――さあ、出番よっ! プリンセスアンナ!
脳内に直接語りかけられたように全身に電流が走った。
スマホにぴょんっとメッセージが飛び出したと同時に、静電気に襲われる。
鼓動がはやる。電気ショックで心臓の働きが活発化されたのだ、きっとそうにちがいない。血流が促進され、顔に熱がたまっていく。サンタクロースが大量生産される12月だとは思えない熱気に、上司から風邪を疑われた。
いいえ、わたしは元気です。たった今元気になりました!
事務仕事を迅速に片付けたわたしは、定時ぴったりにデスクを立ち上がった。
「お疲れ様です!!」
いつになく発声のよい挨拶で、フロア全体に周知させる。あっけにとられる社員をよそに、わたしは全速力で立ち去った。
古びたビルをあとにし、最寄り駅まで通常8分かかるところ5分で通過、反対の改札口へ降りる。商店街を右にそれた先に、カラオケの看板が見えた。
口元のにやけを必死に押さえながら、何食わぬ顔でカラオケに入店した。
実はあのメッセージには続きがあり、203という数字も送られてきていた。わたしは早足でカウンターを通り過ぎ、該当する番号の札のついた扉の前で立ち止まる。
ドアノブをつかんだ手に、またピリッと刺激が伝う。が、おそるるに足らず、問答無用で分厚い扉を押しかける。
プシューと空気の抜けるような音とともに、血湧き肉躍る音色があふれた。いざなわれるように黒いパンプスで内側へ踏み入る。
「待たせたわね、プリンセスミウ!」
ほの明るいコンパクトな部屋の中。主人公然とした立ち振る舞いで現れたわたしに、歌声を響かせていた美女が、詩をたどるのをやめて目を丸くした。おどろきは一瞬で安心に変わり、不敵にほほえむ。
「いいえ、ナイスでキュートなタイミング!」
エコーのかかった声でそう言って、わたしにキラキラなステッキ――もとい備え付けのマイクを手渡した。
わたしは手練の速さでバッグをソファーに放り、マイクのスイッチをオンにする。
ダンダンと迫力を増す演奏。サビが、来る!
「プリプリプリティーマジックタイム〜わたしたちはプリンセス〜」
「プリンセスたるもの清く正しく美しく〜みんなを守るわ〜」
ワンフレーズごとに交代で歌い、ラストは一緒にハーモニーを紡ぐ。
「「ヒーロー、ヒロイン、どんとこい〜! きらめくハートのプリンセス〜!」」
寸分たがわず決めポーズ。
わたしたちのキマった眼は一心に、壁にかかったテレビ画面を捉えて離さない。
画面を占める、わたしたちによく似たふたり組の女の子。
ピンクのツインテールに、ハートの浮き出たドレスの、プリンセスアイ。水色のゆるふわロングヘアに、星が散りばめられたドレスの、プリンセスミミ。
ふたり合わせて……守護戦士ワンダープリンセス!
15年前、当時10歳だったわたしが毎週欠かさず観ていた女児向けアニメのタイトルであり、勇敢で美しい主人公である。
お姫様を夢見る平凡な少女、アイとミミが、ある日魔法のコンパクトを手にしたことをきっかけに、守護戦士ワンダープリンセスに変身し、悪い魔女と戦うのだ。
成人し、社畜となった今でも大好きなアニメ。
アイとミミは、わたしの心の友も同然だった。
「さっすがアンナ! 急だったのにサビの入り完璧!」
「ふふん、まあね。ていうかミウってば、誘い自体が急すぎなのよ」
「でも来てくれたじゃん〜」
「そりゃ、プリンセスミウのお誘いとあらば馳せ参じますよ!」
あははっと笑う隣の美女、ミウも、アイとミミを信仰する同志。
わたしたちは生まれも育ちもちがう。元は、ただの会社の同期だった。
しかし、忘年会の席でアニメトークをしたときのこと。『守護戦士ワンダープリンセス』も話題に上がり、周りがなつかしい〜とうすい反応をするなか、わたしとミウだけは語彙力のないコメントをしみじみと語っていた。
それから意気投合し、今や月1でカラオケを楽しむ仲になった。
カラオケアニメ縛り大会の開催は通常、下旬の金曜日にあるが、こうしてたまに突発的に行われたりする。
ちなみに、誘いの常套句は、例のアレ。
――さあ、出番よっ! プリンセスアンナ!
