[二十話]
結局うちは、本命の大学に合格した。佐藤と同じ大学になったのは、うちだけではなく佐藤も、うちがびっくりするくらいのテンションで喜んでくれた。
佐藤のお見舞いに行った日から、佐藤とは毎日メッセージでやり取りをするようになった。佐藤の事が好きなんだと自覚してからは些細な事でも意識してしまうようになってしまった。佐藤への好意は日に日に増して行った。
うちは、卒業式の日に思い切って想いを告白すると決めた。もし振られてしまったら、元の関係には戻れないかもしれないと思うと今でも怖い。
でも、もううちが佐藤の事を好きになった時点で元々の関係ではなくなった。ずっとこのままの関係をずるずる引きずるのもあまり良く無い気がすると思い直して決意は固めたんだ。
決めた事だ、もう戻れない。
そして、卒業までの日は一週間、三日と迫ってきてあっという間に卒業式前日になってしまった。日が過ぎていくのはあっという間だ。
もう明日にはうちも卒業するんだなぁと思うと感慨深い。
「奈音、もう明日の準備出来た?」
「出来たよ」
「じゃあ、寝る前にココアでも飲みながらちょっと話さない?」
うちが頷くと、お父さんは嬉しそうに笑った。お父さんは、年少ない有給をうちの卒業式に出る為に取ってくれた。嬉しそうで、でも少し寂しそうなお父さんの顔を見たら、うちの卒業式なんかわざわざ来なくても良いのにと思った事は口に出せなかった。
それに、もう卒業式が終わったら直ぐこの家を出て新居に向かう。この家にはもう戻ってこない。
家具や、教材は運んであるから引っ越しは明日中に終わるはずだ。引っ越すとお父さんと話す頻度は今よりも格段に減るだろうと思う。だから、最後に一度だけお父さんと話をしたいと思っていた。
お父さんと向かい合って座る。うちは少しぬるくなったココアをゴクっと飲み干す。
「もう、奈音も卒業なんだなぁ」
お父さんがしみじみと呟く。
「そうだね」
「十八年間、早かったな」
「……うちは、長かったよ」
うちがそう言うと、お父さんは渋そうな顔をした。もしかしたら、ここでもそうだねと言った方が良かったのかもしれない。そう言うべき場面だったのかもしれない。
でも、うちからすると本当にこの四年間は長かったんだ。楽しい事よりも苦しい事の方が多かった四年間だったから、よりずっと長く感じたのかもしれない。
沈黙が流れる。佐藤との間に流れる静けさよりも、お父さんとの間に流れる静けさの方が重たく感じてしまう。懐かしさのある居心地の悪い空間。
だけど、この重苦しい雰囲気の中で何を言えばいいのかも、どうすればいいのかもわからない。うちはお父さんの顔を見つめる事しかできなかった。
お父さんはグッと唇を噛む。ひび割れのある、乾燥した唇は血で滲んでいる。なんとなく、お父さんが考えている事を想像できる。
「あの時……大人の都合で、柚凪と奈音を巻き込んで離れさせて、沢山我慢させて本当ごめん」
やっぱりお父さんが考えていた事は想像通りだった。お父さん達の所為でうちと柚凪を引き離してしまって申し訳ないとでも考えていたのだろう。
でも、それは違う。離れてしまったきっかけはお父さん達だとしても、結局決めたのは、柚凪と離れる事を選んだのはうちだから。
「ううん、全然。お父さんとお母さんが幸せなら離婚した方がいいって、二人が決めたならそれに合わせるって決めたのはうちだから」
「そうか……ありがとう」
「こちらこそ四年間、いや十八年間だね。大切に育ててくれてありがとう。」
お父さんに向けて、素直に感謝の気持ちを笑って伝えるとお父さんは驚いた顔をして「奈音……そんな事が言えるようになってただなんて……」と顔を覆った。
「やだなぁ、そんな事くらいで泣いてるの?」
お父さんが泣いてるのなんか、初めて見た。うちが感謝を伝えただけで泣き出すほどそんなに涙脆かったっけ。
「だって、奈音が笑ってたから……」
「いや、うちだって笑うよ」
何を言ってるんだと鼻で笑ってしまった。うちは花城みたいに、感情がわかりにくかったりする訳でも、ずっと不機嫌な訳でもないのに。お父さんってば、笑った事くらいで大袈裟だ。
「笑ってなかった」
「えぇ?」
「柚凪と離れてから、二人で暮らすようになってから、奈音は中々心から笑わなかっただろ?」
