[二十一話]
 特に何事もなく、無事に卒業式は終了した。クラスでの最後のホームルームが終わり、靴を履き替える。佐藤を探していると、突然わーっと沢山の後輩と同級生に囲まれてしまった。
 泣きながら告白してくる子、第一ボタンをせがむ子、思い出に一緒に写真を撮って欲しいと言う子。
 集まって来た人全員と話し終えて、解放された頃にはもう、お父さんの姿は見つからなかった。どうやら囲まれているうちを見て、帰ってしまったようだ。
 忙しい中来てくれてありがとう、そう伝えたかったのに残念だ。先に恥ずかしがったりせずに伝えとけば良かったかもなぁ。ふっとため息をついて俯くと、丁度その時目の前から「三浦」と声を掛けられた。うちは、ガバッと顔を上げた。
「あ、佐藤……」
 佐藤に声を掛けられるまですっかり忘れていた。告白しようと意気込んでいた事も、佐藤に時間をくれないか聞かれていた事も。
「囲まれてたな」
「ね、大変だった」
 ふと、運動靴を持って帰ってない事を思い出した。卒業後、ここに来ることはもう無いだろう。先生達も処分に困るだろう。佐藤に「ごめん、ちょっと待ってて!」と頼んで昇降口に走った。
 息切れしながらも、佐藤を待たせてしまっているのだから急がなきゃいけないという気持ちが大きかった。
 ポケットに入っていたビニール袋を取り出して、自分の靴箱の戸を開ける。戸を開けると直ぐの所に、茶色の袋が入っていた。その袋はテープで厳重に包装されている。ハサミやカッターは持っていないから、仕方なくビリッと雑に開けることにした。その袋の中には一番上にメモが入っていた。
『奈音、本当に卒業おめでとう。お母さんからと、あと柚凪から』
「えっ」
 お父さんの角ばった字で書いてあった衝撃的な言葉。お母さんと柚凪から?
 お母さんはまだわかるとして、柚凪……?
 うちはゴクっと息を飲み込んで、袋に手を突っ込む。カサっと手に当たった物を取り出す。透明な袋の中に入ったボールペンと、うちが幼い頃大事にしてた猫のキーホルダー、そして『奈音へ』とお母さんのお世辞にも綺麗とは言えない字で書かれた薄緑色の封筒。
 これはお母さんが用意してくれたんだなぁと手紙を読まなくてもすぐわかる。
 続けて袋に手を突っ込む。中々取り出せない。グッと力を入れると、すぽんと抜けた。
 これ、あの時壊れた筈の、継ぎ接ぎだらけの貝殻の宝箱だ。接着剤で直してくれたんだ、あんなにバキバキに壊れてたのに。ちゃんと覚えててくれて、直してくれた。
 あんな別れ方をしたのに、そもそもうちは柚凪に卒業祝いを用意してないのに。なのに柚凪はどうして……?
 宝箱の蓋を開けると、そこには一枚のメッセージカードが入っていた。
『奈音、あの時はごめんね。俺は県外の大学に行くことになって、もう会う事も無いと思うから前世よりもあの時よりもずっと幸せになってね』
 こんな短い文章で柚凪の気持ちがわかるわけでも無い、あの時に戻れるわけでも無い。後悔してももう遅い。
 泣いたって意味なんて無い。それでも、泣かずにはいられなかった。メッセージカードの裏には、四葉のクローバーがセロハンテープで貼り付けられていた。探すの絶対大変だったでしょ。
「少女漫画かよ……」
 柚凪から、と書かれていたメモを見て、もしかしたらと期待してしまっていた。連絡先が書いてあったり、もう少し明るい内容だったりするのかと。
 でも、何事もそう上手くはいかない。
「ばっかみたい」
 うちは、ははっと自嘲した。涙を手の甲で拭って、佐藤の元へ戻ることにしよう。目が赤くなるほどには泣いていないだろう。
 大分待たせてしまった。ちょっと待っててと頼んだのに、申し訳ない。
「ごめん、お待たせ」
「大丈夫、ってかその紙袋と顔どうした?」
「まぁ、色々あって」
「そっか」
 佐藤は深く聞いてこなかった。佐藤は話は聞いてくれるけど、無理に追求してきたりはしない。それは佐藤の長所だけど、この状況では短所だ。
 どう、何を切り出せば良いのかお互いにわからない。
 沈黙が流れる。誰も何も話さない、風が気を揺らす音だけが響くしんとした静かで冷えた空気。
