いつまでも伊織くんのお部屋の前にいる訳にもいかず、とりあえず自分のお部屋に戻ろうとエレベーターホールへ歩き出します。
頭の中は伊織くんから言われた言葉がぐるぐる回ります。僕が家族って言われることを嫌がっていたのを知っていた伊織くんはあえて言っていたと言いました。それはなぜ?でも僕とは家族以外になりたかったとも言う。
「伊織くんはなにがしたかったのかな……」
零れ落ちた疑問は誰にも答えてもらえず。足元のふかふかの絨毯へ吸い込まれます。
とぼとぼ歩いていくと、ちょうどエレベーターのドアが開き賑やかな二人組が降りてきます。
「ねっるねる300個作ってみたは動画的にハズレないから! やる価値あるよぉ〜」
「俺は食べ物を粗末にするのが気に食わない……」
「ちゃんと後でスタッフが全部いただきますぅ〜」
眉間にシワ寄せた恭くんがダンボールを両手に抱え、その隣には口を尖らす塁くんです。
僕に気づいた累くんが駆け寄って来てくれます。恭くんも。
「えっ?! 翠ちゃん顔色悪すぎー!!」
「伊織とは会えなかったか? 翠?」
「伊織くんとは……会えました。けど……ダメダメでした僕」
せっかく恭くんにも協力してもらったのに伊織くんに怒られて悲しませてしまった失敗が視線を床に落とさせます。
「ねぇ、翠ちゃん。動画配信者のお部屋入ってみる?」
よくわからず顔を上げた僕のお顔の前には『ねっるねる』とポップな丸い文字で書かれたダンボール箱ととっても優しい表情の累くんでした。
グイグイ背中を押されあれよあれよと通されたのは累くんのお部屋です。小花柄の玄関マットが迎えてくれる可憐なお部屋です。手を引かれリビングへ向かうと、がらりと雰囲気が変わりました。大きな丸いライトやカメラの3脚にマイクがどーんと置いてあります。リビング窓際のデスクには3台ものモニターが設置され、本格的なゲーミングチェアーが。戦隊モノの秘密基地みたいなお部屋になりました。
「とりま座ってねぇ。恭は翠ちゃんに飲み物〜」
ライトや3脚を一纏めに持ち上げ、お部屋の隅に移動させる累くん。
お高そうな機器に触れて壊したら、と手伝うにも手伝えず、おろおろと僕は立ち尽くします。
「お、おかまいなく……累くん、恭くん」
「いいから。翠はそこのソファーに座っていろ。メシもまだなんだろ?」
ダンボールを無造作に置いた恭くんに2人がけソファに両肩を押さえつけられ座らされました。そのまま恭くんは袖を捲りながらキッチンへ。
ローテーブルを挟んだ向かいの3人がけソファーには片付け終わった累くんが座りました。良きタイミングで恭くんが僕達2人の前にグラスに入ったお茶を出してくれました。
「うーんと。いおりんと翠ちゃんはどうしたの?」
累くんがグラスのお茶を一口飲むとお話を切り出しました。
「えっと……」
伊織くんとのことを話すと必然的に玄くんのことからノラさんのことまでお話することになります。
累くんのお気持ちは嬉しいんですが、迷います。
「あのね、言いたくないことは無理に言わなくてもいいけど……僕と恭は2人ともが大切だから相談くらい乗らせてよ?」
累くんが心配そうなお顔で見つめています。
「……累くん」
「それとも僕達じゃ頼りないかな?」
「ち、違います」
累くんの優しい言葉に慌てて否定します。ここまで僕と伊織くんとの仲を心配している2人に、隠しておくなんて不義理なことはできません。この2人にだったら未だに僕にもわからないことだらけの状況だけど素直に話したいです。
「……あの、僕最近お昼ご飯を一緒に食べる方がいて……」
「……うん」
ちらりと累くんのお顔を見ると、優しくて真っ直ぐな瞳を僕に向けてくれています。
その瞳に勇気をもらい、自分でもまとまりのない内容だったと思いますが、ぽつぽつとぎれとぎれに話しました。
玄くんに発作中助けてもらったこと。ノラさんの案内で再開できたあとはお昼をともにして、連絡先交換後は毎日かかさず電話をしていること。そして、伊織くんに玄くんといるところを見られてしまい僕が伊織くんに言ってしまった暴言を。累くんは黙って耳を傾けてくれました。