バレてる。冷や汗がつーっと背筋を滑って行く。ごくっと息を飲みこむ。
でも動揺をしている事はバレないように最後まで取り繕いたい。
やっぱり、上手く笑えてなかったんだなとその時にわかった。おっとりとしているお父さんを騙せるくらいには上手く振る舞えていたと思ったんだけどなぁ。
「そんな事……」
無い、とうちが言うより先にお父さんの方が口を開いた。
「前、彼氏と家の前まで来た時……あの時の奈音は昔みたいに笑ってて、本当に幸せそうな笑い方だったから嬉しいって感情を失くしてしまったわけじゃないってわかって安心したんだ」
「……うん、ありがとう」
うちは「じゃあ、寝るね」と言って席を立った。お父さんは、もう寝てしまうのか、行ってしまうのかと言うように眉を下げていたけれど、うちはそれに気付かないふりをする。これ以上この事を話していれば、きっと子供のように怒ってしまう気がする。冷静になれなくなるうちの想像をすると、部屋に避難するしかない。
せめて、別れ際くらいは平和に終わりたい。感情に任せて喧嘩をしてしまっては意味がないんだ。折角感謝の気持ちを素直に伝える事ができたのに喧嘩して終わるなんて嫌だ。
電気もつけずに、ベッドに顔を埋めると自然に涙が出てきた。お父さんがうちの事を大切に想ってくれていることも、心配してくれていることもわかる。
だけどうちには『もっと本心で居ろ』『本心で笑い続けろ』と遠回しに言われているようにしか聞こえなかった。うちの想像の言葉がお父さんの声に変換されて、うちの脳内で何度も繰り返し流れる。お父さんの気持ちなんて知らないよ、うちにはうちの都合があるの。いつだって本心で笑える訳じゃない。人間付き合いには愛想笑いが付き物だ。別に良いじゃないか、本心を出さないでいても。お父さんには関係ない。
うちは一晩中、静かに泣き続けた。この夜、眠りにつくことは無かった。
「三浦ー?」
「……?あぁ、佐藤……おはよう」
ぼーっとしていて、一瞬話しかけてきたのが誰だかわからなかった。
昨日一睡もできなかった所為か、脳がふわふわしている。卒業式だというのに、オシャレする時間もコンタクトにする余裕もなかった。最低限の身だしなみしか整えられていない。
きっと佐藤から見たら酷い姿なのだろう。「えっ、どうした」と真面目な顔で心配してくれている。
「えぇ……何が?」
「目真っ赤だし、眼鏡かけてるし、なんかめっちゃ疲れてそう」
やっぱりなぁ、ため息を吐き出すと佐藤は「何かあった?」と問う。
「うーん、ちょっと家で色々あって」
佐藤に話すとしても、そこまでしか言えなかった。
うちが苛立った言葉は、第三者から聞くとごく普通の優しいお父さんの言葉でしかないとわかっているから。今となってみれば、うち自身も何であんなにも苛立っていたのかわからない。
きっと、あの時のうちしかわからない怒りなんだろうな。
佐藤は「まぁ、家庭の事情って色々あるもんなぁ」と軽くカラッと笑った。
「昨日さ、俺の家でも渚が暴れてさぁ……」
「渚ちゃんが暴れた⁉︎」
「まぁ割といつも通りなんだけど」
「いつも通り⁉︎」
佐藤の口からパワーワードが飛び出てきて、それに対していちいちツッコミを入れてしまう。渚ちゃんが暴れるだなんて、一体何があったんだろうか。
「何があったの……」
「昨日は確か……父さんが渚の志望校を勝手に、めっちゃレベル高い進学校にしようとしてて、渚は俺らの高校を志望校にしてるからそこでバトルが起きた」
「まじか」
想像以上にシビアな内容だった。でもよくよく考えてみると、進路で揉める家庭は多いのかもしれない。
「で、勝ったのは渚」
佐藤はそう言ってケラケラ笑いながら手を叩く。自分の家族の修羅場だというのに、やけに楽しそうだ。
「渚ちゃん強すぎない?」
「まぁ……俺と父さんに対しては特に当たり強いかもな。」
佐藤は「一昨日くらいに、渚のお気に入りのプリンを食べて蹴られたし、渚も反抗期かなぁ。」と眉間に皺を寄せる。プリン食べただけで蹴られたのかぁ、とちょっと苦笑する。まぁ、勝手に食べた佐藤も悪いけど。
そういえば、一昨日渚ちゃんからも『お兄ちゃんに楽しみにしてたプリン食べられた!』と佐藤への怒りのメッセージが届いたような気がする。
