「翠っ」
「あ、伊織くん?」
 ノラさんと別れた昇降口で、上履きに履き替えていたら声を掛けられました。
 声の先を探し首を巡らすと、従兄の『佐倉(さくら)伊織(いおり)』くんが廊下の先からこちらに駆け寄って来ているところでした。
 伊織くんは金髪碧眼かつ180cm以上も背があるモデル体型なので遠目でもわかりやすいです。学校の王子様と言われるくらいきらきら華やかな容姿が薄暗い昇降口では浮いています。
 お互いのお母さん同士が姉妹。お母さんは北欧系米国人のハーフなので伊織くんも僕と同じクオーターなんですが、ちっとも僕はその遺伝子を発現していませんね。今下駄箱にしまった男子にしては小さな革靴がその証拠です。体格だけ父方の遺伝子なんでしょうか。いやおじさんとお父さんも身長高いですよ。お顔はお母さん似なのは色味で自覚あるんですが。
「昼ご飯誘いに教室行ってもいないし、学校中探したんだから」
「ご、ごめんなさい」
「スマホも忘れてたよ」
「うう……はい」
「外行ってた? 珍しいな……」
 背の高い上背をわざわざ屈め、僕を覗き込む伊織くん。青い瞳が僕をじっと捉えます。伊織くんの視線がいつになく強いです。
「あ、の猫さんとお昼ご飯食べたんですよ」
「猫?何色の?」
「え?えっと毛は白色でエメラルドグリーンの瞳がきれいな猫さん……です」
 な、なんで伊織くんはそんな些細なことが気になるんでしょうか。嘘はついていないですけど、お兄さんともご飯食べたのは知られたくありません。自分でもよくわからない感情ですが、なぜか伊織くんにはお兄さんとのことは黙っておいたほうが良い気がするんです。
 目を細めた伊織くんは、不意に僕の方へ手を伸ばします。びくっと肩を竦ませると、伊織くんの指は僕のスラックスへ。
「ほら、猫の毛がついてるよ。こんな色の猫さんだったのかな?」
 伊織くんの指が白色の細い毛をつまみ上げていました。人間の髪の毛にしては細すぎますので、僕の髪の毛ではありません。もしかして、ノラさんにくっつかれた時に体毛がついてしまったんでしょうか。
「う……えと、しっぽもふさふさでしたよ」
 こくこくと何度も頷き返します。にこり、と満足気に微笑む伊織くんはノラさんの残り毛にふっと息を吹きかけて飛ばしました。
「ふふっ。翠の髪の毛みたいな純白の毛だったね。これでエメラルドグリーンの瞳だなんて、翠そっくりで可愛らしい猫だろうなぁ。明日会わせてよ」
 すらっと伸びた指は、今度は僕の横髪を1房掬い、巻きつけながら弄びます。
「だ、ダメです!」
「え?」
 目を見開く伊織くん。するり、と指から白髪が滑り落ちます。思いっきり否定してしまいました。どうしましょう。あ、そうですっ!