「……え? 翠ちゃんがいおりんに言い返したの?」
「……はい。その日から伊織くんに避けられています。今日は玄くんや恭くんにも協力してもらったんで……少しお話しできたんですけど、お部屋から追い返されてしまって」
「あー、そのいおりんは今日なんて言っていたの?」
「家族になりたくなかったと言われました。だからもう家族じゃない僕とは会わなくていいでしょ……っとも」
一瞬、沈黙が降り落ちます。その後、累くんはクッションを思いっきり殴りつけました。ぼふっときらきらホコリが舞い上がります。
「あんの! 初恋拗らせメンヘラがっ! 誘い受けか?! 構ってちゃんかあ?!あ゙あん?!」
「……落ち着け。累。あとで必ずぶっ飛ばしてやるから」
恭くんがきれいな3角の形のおかかおにぎりを2つお皿に盛り付け僕の目の前にことりと置いてくれました。
累くんは隣に座る恭くんに宥められると、僕にずいっと詰め寄ります。腰を浮かせてまで。
「翠ちゃんにとって、その……玄くん? っていう人はどういう人なの?」
「う。僕がわがまま言っても……嬉しいって言う凄い優しくてかっこいい人です……」
「……素敵な人なんだね」
「……はい、……でも……とっても恐い、人です」
「……ん?」
累くんは首を傾げ、恭くんは組んだ腕に力を入れます。恭くんの不穏な様子に説明を付け足します。
「怖い……です。心の中にするりと優しさが入ってくるんです。『少しくらい甘えても……わがまま言ってもいいんじゃないか』って、気にさせてきます。喜んでくれたのが嬉しくて欲張りさんになっちゃう。させてくるんです」
僕だけの玄くんになることは決して無いです。だからこの前抱いた過ぎた欲、わがままは伝えてはいけない。
「その玄くんはそのわがままを言っても良いっていうんだよね……。んーと」
「はい。僕のわがままを聞けて幸せだって……。でも僕は……、そんな玄くんを困らせることしかできないのに、欲しくなっちゃうんです。笑顔とかが」
「翠ちゃん。それが好きってことだよ」
考えつかない答えを言われて目をぱちくりさせるしかできません。好きってもっときれいなものなんじゃあ。僕のは。
「あのね。僕は翠ちゃんが抱いたその『特別』な好き、に「恋」ていう名前をあげてほしい。素敵な気持ちがさらにきらきら輝きだして、もっと大切にしたくなるからさ」
「でも……玄くんだけが欲しくて、独り占めしたくなっちゃうんです……。こんなあさましい気持ちを大切にして良いんですか?」
「いいんだよ。誰かだけを欲しく思うことも、独り占めしたくなることも、欲張りな気持ちを含んだ『特別』な好きがあっても、さ」
ちらりと見上げ恭くんを見つめる累くんは照れ臭そうにはにかみました。累くんの肩を抱き出す恭くんです。
「色んな好きが増えるのは素敵なことだよ。いけないことじゃないよ。だって、色んな好きが増えたり、その人のことを考えるだけでも、翠ちゃんは幸せでしょ?」
「幸せ? こんなに苦しいのに……恐いのに……」
ふと伊織くんの悲しそうな先ほどの表情が過ぎります。
「それに……僕なんかが? いいんでしょうか」
「翠ちゃん。『幸せ』になるのは恐くはないよ。それに、卑下するのは絶対にやめて。翠ちゃん自身と、君に幸せになって欲しい僕達《ママとぱぱ》のためにもさ」
語気を強めた累くんと隣にいる恭くんが真っ直ぐ僕を見つめます。本気でそう思ってくれているのが伝わるくらい強い眼差しです。
幸せになってもいいんだ。でも、ぼんやりと思います。幸せって? 累くんはさっき教えてくれました。
色んな好きが増えたり、その人のことを考えるだけでも、幸せ。と
玄くんといると、想うだけでも。とびきりの宝物をもらったように心も体もふかふかして甘い温もりに浸っているようなんです。ああ、これが『幸せ』ってことなんですね。
「……あ、ありがとうございます。僕は玄くんが好き。です」
「ふふ! どーいたしまして!」
