[二話]
昨日行った小テストは成績に入る、と小テスト前日に先生が言っていた。それを知っていたから、いつもより時間をかけて勉強したのに残念ながら全く自信がない。
解答欄は一応全て埋めたけど、思い出そうとしても頭から出てこない問題が大半。勉強中に間違えた所ばかり出ていた。完璧に覚える事ができたなんて勘違いにも程がある。
この小テストで高得点を取れなかったらまた両親に怒られてしまうのはわかっていた。
まだ、成績に含まれない小テストではそこまでキツく言われない。次は頑張りなさいよ、程度の注意で終わる。
でも今回は成績に含まれる小テストだから良い点数を取らないと怒られるのは確定している。
両親は、きっと多くの親と同じように世間体を気にするタイプで、「品行方正に過ごしてれば将来後悔しないのよ」なんて言ってくる。
うちの為なのだと、良い親を装って言っているけれど、どうせ自分達の世間体を気にしているだけなんだとわかった。嫌味を言うのも、成績の事で怒るのも全て柚凪の居ない時にするから。
一度、柚凪の前で理不尽な事で怒られた事があった。お母さんの大切にしている食器が割れたんだ。でもずっとリビングでテレビを見ていたうちは落としていない。元々バランスの悪い所にあって、それが少しの振動で落ちてしまったのだと思う。でもそれが、うちの所為だと決めつけて、そのまま怒鳴りつけられた。
それを見ていた柚凪は冷静に指摘した。「それ、元々バランス悪いとこにあったよ」って。真顔で真剣に淡々と話す柚凪は説得力があった。
柚凪は強い。精神面でも物理面にも。だからこそ、立場が弱くて自分が正しいと思った方に味方するような正義感の強い柚凪の性格をお母さんだって分かっていたんだ。
その出来事以降は、柚凪が居ない所でしか怒られた事は無い。
何度も怒られてきたし、比べられてきたけれど耐性がついたり笑って流せるようにはならかった。正直怒られることが怖くてたまらない。
その代わりに怒られそうな雰囲気を察して、怒られるより前に謝る癖がついてしまった。
うちは弱すぎる、いつも柚凪に守られてばっかりで馬鹿みたいだ。
突然、先生に名前を呼ばれた。いつもより声が大きかったから、何度か呼ばれていたんだろうけど考え事をしていたうちは全然気付いてなかった。
「三浦奈音ー、取りに来いー」
「あっ、はい!」
もう小テストの返却の順番はうちまで回って来ていたらしい。うちは前まで慌てて取りに行った。
「三浦、姉を見習ってもう少し勉強した方が良いぞ?」
そう冗談交じりに苦笑しながら渡された二つの小テストの点数は五十点と六十点。お世辞にも良い点数だとは言えない。
「……すみません」
うちは小さく謝って自分の席に戻った。 椅子に座って、気を抜くと想像していたよりも二倍くらい大きめのため息が漏れてしまった。
「ゆず、何点だった?」
「俺はね〜両方九十点台! 花城は?」
「うげ、やば……俺八十点だった」
柚凪も花城も小テストが返されたらしい。「お前、勉強してないんだよな……?」と花城が疑っている。ヤバいと言っている花城も柚凪より低いとはいえ、十分高い点数。平均点よりは上だろう。
勉強をしなくても点数を取れる柚凪も、勉強をして結果が出る花城も羨ましい。
「俺に再テストになれば良いね、とか煽ってたの誰かな〜?」
「え、知らない。誰だろ」
「……うわぁ」
「え、なに」
「いや何も?」
花城と柚凪がまた言い合いをしている。本当、あの二人は仲が良いのか悪いのか呆れる。
あれ、今うち、何を……?
