[二十四話]
「店の前で喧嘩してた、時だよね?」
 恐る恐る、柚凪が気まずそうに聞く。
「そうそう、その時!」
「誰と喧嘩してたの……」
 柚凪と物理的に距離があいた所為で、タガが外れたのだろうか。ストッパーとしての役割を持つうちがいなくなって、今までよりもずっと暴れていたんだろうな。
 全く、一応姉のくせに世話が焼ける。
 うちの呆れて口から出た呟きに叔母さんが答える。
「えっとね、確か初めは柚凪が黒髪の女の子と喧嘩してて、背の高い男の子がその場にやってきたの。柚凪が背が高い男の子と言い合いになって、最終的にその男の子と協力して女の子を泣かせてたんだと思う」
「……初めから最後まで見られてたのか」
 柚凪は、叔母さんの目撃証言にがっくりと肩を落とした。うちに直接見られることは無かったけれど、結局間接的にその荒れていた時期の柚凪を知ってしまったからじゃないかと思う。
 きっと、柚凪は荒れていた頃の事をうちに知られたく無かったんだ。本当の事は柚凪にしかわからないから、ただの推測だけれど。
 でも、正直うちは複雑過ぎてあまりよくわかっていない。荒れてたんだなぁ、ということぐらいしか。
 叔母さんがふいに人が多くなってきたスイーツ店を見ると「そろそろ私も、お店に戻らなきゃ」と言って慌てて店へと戻って行った。
「それで、結局それは誰だったの?」
「黒髪の子だったら……ユウと、塾が同じだった人かな?」
「え、ユウ?」
 知らない名前が出てきて、戸惑う。誰だろうか、全然見当がつかない。もしかしたらうちが知らない柚凪の友達なのか?
「優しいに雨で、優雨」
 さも、うちがその人の事を知っているかのように話す柚凪に、少しだけもやっとしてしまう。うちの知らない事を嬉しそうに話されると、自分が置いて行かれたという感覚に陥ってしまう。
 そうだ、あの時もこうだった。久しぶりに如月達に会った時も、うちだけが着いて行けなくて虚しい気持ちになった。それと同じ。
 だからといって、柚凪にも皆にも悪気があるわけではない。ただ、一緒に過ごしてない時間が増えたから起きてしまっただけだ。それだけの話。
 ブンブン首を振って、醜い考えを振り払う。
「ごめん、うちはその人知らな──」
「あれ、俺……なーに知られてない感じ?」
 突然後ろから声が聞こえてきて、うちはビクッと強張ってしまう。恐る恐る振り返ると、如月が仁王立ちしていた。えっ、と小さく声が漏れる。
 何でここに居るのかというよりも、格好がめっちゃ偉そうで、そっちの方が気になっている。理不尽だし、如月には罪はないのだけれど、その偉そうな格好にイラッとしてしまった。
「わぁ、ピーナッツじゃん」
 ケラケラ笑いながら柚凪はツンツンと如月の横腹をつつく。
「誰がピーナッツだ」
 如月は横腹をつつく柚凪の手を掴むと、柚凪は眉間に皺を寄せて口をきゅっと結んだ。
「え、ちょっとちょっと、二人ともなんでそんな嫌そうなの」
「手痛いのと、めっちゃ偉そうで腹立つから」
 柚凪の思っている事をそのままぶつけられた如月は両手で口元を抑えた。
「何でそんな事言うのよっ、優雨くん泣いちゃう!」
 この人は本当にうちと同い年なんだろうか。十八にもなってこんな精神年齢が低そうな発言……ちょっと呆れてしまった。そんな如月から「なー、俺別に偉そうにしてないよな?」と問いかけられるも、その問いかけを無視して、考え込む。まだ予想なだけだけど、ようやく頭の中の点と点が繋がったような気がした。
「もしかしてさっき言ってた優雨って人……如月の下の名前だったりする?」
「そうだよ〜」
 予想が当たった。だからさっき柚凪はあんなにあっけらかんと話していたのかと納得できた。よくよく思い出してみれば如月も『俺のこと』と言っていた。
 柚凪は「如月の下の名前、認知してなかったの⁉︎」とまた楽しそうに笑う。
「えっ、俺……前、みーちゃんとなーの前でフルネームで自己紹介したじゃん」
「あ、え、そうだっけ」
 そういえば、そんな事があったような気がしなくもない。フルネームで自己紹介してたような、してないような。如月で定着してしまっているからか、もしくはあまり仲が良くないからなのか。
 優雨という名前に慣れない。苗字と名前、それぞれ別の人の人間のように感じてしまう。
「何で急に名前呼び?」
 クレープを頬張る柚凪に問いかける。