「あ、あの。伊織くんが来ると猫さん逃げちゃいますから……」
「……そうだね。しょーがないかぁ。何故か動物全般に威嚇されるか逃げられちゃうんだよね」
 伊織くんは道を歩けば野良猫や野良犬が逃げていく体質なんです。猫さんや犬さんだけでなく、何故か動物全般に嫌われる体質。逆白雪姫体質と親戚一同に名付けられた彼と動物園へ行ったときは悲惨でした。 
「そ、そうです。僕、小さい頃コアラの鳴き声聞いて、びっくりしたんですから。」
 コアラが「ぶみー」と鳴き声上げながら一斉にに伊織くんから遠ざかるように素早くユーカリの木で身を寄せ合いだした光景は、幼い僕にはかなり衝撃的だったんですよ。
「あー。あれは驚いたよね。あははー。ちなみにキリンも威嚇のために鳴くんだよ」
「き、きりんさんですか?」
 コアラ事件以来僕は伊織くんと動物園に行くことは無かったんですが、いつの間にか彼は新たな伝説を作っていたようです。キリンさんまでとは……。ノラさんから伊織くんの興味を逸したくて昔話をしたのに、伊織くんの体質の凄まじさを見せつけられてしまいました。伊織くんの纏うキラキラオーラに動物たちが驚いてしまうんですかね。やっと先程ノラさんと和解できたのに、伊織くんを見られてしまったらまた嫌われてしまうかもしれませんね。
 だって、先程お別れしたときに『またな』とお兄さんは言ってくれたんです。それって僕と次も会いたいって思って貰えたから、『またな』って言葉がでたんですよ。次を望まれるて嬉しい。それにこれって「お約束」ですよね! さらに嬉しいです。大切にしたいからこの「お約束」を。
「あ、予鈴なっちゃう。はやく、翠の教室いくよ!」
 壁掛け時計を確認した伊織くんは、靴を履き替えるために下駄箱の一番上へ置いておいたお弁当箱をさり気なく持ってくれています。そして、いつものように長い指をするりと絡め僕の手を握りました。
 もう大きくなったのに、人前で子供のように手を繋がれるのは恥ずかしいです。でも、伊織くんは突然僕がいなくなるのをとても心配します。今まで元気にともに過ごしていたのに、なにかのはずみであっけなく永遠に失うこともあります。そう、僕と伊織くんのお母さんみたいに
 たまたま信号待ちしていた2人の車に信号無視したトラックが突っ込んで来た交通事故でした。運転していた伊織くんのお母さんはもちろん、助手席に乗っていた妊娠中の僕のお母さんも即死。
 同じ経験のある僕も伊織くんのそんな不安は理解できるので、なるべく彼が不安にならないようしっかりと握り返します。
 ……僕はここにいるよ、って。
 そんなことしかできないダメダメな僕です。
「あの、ありがとうございます。探してもらったり、お弁当も持ってくれて」
「ん? 翠は大事な『家族』なんだから、心配するし、お世話させてよ」
「……はい」
 大事な家族。言われて嬉しい言葉のはずが、何故かのしかかるように胸を重くします。伊織くんにここまで言わせてしまうさせてしまうほど僕が不甲斐ないから。お兄さんやノラさんとご飯を食べたあとは、胸は大丈夫だったのに。むしろ調子がよいくらいでした。なんででしょうか。あの2人には特別な力とかがあるんですかね。
 やっぱり風鈴のお兄さんはすごいなぁ。
「はぁ」
「どうした? そんなに教室行くの嫌だったら保健室へいく?」
「い、いや、大丈夫ですよ!」
 うっかり漏れ出た溜め息がなにやら大事になりそうでした。気をつけないと。
「でも、無理はしないこと! わかったか?」
「は、はい……」
 眉を寄せた伊織くんに釘をさされてしまいました。これ以上心配させてはいけません。
「あのね、やっと伊織くんと同じ高校の制服着れて嬉しいから頑張ります」
 にっこり笑いかけると、今度は伊織くんが一瞬固まって大きなため息を吐きました。
「ずるいよ。翠は……、いつか可愛さで殺される気がする……これで合鍵持ってて耐えられるのか僕」
 なにやらブツブツ呟きだす伊織くんです。どうしたんでしょうか。最近これをよくされますけど、また僕はやらかしてしまったんでしょうか。
「伊織くん?」
「あー、いやね。寮の部屋のこと考えてたんだよ! ほら、翠は引っ越ししたでしょ?」
「はい。お世話になりました」
「あ、いや全然。勝手に荷物みちゃってまとめたけど、まだ荷解きしていないんだ」
 引っ越しの荷物をまとめてくれたけど、僕のプライバシーを配慮してくれて運び込んだままにしてくれてあるらしいです。あ、荷物はダンボール2箱だけらしいです。本当はもっと荷物が少なくて、ダンボール1箱で終わったそうです。とってもありがたいんですが、僕の私物が少な過ぎたのをなぜか心配した伊織くんと伊織くんのお友達である塁くんと恭くんが、おやつやら雑貨などダンボールに詰め込んでくれたらしいです。いたずら好き塁くん1人が詰めたのなら荷物を開けるのが怖いですが、恭くんがその場にいたならまだ大丈夫なはずです。2人のありがたい優しさを受け取る気持ちで荷解きを頑張ります!