駄目だ、気分が落ち込んでいるとつい卑屈な考え方になってしまう。そんな卑屈な自分がどんどん嫌いになって、自己嫌悪で覆われていって。
もう怒られることも認められることも、愛されることも全て諦めて堕落していく。
そんな虚しい未来が容易に想像できてしまう。
「あ、職員室に宿題忘れたから取ってこないと……」
先生が呟くと、クラス中がブーイングで包まれた。宿題なんて禍々しい物は欲しくないと思っているのが直ぐ分かる反応だ。かく言ううちも、宿題なんて必要ないと思っている派だけど。
「結構量あるから、三浦柚凪。手伝ってくれ!」
「はーい」
柚凪は優等生で愛嬌もある、先生が信頼を置いているお気に入りの生徒の一人だ。
だから名指しで手伝いを頼まれる事は少なくない。手伝いを頼まれるのは多少面倒ではあるだろうけど、大人に気に入られたことのない身からすると面倒事だとしても憧れる。
先生と柚凪が出ていくと教室はざわつきはじめた。先生が居ても居なくてもうるさいのには変わりないけれど、先生がいなくなればタガが外れる。
小テストの点数の見せ合いをして騒いでいたり、おしゃべりをしていたり楽しそうだなぁ……。
ぼーっとしていた所為で後ろから如月がうちの小テストを覗き込んでいたのに気付くことが出来なかった。
「……え。なー、五十点じゃん!」
如月が声を張り上げた。大声にびっくりして、びくっと体が跳ねる。後ろを振り向くと如月が驚いた顔をしていた。クラス中に響き渡るような大声で、良くもない点数を大声で晒し上げられた事でうちはどうしようもなく焦っていた。
「なん……で……?」
うちの微かな声に気付かなかったのか、もしくは実際そこまでうちが傷ついていないのだと軽く思っているのかは分からないけれど如月はうちの点数を晒し上げるだけでは留まらなかった。
「本当はちゃんと勉強なんてしてないだけだろ〜」
「え、ちゃんと勉強して五十点? 低くね?」
花城はいつもの様に真顔で首を傾げて、如月はゲラゲラ笑う。
いつも通りの笑い声、いつも通りの表情のはずなのに……怖い。視線が痛い。嘲笑われてぎりっと胸が痛む。
勉強してないから悪い点数なんじゃないのに。うちは夜中までいつもの倍の時間で勉強してた結果がこの点数なのに。勉強をしたら確実に良い点数を取れる人にはわからないんだ。
この人達には頑張っても結果が取れない人の気持ちなんて、うちの気持ちなんて分かろうともしていない。
「勉強してないゆずの方が取れてんじゃん」
「……っ」
そこまで言われた事で実感した。あぁ、もう無理だ今、ここに居たくない。ただただ怖い。なにか言ってもまた自分が傷つくんじゃないかと思うと行動できない。
その場のノリなのかも知れない。きっとそうなんだ。
でも、柚凪のように即座に言い返すことも、いつもみたいに「辞めてよ〜」なんて笑い流すことも出来ない。
視界が歪んできた。もう嫌だ、絶対泣きそうな醜い顔になってる。こんな顔誰にも見せたくない。
今は誰とも話したくないし、何も耳に入れたくない。うちは耳を塞いで机に突っ伏した。その瞬間涙が溢れた。それでも完全に周りの音は消せなくて、音声は耳に入ってくる。
「如月、なーちゃん突っ伏しちゃったじゃん〜」
「俺そんな傷つけるようなこと言った?」
「謝りなよ〜」
「めんどくせ」
別に、如月にも花城にも謝られるなんて事は望んで無い。うちがどれだけ頑張ったって結果はついてこなくて。努力してないから出来てないと思われたのはうちが悪い。
如月と花城はただ思ったことを口に出した、それだけ。そんな事ぐらいで傷ついて泣き出すうちが弱い。
そう、うちは……『出来損ない』だから。
もっと、素直で才色兼備な人に生まれたかった。柚凪と並んでいても見劣りしないような。そんな人であれば堂々と柚凪の隣にいられたのに。
「……あれ、奈音?」
柚凪が帰ってきたのか、驚いたような声をしている。
でも柚凪のことを無視してるみたいになって申し訳無いけれど鼻声になってたらと思うと声は出せない。泣いたことを隠さないといけないから。
「……は?」
少し間があいて、びっくりするような低い声が耳に入ってきた。柚凪の声だとわかっているのに。
なのに、一瞬柚凪ではないのかと思うくらいの低さがあった。
