無事に期末テストを終え、いよいよインターハイがあと一週間に迫っていた。より一層練習にも気合いが入る。翔太もどんどん調子を上げていた。このまま行けば、スターティングメンバーは難しくても、どこかで出場機会があるかもしれない・・・。とにかく空と同じコートに立ちたい。一緒に戦いたい。日に日にそんな思いが強くなっていった。

 今日の練習は、試合形式で行われることになった。翔太はAチームには入れなかったものの、Bチームのメンバーに選出され、コートに立っていた。ネットを挟んで、空と向かい合う。憧れの人。好きな人。でも今は、空にさえも負けられない。翔太は気合いを入れた。

 一進一退の攻防が続いていたゲームの終盤。翔太にトスが上がる。視界の端で、相手のブロックがしっかりと跳んできていることを確認し、どう攻略するかを瞬時に考えながら、思いきり飛び上がった。振り下ろした手のひらにボールがヒットする。翔太のスパイクは相手コートに叩き落とされた。

「・・・っ!!!」

 よし。と思ったのも束の間。着地した瞬間に翔太の右足に激痛が走った。原因は自分が一番よく分かっていた。勢いよく飛び出した体の勢いが止まらず、いつもよりも前に跳んでしまったせいで、相手の選手の足を踏んだのだ。一気に足の力が抜けて、翔太はその場に崩れ落ちた。じくじくと痛む足首、全身からにじみ出る冷や汗、周りのチームメイトの心配する声、駆け寄ってきた顧問。そして、驚いた顔で立ちすくむ空。

「大丈夫か!?足首か?」

 高山がかがんで翔太に尋ねる。痛みのあまり声も出せない翔太は、こくこくと頷くことしかできなかった。数人がかりでシューズのひもを緩めてくれたが、少しの刺激も痛みに直結する。顔をゆがめ耐えることしかできなかった。靴下を脱がされて露わになった翔太の足首は、驚くほどに腫れ上がっていた。自分の足首の状態を確認して、翔太は絶望するしかなかった。

 せっかく調子が上がってきたのに・・・せっかくユニホームがもらえたのに・・・。医者に行かなくても分かる。この足首の状態では、一週間後のインターハイは絶望的だ。そんなことは、けがをした翔太自身が一番よく分かっていた。それだけじゃない。自分がけがをしてしまったことによって、高まり続けていたチームの雰囲気を止めてしまった。集中を切らしてしまった。悔しくて、腹立たしくて・・・心臓がどくどくと脈打っている。チームメイトに会わせる顔もない。

 大宮が肩を貸してくれた。大宮に支えられながら、体育館を後にした翔太は、一度も後ろを振り返らなかった。


 その日、空が寮に戻ると、部屋の中は真っ暗だった。

「・・・翔太?」

 暗闇に声をかけるが、返事はない。顧問からは、先ほど診察を終えて帰ってきたと聞いていたのに・・・。手探りで部屋の電気をつけると、自分のベッドに横たわる翔太を見つけた。右の足首には固定具が装着されている。ベッドの脇には松葉杖が乱暴に投げ出されていて、それがまるで、翔太の今の気持ちがそのまま表しているように思えた。

 こちらに背を向けて、壁の方を向いている翔太は、空が帰ってきたことには気付いているはずだった。それなのに、ピクリとも動かず、空の呼びかけにも全く応えようとしなかった。さすがの空も、どうしたものかと悩む。ひとまず荷物を置いて、自分のベッドに腰掛けた。その位置からは、翔太の背中しか見えない。

 その背中からは「放っておいてくれ」という気持ちも、「助けてほしい」という叫びも聞こえてくるような気がした。どちらの声が正しいのか、空にも正直分からなかった。考えても分からないなら、自分のやりたいようにやるしかない。そう思った空は、おもむろに立ち上がると、そのまま翔太のベッドまで歩いて行った。

「おい。先輩が帰ってきたのに無視すんな。」
「・・・。」
「寝てないだろ。」
「・・・。」

 何を言っても返事は返ってこない。空は小さくため息をつくと、翔太のベッドに勢いよく寝転んだ。翔太が壁際に寄って横になっていたので、狭いけどなんとか寝転べるスペースが空いていたのだ。

 さすがに驚いた翔太が、顔だけで振り返った。その瞳は、真っ赤になっていたし、情けないぐらいに瞼は腫れていた。そんな顔を空に見られたことが恥ずかしくて悔しくて、翔太はまた慌てて顔を背けた。

「起きてんじゃん。」
「・・・なんですか。こんな時にからかわんといてください。」
「別にからかいに来たわけじゃねえよ。」
「・・・じゃあなんですか。」
「お前、足どうだったの。」
「・・・全治1ヶ月です。骨には異常ありませんでした。」
「そう。」