 放課後、荷解きを伊織くんが手伝ってくれるので、新しい寮の部屋を案内がてら一緒に帰ろうということでした。ちなみにお部屋のお掃除はもう済ませてあるので、荷解きをするだけで良いそうです。大変申し訳無いですね。
 伊織くんに説明を受けている間に僕の教室へ到着しました。当たり前のように伊織くんは手を繋いだまま教室へ入り、僕の机の上にお弁当箱を置きます。伊織くんが教室へ入ったときから周りの視線を自然と集めてしまいます。生徒会長さんを務めていて全校集会などで挨拶するので皆伊織くんのお顔を知っているせいですかね。男の子ばかりだけれど、熱量のある眼差しも含まれている気がしますね。そんな視線に慣れているのか気付いていないのか、伊織くんは変わらず話しかけてきます。
「放課後、また教室に迎えにくるからね」
「わざわざ悪いので、僕が伊織くんの教室へ行きましょうか?」
「ダメ。危ないから翠はここで待ってて。あと、スマホは必ずポケットに入れておくこと」
 なにやら真剣な表情で伊織くんに言われてしまえば、頷くしかないです。
「家族なんだから、甘えてよ」
 僕の頭を優しく撫でると、教室内で一瞬悲鳴が上がります。それも気にせず伊織くんは穏やかな笑顔で教室から去っていきます。
 家族。またこの言葉。伊織くんは意図的なのか癖になっているのかわからないけれど、この言葉をよくつかいます。この言葉を聞いてしまうと、僕が必ず彼の望むとおりに従うから。ついつい卑屈でうがった見方をしてしまう自分が嫌です。
 放っておいて欲しいわけでもなく、1人でなんでも出来るほど体も心も強くもないくせに。純粋に伊織くんは親切心と僕を家族として心から心配してくれているかもしれないのに、繰り返されるあの言葉に含まれる意味には裏があるんじゃないかと思ってしまう。
 自分が胸に抱えるやましさに引きずられ『家族』という言葉に反応しすぎるからなのか、自意識過剰にも程がありますよね。子供じみた憶測で彼の優しさや思いを無下にするのは自分勝手な『わがまま』です。これでは伊織くんをまた不幸にしてします。それだけは絶対にもうダメなんですから。
「はあ」
 お重サイズのお弁当箱をカバンに無理やり詰め込み、迷子のスマホを探します。おじさんのマンションから出るときに入れたはず、とカバンを覗き込むとチカチカ光るライトを発見。救出されたスマホには伊織くんから複数回の着信が通知されていました。申し訳ないので、恭しくカーディガンのポケットにスマホをしまいます。
 すると、ポケットの中には先客さんがいました。お兄さんに退院お祝いにいただいたシルヴァニアさんです。ふわりとビロードのような気持ち良い手触り。あとは、たぶんこのちっこい瓶の形のは哺乳瓶。
 うう、そんなに猫の赤ちゃんに僕って似てますか。でも、不思議となぜか先程まで重かった胸がすーっと楽になりました。いそいそとスマホを反対側のポケットへ移動。
 赤ちゃん猫さんをポケットから取り出します。可愛らしさとおかしさにふふっと小さく笑いが漏れてしまいました。でも、すぐに予鈴が鳴ったので、赤ちゃん猫さんをまたポケットへしまいました。