あの時と同じ声だ。
「ちょっ、ゆず落ち着いて!」
「落ち着けるわけ無いじゃん……教えてくれてありがと」
何が起こってるのか、どういう状況なのかは音だけでは判断できない。
「ねぇ如月、花城。それなりの覚悟があるって事でいいんだよね?」
「は⁉︎ え、何?」
それを聞いて、うちはようやく状況を掴めた。うちが突っ伏した原因を誰かに聞いたんだ。ただでさえ、嫌いあってる如月と花城がうちを泣かせた原因と知った柚凪はどうしようもないほど怒ってしまったんだ。
如月の声はどこか焦っているのが見ていなくても伝わる。うちは見た事がないけれど、凄い形相なのだろう。
いつもはっちゃけている如月が焦るなんて相当だ。
どうしよう。柚凪をまた、キレさせてしまった。
うちの所為だ……うちが泣いた事で、柚凪の怒りに火をつけてしまった。
柚凪は基本的に短気ではあるけど、本気で怒る事は滅多にない。うちが柚凪が本気で怒ったところを見たのは今まででたったの一度だけ。それも詳しくは知らないけれど。
小学生の頃、うちの態度や言動全てが気に入らないなんてくだらない理由で年上の集団グループにいじめられていた時。柚凪はそのリーダー格の先輩を呼び出して、真顔で先輩の手を掴んで耳元に引き寄せてそのまま何かを囁いた。
すると先輩は恐ろしいものを見るような顔で柚凪を見詰めて、へたり込んでしまった。
その後、先輩はガタガタ震えて泣きながら謝って来てそれ以降いじめられることもなかった。そんな過去があったからこそ、うちは不安になってしまう。
柚凪が動いたお陰でうちの環境は良くなったけれど、柚凪は周りから距離を置かれてヒソヒソと陰口を言われたり、ある事ない事流されて過ごしにくくなってしまっていたのを覚えている。
もしここで、あの時みたいに柚凪が行動してしまえば中学生活は地獄へと化する。そんな事は耐えられない。だけど、こんな顔を晒すのは嫌だ……。
でも、本気で怒った柚凪を皆見た事がなくて、びっくりしていたり怖くて動けなかったりでうちしかこの状況で柚凪を止められる人は居ないんだ。
うちはぐっと顔を上げて、窓の方を向く。こっそり目元を拭い、教室を見回す。
顔を上げたことで、ピリピリとした空気と静まり返った教室の状況を把握出来た。
先生ですらぽかんと口を開けて、何も声を出せないでいる。柚凪は如月の机の前にいた。
この状況の原因は柚凪が如月のネクタイを物凄い剣幕で掴んでいた事だった。
昨日行った小テストは成績に入る、と小テスト前日に先生が言っていた。それを知っていたから、いつもより時間をかけて勉強したのに残念ながら全く自信がない。
解答欄は一応全て埋めたけど、思い出そうとしても頭から出てこない問題が大半。勉強中に間違えた所ばかり出ていた。完璧に覚える事ができたなんて勘違いにも程がある。
この小テストで高得点を取れなかったらまた両親に怒られてしまうのはわかっていた。
まだ、成績に含まれない小テストではそこまでキツく言われない。次は頑張りなさいよ、程度の注意で終わる。
でも今回は成績に含まれる小テストだから良い点数を取らないと怒られるのは確定している。
両親は、きっと多くの親と同じように世間体を気にするタイプで、「品行方正に過ごしてれば将来後悔しないのよ」なんて言ってくる。
うちの為なのだと、良い親を装って言っているけれど、どうせ自分達の世間体を気にしているだけなんだとわかった。嫌味を言うのも、成績の事で怒るのも全て柚凪の居ない時にするから。
一度、柚凪の前で理不尽な事で怒られた事があった。お母さんの大切にしている食器が割れたんだ。でもずっとリビングでテレビを見ていたうちは落としていない。元々バランスの悪い所にあって、それが少しの振動で落ちてしまったのだと思う。でもそれが、うちの所為だと決めつけて、そのまま怒鳴りつけられた。
それを見ていた柚凪は冷静に指摘した。「それ、元々バランス悪いとこにあったよ」って。真顔で真剣に淡々と話す柚凪は説得力があった。
柚凪は強い。精神面でも物理面にも。だからこそ、立場が弱くて自分が正しいと思った方に味方するような正義感の強い柚凪の性格をお母さんだって分かっていたんだ。