 顔を背けたままの翔太と会話を続ける。受け答えははっきりとしているけど、これはきっと強がりだということに空は気付いていた。病院で診察を受けた時、きっと絶望したはずだ。インターハイを目前にして、出場が叶わなくなった。普通なら、まだ1年だし、来年もあるから・・・と励ますところだけど、翔太はそうじゃない。空と一緒のコートに立ちたいんだと、これまで何度も本人から聞かされてきた。

 翔太は1年だけど、空は3年。つまり、同じコートに立つためには、この一年しかチャンスがない。インターハイはそのチャンスのうちの一つ。翔太にとっては、その一つが失われてしまったこと、しかも、数少ない全国大会のチャンスが失われてしまったことになる。

「翔太、おいで。」

 気付けば空は、翔太にそう呟いていた。自分に何ができるかは分からない。でも、このまま翔太を放っておくわけにはいかないと思ったのだ。翔太のために何かをしてやりたいと思った。こんなこと、同級生にも思ったことはないのに・・・。翔太は、いつかのあの日、自分のことを悪く言う織田に、掴みかかって怒ってくれた。何でもない素振りを見せながら、空はそれがとてつもなく嬉しかったのだ。だから、今度は塞ぎ込んでしまった翔太を、自分の手ですくい上げたいとそう思った。

「・・・え。」

 振り返った翔太を迎え入れるように、空は僅かに両手を広げた。結局、訳の分かっていない翔太の手を引いて、でも痛めた足に負担がかからないようにそっと、自分の方に引き寄せた。突然の出来事に驚きを隠せずされるがままの翔太を、空は自分の腕の中に閉じ込めた。

ベッドの上で、大きな体の高校生が二人横になって抱き合っている。端から見たら変に見られるのだろうか。でも、そんなこと別にどうでもいい。ただ目の前にいる自分を慕う後輩を慰めてやりたいとそう思っただけだ。

「ど、どうしたん・・・空くん。」
「泣きなよ。」
「え。」
「思いきり泣けばいいじゃん。悔しいって、インターハイ出たかったって。誰も聞いてないよ。ここにいるのは俺だけ。だから思いきり泣け。先輩命令だ。」
「そ・・・っ・・・そんなんっ!おう・・・ぼうやっ!!」

 言った瞬間、翔太は堰が切れたように泣き出した。こんな子どもみたいに泣いて、空に嫌われるかもしれないと頭のどこかで思ってはいても、もはや翔太には溢れ出る涙を止める術が分からなかった。

「なんでっ!なんで今なんや・・・ぅっ・・・俺はっ・・・空くんとっ・・・いっしょに・・・っ!」
「うん。」
「うわーーーーーっ!!」

 翔太は小さな子どもみたいに泣いた。空の腕に抱かれて、空の胸に顔を埋めて、すがりついて泣いた。空は翔太が落ち着くまで何も言わず、ただずっと・・・ずっと静かに背中をさすり続けた。

 ひとしきり泣いて、少しずつ落ち着きを取り戻した翔太に空は静かに語りかける。

「インターハイはさ、一緒のコートに立てないけど、ここで終わりじゃない。まだチャンスはある。」
「・・・はい。」
「インターハイ、ちゃんと見といてよ。」
「え?」
「俺のこと。ちゃんと見てて。」
「っ!はい!」
「うん。」

 ずっと悲壮な顔をしていた翔太だったが、泣き疲れたのかうとうとし始めた。泣き疲れて真っ赤に腫れた瞼は、もうほとんど閉じてしまっている。そんな翔太を見て、もう大丈夫だろうと空は、ほっと胸をなでおろした。自分のベッドに戻ろうとしたが、翔太の手が空のジャージを握りしめていることに気がついた。

「翔太。寝るならちゃんと・・・。」
「・・・んといて・・・」
「え?」
「行かんといて・・・空くん・・・。」

 譫言のように呟かれた言葉に、空は動きを止めた。これまで人付き合いは、適度な距離感を保つことで、自分のテリトリーには入れないようにしてきた。家族でさえも、物心がついてからこんなに近くまで来たことはないかもしれない。でも、不思議と不快感はなかった。翔太の泣きはらした瞼をそっと撫でた。

「大丈夫だよ。ここにいる。」

 もう翔太は夢の中にいるはずなのに、空の言葉でふっと寝顔が和らいだのが分かった。それに合わせて空の口角も上がる。好きとか、嫌いとかそんなのはまだあまり分からないけど、でも今は、目の前にいる可愛い後輩が、少しでもゆっくりと休めていればそれでいいと思った。

「おやすみ。翔太。」

 同じコートに立てなくても、チームメイトとして翔太と一緒に戦おう。空にとって最後のインターハイまであと一週間だ。