 駄目だ、こんな雰囲気で告白なんてできない。まずはうちから適当な世間話だとか、何か話題を振ろうと口を開いた。
「「あのさ……」」
「あっ」
「えっ」
 ふっと吹き出すと、佐藤も笑う。さっきまでの気まずい雰囲気はどこへ行ったのか、沢山二人で笑ったお陰で、一気に明るい雰囲気へと変わった。
「そこ被るか、普通?」
「ね、うちもびっくりした」
 佐藤に「先どうぞ」と譲られる。折角話題を譲ってもらったというのに、これからつまらない、何の面白みもない世間話をするのはちょっと気が引ける。
 かと言って、ここで告白もしにくい。
「佐藤からで良いよ」
「えぇ、それは困る……じゃあせーので同時に言うか?」
「それ聞こえるの?」
 同時に言ったところで声が被って、お互い聞こえないだけなんじゃ……。
「や、わかんないけどそれしかなくない?」
「……まぁ、そうだよね」
 きっと、いや絶対にこれ以上良い案なんて思い浮かばない。多少は被るかもしれないけど、これで行こう。このタイミングで佐藤に告白する。
「「せーの」」
「佐藤が好き」
「付き合わん?」
 思ったよりも、すっと言葉が出て来た。口にするのはびっくりするくらい簡単だった。でも、うちが気になったのは佐藤が言った言葉だ。
 聞き間違いかもしれない、もしかしたら全然違う事を言った可能性だって多い。それなのに、どうしても期待してしまう。
 佐藤に時間をくれと言われた時にも、少し期待してしまっている自分がいた。もしかしたら、佐藤から告白してくれるんじゃ無いかと。
 でも、うちは物事はそう簡単に上手くいかない事をよく知っている。さっきだってそうだったじゃないか。期待しすぎると、後で苦しむのは自分。
 悲しいけれどそれが現実で、上手く行き過ぎていても、それはそれで怖い。
「……ごめん、聞き間違い……?」
 佐藤は「苦しそうな顔してどうした?」と笑う。
「何て聞こえた?」
「勘違いだったら、ちょっと申し訳ないから言えない」
 これで、違えば軽蔑した視線が飛んでくるかもしれない。このままの関係から進歩したいと望んだのはうちなのに、変化が怖い。うちは佐藤と目を合わせる事すら怖くなってしまって俯く。
 ギリギリとお腹を糸で締め付けられているような感覚が消えない。
「俺は、付き合わん?って言った」
 それを聞いた瞬間、安堵した。さっきまでの異常な痛みが、糸を解かれるようにするっと消えて行った。
「うち、は……佐藤の事が好きって言った」
 自然に口に出ていたのはもう心配するような事は無かったからだろうか。いつもの様に、こう言えば、相手はこう思うだろうだとか、うちが口に出せば相手はこう思うだろうとは考えなかった。考えられていなかった。
 本当に自然に、ぽろっと出てしまった本心の言葉。それを聞くと佐藤は急にガクッとしゃがみ込んだ。
「えっ、大丈夫⁉︎」
 慌てて声を出すと、佐藤は「……ほんと、良かった」と途切れ途切れな言葉を口にした。倒れてしまうかと思ってびっくりした、調子が悪いのかと心配してしまった。
「何だ、そういう事?びっくりさせないでよ」
「いや、安心したらなんかガクッてなって」
 佐藤が不調じゃ無くて良かった。何も無くて良かった。
 安心したら気が抜けた、という事はずっと緊張していたんだろう。佐藤みたいな人でも緊張するんだなぁ。
 いや、そんな事よりもちゃんと確認して置かないといけない事がある。
「じゃあ、今日から付き合うって事ですか?」
「……そういう事じゃ無いんですかね?」
「そっかぁ、これからもよろしくお願いします」
 改めてしっかり挨拶をすると、佐藤はふはっと笑って「こちらこそよろしく」と笑い返してくれた。
「時間くれてありがと、渚と母さん待たせてるからごめんな」
「うん、こちらこそありがと」
 うちは精一杯、笑顔を作って手を振る。
「お兄ちゃーん!おめでと!」
 突然陰から渚ちゃんが佐藤に飛びついてきた。
「湊ってば、もっと自分から行きなさいよ……ヘタレなんだから」
「うるさい二人共盗み聞きするなよ」
「奈音ちゃん、今度お兄ちゃん抜きで遊ぼうねー!」
「わかった!遊ぼうね!」
「えっ、もしかして渚、反抗期……?」
 相変わらずの佐藤家の会話にうちは笑ってしまった。