アニメでプリンセスに変身する合図に告げるセリフだ。名前を変えて遊ばせてもらっている。
「でもミウからの誘いってめずらしいね。何かあったの?」
「うーん、別に? なんとなく歌いたい気分だったの」
「えー、それでわたしのこと誘ってくれたの? かわいいやつめ!」
「100パー来てくれる自信あったから」
「来る来る、絶対来るよ。この歳になって『守護戦士ワンダープリンセス』を同じ熱量で楽しめる友だちなかなかいないもん」
「それねー。ほんと出会えたの奇跡」
「生き別れの兄弟か疑うレベル。ミウとの出会いが、あの会社に入ってよかった理由ランキング不動の1位だよ」
「まちがいない!」
「てかあのセリフで誘われるの、めっちゃ興奮するね。また誘って」
「うはは! 変な性癖つくらないで! 誘うけども!」
テーブルには何も頼まなくても、わたし用のカルピスソーダといつものフライドポテトが用意されてある。
デンモクには『守護戦士ワンダープリンセス』のアニメ主題歌、エンディングテーマ、劇場版主題歌、アイとミミのイメージソングまで、作品に関わる全曲が予約済みだ。
あんた最高だよ、とシゴデキなミウの肩をグーで小突く。
「……あれ? ミウ、今日私服?」
胸元にリボンをあしらった白ブラウスを着ていて、一見気づかなかったが、下はデニムのパンツだ。
定時上がりで速攻駆けつけたスーツ姿のわたしは、会社帰りとは思えない彼女に首を傾げる。
「一回家に帰った……んじゃないよね。時間的に無理だし」
「えっとね、今日はちょっとね、おやすみというかね」
「あー有休ですか。いいなー」
わたしとミウは部署がちがうから、普段いるフロアもちがう。誰とどんなふうに働いているのか、実はよく知らない。たまに愚痴を発散したり、昼食を摂ったりするくらいだ。
何もかもちがうのに、こうして仲良くなれたことを、今でもふしぎに思う。プリンセスの思し召しだろうか。
「あっ、2曲目始まる! アンナ、次もいけるよね?」
「ふふん。誰に聞いてるの」
わたしはきりっと眉を上げて応え、マイクを固く握りしめる。
ふたりして画面の前で仁王立ちし、旋律に耳をすませた。
次はアイとミミが歌う、アニメの挿入歌。ふたりのセリフ調がサビまで続く、ポップでかわいいデュエットソング。
アイの決まり文句「さーてここからマジックタイム!」や、ミミの口癖「ナイスでキュートなタイミング!」など、アニメの定番ネタがここぞとばかりに詰めこまれ、オタクにはたまらない。
ただ実際に歌ってみると、息が続かなかったり高音が多かったり、意外と難易度が高い。かけあいのパートを心から楽しめないのが、玉に瑕。
ぜえはあ言いながら歌い終えたわたしたちは、ほとんど同時にソファーに倒れこんだ。
「やっぱハードだわこの曲。カロリー消費えぐい」
「これがカラオケダイエットってやつなのかも」
ミウは画面下に出ている想定消費カロリーを見やり、ひとり納得している。
対してわたしは、カルピスで喉を潤わせたあと、食事メニューに手を伸ばした。お腹がすいてもうだめだ。
シェアしやすいピザとタコのからあげを注文した。あ、やばい、無意識にハイカロリーのものを選んでいる。だからわたし痩せないのか。
「そういえば、ミウってさ」
わたしはたどたどしくメニューをしまいながら、たった今思い出したように話しかけた。
「一番最初のカラオケ大会で、この曲フルで歌ってたよね? まじすごい!」
「いやいや、全然歌えてなかったよ」
「フルを知ってるのがすごいんだって! わたし、一番のサビしか聴いたことなかったもん」
「そりゃあだってこの曲大好きだから。ずっとプレイリスト一軍! 年季がちがいますよ」
ミウは鼻高々にブイサインする。
あの日の感動は昨日のことのように覚えている。