その出来事以降は、柚凪が居ない所でしか怒られた事は無い。
何度も怒られてきたし、比べられてきたけれど耐性がついたり笑って流せるようにはならかった。正直怒られることが怖くてたまらない。
その代わりに怒られそうな雰囲気を察して、怒られるより前に謝る癖がついてしまった。
うちは弱すぎる、いつも柚凪に守られてばっかりで馬鹿みたいだ。
突然、先生に名前を呼ばれた。いつもより声が大きかったから、何度か呼ばれていたんだろうけど考え事をしていたうちは全然気付いてなかった。
「三浦奈音ー、取りに来いー」
「あっ、はい!」
もう小テストの返却の順番はうちまで回って来ていたらしい。うちは前まで慌てて取りに行った。
「三浦、姉を見習ってもう少し勉強した方が良いぞ?」
そう冗談交じりに苦笑しながら渡された二つの小テストの点数は五十点と六十点。お世辞にも良い点数だとは言えない。
「……すみません」
うちは小さく謝って自分の席に戻った。 椅子に座って、気を抜くと想像していたよりも二倍くらい大きめのため息が漏れてしまった。
「ゆず、何点だった?」
「俺はね〜両方九十点台! 花城は?」
「うげ、やば……俺八十点だった」
柚凪も花城も小テストが返されたらしい。「お前、勉強してないんだよな……?」と花城が疑っている。ヤバいと言っている花城も柚凪より低いとはいえ、十分高い点数。平均点よりは上だろう。
勉強をしなくても点数を取れる柚凪も、勉強をして結果が出る花城も羨ましい。
「俺に再テストになれば良いね、とか煽ってたの誰かな〜?」
「え、知らない。誰だろ」
「……うわぁ」
「え、なに」
「いや何も?」
花城と柚凪がまた言い合いをしている。本当、あの二人は仲が良いのか悪いのか呆れる。
あれ、今うち、何を……?
駄目だ、気分が落ち込んでいるとつい卑屈な考え方になってしまう。そんな卑屈な自分がどんどん嫌いになって、自己嫌悪で覆われていって。
もう怒られることも認められることも、愛されることも全て諦めて堕落していく。
そんな虚しい未来が容易に想像できてしまう。
「あ、職員室に宿題忘れたから取ってこないと……」
先生が呟くと、クラス中がブーイングで包まれた。宿題なんて禍々しい物は欲しくないと思っているのが直ぐ分かる反応だ。かく言ううちも、宿題なんて必要ないと思っている派だけど。
「結構量あるから、三浦柚凪。手伝ってくれ!」
「はーい」
柚凪は優等生で愛嬌もある、先生が信頼を置いているお気に入りの生徒の一人だ。
だから名指しで手伝いを頼まれる事は少なくない。手伝いを頼まれるのは多少面倒ではあるだろうけど、大人に気に入られたことのない身からすると面倒事だとしても憧れる。
先生と柚凪が出ていくと教室はざわつきはじめた。先生が居ても居なくてもうるさいのには変わりないけれど、先生がいなくなればタガが外れる。
小テストの点数の見せ合いをして騒いでいたり、おしゃべりをしていたり楽しそうだなぁ……。
ぼーっとしていた所為で後ろから如月がうちの小テストを覗き込んでいたのに気付くことが出来なかった。
「……え。なー、五十点じゃん!」
如月が声を張り上げた。大声にびっくりして、びくっと体が跳ねる。後ろを振り向くと如月が驚いた顔をしていた。クラス中に響き渡るような大声で、良くもない点数を大声で晒し上げられた事でうちはどうしようもなく焦っていた。
「なん……で……?」
うちの微かな声に気付かなかったのか、もしくは実際そこまでうちが傷ついていないのだと軽く思っているのかは分からないけれど如月はうちの点数を晒し上げるだけでは留まらなかった。
「本当はちゃんと勉強なんてしてないだけだろ〜」
「え、ちゃんと勉強して五十点? 低くね?」
花城はいつもの様に真顔で首を傾げて、如月はゲラゲラ笑う。
いつも通りの笑い声、いつも通りの表情のはずなのに……怖い。視線が痛い。嘲笑われてぎりっと胸が痛む。
勉強してないから悪い点数なんじゃないのに。うちは夜中までいつもの倍の時間で勉強してた結果がこの点数なのに。勉強をしたら確実に良い点数を取れる人にはわからないんだ。
この人達には頑張っても結果が取れない人の気持ちなんて、うちの気持ちなんて分かろうともしていない。
