放課後の教室に二人はいた。机を一つ挟んで向かい合い、どちらも深刻な顔をぶら下げている。
「なあ坂上」
「なんや廣瀬」
「俺らいつまで付き合ってることにしてりゃあいいと思う?」
投げられた疑問に坂上は眉を寄せた。
「知らんわボケ、お前のせいやろ」
鋭く言い返された廣瀬は、だよなあ〜! と言いながら頭を抱えた。その様子を見て坂上は深い溜め息をつき、こんなことになるとはなあ……と、すべてのはじまりを思い返した。
遡ること一ヶ月前。
クラスのムードメーカーな廣瀬はその日も教室の真ん中で男女数人に囲まれながら喋っていた。一日バイトに応募して行ってみたらどう考えてもヤバいバイトで、急いで連絡先をブロックしてひたすら逃げたという失敗談だった。
坂上は一応輪の中にいた。机を椅子にしてぺらぺら話す廣瀬を頬杖をつきながら見上げていて、ときどき「ほんまかいな」「アホやな廣瀬」「オチおもろいやん」と関西弁の合いの手を入れていた。
それを見た一人の女子が「坂上くんと廣瀬って相性良さそ〜」と笑いながら言った。
坂上と廣瀬は視線を合わせた。廣瀬の方がニカッと笑って、
「そりゃあ俺、坂上と付き合っちゃってるし〜!」
と坂上の首に手を回しながら軽く話した。
まあいつもならその場のノリ、その場の冗談になる。周りでみんなは笑っていたし、廣瀬は今日もめちゃくちゃバカやれておもろ〜、くらいに思いながら坂上にぐいぐい近付いた。
坂上は坂上で「アホ言うなや」と呆れてツッコんでおり、完全に冗談のつもりだった。
だからふと笑いをやめた周りのみんなが、
「え、ガチ?」
「マジかよもっとはやく言ってくれよ」
「やだ、おめでとう二人とも!」
「いつから付き合ってんだ!?」
「えー、このグループ内にカップルできるとか、あたしめちゃくちゃ嬉し〜……」
などと口々に言い始めて、二人して固まってしまった。
特に「あたしめちゃくちゃ嬉し〜」ちゃんのおかげで、完全に嘘でーす! と言えない空気になった。
どないしたらええねん顔の坂上と違い、口八丁手お祭り男の廣瀬は思いつくまま喋り始めた。二ヶ月くらい前に付き合い始めて、なかなか言えなかったけどまあこれからは表に出していくわ! なんて笑いながら話して、授業前のチャイムが鳴るまで捏造されしデートエピソードを話し続けた。
坂上は何も考えられなくなっていたが、後に引けないとだけは理解した。
こうして二人の付き合っているふりは始まった……。
「いやほんま、祝福されたん意味不明すぎひんか?」
放課後の教室とはいえ誰かが聞くかもしれないため、坂上は声を潜めつつ話し出す。
「なんでほんまやと思うねんて、付き合うてるわけないやん」
「うーん、相性はいいと思うぜ〜?」
「ボケ・ツッコミの相性はな。恋人の相性はわからんやんけ」
「試しに二人でデート行ってみただろ?」
「おお、公園で二人組観察しながらあれは多分カップル、あれは多分兄妹て推理する遊びおもろかったな」
「わかる。正解がわかんねえとこがおもしろかった」
思い出したらしく廣瀬は笑い声を上げてから、
「いや〜〜、そもそも恋人って何!?」
急に叫んで机に突っ伏した。
そんなことを言われても坂上にもわからない。染めが取れてプリンになりつつある廣瀬の髪をなんとはなしに撫でつつ、恋人なあ、と声に出す。
「わかりやすいんはあれやろ、あれ」
「どれ〜?」
「キスにセックス」
「直球だなおい!」
がばりと顔を上げた廣瀬は、
「まあキスくらいならやってみるか」