わたし以上に『守護戦士ワンダープリンセス』を愛する人が、はじめて現れた瞬間だった。
まるでアイとミミが出会ったように、わたしも、生涯の友を見つけた気がしたのだ。
「わたしもそれ聞いて追加したんだよ! 毎朝プリンセス出勤してる」
「気分上がるよね。ふつうに楽曲としてのクオリティー高いし」
「わかる。アイドルソングに混ぜてもバレないと思う。サントラもいいし、制作陣天才か?」
「彼らに直接納税させてほしい」
息も整わぬうちにオタク談義がヒートアップし、ついには虚空に拝みだす。
3曲目が奏で始めると、瞬時に姿勢を正した。
劇場版の主題歌だ。画面に流れるアニメ映像が神シーンばかりなので、カラオケの醍醐味は封印し、鑑賞に専念するのがわたしたちの暗黙のルールとなっていた。
北の魔女との熱き戦い。絶体絶命のアイとミミ。そこに差しこむ一縷の光。
わたしは握りこぶしを振り上げた。
「ワンダーミュージック!」
「プリンセスアラモード!」
間髪入れずにミウも続き、日頃の疲れを吹き飛ばすように絶叫する。
映像が切り替わり、プリンセスアイとプリンセスミミが舞踏会さながらのダンスをしながら、敵をなぎ倒していく。
わたしはミウと顔を見合わせ、足をバタバタさせながらはしゃいだ。わたしの中の小学生がほっぺを桜色に染めて踊っている。
すると店員さんが入ってきた。すみやかに足を閉じる。すぐにふたりきりの空間に戻り、ほっとしつつ、わたしは名場面を見守りながら口を挟んだ。
「今思うとさ、ワンダーミュージックって、意味わからない強さしてるよね。優雅に踊ってるだけなのに、敵が勝手に巻きこまれて倒されちゃうんだもん」
届けられたタコのからあげをつまむ。
ミウはどこか感心したように相槌を打った。
「たしかに。広範囲攻撃だよね。ゾーンに入ったら避けられない。そのうえ見栄えもいい。プリンセスの位の高さというか、無敵感が伝わって、あたしは好きだな」
「わたしもあのチート感大好物。でも……あんなに強いのにラスボスには敵わないよね」
「まあ、そうだね。たいていワンダーミュージックのあとに、マジカルステッキでビーム出してるね」
カラオケ映像にもちょうどマジカルステッキの活躍シーンが映し出されていた。ピンクと水色のネオンライトのような閃光が、ステッキの先端から発射された。瞬く間に黒装束の魔女が浄化されていく。
「ステッキの魔法って必殺奥義系多いじゃん? だからそれでラストを華麗に締めてると思ってたんだけど……」
「ちがうの?」
「わかんないけど……やっぱり、あっちの世界も、一筋縄じゃいかないんじゃないかな」
「どういうこと?」
「ダンスしてたら知らぬ間に~、でうまくいかないタイプもいる。なら、直接仕掛けるしかない。相手がボスならなおさら」
アイとミミは変身すると、魔法の力で神経が常軌を逸し、運動がオリンピック選手並にうまくなる。おかげでダンス能力の問われるワンダーミュージックの技で無双できるのだ。
けれど、世の中には、いろんな人がいる。性格も長所も短所も、みんなちがう。合う人もいれば、合わない人もいる。
トントン拍子には進まない。
きっとそういうふうに構築されているのだと思う。
「自分の強みが通じないなんて、社会じゃザラだしね」
「……なんか、深いね」
「深読みしすぎかな、わたし」
映像はいよいよクライマックスシーン。白く澄み渡った魔女が、アイとミミに涙ながらに感謝を告げている。
何度観ても胸を打つ。
わたしはピザに伸ばした手を胸元にひっこめ、惜しみのない拍手を送った。
「それでもアイとミミは、いろんな技を編み出して、どんな相手にも臆さずに立ち向かったんだよね……。プリンセスってかっこいい」
はあ、と恍惚とした息を漏らす。
静かにうなずいたミウの眼差しは、どこかまぶしそうだった。
「いいなあ……。みんながみんな、できることじゃないよ」