そっか。僕は玄くんに『恋』しているんですね。自覚したばかりの気持ちが言葉にすると胸に満ちていきます。甘い喜びや温かい心地よさ。それだけじゃない胸の奥に溜まるどろどろ汚い気持ちはしゅわしゅわ弾けてしまいそうなくらい軽くなっていきます。
「ふふふ。男同士だってことが些細なことに思えるくらい。すーっごく幸せになっちゃったでしょ?」
優しい笑顔でそう断言する累くん。いたずらが成功したように、目を細め楽しそうな恭くん。
「そうだな。男同士だとかくだらねーことで諦められねーよ」
お互いの目を見て微笑み合うお二人です。とても仲良くて本当に幸せそうな二人。全力で恋をして、心からそう思っているってわかる様子です。
恋って本当にするだけで幸せになれるんですね。
初めて好きになった人が男のひとってことが、その恋がもたらす幸せに比べたら、とても些細なことに思えました。
「よし! じゃあ、いおりんとも決着つけよう! 潔く振られてしまえ!」
「手っ取り早くドアを蹴破るか……」
「恭やめてっぇ!令和はコンプラ重視なの! あのね……」
拳をまっすぐ突き上げ立ち上がった累くんと、とんでもなく悪いお顔をした恭くんです。なにやら仲良しのお二人がこそこそ内緒話をしています。なんでしょうか。累くんのきらきら楽しそうなお顔にとっても悪い予感です。
「では、Uberいおりんポチります!」
そう掛け声をすると累くんはスマホをタップします。僕はわけがわからず恭くんお膝の上です。累くんが僕達3人のスリーショットを自撮り。すぐさま累くんがぽちぽちメッセージを打ち始めたんです。
「なんで酒池肉林です? 累くん?」
「むふっ! 翠ちゃんは気にしなくていーよ。はい。あーん」
おかかおにぎりを口元へ持ってきてくれる累くんはとびっきりの笑顔です。無邪気な笑顔ですが、累くんの場合はいたずら好きさんなので注意が必要です。でもお話を聞いてもらってほっとした僕はお腹が空いてきました。目の前のおにぎりを食べようとお口を開けたとき。
玄関からものすごく物騒な音が。どんどんと何かを思いっきり叩く音です。
「Uber配達完了〜」
累くんの心からの愉しげな声が僕の耳に届きました。少し遅れて恭くんの呆れたため息も。
頭の中は伊織くんから言われた言葉がぐるぐる回ります。僕が家族って言われることを嫌がっていたのを知っていた伊織くんはあえて言っていたと言いました。それはなぜ?でも僕とは家族以外になりたかったとも言う。
「伊織くんはなにがしたかったのかな……」
零れ落ちた疑問は誰にも答えてもらえず。足元のふかふかの絨毯へ吸い込まれます。
とぼとぼ歩いていくと、ちょうどエレベーターのドアが開き賑やかな二人組が降りてきます。
「ねっるねる300個作ってみたは動画的にハズレないから! やる価値あるよぉ〜」
「俺は食べ物を粗末にするのが気に食わない……」
「ちゃんと後でスタッフが全部いただきますぅ〜」
眉間にシワ寄せた恭くんがダンボールを両手に抱え、その隣には口を尖らす塁くんです。
僕に気づいた累くんが駆け寄って来てくれます。恭くんも。
「えっ?! 翠ちゃん顔色悪すぎー!!」
「伊織とは会えなかったか? 翠?」
「伊織くんとは……会えました。けど……ダメダメでした僕」
せっかく恭くんにも協力してもらったのに伊織くんに怒られて悲しませてしまった失敗が視線を床に落とさせます。
「ねぇ、翠ちゃん。動画配信者のお部屋入ってみる?」
よくわからず顔を上げた僕のお顔の前には『ねっるねる』とポップな丸い文字で書かれたダンボール箱ととっても優しい表情の累くんでした。
グイグイ背中を押されあれよあれよと通されたのは累くんのお部屋です。小花柄の玄関マットが迎えてくれる可憐なお部屋です。手を引かれリビングへ向かうと、がらりと雰囲気が変わりました。大きな丸いライトやカメラの3脚にマイクがどーんと置いてあります。リビング窓際のデスクには3台ものモニターが設置され、本格的なゲーミングチェアーが。戦隊モノの秘密基地みたいなお部屋になりました。
「とりま座ってねぇ。恭は翠ちゃんに飲み物〜」
ライトや3脚を一纏めに持ち上げ、お部屋の隅に移動させる累くん。
