結論から言うと、夕陽ヶ浜学園男子バレーボール部のインターハイは、ベスト8で幕を閉じた。順当に勝ち上がっていたが、準々決勝で昨年度の優勝チームとぶつかり、一進一退の接戦を繰り広げたが、あと一歩及ばず、敗退した。
第三者からすれば、インターハイベスト8は十分に誇れる結果に思えるが、部員のほとんど、特にレギュラーメンバーにとっては、満足できる結果ではなかった。2年前に春高で優勝した時から、チームの目標は「再び全国の頂点をとる」こと。だから、ベスト8という結果に満足している部員などいなかった。
「まずはみんなお疲れ様。結果としては悔しい結果に終わってしまったが、この結果を受け止めて、次の春高では必ず頂点にたどり着けるよう、またチーム一丸で戦っていこう。」
そう力強く話す部長の高山だったが、その目には僅かに光るものがあった。3年生にとっては、どの大会も全てが最後の大会になる。全国大会のチャンスは春高が残っているとはいえ、最後のインターハイで結果を残せなかったことは、高山にとっても悔しさの残る大会になったはずだ。
「ほら、高山の悪い癖出てるよ。」
いつも穏やかな副部長の斉藤が、変わらず穏やかに高山に笑いかけつつ、思いきり背中を叩いた。部長にこんなことができるのは、斉藤しかいないと部員の全員が思っている。
「いってぇ。何すんだよ。」
「悔しいなら悔しいって言えばいいでしょ。みんなの前でいい格好しちゃってさ。」
「っう・・・。」
「俺は悔しい。悔しくてたまらない。もっと試合したかった。みんなもそうだよね。俺たち3年の中には、受験をするためにここで引退するやつもいる。だからこそ、今、この試合を勝ちたかった。」
斉藤のまっすぐな言葉に部員全員が聞き入っていた。翔太は松葉杖をつきながら、みんなの輪の外にいたが、斉藤の言葉はまっすぐに届いた。斉藤が話し終わった後、翔太は空を見た。空は勝っても負けても、あまり表情は変わらない。本人なりに、嬉しいも悔しいも感じているそうだが、一見しただけではどんなことを考えているのか分からないことの方が多い。
でも、今日は違っていた。試合が終わったその瞬間から、何かを堪えるように、僅かに眉間にしわを寄せて、険しい表情を浮かべていた。たぶん・・・この表情の変化に気付いているのは翔太しかいない。実際、他の1年生が「日下部さんはいつも通りだな。」と囁き合っているのが聞こえていた。
「違うで。」
「え。」
悔しさを露わにするチームメイトのそばで、表情を変えない空が勝敗には興味が無いんだと思われていることが、翔太は悔しかった。みんなが気付いていないだけで、翔太は気付いている。空は、ちゃんと悔しいと思っている。その感情の出方が、人より少し控えめなだけだ。
「ちゃんと悔しいって思っとる。なんにも思ってないわけない。」
「そっか。お前が言うならそうなんだろうな。」
「なんやそれ。」
翔太は他の1年たちとそんな会話をしながら、空から目を離さなかった。時々チームメイトと会話を交わしながら、ふとした瞬間に険しい表情になる。今日はいつも以上に悔しがっているようだ。空個人の調子は決して悪くなかったはずだ。スパイクの決定率も悪くないし、サービスエースだって何本も取っていた。やはり、最後のインターハイということが大きいのだろうか。不思議に思いつつも、今は声をかけることをやめた。
「空くん、どうしたんですか?」
「何が。」
試合後のミーティングを終え、帰寮したタイミングで翔太はやっと空に声をかけた。返ってきた返事は、素っ気なかった。久しぶりに感情のこもっていない空の返事を聞いたような気がする。
「何がって。明らかに元気ないやん。」
「お前、人の心配してる場合なの?」
「そんなん知りません。空くんやから心配しとんや。」
素っ気なく返事をしながら、荷物の片付けをしていた空の手がふと止まった。「なんだよ、それ。」と小さく呟いた声は僅かに震えているようにも聞こえて、翔太は驚いた。まさか、あの日下部空が泣いている・・・?