「ねっ! わたしなら得意技が効かなかった時点であきらめる」
「あたしも。……逃げちゃうよ」
わたしは今度こそピザを手に取った。ふた切れがチーズでつながっていて、片方をミウにあげる。
伸びるチーズの上に、断ち切れない「もしも」が浮かんで見えた。わたしの脳内に妄想がふくらむ。
「あーあ。リアルでもマジックステッキがあったら、いやなやつ更生させられるのに!」
「ハハ……いいねそれ。たとえば?」
「たとえばー? うーん……あっ、このまえミウが愚痴ってたお局とか?」
「あ、あー……」
「ビームをこうバババッて当ててさ、もう二度とわたしの大事な仲間を困らせるんじゃねえー! ってびしっと言ってやるんだ!」
プリンセスらしくないかな? なんて、おどけて笑ってみせる。
ミウは虚を衝かれたようにぽかんとした。瞬きを繰り返すたび、瞳が揺らいでいた。
「……ありがと、アンナ。現実になることを祈るよ」
ささやくように言うと、豪快にピザにかじりつく。
わたしはほんの少しミウに体を寄せた。触れた二の腕から温もりが伝わる。
心臓がやわらかく跳ねた。
3曲目を完走し、応援上映にひと区切りつかせると、また別の名曲が画面を占領する。ここからは、ソロタイム。かわりばんこに『守護戦士ワンダープリンセス』のメドレーを歌唱する。
先ほどのカラオケ映像にあった映画の劇中に使われていた、多種多様な挿入歌から始まり、OVAオリジナルの主題歌、さらには地上波には流れていないキャラクターソングまで、惜しみなく続く。アニメ曲の豊富さが、ここのカラオケをリピートする最大の理由だ。
「はい、次はアンナの番だよ」
起立して熱唱していたミウが、ほくほくとした顔でわたしを見る。
任せて。わたしは口の渇きをカルピスで紛らわしたあと、座ったままマイクをかまえた。
ソロタイムは、終盤。そこにちょうどいいのが、『守護戦士ワンダープリンセス』の唯一のバラード曲。
シーズン2のエンディングテーマで、オーロラの彩る夜空を背景に、アニメと画風のちがう絵本のようなアイとミミが眠りにつく様子が描かれた。神秘的で愛らしいエンディングに、当時のわたしはドハマりして、学校の昼休みにはエンディングを模したイラストをよく描いていた。
今でもあの落書き、残ってるかな。捨てちゃったかな。どうだろう。ミウも似たようなことしたかな。25になった今、またお絵描きするのもいいかもね。わたしたち、きっとなんでもできちゃうよ。だって大人だもん。
「プリンセスは泣き顔を見せないの〜でもわたしだってふつうの女の子〜秘密にしてね〜」
いとおしさをあふれさせながら、一語一句を大事に詠む。
不意に、鼻をすする音がした。
横を向けば、ミウが肩を震わせている。
あぁ、ここにもかわいい子がいた。
「ナイスでキュートなタイミングっ」
間奏中、わたしはミウの赤らむ鼻先をちょんとつついた。ミウは恥ずかしがって顔を背ける。わたしはへらりと笑って、丸まった背中に身を擦り寄せた。
ソロタイムが終わった瞬間、部屋にくくりつけられた電話が鳴った。
タイムスリップ、終了間近の合図。
いつもこのときが来ると寂しくなる。
時間が過ぎるのがあまりに早すぎる。
でも寂しいままでお別れはいやだから、ラストソングは同世代なら誰もが知るシーズン1の主題歌を予約し、ふたりで大熱唱する。音程は気にせず、好きなように好きなだけ好きを叫ぶ。
気持ちがいい。
最高。
大好き!
「はーあ! すっきりした!」
歌い終えると、ミウは両手両足をぐんと広げ、天を仰いだ。やわく垂れたまなじりから、ぽろっと涙がひと粒落っこちる。
わたしは見なかったふりをして、名残惜しくマイクを置いた。
――さあ、出番よっ! プリンセスアンナ!
また会う、そのときまで。
……来週かな。
end