佐藤は怒られて、そんな事で?と呆れて。渚ちゃんは折角大切にとっておいたプリンを食べられた!と怒っている。うちはどっちの意見も理解できる。
人の視点が違うだけで、全く違う別の物語が出来上がるのだ。考えは人それぞれであって、それぞれ事情があるんだという当たり前のことに気付かされた。
「佐藤先輩、会長!」
後ろから誰かに抱きつかれて、大袈裟にビクッと驚いてしまう。一体何事かと不審に思って振り返れば、そこには碧ちゃんが居て「お二人とも、ご卒業おめでとうございます!」と笑いかけてくれた。
「ありがとう!」
碧ちゃんがわざわざうちと佐藤を探してまで、祝いに来てくれたのかと思うと心が温かくなる。佐藤も嬉しかったんだろう、「おう」と少しだけ頬を緩めていた。
「珍しく素直」
「うるせぇ」
二人で言い合い始めると、同時に碧ちゃんがニヤニヤし始めて「佐藤先輩、もう言ったんですか?」と問う。 何を?とうちが首を傾げると、佐藤は苦い顔をする。
「あぁ、まぁ……」
「その反応、まだですね?」
「……こう言う時だけ勘がいいの辞めてくれ」
「こう言う時だけってとこは余計ですよ」
佐藤は、はいはい、と適当に受け流して手をひらひらさせる。
碧ちゃんは「まぁ、頑張ってくださいよっ」と笑って去って行った。うちには、二人が何の話をしているのかが全くわからなかった。でもそんなに気にするような事でもないか。
「三浦、卒業式終わったら用事ある?」
「うん、新居に移動する予定だけど……」
「急に何?」と聞くと、佐藤は「じゃあ、すぐ済ませるからちょっと時間くれない?」と少し遅れて聞き返してきた。
「うん」
しっかり目を見て頷くと佐藤は安堵したような顔になって、「じゃあ、俺用事があるからごめん」と手を振って帰って行った。うちも顔には出さないように努力していたけど、内心ほっとしていた。
ちゃんと伝えたい事があるのはうちも同じ。これを伝える事でどうなるかはわからないけど、もう決めた事なんだから大丈夫、きっと大丈夫。
「……あれ、どう言うか全然考えてなかった」
重要な事を忘れていた。告白の言葉を考えていない。
うちは深く溜息をついてその場にしゃがみ込んだ。
結局うちは、本命の大学に合格した。佐藤と同じ大学になったのは、うちだけではなく佐藤も、うちがびっくりするくらいのテンションで喜んでくれた。
佐藤のお見舞いに行った日から、佐藤とは毎日メッセージでやり取りをするようになった。佐藤の事が好きなんだと自覚してからは些細な事でも意識してしまうようになってしまった。佐藤への好意は日に日に増して行った。
うちは、卒業式の日に思い切って想いを告白すると決めた。もし振られてしまったら、元の関係には戻れないかもしれないと思うと今でも怖い。
でも、もううちが佐藤の事を好きになった時点で元々の関係ではなくなった。ずっとこのままの関係をずるずる引きずるのもあまり良く無い気がすると思い直して決意は固めたんだ。
決めた事だ、もう戻れない。
そして、卒業までの日は一週間、三日と迫ってきてあっという間に卒業式前日になってしまった。日が過ぎていくのはあっという間だ。
もう明日にはうちも卒業するんだなぁと思うと感慨深い。
「奈音、もう明日の準備出来た?」
「出来たよ」
「じゃあ、寝る前にココアでも飲みながらちょっと話さない?」
うちが頷くと、お父さんは嬉しそうに笑った。お父さんは、年少ない有給をうちの卒業式に出る為に取ってくれた。嬉しそうで、でも少し寂しそうなお父さんの顔を見たら、うちの卒業式なんかわざわざ来なくても良いのにと思った事は口に出せなかった。
それに、もう卒業式が終わったら直ぐこの家を出て新居に向かう。この家にはもう戻ってこない。
家具や、教材は運んであるから引っ越しは明日中に終わるはずだ。引っ越すとお父さんと話す頻度は今よりも格段に減るだろうと思う。だから、最後に一度だけお父さんと話をしたいと思っていた。
お父さんと向かい合って座る。うちは少しぬるくなったココアをゴクっと飲み干す。
「もう、奈音も卒業なんだなぁ」
お父さんがしみじみと呟く。
「そうだね」
「十八年間、早かったな」
「……うちは、長かったよ」
うちがそう言うと、お父さんは渋そうな顔をした。もしかしたら、ここでもそうだねと言った方が良かったのかもしれない。そう言うべき場面だったのかもしれない。
