐古田の表情が華やぐ。
「そこの冷凍庫にアイス入ってんだけどさ、中学からの付き合いの奴が買ってきたやつなの。キープとかいってさ」
「……そうなんだ」
「勝手だよな。うちは実家かって」
呆れたように笑う佐古田は、その当時のことを思い返しているんだろう。
友達。会話に何気なく登場したその存在は、岩崎が知らない佐古田を連れてきた。
自分と佐古田が会うのは週二回。合計してもせいぜい二時間程度で、それ以外の時間をお互いにどう過ごしているかは知らない。
例えば、岩崎が日中授業を受けているとき、バイト以外に佐古田は一体何をして過ごすんだろう。
「何考えてんの?」
いつの間にか、佐古田は肘から下を机にべたりとつけて身を伏せ、岩崎のことを覗き込んでいた。
「いや、何も」
話を切り替えるように岩崎は膝の上に置いたリュックから参考書を取り出すのだが、その様子を佐古田は目でずっと追いかけてくる。
岩崎が少し目線を動かせば、タイムラグなしに瞳はかち合う。
隠し事をするな、佐古田がそう言いたげなのが伝わった。
他の何かに気を取られていること。つい今しがた、佐古田が岩崎の態度に感じ取ったように。
「想像、してしまいまして」
「想像って?」
「……もし俺と佐古田が同じ学校に通ってたら、仲良くなってたかなって」
自覚があるくらいだ。あまりに突飛だったろう。
自分が変なことを言い出したものだから佐古田は黙り込んでしまい、沈黙に辛抱ならなくなった岩崎はさっと目を伏せた。
「ごめん、そんな深い意味で聞いたんじゃ──」
「ないんじゃない?」
「え?」
佐古田は首をかしげていた。
「多分ね、仲良くなってないと思う」
佐古田は爪の間をいじりながら呟いたあと『うん』と首を縦に振り、自身の発言を改めて肯定してみせた。
「……何それ」
乾いた笑いが、ぽとりと近くで落下する。
大事なところでどうして鈍感になるんだろう。
岩崎が今どんな気持ちでいるか、佐古田にはきっと届いていない。