教官室を後にした翔太は、外で待ち構えていた高山にこっぴどく叱られた。そりゃそうだ。部内でのもめ事がチームの輪が乱れる原因になることは十分に考えられるし、もし翔太が織田のことを殴りでもしていたら、暴力事象として問題になり、今後の試合の出場すら危ぶまれる。やっと冷静さを取り戻した翔太は、「すんませんでした・・・」と素直に頭を下げるしかできなかった。
「お説教は終わった?」
廊下をとぼとぼと一人で歩いていた翔太は、聞こえた声に足を止めた。ふり返ると、空が壁にもたれて立っていた。どことなく気まずくて、俯きながら「・・・はい。」と小さく頷いた翔太に、空は「さっきまでの元気はどこ行ったのさ。」と笑いながら近づいてくる。
「ほら、昼飯食ってないだろ。」
「・・・え?」
顔を上げると、空が笑いながら持っていた袋を誇らしげに掲げた。同時に、翔太の腹の虫が鳴る。こんなときでも、健康優良児な男子高校生の腹は、ちゃんと空いているらしかった。慌てて両手で腹を押さえるけど、もう遅い。
「翔太、こっち。」
空に手を引かれて、人気のない階段をいくつか上がったところで、二人並んで腰掛ける。空は、持っていた袋を翔太に押しつけた。翔太はそれをありがたく受け取って、袋からおにぎりを取り出した。
「いただきます。」
「どうぞ。」
「・・・うまいっす。」
「ははっ!それならよかった。」
翔太がおにぎりを3つ一気にたいらげたと同時に、空が口を開いた。
「お前、なんであんなに怒ってたの?」
「えっと・・・それは・・・」
「誤魔化さなくてもいいよ。実はあの時俺も近くにいたんだよね。織田たちが話してんの聞こえてた。いつものことなんだよ。俺たちはお互いにライバルだと思ってる。あいつ、負けず嫌いだから、俺が1年のころからちょくちょく試合に出てたのが気に食わないんだ。」
「でもっ!空くんがなんも努力してへんなんて・・・!あんまりや!」
あまりに翔太が必死に言うもんだから、空は少し驚きつつも、優しい顔をして笑っていた。そんな空を見て、翔太も少し気持ちが落ち着く。それが伝わったのか、空は静かに話し始めた。
「俺はさ、昔からそれなりに何でもできたから・・・運動も勉強も・・・だから、いつも周りから言われるのは「すごい」「さすが」ばっかりだった。優等生ってやつ。」
「・・・空くん別に優等生ちゃうやん・・・寮ではいっつもだらだらしとるし・・・。」
「ははっ!お前、今それ言う?まぁいいや。お前がここに来る前、俺は卒業した先輩と同部屋だった。ある日俺がレギュラーを取ったことで、その人はスタメン落ちした。その人はその日から俺に対する態度が一変したし、織田は、その先輩を慕ってたから余計に俺のことが憎いんだろうね。」
「そんなん・・・空くん悪ないやん。」
「そうだね。誰も悪くない。ただみんな必死にバレーをしてただけ。でも、こんなこともあったから、次来るやつとは、必要以上に関わらないでおこうって思ってたのに・・・お前はさ・・・」
そこで言葉を切った空は、突然・・・本当に突然声を出して笑い始めた。今までのように翔太をからかっている時の笑い方じゃなくて、本当に心の底からおもしろいと思っている時の笑い方だ。ついに、腹を抱えて笑い出した空を、翔太は唖然と見つめることしかできなかった。
「はー久々にこんなに笑ったわ。」
「そ、空くん、どうしたん・・・?」
「俺は別に織田の言うことなんて気にしないつもりだったけど、お前、俺よりもぶちギレてんだもん。あの顔・・・ははっ!最高だったよ。」
「ひ、ひどい!俺、ほんまに必死やったのに・・・」
ぶすっとふてくされた翔太の頭に、空の手が伸びてくる。気付けば、いつもボールをコートに叩きつけている大きな手が、今は優しく翔太の頭をなでていた。翔太の胸がドクンと音を立てる。この胸の高鳴りの正体は分からない。でも・・・先ほどまでの怒りとは絶対に違うと分かる。苦しいのに心地よいこの感覚。ずっと離れたくないような、終わってほしくないような感覚。
「嬉しかったよ。翔太。ありがとね。」
「え・・・。」
「俺のバレー、ちゃんと見てくれてる人がいるって分かって嬉しかった。いつか、お前と同じコートに立ちたいって思ったよ。」
「空くん・・・」
「だから、俺はレギュラーの座を誰にも譲らない。お前は、意地でも俺のいるコートに入ってこい。分かったか?」
脅迫のような台詞だけど、空の表情も声色も未だに頭に触れている手も、全部全部優しかった。翔太は胸がいっぱいで、言葉が何も出てこなかった。ただ、こくこくと何度も頷くことしかできずにいた。
遠くで午後の授業の予鈴が鳴る。二人同時に立ち上がると、「じゃあ、また部活で。」と空が言って、それぞれの教室へ戻った。
どうして、こんなに体中が熱いんだろう。どうして、こんなに鼓動が速くなっているんだろう。どうして、こんなに心地よくて・・・離れたくないなんて・・・思ってしまったのだろう。
こんなのまるで・・・まるで・・・恋だ。