お高そうな機器に触れて壊したら、と手伝うにも手伝えず、おろおろと僕は立ち尽くします。
「お、おかまいなく……累くん、恭くん」
「いいから。翠はそこのソファーに座っていろ。メシもまだなんだろ?」
ダンボールを無造作に置いた恭くんに2人がけソファに両肩を押さえつけられ座らされました。そのまま恭くんは袖を捲りながらキッチンへ。
ローテーブルを挟んだ向かいの3人がけソファーには片付け終わった累くんが座りました。良きタイミングで恭くんが僕達2人の前にグラスに入ったお茶を出してくれました。
「うーんと。いおりんと翠ちゃんはどうしたの?」
累くんがグラスのお茶を一口飲むとお話を切り出しました。
「えっと……」
伊織くんとのことを話すと必然的に玄くんのことからノラさんのことまでお話することになります。
累くんのお気持ちは嬉しいんですが、迷います。
「あのね、言いたくないことは無理に言わなくてもいいけど……僕と恭は2人ともが大切だから相談くらい乗らせてよ?」
累くんが心配そうなお顔で見つめています。
「……累くん」
「それとも僕達じゃ頼りないかな?」
「ち、違います」
累くんの優しい言葉に慌てて否定します。ここまで僕と伊織くんとの仲を心配している2人に、隠しておくなんて不義理なことはできません。この2人にだったら未だに僕にもわからないことだらけの状況だけど素直に話したいです。
「……あの、僕最近お昼ご飯を一緒に食べる方がいて……」
「……うん」
ちらりと累くんのお顔を見ると、優しくて真っ直ぐな瞳を僕に向けてくれています。
その瞳に勇気をもらい、自分でもまとまりのない内容だったと思いますが、ぽつぽつとぎれとぎれに話しました。
玄くんに発作中助けてもらったこと。ノラさんの案内で再開できたあとはお昼をともにして、連絡先交換後は毎日かかさず電話をしていること。そして、伊織くんに玄くんといるところを見られてしまい僕が伊織くんに言ってしまった暴言を。累くんは黙って耳を傾けてくれました。
「……え? 翠ちゃんがいおりんに言い返したの?」
「……はい。その日から伊織くんに避けられています。今日は玄くんや恭くんにも協力してもらったんで……少しお話しできたんですけど、お部屋から追い返されてしまって」
「あー、そのいおりんは今日なんて言っていたの?」
「家族になりたくなかったと言われました。だからもう家族じゃない僕とは会わなくていいでしょ……っとも」
一瞬、沈黙が降り落ちます。その後、累くんはクッションを思いっきり殴りつけました。ぼふっときらきらホコリが舞い上がります。
「あんの! 初恋拗らせメンヘラがっ! 誘い受けか?! 構ってちゃんかあ?!あ゙あん?!」
「……落ち着け。累。あとで必ずぶっ飛ばしてやるから」
恭くんがきれいな3角の形のおかかおにぎりを2つお皿に盛り付け僕の目の前にことりと置いてくれました。
累くんは隣に座る恭くんに宥められると、僕にずいっと詰め寄ります。腰を浮かせてまで。
「翠ちゃんにとって、その……玄くん? っていう人はどういう人なの?」
「う。僕がわがまま言っても……嬉しいって言う凄い優しくてかっこいい人です……」
「……素敵な人なんだね」
「……はい、……でも……とっても恐い、人です」
「……ん?」
累くんは首を傾げ、恭くんは組んだ腕に力を入れます。恭くんの不穏な様子に説明を付け足します。
「怖い……です。心の中にするりと優しさが入ってくるんです。『少しくらい甘えても……わがまま言ってもいいんじゃないか』って、気にさせてきます。喜んでくれたのが嬉しくて欲張りさんになっちゃう。させてくるんです」
僕だけの玄くんになることは決して無いです。だからこの前抱いた過ぎた欲、わがままは伝えてはいけない。
「その玄くんはそのわがままを言っても良いっていうんだよね……。んーと」
「はい。僕のわがままを聞けて幸せだって……。でも僕は……、そんな玄くんを困らせることしかできないのに、欲しくなっちゃうんです。笑顔とかが」
「翠ちゃん。それが好きってことだよ」