と軽い調子で言い出したので、今度は坂上が突っ伏した。
「廣瀬お前……なんぼなんでも尻軽やん……」
「えっ、坂上は好きじゃないやつとのキス無理なタイプ?」
「無理っちゅうかなんちゅうか……そういうのは恋人とやってこそやん……?」
「そんなら俺らは恋人ってことになってんだからいけるだろ」
「あーもうガバガバ、恋人がゲシュタルト崩壊してまうて」
唸る坂上の頭を今度は廣瀬が指先で撫でる。坂上は伸びた黒髪を後ろで束ねているので、頭だけ見ていれば清純な女子生徒に見えなくもない。廣瀬はそう思いつつ、まあでも顔を上げて坂上じゃん、となってもいける気がすると思う。
そもそも、完璧な相思相愛で付き合い始めるカップルばかりではない。廣瀬は常日頃そう考えている。告白されて、試しに付き合ってみてから段々好きになるのはあるあるだ。実際にそのタイプの男女カップルを知っている。
「キスなあ……」
坂上が頬杖の体勢になりながら廣瀬を見る。
「まあやってみてもええで、口くっつけるだけやしな」
そう言ってから立ち上がり、教室と教室付近の廊下を覗き込んで人がいないかを確かめた。
その後に二人は教室の扉や廊下に面した窓を閉めた。カーテンも引き、向き直ってから、坂上が少しだけ怯んだ顔を見せた。
廣瀬はどきりとした。坂上は普段ツッコミが鋭く、標準語の中にいる関西弁として強く感じる。
そんな彼がそわつくような素振りで自分から目を逸らす様子は、言い表しにくい昂りを連れてきた。
かわいいかも、と廣瀬は思った。
「んぐ」
坂上は口づけられた瞬間に変な声を上げた。廣瀬の指は肩に添えられ、唇ふたつが押し付けあったまま数秒止まった。
離れたのは廊下の方から女子生徒の笑い声が聞こえたからだ。反射で相手を突き飛ばしたのは坂上で、夢中になりつつあった廣瀬は体勢を崩して教室の床に尻もちをついた。
「坂上、」
「も、もうええやろ。先帰るから俺」
言うなり坂上は鞄を持ち、がらりと扉を開けて足早に去っていった。
廣瀬は呆けた顔でそれを見送った。
明日から話してくれないかもとじわじわ思い、床に両手をつきながら、やっちまったと後悔した。付き合っているふりどころかこれまでの友情も終わった。そう考えて、この上なく落ち込んだ。
まあしかし、翌日は別の意味で関係が変わっていた。
いつも通りにムードメーカーをやった廣瀬は、普段よりも口を開かない坂上をちらちらと確認していて、周りの人間は喧嘩でもしたのかとさりげなく気を遣った。
そんな時間の後の放課後、帰りかけた廣瀬は坂上にスマホへのメッセージで呼び出された。
謝らなければと廣瀬は教室に向かった。坂上は教室の中にいたけれど、なぜか閉め切られたカーテンの向こう側に立っていた。
「坂上、何やってんの」
声をかけながら、廣瀬もカーテンの中にいく。隣に並んで、視線を合わせてから、窓の向こうのグラウンドを見る。サッカー部が遠くで部活に精を出していた。プールに水泳部の姿がある。
いつも通りに放課後で、廣瀬は息をついてからそっと隣に顔を向けた。
その瞬間に、勢いよく顎を掴まれた。
「んぶっ」
変な声は坂上の唇に飲み込まれた。二日連続のキスはすぐさま離れていって、ぽかんとする廣瀬と対照的に、坂上はほんまありえへん……と目元を掌で隠しながら呻いた。
隠れ切れていない頬が赤く染まっていることに廣瀬は気付いた。
そうすると自分も妙にこそばゆく、恥ずかしさが背中をざっと駆け上がっていった。
二人は照れたまましばらく黙っていた。
