部屋の前にたどり着く。中には相部屋の上級生がすでにいるそうだ。ほぐれたはずの緊張がまた少し復活する。斉藤がドアをノックして「入るよ~」と声をかけた。目の前のドアが開いた瞬間、俺は思いきり頭を下げた。
「今日からお世話になります!小柳翔太です!よろしくお願いします!!」
「・・・うん。」
しばしの沈黙の後、わずかに返事が聞こえた。思ったよりも反応が返ってこなくて冷や汗が背中を伝う。恐る恐る顔を上げて、翔太は目を見張った。次の瞬間、寮中に翔太の声が響き渡った。
「えええええーーーーーー!」
「何!?え、なに!?」
隣に立っていた斉藤が驚き、隣の部屋から他の部員たちも何事だとドアから顔を出していた。部屋の中にいた彼も、目を見開いて驚いている。だけど、翔太には周りのことなんてこれっぽっちも見えていなかった。
「くさ・・・日下部・・・空!!・・・・あ、さん!!」
「なんだ、知ってるの?みんなびっくりしちゃうから、大きな声は出しちゃだめだよ~」
斉藤のゆるりとした注意も、今の翔太には届いていない。だって、目の前にいたのは、紛れもなく、あの憧れ続けた日下部空本人だったから・・・。一緒にバレーボールがしたいと思った。一緒のコートに立ちたいと思った。一緒にセンターコートを目指したいと思った。だけど、寮の部屋が一緒になるなんてことは、これっぽっちも考えていなかった。
「こ、小柳翔太です!!」
「うん、さっきも聞いた。俺の名前は・・・」
「日下部空さんですよね!ポジションはウイングスパイカー、身長185cm。」
「・・・え・・・」
「俺・・・ずっと、ずっとあなたに会いたかったです!あなたとバレーをするためにここに来ました!」
「うわ~熱烈な告白。」
「斉藤・・・うるさい。ってか、なに。俺のことどこで知ったの??」
「2年前の春高!決勝戦の最後の一点!あのスパイク!!です!!うわ・・・やばい・・・本物や・・・」
「日下部、良かったな~熱烈なファンと相部屋で。じゃ、俺は他の子の案内もあるからこれで。」
ひらひらと手を振って去って行った斉藤。ドアがパタンと閉まる音を聞いて、興奮状態だった翔太は一気に冷静になった。さっと血の気が引いていく。やばい。やらかした・・・日下部空に会ったら、まずはなんて言おうか、いきなり憧れなんて言ったら確実に引かれてしまうから・・・なんて、何度も脳内でシュミレーションしてきたのに、そんなことは、本人を目の前にして、完全に無駄だった。
二人きりになった部屋に沈黙が訪れる。入り口から一歩も動けない翔太と、ベッドに腰掛けてこちらを見ている空。先に口を開いたのは、意外にも空だった。
「とりあえず、その荷物置けば?」
「は、はいっ!ありがとうございます!」
「あと、そのカチコチに緊張してるのも早めにどうにかしてね。」
「え・・・あ、すいません!」
「まぁいいけど。なんか手伝う?」
「あ!そんなん!先輩に手伝ってもらうとかありえへんし!」
「別にいいよ。その先輩っていうのも堅苦しくてやだ。」
「え・・・じゃ、じゃあ、空・・・くん?」
「・・・まぁいいや。それで。よろしくね、翔太」
「やばい!推しに・・・推しに名前呼ばれた!」
「・・・なに、その推しって。言っとくけど、ここではライバルだからね。憧れとか、そんなんじゃ、レギュラー取れないかもよ。」
空が挑発的に笑う。それまであまり表情が変わらなかったのに、急な表情の変化に翔太の胸がどくんと音を立てるのが分かった。舞い上がって、どうしようもなかった気持ちがすっと落ち着く。翔太は、空をまっすぐに見つめて言った。
「そんなん、分かってます。負けません。」
「ふーん・・・いいじゃん。好きにすれば。」
「なんっ!なんやそれ!」
にやりといたずらに笑った空。それを横目に、少しだけ拗ねながら荷物の整理を始めた翔太。こうして、翔太の夕陽ヶ浜学園での生活がスタートした。