「ねえ、梢が岸名さんと同棲してるって本当?」

 大学時代のサークル仲間に聞かれて驚く。知り合いづてに伝わったんだろうけど、情報はまわるもんだなぁ。
 同じ病院にまだ勤めている同級生の顔を思い出してみる。みんな噂話とか盛り上がるタイプじゃなさそうなのに。

「そうだよ。あ、でも同棲は違うかな。恋人ってわけじゃないから同居ね、同居」
「えーなんでなんで? 結婚もうあきらめたん?」
「縁があればと思うけど……婚活より楽しいからしばらくはいいの」
「それで縁がくるわけないじゃん。というか今がチャンスじゃん! 新郎の友達いっしょに狙ってこ?」
「どうせほとんど既婚者だよ」
「もー夢ないこと言うなーいいよ一人で行くから」

 少しのアルコールで顔を赤く染めた同級生は、少しふらつく足で人の輪に入っていった。
 
 カフェを貸しきって行われている結婚式の二次会で、みんなほどほどに酔いが回っている。
 同年代だけっていう安心感が、披露宴での外面を壊していくのを見るのは面白い。
 
 もう既婚者も多いせいか、若いころより男女が混じって飲んでいない気がする。
 出会いというより、同窓会という意味合いが大きいような……。
 端のほうでまったり飲もうと移動したときだった。

「あ」
「す、すみません!」

 やってしまった。どうしてよりによって赤ワインのグラスを持ってウロウロしてたんだろう。
 履きなれない靴でもつれたら、そのまま転ぶのも予想できたのに。石っぽい床は痛そうだなとさっき思ったじゃないか。

 幸い、背中にぶつかった人が支えてくれて私が怪我をすることはなかった。
 唯一おこった不幸は、恩人の服をワインまみれにしてしまったこと。

 シャツの胸元と袖、ネクタイに……ああスーツの袖も少し濡らしてしまった。
 よくあることだからいいですよと微笑んでくれるけど、いやでもそういうわけにもいかないだろう。
 
 スーツには疎い私でも、体のラインに沿うようつくられた紺色のそれはとてもよく似合うと思ったし、高見えする。というか普通にお高いんだろう。

 リクルートスーツと喪服しかない自分じゃ考えられないくらいの値段かもしれない。それと合わせても違和感なく馴染むシャツ。ネクタイピンの輝きが、どうしてくれるんだと責め立てるようだ。

「すみません。お詫び……お詫びをさせてください。弁償代、電子マネーで支払えばいいですか? 口座番号教えていただけたらネットバンクからすぐ振り込みます。手持ちはないけど……コンビニダッシュで現金も下ろせますから……!」

 相手が吹き出した。そこで初めて顔を見る。あれ、けっこうイケメンじゃん。

「そんな必死にならなくていいですよ」
「でも……!」
「でしたら、このあと二人で抜けませんか」
「え?」

 なんか……笑顔がキラキラ輝いてるんですけど。
 ほかの人に聞かれてたら厄介そうだと思って辺りを見回すけれど、店内が薄暗いせいもあるのか、みんなそれぞれに談笑を続けていて私たちには見向きもしない。
 
 キラキラに目を戻す。改めて見直しても、きれいな笑顔だと思う。
 営業職の人かなあ。ちゃんと研究と管理された表情というか。使いどころも分かっている印象を受ける。

 返事に詰まった私は、黙ってうつむくしか無かった。


 ***

 
「で? なんで帰ってきたの」
「えええ早織きびしい……そんな展開あると思わなくてテンパっちゃった」
「あまい。結婚したいならチャンスをモノにしていかないと」
「だから婚活はお休み中!」
「でもクリーニング代とかは受け取ってもらえなかったんでしょ?」
「ちゃんと、ちゃんと! 連絡先は交換してきたから!」

 テンパった私は、とりあえず連絡先を交換して後日また、とあわただしく別れてきた。
 本当に弁償する気があるのかと疑われてもおかしくないくらい、自分でも緊張がそのまま態度に出ていて不自然だったと思う。
 
 こっちもニッコリ笑って、抜けて飲みにいった先でサクッと弁償代を渡せば良かっただけなのに。
 もっと柔軟に対応できたはずなのに、変に意識してしまってみっともない。

 言い訳をしてしまうと、その場の雰囲気でどうこうという経験は学生以来だったのだ。
 とくに婚活を初めてからは、会う前には相手と予定を確認して擦り合わせるという段階があった分、心の準備が間に合わなかった。

「後日なんて言ってると連絡こないよ?」
「それがさ、来たんだよね」
「お、熱量たかい。うまくいくといいね」
「んーでも別日にしてもらおうかな」
「勤務だった? 代われそうなら代わるよ?」
「ちがうの。航希君の誕生日!」

 連絡先を交換した恩人もとい矢野さんから誘われた日は、いま何よりも優先したい航希君の誕生日だった。

「別日にしてもらうよ。盛大にお祝いしたいし」

 あらかじめ休みはとっている。
 ケーキを焼きたい。オムライスも作ってあげたいし唐揚げやポテトだって。
 調子良く何を作ろうか考え始めた私とは対照的に、早織の表情はかたかった。

「その日なんだけど、実は面会が入りそうで」
「面会?」
「元旦那とね……気は進まないんだけど」
「それは……でも航希君は喜ぶんじゃない? 大事なことだよ」

 どんなにクズであっても血の繋がる父親なんだから、当然だ。
 いや、本音はクズはクズらしく引っ込んでろって思う。
 でも態度に出してはいけない。
 
 だって私はただの同居人、それ以下でも以上でもないんだ。