「お前に・・・。」
「え。」
「お前に、インハイの決勝を見せてやりたかった。」
「・・・っ。」
想像もしていなかった返答に、翔太は言葉が出てこなかった。今の感情を表す適切な言葉があるなら教えてほしいと思うほど、どんな風に言い表したらいいのか分からない。あの日下部空が、ずっと憧れて追いかけ続けた日下部空が、自分のためにインターハイの決勝を目指していた。けがをして出場を断念せざるを得なかった自分のために・・・。そして、それが達成できなくて、悔やんでいるなんて・・・。喜んでいいのか、それとも一緒に悔しがるべきなのか。もはや答えは見つからなかった。
「俺のことちゃんと見とけって言ったのに。格好つかねぇよな。」
そう言ってやっと顔を上げた空は、泣いてなどいなかった。でも、悔しそうに悲しそうに顔をゆがめて、今にも泣きそうな顔をして笑った。
(・・・なんや、それ。なんでそんな顔・・・。)
気付けば、体が勝手に動いていた。松葉杖が翔太の手から離れ、ガシャンと音を立てて倒れる。それとほぼ同時に、翔太は空を正面から思いきり抱きしめた。驚いて体を強ばらせる空を安心させるように、できるだけ優しく背中をなでたが、心臓はバクバクと音を立てている。きっと、この音は空にも届いているはず。格好悪いけど、そんなこと今は気にしていられない。
「馬鹿にせんといてください。」
「は・・・?何言って・・・。」
「俺は・・・俺は空くんに決勝に連れて行ってほしいんやない。空くんと一緒に頂点に立ちたいんです。だから・・・だから、そんなに自分を責めんといて・・・。」
「お前・・・ほんと・・・」
ぎゅっと抱きしめる腕を強めた。入学した頃は空の方が大きかった身長も、今ではほとんど変わらない。そのうち翔太は空の身長を超すだろう。
「でも、嬉しかった。あの日下部空が、俺のために戦ってくれてたとか、なんのご褒美ですか・・・。」
「別にお前だけのために戦ったんじゃない。」
「さっきそういうたやないですか。」
「うるせ。」
いつもの空の調子が戻ってきた気がして、翔太はそっと空から体を離した。至近距離で二人の視線が絡み合った。翔太は息を呑む。空の瞳が何かを訴えるように、何かを求めるように熱を帯びていたからだ。それに導かれるようにして、翔太の手のひらが、空の頬を撫でる。初めて触れた憧れの人の頬は、驚くほどに綺麗だった。
「・・・っ」
頬を撫でていた手が、空の耳たぶに触れて、僅かに身をよじる。翔太は、空のそんな反応がかわいくて愛おしいと思った。
(あかん・・・止まれへんかも・・・)
翔太は、ただでさえ近かった顔をさらに空に近づけて、呟いた。
「嫌やったら、殴ってください。」
そう告げた瞬間、翔太は空の唇を塞いだ。まるでパズルのようにピタッと合わさった唇から、空の体温が伝わってくる。柔らかくて、優しくて、温かくて・・・。信じられないほど心地よかった。すぐに殴られると思っていたのに、意外にも空は翔太のことを押しのけなかった。
「そらくん・・・。」
唇が触れあっていたのは、時間にするとわずかな時間だったはずだ。翔太にとって人生で初めてのキスだった。数年前の自分は、想像もしていなかっただろう。ファーストキスを憧れ続けた先輩と交わすことになるなんて思いもしなかった。
「そらくん・・・ごめんなさい・・・。」
「謝んな。」
「でも・・・。嫌やったかなって・・・」
「嫌だったら殴れって言ったのお前だろ。」
「そ!それはそうやけど・・・。」
空は何を思ったのか、翔太の肩に顔を埋めた。今日は空に振り回されっぱなしだ。
「ほんと、お前はお馬鹿さんだね。」
「関西人に馬鹿って言うのひどい・・・。」
「ふはっ・・・この状況でそれかよ。」
「そらくん、俺・・・。」
「さて、風呂入ってくるわ。」
「え!?」
自分の思いがあふれて言葉になりそうになったのに、その言葉は空によって遮られてしまった。先ほどまでの空は別人だったのかと思うほど、今目の前にいる空はあまりにも普段通りで、翔太は戸惑う。翔太がけがのせいで素早く動けないことをいいことに、空はさっさと風呂の支度をして部屋を出て行ってしまった。
「な、なんやったんや・・・。」
空が部屋を出たと同時に、翔太は小さく呟いて自分のベッドにダイブした。先ほど確かに感じた、空の温かい唇の感触が、今でもはっきりと感じられて、思い出すだけで心臓がおかしくなりそうだった。
一方、部屋を出てきた空も、ドアが閉まると同時にその場に座り込んでいた。いつも冷静だと言われる空だったが、今は顔中に集まった熱をどうにか鎮めることに必死だった。翔太のことが好きなのかと聞かれたら、正直分からない。でも、先ほど翔太に抱きしめられた時、柄にもなく安心してしまった。翔太になら、自分をさらけ出してもいいかもしれない。翔太なら、どんな自分でも受け止めてくれるかもしれない。そう思った。
キスをしてしまったのは、正直想定外だったが、嫌じゃなかったのは本当のことだ。心地の良い、安心できる何かを確かに感じた。
「はぁ・・・これからどうすっかな。」
空は小さくため息をついて、今度こそ本当に風呂にいくために立ち上がった。