でも、うちからすると本当にこの四年間は長かったんだ。楽しい事よりも苦しい事の方が多かった四年間だったから、よりずっと長く感じたのかもしれない。
沈黙が流れる。佐藤との間に流れる静けさよりも、お父さんとの間に流れる静けさの方が重たく感じてしまう。懐かしさのある居心地の悪い空間。
だけど、この重苦しい雰囲気の中で何を言えばいいのかも、どうすればいいのかもわからない。うちはお父さんの顔を見つめる事しかできなかった。
お父さんはグッと唇を噛む。ひび割れのある、乾燥した唇は血で滲んでいる。なんとなく、お父さんが考えている事を想像できる。
「あの時……大人の都合で、柚凪と奈音を巻き込んで離れさせて、沢山我慢させて本当ごめん」
やっぱりお父さんが考えていた事は想像通りだった。お父さん達の所為でうちと柚凪を引き離してしまって申し訳ないとでも考えていたのだろう。
でも、それは違う。離れてしまったきっかけはお父さん達だとしても、結局決めたのは、柚凪と離れる事を選んだのはうちだから。
「ううん、全然。お父さんとお母さんが幸せなら離婚した方がいいって、二人が決めたならそれに合わせるって決めたのはうちだから」
「そうか……ありがとう」
「こちらこそ四年間、いや十八年間だね。大切に育ててくれてありがとう。」
お父さんに向けて、素直に感謝の気持ちを笑って伝えるとお父さんは驚いた顔をして「奈音……そんな事が言えるようになってただなんて……」と顔を覆った。
「やだなぁ、そんな事くらいで泣いてるの?」
お父さんが泣いてるのなんか、初めて見た。うちが感謝を伝えただけで泣き出すほどそんなに涙脆かったっけ。
「だって、奈音が笑ってたから……」
「いや、うちだって笑うよ」
何を言ってるんだと鼻で笑ってしまった。うちは花城みたいに、感情がわかりにくかったりする訳でも、ずっと不機嫌な訳でもないのに。お父さんってば、笑った事くらいで大袈裟だ。
「笑ってなかった」
「えぇ?」
「柚凪と離れてから、二人で暮らすようになってから、奈音は中々心から笑わなかっただろ?」
バレてる。冷や汗がつーっと背筋を滑って行く。ごくっと息を飲みこむ。
でも動揺をしている事はバレないように最後まで取り繕いたい。
やっぱり、上手く笑えてなかったんだなとその時にわかった。おっとりとしているお父さんを騙せるくらいには上手く振る舞えていたと思ったんだけどなぁ。
「そんな事……」
無い、とうちが言うより先にお父さんの方が口を開いた。
「前、彼氏と家の前まで来た時……あの時の奈音は昔みたいに笑ってて、本当に幸せそうな笑い方だったから嬉しいって感情を失くしてしまったわけじゃないってわかって安心したんだ」
「……うん、ありがとう」
うちは「じゃあ、寝るね」と言って席を立った。お父さんは、もう寝てしまうのか、行ってしまうのかと言うように眉を下げていたけれど、うちはそれに気付かないふりをする。これ以上この事を話していれば、きっと子供のように怒ってしまう気がする。冷静になれなくなるうちの想像をすると、部屋に避難するしかない。
せめて、別れ際くらいは平和に終わりたい。感情に任せて喧嘩をしてしまっては意味がないんだ。折角感謝の気持ちを素直に伝える事ができたのに喧嘩して終わるなんて嫌だ。
電気もつけずに、ベッドに顔を埋めると自然に涙が出てきた。お父さんがうちの事を大切に想ってくれていることも、心配してくれていることもわかる。
だけどうちには『もっと本心で居ろ』『本心で笑い続けろ』と遠回しに言われているようにしか聞こえなかった。うちの想像の言葉がお父さんの声に変換されて、うちの脳内で何度も繰り返し流れる。お父さんの気持ちなんて知らないよ、うちにはうちの都合があるの。いつだって本心で笑える訳じゃない。人間付き合いには愛想笑いが付き物だ。別に良いじゃないか、本心を出さないでいても。お父さんには関係ない。
うちは一晩中、静かに泣き続けた。この夜、眠りにつくことは無かった。
「三浦ー?」
「……?あぁ、佐藤……おはよう」
ぼーっとしていて、一瞬話しかけてきたのが誰だかわからなかった。
昨日一睡もできなかった所為か、脳がふわふわしている。卒業式だというのに、オシャレする時間もコンタクトにする余裕もなかった。最低限の身だしなみしか整えられていない。
