中学を卒業して春から高校生だ。入学する高校は文武両道の共学私立高校。特待生推薦で無事合格したので、実家を出て寮に入居することにした。入学日より一週間早いが、今日からここで生活することになる。
一年生に向けてオリエンテーションが開かれ、寮監や上級生から説明が繰り広げられた。
話を片耳で聞きつつ、様々な所に目を配る。金かかってる学校なだけあって綺麗だな……。
どうやら部屋は二人部屋と一人部屋があるらしく、自分は一年生だから慣れる為にも先輩と二人部屋らしい。
新しい人達と新しい環境。独特の雰囲気に何となく自分の心も浮ついていた。
説明が一通り終わり、名前を呼ばれる上級生の所へ次々と新入生が向かう。
「えっとーー……、芦屋朔久くんはどこにいる~?」
「はい」
「あ! 君が芦屋くん? 同室の如月遥です。これから宜しくな~! ってか身長あるね?! 何センチ?」
「去年測った時は176センチでした」
「おお! もっと伸びてそうだな~! 見上げちゃうね! あ、部屋行こうか! 荷物手伝うよ」
「どうも……」
どうやらこの声をかけてくれた如月先輩と部屋が一緒らしい。一歩前を歩いている如月の後ろに着いて長い廊下を歩く。
「お、遥の同室の子?」
「そー! 芦屋朔久くん!」
「遥、後で部活のことで聞きたいことあるから部屋行っていい?」
「おー! 待ってる!」
さっきから歩いているだけですれ違う人達が次々とこの先輩に声をかけてくる。人気者なのか……?
「もうすぐつくからな~」
「はい」
第一印象、眩しい。何か全体的に光っている。光属性とかいうやつっぽい。……そして賑やかしい。知らんけどずっと俺に話しかけてくる。首をぐるっと捻ってこっち見てるけど痛くないんかな。
「こっちが芦屋くんのエリアな! 寮デカいからどこに何があるかとかは後で一緒に回ろうか」
「ありがとうございます」
「とりあえず荷解きする? 何かあれば手伝うよ」
「あ……はい、大丈夫です」
荷物に手を伸ばしている間もこっちに向かって喋っている。
……この人ずっとこのテンションなのか?
ベラベラと喋る方ではない自分とは真反対の圧に思わず一歩引いてしまう。
まあ、絶対的に悪い人ではないと思う。この人を見たら誰でも思うであろう善い人なのは初対面の俺でも分かる。でも、自分と相性がいいかと言われると……雲行きは怪しい。
寮を希望している時点であまり期待はしていなかったが、落ち着いた生活をして必要な時に人と関わって、この三年間穏やかに過ごそうと思っていたのに、その期待は一瞬にして終わりを告げようとしていた。……俺、他人と暮らせんのか?
「芦屋くんさぁ~!」
「はい……」
入居してからはスムーズに月日は過ぎ、少しずつだが寮暮らしも慣れてきた。学生寮とは思えない程設備もかなり良く、快適で過ごしやすい。
「俺、ちょっと部屋出るな~」
「はい」
自分は他人と暮らせるんだろうかなんて抱いていた心配は、初日以降一瞬でなくなった。
先輩は思ったより騒がしくなかったのだ。いや、騒がしいんだけど煩くない。寧ろ、自分に合わせて話をしてくれている。気を遣わせていたら申し訳ないが、悪いけど全然苦じゃない。
学校のことや分からないことは一つずつ丁寧に教えてくれる。会話をする度にじっとこっちを見て話してくれる印象的な目元は、何かを見透かされているようで慣れないが。
やることを済ませ、飲み物を取りに部屋を出た。廊下を歩いていると、共同スペースの奥の方でソファに寛ぎながら何人かで楽しそうに話をしている如月がいた。
「あれ、芦屋くんどした?」
「いや、別に……。飲み物取りに来ただけです」
「遥先輩勉強得意って聞いたんすけど、今度教えて欲しいっす!」
「え?! 俺、勉強無理だよ?!」
「さっき向こうにいた先輩たちが〝遥はなんでも出来るから聞いてみ〟って言ってましたよ?」
「うわ~、あいつら俺に擦りつけやがったな……」
「いつも寮でテスト勉強する時は、遥先輩が教えてくれるって楓先輩言ってました!」
「俺も教えて欲しいです!」
「無理無理! くそ……楓め……」
騒がしく繰り広げられている話に耳を傾けながら、マグカップに珈琲を注いだ。
……この人達、俺より先輩と仲良くないか?周りにいる人達、確か同じ学年だったよな?なんか先輩も、俺に話しかけてくる時より楽しそうだし……。
なんか……心臓がザワザワする。なんだ、これ。新しい環境で疲れてんのかな。部屋戻ろう。
「俺、部屋戻ろうかな~」
「え~! 戻っちゃうんですか!」
「遥先輩また構って下さいね~」
「はいはい、君たちも部屋に戻りたまえ。あ、待って! 俺も一緒に帰っていい?」
「……はい」
「今日の夜メシなんだろうな。あ、そういえばさ~」なんて、隣で話す如月に言葉を発するわけでもなく相槌を打っていると、あっという間に部屋の前に着いた。手が塞がっている自分に気を利かせてか先に手を伸ばしドアを開けて中へ入れてくれる。
机に飲み物を置くと、ゆっくり後ろに振り返った。スマホを弄りながら自分の勉強机の椅子に体育座りをして丸まっている如月の方へ目を向けると、小さく口を開いた。
「……先輩って」
「ん?」
「部屋にいない時、いつもあそこで話してるんですか?」
「そうだな~。最近はあそこにいることが多いかも。新入生のヤツらと仲良くなりたいし! え?! うるさかった?! 部屋まで声聞こえてた?!」
「あ、いや、聞こえてはないですけど……」
「……芦屋くん、俺のことウザくない?」
「はい?」
「俺、声でかいし話すの好きだからさ~。つい話し出すと止まらなくなっちゃうんだよ。芦屋くん静かな方が好きかなと思ってたからさ」
「まあ……、好きではありますね」
「しかも来たばっかで慣れない環境だと色々ストレス溜まんねえ? なるべく過ごしやすい方がいいかなと思って部屋出てたんだけど……。せっかく寮に入ったんだし、快適なほうがいいっしょ」
……え?なに、この人。そんなこと考えてくれてたの?俺の為に部屋から出て行ってくれてたってこと?