しかし恋人のフリが本当の恋人になった証のように、カーテンの裏で手を繋いだままそこにいた。
「なあ坂上」
「なんや廣瀬」
「俺らいつまで付き合ってることにしてりゃあいいと思う?」
投げられた疑問に坂上は眉を寄せた。
「知らんわボケ、お前のせいやろ」
鋭く言い返された廣瀬は、だよなあ〜! と言いながら頭を抱えた。その様子を見て坂上は深い溜め息をつき、こんなことになるとはなあ……と、すべてのはじまりを思い返した。
遡ること一ヶ月前。
クラスのムードメーカーな廣瀬はその日も教室の真ん中で男女数人に囲まれながら喋っていた。一日バイトに応募して行ってみたらどう考えてもヤバいバイトで、急いで連絡先をブロックしてひたすら逃げたという失敗談だった。
坂上は一応輪の中にいた。机を椅子にしてぺらぺら話す廣瀬を頬杖をつきながら見上げていて、ときどき「ほんまかいな」「アホやな廣瀬」「オチおもろいやん」と関西弁の合いの手を入れていた。
それを見た一人の女子が「坂上くんと廣瀬って相性良さそ〜」と笑いながら言った。
坂上と廣瀬は視線を合わせた。廣瀬の方がニカッと笑って、
「そりゃあ俺、坂上と付き合っちゃってるし〜!」
と坂上の首に手を回しながら軽く話した。
まあいつもならその場のノリ、その場の冗談になる。周りでみんなは笑っていたし、廣瀬は今日もめちゃくちゃバカやれておもろ〜、くらいに思いながら坂上にぐいぐい近付いた。
坂上は坂上で「アホ言うなや」と呆れてツッコんでおり、完全に冗談のつもりだった。
だからふと笑いをやめた周りのみんなが、
「え、ガチ?」
「マジかよもっとはやく言ってくれよ」
「やだ、おめでとう二人とも!」
「いつから付き合ってんだ!?」
「えー、このグループ内にカップルできるとか、あたしめちゃくちゃ嬉し〜……」
などと口々に言い始めて、二人して固まってしまった。
特に「あたしめちゃくちゃ嬉し〜」ちゃんのおかげで、完全に嘘でーす! と言えない空気になった。
どないしたらええねん顔の坂上と違い、口八丁手お祭り男の廣瀬は思いつくまま喋り始めた。二ヶ月くらい前に付き合い始めて、なかなか言えなかったけどまあこれからは表に出していくわ! なんて笑いながら話して、授業前のチャイムが鳴るまで捏造されしデートエピソードを話し続けた。
坂上は何も考えられなくなっていたが、後に引けないとだけは理解した。
こうして二人の付き合っているふりは始まった……。
「いやほんま、祝福されたん意味不明すぎひんか?」
放課後の教室とはいえ誰かが聞くかもしれないため、坂上は声を潜めつつ話し出す。
「なんでほんまやと思うねんて、付き合うてるわけないやん」
「うーん、相性はいいと思うぜ〜?」
「ボケ・ツッコミの相性はな。恋人の相性はわからんやんけ」
「試しに二人でデート行ってみただろ?」
「おお、公園で二人組観察しながらあれは多分カップル、あれは多分兄妹て推理する遊びおもろかったな」
「わかる。正解がわかんねえとこがおもしろかった」
思い出したらしく廣瀬は笑い声を上げてから、
「いや〜〜、そもそも恋人って何!?」
急に叫んで机に突っ伏した。
そんなことを言われても坂上にもわからない。染めが取れてプリンになりつつある廣瀬の髪をなんとはなしに撫でつつ、恋人なあ、と声に出す。
「わかりやすいんはあれやろ、あれ」
「どれ〜?」
「キスにセックス」
「直球だなおい!」
がばりと顔を上げた廣瀬は、
「まあキスくらいならやってみるか」
と軽い調子で言い出したので、今度は坂上が突っ伏した。
