『また明日。おやすみなさい』
『ん。朝またよろしくな。おやすみ翠』
体調を崩した日にテレビ電話をするようになってから、毎日お兄さんと朝昼晩それぞれ電話とテレビ電話をすることになりました。
朝はモーニングコールでお兄さんを起こすためにお電話をします。起こした瞬間からお兄さんが登校するまで通話は繋げっぱなしで、「いってらっしゃい」と言い終えると切ります。
お昼と夜はテレビ電話です。お昼休憩中はお兄さんとお昼ごはんを食べながら、時々ノラさんにちょん、と優しく猫パンチをスマホ越しに顔面へ受けます。
夜は寝る前に2人きりでぽつぽつとゆっくりお話しします。だからか、お兄さんがとっても優しいというのか甘いんです。
「可愛い」とか「早く直接会って顔みたい」とか言って療養中の僕を励ましてくれるんです。でも、僕は体調がおかしいです。
夜で二人きりでお電話が来るのをとっても楽しみにしているのに、お兄さんの名前がスマホに表示されると、身体全体がそわそわして何故か出るのにちょっとだけ緊張します。ボタンを押す指が、熱くなってきてとっても胸がドキドキして苦しくなってしまうんです。早く出ないといけないのに。声が変じゃないかなとか、格好おかしくないかなとか、今さら気にしてもしょうがないことまで頭に浮かんで少し躊躇ってしまいます。お兄さんは僕の格好や声なんてそんなに興味もないはずなのに。
猫の赤ちゃんに似ている僕をノラさんを可愛がる延長で気にかけてくれているだけ。同じような症状を持った妹さんを思い出して優しくしてくれているだけなんです。毎日のお電話も生存確認的な意味でしょう。僕一人だけが毎日毎日この夜の2人きりの時間を楽しみにして、勝手に浮ついて右往左往しているだけなんですよ。
それに、なんで猫のように可愛がられたいってなんで思ってしまったんでしょう。
やっぱりノラさんがお兄さんに撫でられている姿を見ると、胸の中がもやりとしてしまいます。お兄さんの大きな手で髪を優しくすくように撫でられると、頭にふわりと温もりが残り、心に明かりが灯るようにほんわかするんです。その気持ち良さを思い出してしまいます。
画面越しに遠くから見ているだけじゃ物足りない、僕も撫でてもらいたいって気持ち湧き上がってくるんです。僕の手の平に『玄』と書いたしなやかな指に触れてもらいたいって。猫だったらお兄さんに気まぐれに甘え、あの可愛らしい笑顔で気軽に抱っこしてもらったり撫でてもらえます。
だからでしょうか。お兄さんは僕のことを猫の赤ちゃんだと思っているから、僕も自分のことを猫さんだと錯覚してきている?
「……にゃあ」
試しに鳴いてみました。平日のお昼間独りきり、部屋のキッチンに虚しくこだまする僕の鳴き声。
なぜだか男子高校生としてやってはいけないことをし、何かを失った気分です。でも、僕は猫ではないですね。それだけはわかりました。
「猫さんはクッキーは作れません。僕は人間です」
誰かへ言うつもりも言い訳を言う必要もないけれど、人間宣言です。
かぶりを振り、再び作業再開です。手元をみると、薄く平らに伸ばしたクッキー生地。まだクッキー生地には型抜きするスペースがたくさん余っています。
1週間の療養を終え、白井先生から登校許可が出た今日。無事に明日、登校再開です。
今は、明日のお昼にノラさんに献上する『おかかクッキー』を作成中です。
ノラさんへの献上するプレゼントの条件に当てはまり過ぎていましたので、僕は即決でブックマークしました。ついでに可愛い猫さんと肉球のクッキー型と猫さんモチーフラッピングもポチっておきました。何度も何度も型抜きを繰り返し、天板いっぱいのクッキー生地をオーブンへ。レシピに載っている温度をセットしたら、ノラさん用クッキーはこれでOKです。
オーブンにおまかせしている間に、人間さん用に砂糖やバターをふんだんに使ったクッキー生地も猫さんと肉球に型抜きをし、焼きました。
人間さん用は、お世話になった人たちへお礼を兼ねてプレゼントです。お兄さんと伊織くんと、塁くん、恭くん。あとは、元ルームメイトの高森くんです。
一番お世話になったのに、僕は高森くんに『ありがとう』を伝えていなかったんです。遅くなってしまったお詫びとありがとうの気持ちを込めてクッキーをプレゼントしようと思います。
またお顔を見て拒絶されたらと恐いですが、僕と暮らしていたころの彼は意味もなくあんな態度をとるような冷たい子ではなかったですから。共用リビングで顔を合わせると朗らかにあいさつしてくれ、色々話しかけてくれました。寮で過ごす相手に少しでも快適に過ごせるよう気配りができる優しい彼でした。その時の姿を信じてみたいと思ったんです。
だって連絡が来ないと落胆したはずのお兄さんからは実は連絡がきていたんですよ。だから、これはたまたまタイミングが悪くてすれ違ってしまっただけなのかもしれないですよね
こういうときはどうしたらいいんでしょう。すれ違いなのか避けられたのか曖昧なときです。