「勉強してないゆずの方が取れてんじゃん」
「……っ」
そこまで言われた事で実感した。あぁ、もう無理だ今、ここに居たくない。ただただ怖い。なにか言ってもまた自分が傷つくんじゃないかと思うと行動できない。
その場のノリなのかも知れない。きっとそうなんだ。
でも、柚凪のように即座に言い返すことも、いつもみたいに「辞めてよ〜」なんて笑い流すことも出来ない。
視界が歪んできた。もう嫌だ、絶対泣きそうな醜い顔になってる。こんな顔誰にも見せたくない。
今は誰とも話したくないし、何も耳に入れたくない。うちは耳を塞いで机に突っ伏した。その瞬間涙が溢れた。それでも完全に周りの音は消せなくて、音声は耳に入ってくる。
「如月、なーちゃん突っ伏しちゃったじゃん〜」
「俺そんな傷つけるようなこと言った?」
「謝りなよ〜」
「めんどくせ」
別に、如月にも花城にも謝られるなんて事は望んで無い。うちがどれだけ頑張ったって結果はついてこなくて。努力してないから出来てないと思われたのはうちが悪い。
如月と花城はただ思ったことを口に出した、それだけ。そんな事ぐらいで傷ついて泣き出すうちが弱い。
そう、うちは……『出来損ない』だから。
もっと、素直で才色兼備な人に生まれたかった。柚凪と並んでいても見劣りしないような。そんな人であれば堂々と柚凪の隣にいられたのに。
「……あれ、奈音?」
柚凪が帰ってきたのか、驚いたような声をしている。
でも柚凪のことを無視してるみたいになって申し訳無いけれど鼻声になってたらと思うと声は出せない。泣いたことを隠さないといけないから。
「……は?」
少し間があいて、びっくりするような低い声が耳に入ってきた。柚凪の声だとわかっているのに。
なのに、一瞬柚凪ではないのかと思うくらいの低さがあった。
あの時と同じ声だ。
「ちょっ、ゆず落ち着いて!」
「落ち着けるわけ無いじゃん……教えてくれてありがと」
何が起こってるのか、どういう状況なのかは音だけでは判断できない。
「ねぇ如月、花城。それなりの覚悟があるって事でいいんだよね?」
「は⁉︎ え、何?」
それを聞いて、うちはようやく状況を掴めた。うちが突っ伏した原因を誰かに聞いたんだ。ただでさえ、嫌いあってる如月と花城がうちを泣かせた原因と知った柚凪はどうしようもないほど怒ってしまったんだ。
如月の声はどこか焦っているのが見ていなくても伝わる。うちは見た事がないけれど、凄い形相なのだろう。
いつもはっちゃけている如月が焦るなんて相当だ。
どうしよう。柚凪をまた、キレさせてしまった。
うちの所為だ……うちが泣いた事で、柚凪の怒りに火をつけてしまった。
柚凪は基本的に短気ではあるけど、本気で怒る事は滅多にない。うちが柚凪が本気で怒ったところを見たのは今まででたったの一度だけ。それも詳しくは知らないけれど。
小学生の頃、うちの態度や言動全てが気に入らないなんてくだらない理由で年上の集団グループにいじめられていた時。柚凪はそのリーダー格の先輩を呼び出して、真顔で先輩の手を掴んで耳元に引き寄せてそのまま何かを囁いた。
すると先輩は恐ろしいものを見るような顔で柚凪を見詰めて、へたり込んでしまった。
その後、先輩はガタガタ震えて泣きながら謝って来てそれ以降いじめられることもなかった。そんな過去があったからこそ、うちは不安になってしまう。
柚凪が動いたお陰でうちの環境は良くなったけれど、柚凪は周りから距離を置かれてヒソヒソと陰口を言われたり、ある事ない事流されて過ごしにくくなってしまっていたのを覚えている。
もしここで、あの時みたいに柚凪が行動してしまえば中学生活は地獄へと化する。そんな事は耐えられない。だけど、こんな顔を晒すのは嫌だ……。
でも、本気で怒った柚凪を皆見た事がなくて、びっくりしていたり怖くて動けなかったりでうちしかこの状況で柚凪を止められる人は居ないんだ。
うちはぐっと顔を上げて、窓の方を向く。こっそり目元を拭い、教室を見回す。
顔を上げたことで、ピリピリとした空気と静まり返った教室の状況を把握出来た。
先生ですらぽかんと口を開けて、何も声を出せないでいる。柚凪は如月の机の前にいた。
この状況の原因は柚凪が如月のネクタイを物凄い剣幕で掴んでいた事だった。