「確か頼まれた……んだっけ?」
 眉間に皺を寄せて、首を傾げる柚凪に、如月は「そうそう」と返す。
「俺、自分の苗字嫌いなんだよねぇ」
 如月はへらっと笑う。苗字が嫌いなんて初耳だった。
「へぇ、そうなんだ。」
 柚凪は「というか何で如月はここに……」と呟く。
「ねぇ、わざと?わざとだよね?」
 自分の苗字が気に入ってないと言った次の瞬間、苗字で呼ぶなんて。うちも柚凪がわざと苗字で呼んだのかと思った。けれど柚凪はやってしまった、みたいな顔をして「つい癖で」と謝る。
 どうやらわざとではなく、柚凪もまだ下の名前で呼ぶ事に慣れていないだけらしい。苗字が嫌いと言われても、うちの中でも柚凪の中でももう如月で定着してしまっているのだから仕方ない。
 うちはどうしようと考えた。今更名前で呼ぶのは少し違う気がする。自分の中で違和感が出来てしまうからだ。
「わかったよ……ピーナッツで良い?」
 妥協に妥協を重ねると愛称で呼ぶと言う結果にしかならない。名前で呼ぶのはうちが嫌で、苗字で呼ぶのは如月が嫌。それなら愛称で呼ぶしか選択肢は無くなる。
 勿論、心の中では如月のままで呼ぶけれど。
「えぇ、何でピーナッツって呼ぶん?」
 如月はあからさまに嫌そうな顔をした。
「あ、確かに。それはうちも気になる」
 如月にピーナッツ要素は少しも無い気がする。強いて言うなら、色素の薄い髪色がピーナッツと似ている色だから。考えつくのはそれぐらいだ。だから返ってくるのはそういう答えだと思っていた。
 でも柚凪は「うーん、何でだろう」と少し考える。
「言い出しっぺなのに、実際特に理由は無い感じ?」
「え、うん」
「じゃあ呼ぶの辞めろよ⁉︎」
「何で? 良いじゃん、似合うよ」
 柚凪が軽く言った『似合う』にうちの脳は静止した。ピーナッツという名前が似合う人なんているのか……?
 いや、考え出したら止まらない気がする。何も聞かなかったことにしよう。
「俺ピーナッツ嫌いだから〜」
「へぇ、知らない」
 うちは二人のテンポの良い会話につい吹き出してしまった。柚凪はめっちゃ仲良くなった!と言っていた癖に、相変わらず不仲じゃないか。いや、喧嘩するほど仲が良いのか。どちらにしろ、よくわからない関係だ。
 でも相手に気を使う必要がなく軽口を叩き合える、そんな関係に憧れたりもする。
「それで、何でここにいるの?」
「みーちゃんと、花城と遊びに来たんだよ」
 如月はハッとして「あ、一ノ瀬と朝比奈も居たぞ?」と叫ぶ。思い出したからというのもあるかもしれないけれど、耳元で大音量で叫ばれてしまってつい頭を叩いてしまった。
「痛ぁ!」
「うるさいもん!」
 びっくりして反射的に叩いてしまったのだから仕方ないだろう。耳元で叫んできた如月が悪い。
「それは、ごめん」
 案外素直に如月は謝って来た。
 昔と変わらないなぁと実感して、少し胸が暖かくなる。
「蘭菜も水雫も居たんだねぇ」
「うん、一緒に来てなかったんだな」 
 いつも四人でいるのに珍しいと如月は笑う。そんな如月とは対照的に、柚凪の顔は険しい。
「さっき言われた時からずっと気になってたんだけど……ちなみにみーちゃんって誰?」
「え? なーの愛する人……知らない?」
 すぐさま、そんなんじゃないから!と否定してみせる。如月には、うちが佐藤と付き合っていることは話していないし、そんな愛する人なんて言われたら気恥ずかしい。
「おい、如月! ようやく見つけた……」
 聞き慣れた、うちが安心できる優しい声が聞こえてぱっと振り向くと案の定そこには佐藤がいた。約束もしていないのに会えた事に少し嬉しさを感じる。
「おぉ! 花城とみーちゃんじゃん!」
 如月が手を振ると、佐藤はズカズカと早歩きでこっちに歩いて来て如月の足を蹴った。
「いたっ⁉︎」
 如月はしゃがみ込んで自身の爪先を手で抑える。柚凪が「わぁ、痛そう」と口元を抑えて如月に憐れんだ視線を向ける。
「お前は勝手にうろちょろすんな! 移動する時は声掛けろ!」
「はい、ごめんなさい」
 如月が、佐藤に説教されている。そんな事だけで、いつも通りの日常がそこにあるというだけで、つい嬉しくなってしまうのはなんでだろう。
「あれ、奈音?」
 佐藤がうちの存在に気付いて、「来てたんだ」と声をかけてくれた。うちが、そうだよと口を開くよりも前に後ろから声が聞こえた。
「えっ⁉︎」