考えつかない答えを言われて目をぱちくりさせるしかできません。好きってもっときれいなものなんじゃあ。僕のは。
「あのね。僕は翠ちゃんが抱いたその『特別』な好き、に「恋」ていう名前をあげてほしい。素敵な気持ちがさらにきらきら輝きだして、もっと大切にしたくなるからさ」
「でも……玄くんだけが欲しくて、独り占めしたくなっちゃうんです……。こんなあさましい気持ちを大切にして良いんですか?」
「いいんだよ。誰かだけを欲しく思うことも、独り占めしたくなることも、欲張りな気持ちを含んだ『特別』な好きがあっても、さ」
ちらりと見上げ恭くんを見つめる累くんは照れ臭そうにはにかみました。累くんの肩を抱き出す恭くんです。
「色んな好きが増えるのは素敵なことだよ。いけないことじゃないよ。だって、色んな好きが増えたり、その人のことを考えるだけでも、翠ちゃんは幸せでしょ?」
「幸せ? こんなに苦しいのに……恐いのに……」
ふと伊織くんの悲しそうな先ほどの表情が過ぎります。
「それに……僕なんかが? いいんでしょうか」
「翠ちゃん。『幸せ』になるのは恐くはないよ。それに、卑下するのは絶対にやめて。翠ちゃん自身と、君に幸せになって欲しい僕達《ママとぱぱ》のためにもさ」
語気を強めた累くんと隣にいる恭くんが真っ直ぐ僕を見つめます。本気でそう思ってくれているのが伝わるくらい強い眼差しです。
幸せになってもいいんだ。でも、ぼんやりと思います。幸せって? 累くんはさっき教えてくれました。
色んな好きが増えたり、その人のことを考えるだけでも、幸せ。と
玄くんといると、想うだけでも。とびきりの宝物をもらったように心も体もふかふかして甘い温もりに浸っているようなんです。ああ、これが『幸せ』ってことなんですね。
「……あ、ありがとうございます。僕は玄くんが好き。です」
「ふふ! どーいたしまして!」
そっか。僕は玄くんに『恋』しているんですね。自覚したばかりの気持ちが言葉にすると胸に満ちていきます。甘い喜びや温かい心地よさ。それだけじゃない胸の奥に溜まるどろどろ汚い気持ちはしゅわしゅわ弾けてしまいそうなくらい軽くなっていきます。
「ふふふ。男同士だってことが些細なことに思えるくらい。すーっごく幸せになっちゃったでしょ?」
優しい笑顔でそう断言する累くん。いたずらが成功したように、目を細め楽しそうな恭くん。
「そうだな。男同士だとかくだらねーことで諦められねーよ」
お互いの目を見て微笑み合うお二人です。とても仲良くて本当に幸せそうな二人。全力で恋をして、心からそう思っているってわかる様子です。
恋って本当にするだけで幸せになれるんですね。
初めて好きになった人が男のひとってことが、その恋がもたらす幸せに比べたら、とても些細なことに思えました。
「よし! じゃあ、いおりんとも決着つけよう! 潔く振られてしまえ!」
「手っ取り早くドアを蹴破るか……」
「恭やめてっぇ!令和はコンプラ重視なの! あのね……」
拳をまっすぐ突き上げ立ち上がった累くんと、とんでもなく悪いお顔をした恭くんです。なにやら仲良しのお二人がこそこそ内緒話をしています。なんでしょうか。累くんのきらきら楽しそうなお顔にとっても悪い予感です。
「では、Uberいおりんポチります!」
そう掛け声をすると累くんはスマホをタップします。僕はわけがわからず恭くんお膝の上です。累くんが僕達3人のスリーショットを自撮り。すぐさま累くんがぽちぽちメッセージを打ち始めたんです。
「なんで酒池肉林です? 累くん?」
「むふっ! 翠ちゃんは気にしなくていーよ。はい。あーん」
おかかおにぎりを口元へ持ってきてくれる累くんはとびっきりの笑顔です。無邪気な笑顔ですが、累くんの場合はいたずら好きさんなので注意が必要です。でもお話を聞いてもらってほっとした僕はお腹が空いてきました。目の前のおにぎりを食べようとお口を開けたとき。
玄関からものすごく物騒な音が。どんどんと何かを思いっきり叩く音です。
「Uber配達完了〜」
累くんの心からの愉しげな声が僕の耳に届きました。少し遅れて恭くんの呆れたため息も。