それに、僕は自分から誰かに気持ちを伝えるのが苦手です。いい感情も悪い感情も相手に伝えるのが恐い。自分の気持ちが相手を不幸にしてしまうんじゃないか、といつも不安なんです。踏み込んで伝えたい正直な気持ちが汚いものだったり子供じみたものだったら特に。だから、こんな子供じみたことなんか伝えられるはずがない。撫でられたい。可愛いがられたい。……甘えられる猫さんが羨ましい。
浅ましいくらい自分のことしか考えていない気持ちですよね。自分でも戸惑ってしまう気持ちなんて、伝えられた相手も困りますよ。もう誰かを不幸にしてはいけないから、気持ちを伝えるときは慎重に。大切な人の大事な家族を奪うことがないように。
あのときのことは繰り返さない。
『わがまま』なことも思わず、言わないってあの日決めたじゃないですか。ダメダメな僕が唯一できる伊織くん家族とお父さんにできる罪滅ぼしなんですから。
過去へ浸る思考を遮るようにオーブンが焼き上がりを告げます。
天板の上には、肉球と猫さんのクッキーがずらりと並んで美味しそう。焼き色も完璧です。久しぶりのクッキー作りが成功し、さっきまでの暗かった気持ちも浮上します。
じっと肉球クッキーとノラさんをイメージして作った猫さんクッキーを見つめます。ふとノラさんに猫パンチ連打されたときを思い出してしまいます。こんなことでグジグジしていたら、女王さまの猫パンチをもらってしまいそうです。私みたいに可愛いクッキーを渡しなさい! って
直接言う勇気はないけれど、お礼は絶対伝えたいです。お兄さんから教えてもらった『ありがとう』を伝えたい気持ちはあるからです。高森くんにもらった優しさに少しでもお返しをしたいですから
お部屋のドアノブにクッキーとメッセージカードをおいていきましょうか。それなら相手にも負担にもなりませんし、僕もドアノブに掛けるだけなのでできそうです。
メッセージカードにはお礼の気持ちだけを書きましょう。
彼に渡してもよいのか未だに少し迷いますが、クッキーが冷めるまでの間にメッセージカードを書いてしまいましょう。渡すしかない状況まで自分を追い込めばなんとか渡せるはずです。
そう気合をいれた僕は、メッセージカードにお引っ越しお手伝いしてもらったお礼を一生懸命書きました。そして、クッキーを丁寧に一枚一枚ラッピング袋にいれます。
よし。もうこれで渡すしかありません……頑張ります。
『ん。朝またよろしくな。おやすみ翠』
体調を崩した日にテレビ電話をするようになってから、毎日お兄さんと朝昼晩それぞれ電話とテレビ電話をすることになりました。
朝はモーニングコールでお兄さんを起こすためにお電話をします。起こした瞬間からお兄さんが登校するまで通話は繋げっぱなしで、「いってらっしゃい」と言い終えると切ります。
お昼と夜はテレビ電話です。お昼休憩中はお兄さんとお昼ごはんを食べながら、時々ノラさんにちょん、と優しく猫パンチをスマホ越しに顔面へ受けます。
夜は寝る前に2人きりでぽつぽつとゆっくりお話しします。だからか、お兄さんがとっても優しいというのか甘いんです。
「可愛い」とか「早く直接会って顔みたい」とか言って療養中の僕を励ましてくれるんです。でも、僕は体調がおかしいです。
夜で二人きりでお電話が来るのをとっても楽しみにしているのに、お兄さんの名前がスマホに表示されると、身体全体がそわそわして何故か出るのにちょっとだけ緊張します。ボタンを押す指が、熱くなってきてとっても胸がドキドキして苦しくなってしまうんです。早く出ないといけないのに。声が変じゃないかなとか、格好おかしくないかなとか、今さら気にしてもしょうがないことまで頭に浮かんで少し躊躇ってしまいます。お兄さんは僕の格好や声なんてそんなに興味もないはずなのに。
猫の赤ちゃんに似ている僕をノラさんを可愛がる延長で気にかけてくれているだけ。同じような症状を持った妹さんを思い出して優しくしてくれているだけなんです。毎日のお電話も生存確認的な意味でしょう。僕一人だけが毎日毎日この夜の2人きりの時間を楽しみにして、勝手に浮ついて右往左往しているだけなんですよ。
それに、なんで猫のように可愛がられたいってなんで思ってしまったんでしょう。
やっぱりノラさんがお兄さんに撫でられている姿を見ると、胸の中がもやりとしてしまいます。お兄さんの大きな手で髪を優しくすくように撫でられると、頭にふわりと温もりが残り、心に明かりが灯るようにほんわかするんです。その気持ち良さを思い出してしまいます。
画面越しに遠くから見ているだけじゃ物足りない、僕も撫でてもらいたいって気持ち湧き上がってくるんです。僕の手の平に『玄』と書いたしなやかな指に触れてもらいたいって。猫だったらお兄さんに気まぐれに甘え、あの可愛らしい笑顔で気軽に抱っこしてもらったり撫でてもらえます。
だからでしょうか。お兄さんは僕のことを猫の赤ちゃんだと思っているから、僕も自分のことを猫さんだと錯覚してきている?