まさかそんな答えが返って来るとおもっていなかったのでそのまま少し黙ってしまった。確かに落ち着いている方が好きだ。でも、それが理由で先輩が他の人と仲良くなっているのは何となく腑に落ちない。
「……名前」
「ん?」
「名前でいいです、呼び方。それと気にしてないんで好きな時にいて下さい。……先輩の部屋でもあるんだから」
「……! おー!」
「ありがとな」と爽やかに言うと歯を見せてニコッとこっちに笑って見せる。ザワザワしていた心臓は気が付けばムズムズに変わっていて、今度は掻きたいくらいに擽ったい。ほんと、なんなのこれ。
「ねー、朔久はいつもヘッドホンつけてる時何聴いてんの?」
「ああ、これです」
「……実況? ゲーム好きなん?」
「はい。……先輩はこういうの見たり聴いたりしないですか?」
普段なら聞かれた質問に答えて会話は終わってしまうのに、如月の話のテンポに飲み込まれているせいか気がつけば質問を返していた。言葉のキャッチボールが次々と二人の中で繰り広げられる。
面白いなこの人。……もっと知りたいかも。自分の中で興味あるんだ、多分。
それからはというもの、一気に如月との距離が近くなった。お見合いするみたいなありがちな質問を散々されては答え、普段滅多に話すことのない自分の話をぽつぽつと話してみたり、質問を聞き返してみたりして、少しずつ如月遥という人物像が自分の中で造り上げられてゆく。
そして、これが一番驚いているのだが、すっかりこの人に自分が懐いてしまっているのだ。
如月と時間を共にするようになってから同級生や上級生ともよく話しをするようになり、隣にいてくれる如月に安心感を抱いていた。
遥先輩といると心地いいんだよな。一緒にいることが増えたから慣れてきたんだと思う。
「遥がまた後輩のこと捕まえてる~」
「いいんだよ朔久は同室だから!」
傍から見たら自分が如月に捕まっているように見えるだろうが、どちらかと言うと近くにいて欲しくて自分が引き止めているかもしれない。……なんて気がついたのはつい最近の話で、「ちょっと向こう行くけど朔久も行く?」って必ず声をかけてくれるので、その度について行ってしまっているのだ。
「そういえば、朔久部活は? 何はいるの?」
「あーー……、特には決めてないですね」
そろそろ仮入部が始まる時期だ。部活をやるなんて考えていなかったし、興味を引くものも特に無かったので、帰宅部になろうとしていた。
「中学は何やってたん?」
「テニスです」
「え! テニスやってたの! 前後衛どっち?」
「前衛です」
「まじ?! 俺がテニス部なの知ってると思うけど、後衛やってんだよ! 朔久が入ったらペアできっかもな~」
あまりに投げかけてくれたその笑顔が魅力的で無事心臓のど真ん中を射抜かれたようにヒットし、帰宅部希望だった筈が、気がつけばテニス部に入部していた。自分のことを初めてちょろいなと心の中で笑った。人に動かされて物事を決めるなんて、こんなこと今までにない。初めてだ。
中学の頃、県大会は出ていたりしたが秀でて凄く出来るわけもない。スポーツ推薦で来ている同級生や上級生もいるわけで、入部したら差を突きつけられる程皆んな上手い。勿論スポーツ推薦でこの学校に来ている如月も。
つまり、彼のペアになるには人より何倍も頑張らないと駄目なのだ。まずは試合に出させてもらえるように体力と技術を上げないと。
有難いことに勉強も運動も出来ない訳では無いのでそれなりに卒なくこなしてきた。だから、こんなに何かの為に努力したことがない。
何年も生きているのに、如月遥と出会ってから知らない自分を知ってゆく。変な感じだ。
「一年生なのに凄いな!」
「入部してからずっと頑張ってるもんな~! 偉いよ」
「ありがとうございます」
「お前さ~、褒めてるんだからもっと喜べって~」
「ちょ、近い、くっつかないで下さい」
今度ある練習試合で、試合のメンバーに入ることが出来た。やっと一歩如月に近づけた気がして嬉しい。顧問からペアの名前を聞かされた時は心の中で柄にもなくガッツポーズをした。
「なあ~! 凄いだろ! うちの朔久くんは!」
「なんだようちの朔久くんって」
「俺ら同室でペアも一緒だったら、もう運命共同体だよな」
如月にグッと引き寄せられ肩を組まれた。触れられた所が洋服越しに外側からじわじわと熱くなる。
そんなに嬉しそうな顔してくれると思わなかった。緩みそうになった口角に少し力を入れて平常心を保つ。
「あれ、朔久また身長伸びた? 遥の肩の組み方微妙に届ききってなくてダサい」
「絶対入学より伸びてるよな?! 俺もうちょっと届いてた気いするんだけど?!」
「……そうかもです」
〝くっつかないで下さい〟と他の先輩に言ったように、普段ならある程度の距離感が欲しくて言うのだが、触れられているのが何だか嬉しくてその言葉は自然と出てこなかった。