「廣瀬お前……なんぼなんでも尻軽やん……」
「えっ、坂上は好きじゃないやつとのキス無理なタイプ?」
「無理っちゅうかなんちゅうか……そういうのは恋人とやってこそやん……?」
「そんなら俺らは恋人ってことになってんだからいけるだろ」
「あーもうガバガバ、恋人がゲシュタルト崩壊してまうて」
唸る坂上の頭を今度は廣瀬が指先で撫でる。坂上は伸びた黒髪を後ろで束ねているので、頭だけ見ていれば清純な女子生徒に見えなくもない。廣瀬はそう思いつつ、まあでも顔を上げて坂上じゃん、となってもいける気がすると思う。
そもそも、完璧な相思相愛で付き合い始めるカップルばかりではない。廣瀬は常日頃そう考えている。告白されて、試しに付き合ってみてから段々好きになるのはあるあるだ。実際にそのタイプの男女カップルを知っている。
「キスなあ……」
坂上が頬杖の体勢になりながら廣瀬を見る。
「まあやってみてもええで、口くっつけるだけやしな」
そう言ってから立ち上がり、教室と教室付近の廊下を覗き込んで人がいないかを確かめた。
その後に二人は教室の扉や廊下に面した窓を閉めた。カーテンも引き、向き直ってから、坂上が少しだけ怯んだ顔を見せた。
廣瀬はどきりとした。坂上は普段ツッコミが鋭く、標準語の中にいる関西弁として強く感じる。
そんな彼がそわつくような素振りで自分から目を逸らす様子は、言い表しにくい昂りを連れてきた。
かわいいかも、と廣瀬は思った。
「んぐ」
坂上は口づけられた瞬間に変な声を上げた。廣瀬の指は肩に添えられ、唇ふたつが押し付けあったまま数秒止まった。
離れたのは廊下の方から女子生徒の笑い声が聞こえたからだ。反射で相手を突き飛ばしたのは坂上で、夢中になりつつあった廣瀬は体勢を崩して教室の床に尻もちをついた。
「坂上、」
「も、もうええやろ。先帰るから俺」
言うなり坂上は鞄を持ち、がらりと扉を開けて足早に去っていった。
廣瀬は呆けた顔でそれを見送った。
明日から話してくれないかもとじわじわ思い、床に両手をつきながら、やっちまったと後悔した。付き合っているふりどころかこれまでの友情も終わった。そう考えて、この上なく落ち込んだ。
まあしかし、翌日は別の意味で関係が変わっていた。
いつも通りにムードメーカーをやった廣瀬は、普段よりも口を開かない坂上をちらちらと確認していて、周りの人間は喧嘩でもしたのかとさりげなく気を遣った。
そんな時間の後の放課後、帰りかけた廣瀬は坂上にスマホへのメッセージで呼び出された。
謝らなければと廣瀬は教室に向かった。坂上は教室の中にいたけれど、なぜか閉め切られたカーテンの向こう側に立っていた。
「坂上、何やってんの」
声をかけながら、廣瀬もカーテンの中にいく。隣に並んで、視線を合わせてから、窓の向こうのグラウンドを見る。サッカー部が遠くで部活に精を出していた。プールに水泳部の姿がある。
いつも通りに放課後で、廣瀬は息をついてからそっと隣に顔を向けた。
その瞬間に、勢いよく顎を掴まれた。
「んぶっ」
変な声は坂上の唇に飲み込まれた。二日連続のキスはすぐさま離れていって、ぽかんとする廣瀬と対照的に、坂上はほんまありえへん……と目元を掌で隠しながら呻いた。
隠れ切れていない頬が赤く染まっていることに廣瀬は気付いた。
そうすると自分も妙にこそばゆく、恥ずかしさが背中をざっと駆け上がっていった。
二人は照れたまましばらく黙っていた。
しかし恋人のフリが本当の恋人になった証のように、カーテンの裏で手を繋いだままそこにいた。