きっと佐藤から見たら酷い姿なのだろう。「えっ、どうした」と真面目な顔で心配してくれている。
「えぇ……何が?」
「目真っ赤だし、眼鏡かけてるし、なんかめっちゃ疲れてそう」
やっぱりなぁ、ため息を吐き出すと佐藤は「何かあった?」と問う。
「うーん、ちょっと家で色々あって」
佐藤に話すとしても、そこまでしか言えなかった。
うちが苛立った言葉は、第三者から聞くとごく普通の優しいお父さんの言葉でしかないとわかっているから。今となってみれば、うち自身も何であんなにも苛立っていたのかわからない。
きっと、あの時のうちしかわからない怒りなんだろうな。
佐藤は「まぁ、家庭の事情って色々あるもんなぁ」と軽くカラッと笑った。
「昨日さ、俺の家でも渚が暴れてさぁ……」
「渚ちゃんが暴れた⁉︎」
「まぁ割といつも通りなんだけど」
「いつも通り⁉︎」
佐藤の口からパワーワードが飛び出てきて、それに対していちいちツッコミを入れてしまう。渚ちゃんが暴れるだなんて、一体何があったんだろうか。
「何があったの……」
「昨日は確か……父さんが渚の志望校を勝手に、めっちゃレベル高い進学校にしようとしてて、渚は俺らの高校を志望校にしてるからそこでバトルが起きた」
「まじか」
想像以上にシビアな内容だった。でもよくよく考えてみると、進路で揉める家庭は多いのかもしれない。
「で、勝ったのは渚」
佐藤はそう言ってケラケラ笑いながら手を叩く。自分の家族の修羅場だというのに、やけに楽しそうだ。
「渚ちゃん強すぎない?」
「まぁ……俺と父さんに対しては特に当たり強いかもな。」
佐藤は「一昨日くらいに、渚のお気に入りのプリンを食べて蹴られたし、渚も反抗期かなぁ。」と眉間に皺を寄せる。プリン食べただけで蹴られたのかぁ、とちょっと苦笑する。まぁ、勝手に食べた佐藤も悪いけど。
そういえば、一昨日渚ちゃんからも『お兄ちゃんに楽しみにしてたプリン食べられた!』と佐藤への怒りのメッセージが届いたような気がする。
佐藤は怒られて、そんな事で?と呆れて。渚ちゃんは折角大切にとっておいたプリンを食べられた!と怒っている。うちはどっちの意見も理解できる。
人の視点が違うだけで、全く違う別の物語が出来上がるのだ。考えは人それぞれであって、それぞれ事情があるんだという当たり前のことに気付かされた。
「佐藤先輩、会長!」
後ろから誰かに抱きつかれて、大袈裟にビクッと驚いてしまう。一体何事かと不審に思って振り返れば、そこには碧ちゃんが居て「お二人とも、ご卒業おめでとうございます!」と笑いかけてくれた。
「ありがとう!」
碧ちゃんがわざわざうちと佐藤を探してまで、祝いに来てくれたのかと思うと心が温かくなる。佐藤も嬉しかったんだろう、「おう」と少しだけ頬を緩めていた。
「珍しく素直」
「うるせぇ」
二人で言い合い始めると、同時に碧ちゃんがニヤニヤし始めて「佐藤先輩、もう言ったんですか?」と問う。 何を?とうちが首を傾げると、佐藤は苦い顔をする。
「あぁ、まぁ……」
「その反応、まだですね?」
「……こう言う時だけ勘がいいの辞めてくれ」
「こう言う時だけってとこは余計ですよ」
佐藤は、はいはい、と適当に受け流して手をひらひらさせる。
碧ちゃんは「まぁ、頑張ってくださいよっ」と笑って去って行った。うちには、二人が何の話をしているのかが全くわからなかった。でもそんなに気にするような事でもないか。
「三浦、卒業式終わったら用事ある?」
「うん、新居に移動する予定だけど……」
「急に何?」と聞くと、佐藤は「じゃあ、すぐ済ませるからちょっと時間くれない?」と少し遅れて聞き返してきた。
「うん」
しっかり目を見て頷くと佐藤は安堵したような顔になって、「じゃあ、俺用事があるからごめん」と手を振って帰って行った。うちも顔には出さないように努力していたけど、内心ほっとしていた。
ちゃんと伝えたい事があるのはうちも同じ。これを伝える事でどうなるかはわからないけど、もう決めた事なんだから大丈夫、きっと大丈夫。
「……あれ、どう言うか全然考えてなかった」
重要な事を忘れていた。告白の言葉を考えていない。
うちは深く溜息をついてその場にしゃがみ込んだ。