3 6月

「・・・お前、そりゃ恋だろ・・・」
「うわー!!言うなって!!」

 あっという間に5月は過ぎ去り、そろそろ梅雨入りかと天気予報が告げる。あの日、空のことを悪く言う織田に翔太が掴みかかるという事件があった日、翔太は初めて心の底から笑う空を見た。空の手も翔太を見る目も、優しくてあたたかいということを知った。あの日から、翔太の中で何かが変わった。

 ただの憧れなんかで片付けられない気持ちが日に日に大きくなっていく。空を見かけると胸が高鳴り、バレーをしていなくてもつい目で追ってしまう。授業を受けている時は、空は今頃どんな授業を受けているのだろうと考えて、食堂の日替わり定食が美味しかったら、空にも教えたいと思い・・・部活中に空のプレーを凝視することは、これまでと変わらないが、寮に帰っても目が合うだけで、ドキドキと鼓動が速まる。

 まさか・・・と思った。だって相手は男だし・・・だからといって、他の男を見て胸が高鳴るかと言われればそうでもない。男も女も関係なく、ただ日下部空にだけ、翔太の感情は大きく揺れる。

 抱えきれなくなって、翔太は大宮に相談した。もちろん相手が空であることは伏せて、最近の自分の感情や行動について、これはどういうことかと尋ねた。そして、返ってきた答えが冒頭の通りである。

「言うなって、お前が相談してきたんだろ。」
「うっ・・・それはそうやけど!・・・やっぱり、やっぱりそうなんか・・・」
「言うまでもないだろ。お前、今まで人を好きになったことないの?」
「ない。」
「・・・そんなきっぱり・・・」
「だって、ずっとバレーばっかやったし・・・お前もそうちゃうん?」
「俺?俺は、彼女いるけど?」
「えぇ!そんなん初耳やぞ!?」
「だって言ってないもん。隠してたわけじゃないけど、そんな話になんなかったじゃん。中学から付き合ってる子。寮に入ることになって、しばらく会えてなかったけど、この前一日オフあっただろ?その時久しぶりに会いに行ったんだ~。」

 その時のことを思い出したのか、嬉しそうに笑う大宮を翔太はじとりと見やる。翔太がこれまで人を好きになったことがないのは本当だった。昔から、友だちは多かったけど、もちろんそのどれもが恋愛感情に発展するわけではないし、案の定部活に打ち込んできた中学時代・・・特に最後の一年間は、あの日見た空の決勝点で頭がいっぱいだった。

「・・・あ・・・そうやったんか・・・」

 突然翔太の中で全てが繋がった気がした。中学時代に人を好きにならなかったのではない。翔太はすでに、恋に落ちていた。あの日見た、日下部空に。思い返せば、あんなに強烈な一目惚れは、後にも先にもあの時だけだろう。憧れとも初恋とも呼べるあの日の衝撃。

 翔太の頭の中が、空でいっぱいになったことは、何も今に始まったことじゃなかった。あの春高の決勝戦の日から、今日までずっと・・・空のことが頭から離れなかった。一年間恋焦がれ、そして出会った空は、寮ではだらしなかったり、自分のことをからかったりしてくるけれど、そんな姿さえ好ましいと思えた。バレーボールに真剣な空も、私生活は少しだらしない空も、翔太をからかう空も、勉強ができるところも、笑うと笑顔がかわいいところも、全部・・・全部・・・。

「俺・・・好きやったんか・・・。」
「・・・おーい、大丈夫?恋煩い?」

 物思いにふけっていたと思うと、突然独り言を呟いた翔太の前で、大宮がひらひらと手を振る。でも、そんな大宮の手は、翔太の目には映っていなかった。

「・・・もう席戻るよ・・・。」

 そろそろ、次の授業がはじまってしまう。はぁ・・・と小さくため息をついて、大宮は自分の席に戻った。そんな大宮に、曖昧に返事をしながら、窓の外を眺めた。ちょうど3年生たちが体育の授業のために、グラウンドに集まってきている。その中に、空を見つけた。少しだるそうに背中を丸め、ジャージのポケットに手を突っ込んで歩いている。

「好き・・・です。空くん。」

 誰にも聞こえないぐらい小さな小さな声で、翔太は呟いた。この気持ちは、今はまだ伝えることはできない。間もなくインターハイの予選が始まる。まずは、同じコートに立てるぐらいまで成長しなければ・・・。自覚したばかりの気持ちを、心の奥の箱にしまったと同時に、教室に先生が入ってきて、翔太はひとまずこれから始まる授業へと思考を切り替えた。