「……にゃあ」
試しに鳴いてみました。平日のお昼間独りきり、部屋のキッチンに虚しくこだまする僕の鳴き声。
なぜだか男子高校生としてやってはいけないことをし、何かを失った気分です。でも、僕は猫ではないですね。それだけはわかりました。
「猫さんはクッキーは作れません。僕は人間です」
誰かへ言うつもりも言い訳を言う必要もないけれど、人間宣言です。
かぶりを振り、再び作業再開です。手元をみると、薄く平らに伸ばしたクッキー生地。まだクッキー生地には型抜きするスペースがたくさん余っています。
1週間の療養を終え、白井先生から登校許可が出た今日。無事に明日、登校再開です。
今は、明日のお昼にノラさんに献上する『おかかクッキー』を作成中です。
ノラさんへの献上するプレゼントの条件に当てはまり過ぎていましたので、僕は即決でブックマークしました。ついでに可愛い猫さんと肉球のクッキー型と猫さんモチーフラッピングもポチっておきました。何度も何度も型抜きを繰り返し、天板いっぱいのクッキー生地をオーブンへ。レシピに載っている温度をセットしたら、ノラさん用クッキーはこれでOKです。
オーブンにおまかせしている間に、人間さん用に砂糖やバターをふんだんに使ったクッキー生地も猫さんと肉球に型抜きをし、焼きました。
人間さん用は、お世話になった人たちへお礼を兼ねてプレゼントです。お兄さんと伊織くんと、塁くん、恭くん。あとは、元ルームメイトの高森くんです。
一番お世話になったのに、僕は高森くんに『ありがとう』を伝えていなかったんです。遅くなってしまったお詫びとありがとうの気持ちを込めてクッキーをプレゼントしようと思います。
またお顔を見て拒絶されたらと恐いですが、僕と暮らしていたころの彼は意味もなくあんな態度をとるような冷たい子ではなかったですから。共用リビングで顔を合わせると朗らかにあいさつしてくれ、色々話しかけてくれました。寮で過ごす相手に少しでも快適に過ごせるよう気配りができる優しい彼でした。その時の姿を信じてみたいと思ったんです。
だって連絡が来ないと落胆したはずのお兄さんからは実は連絡がきていたんですよ。だから、これはたまたまタイミングが悪くてすれ違ってしまっただけなのかもしれないですよね
こういうときはどうしたらいいんでしょう。すれ違いなのか避けられたのか曖昧なときです。
それに、僕は自分から誰かに気持ちを伝えるのが苦手です。いい感情も悪い感情も相手に伝えるのが恐い。自分の気持ちが相手を不幸にしてしまうんじゃないか、といつも不安なんです。踏み込んで伝えたい正直な気持ちが汚いものだったり子供じみたものだったら特に。だから、こんな子供じみたことなんか伝えられるはずがない。撫でられたい。可愛いがられたい。……甘えられる猫さんが羨ましい。
浅ましいくらい自分のことしか考えていない気持ちですよね。自分でも戸惑ってしまう気持ちなんて、伝えられた相手も困りますよ。もう誰かを不幸にしてはいけないから、気持ちを伝えるときは慎重に。大切な人の大事な家族を奪うことがないように。
あのときのことは繰り返さない。
『わがまま』なことも思わず、言わないってあの日決めたじゃないですか。ダメダメな僕が唯一できる伊織くん家族とお父さんにできる罪滅ぼしなんですから。
過去へ浸る思考を遮るようにオーブンが焼き上がりを告げます。
天板の上には、肉球と猫さんのクッキーがずらりと並んで美味しそう。焼き色も完璧です。久しぶりのクッキー作りが成功し、さっきまでの暗かった気持ちも浮上します。
じっと肉球クッキーとノラさんをイメージして作った猫さんクッキーを見つめます。ふとノラさんに猫パンチ連打されたときを思い出してしまいます。こんなことでグジグジしていたら、女王さまの猫パンチをもらってしまいそうです。私みたいに可愛いクッキーを渡しなさい! って
直接言う勇気はないけれど、お礼は絶対伝えたいです。お兄さんから教えてもらった『ありがとう』を伝えたい気持ちはあるからです。高森くんにもらった優しさに少しでもお返しをしたいですから
お部屋のドアノブにクッキーとメッセージカードをおいていきましょうか。それなら相手にも負担にもなりませんし、僕もドアノブに掛けるだけなのでできそうです。
メッセージカードにはお礼の気持ちだけを書きましょう。
彼に渡してもよいのか未だに少し迷いますが、クッキーが冷めるまでの間にメッセージカードを書いてしまいましょう。渡すしかない状況まで自分を追い込めばなんとか渡せるはずです。
そう気合をいれた僕は、メッセージカードにお引っ越しお手伝いしてもらったお礼を一生懸命書きました。そして、クッキーを丁寧に一枚一枚ラッピング袋にいれます。
よし。もうこれで渡すしかありません……頑張ります。