[十八話]
 うちはもう、受験が終わった事で開放感に満ち溢れていた。合否発表はまだだけど割と出来たんじゃないかなと思う。佐藤とはあの夜から一度も話していない。話したいとは思っているものの、用も無いのにわざわざメールを送るのもなぁ、特に用事無いならどうせ返信してくれないだろうし……なんてウジウジしているうちを時間は待ってくれない。卒業までの日数は迫るばかりだ。
 メールが駄目なら直接、と思ったけれど佐藤は学校に来ていないみたいだった。佐藤と同じクラスのよくつるんでる子に聞いたら佐藤は少し前から休んでるという事がわかった。とは言っても、休んでいる理由は誰も知らなかった。先生が言わなくとも、普通は仲良い子位になら長期間休む時、理由は言うんじゃないの?
 もしかして、佐藤……友達居ない?
 いやいや、それは無いか。何かあったとかじゃなきゃ良いけど……。
 スマホのキーボードをフリックして『大丈夫?』『何かあったの?』と佐藤に送る。ずっと既読のつかないその画面を見詰めていると、どうしようもない壮大な不安に襲われる。メッセージの既読もつかない、学校にも来ない。そこまで来てしまうと、もううちはどうする事も出来ない。このまま卒業まで話せないままなのかなぁ。
「はぁ……」
 丁度その時、ピコンとメッセージの通知音が鳴った。
 もしかしたら佐藤から返信が返ってきたかもしれないと、少しの期待を胸に抱いてスマホを見る。でも、そんな都合良く本人からメッセージが来る訳もなく、期待はあっさり裏切られてしまった。
 メッセージを送ってきたのは蘭菜で『担任の先生とかに佐藤くんの家教えてもらったら?』という物だった。うちはそれを見てハッとした。その手があったか、家を知らないなら聞けば良いのだ。流石蘭菜、天才。
 うちは再会した日から毎日、ずっと蘭菜と水雫とメッセージを送りあったり、通話をしたりしている。うちは四年間の会えず話せずの苦しい日々を取り戻すかの様に楽しく過ごしていた。蘭菜達と沢山話す事で心の隙間は完全に埋まる事は無くても、一時的には塞がれていった。
 そして、いつの間にか佐藤のことも話すようになって、あの日から一度も話せてなくて、会えてもいない。音信不通なのだという事も相談していた。だからあのメッセージが来たのだった。
 うちは蘭菜のアイディアで行こうと決心した。他に方法なんてないし。
 昇降口で履き替えたばかりのローファーを脱いで、校内シューズを履く。まだ部活に向かう人達がたむろしている廊下は騒がしい。
 人を掻き分けて職員室に向かうと、見覚えのある綺麗な女性が大人しそうなまだ幼い女の子と一緒に職員室の前で重そうな紙袋を手にして立っていた。
 幼い女の子は綺麗な黒い髪を高い位置で二つに結っていて、市内にある私立中学の制服を着ている。まだ用事があるようには思えないし、きっと二人は部活に行こうとしている人の渋滞から抜け出せなくて、帰ろうにも帰れないのだろう。
 まじまじ見てしまっていたうちに気が付き、佐藤のお母さんは「あっ、奈音ちゃん!久しぶり〜」と相変わらずの眩しい笑顔を向けた。
「お久しぶりです」
「えっ!奈音さん……ってもしかしてお兄ちゃんの⁉︎」
 お兄ちゃん……ってことは佐藤が可愛いって言っていた妹さんか。確かに可愛い。高い位置でツインテールにしていても何の違和感も無い。それに、目の辺りが佐藤によく似ている。
 でも想像していた妹さんはまだ小学生くらいだったから、イメージが大分変わった。うちは「初めまして、三浦奈音です」と妹さんの目を見て微笑む。
「わっ、えっと、兄がお世話になってます。佐藤湊の妹の渚です」
 うちが佐藤の妹さん──渚ちゃんに挨拶をすると、渚ちゃんも慌てた様に丁寧に挨拶を返してくれた。
 そんな渚ちゃんを見て、まだ中学生だろうにしっかりしてるなぁ、なんて親戚の大人が言うような事を考えてしまった。
 そんな礼儀正しい渚ちゃんは「仲良くして欲しいです!」とうちにぱぁっとキラキラした笑顔を向けてくれた。佐藤のお母さんにそっくりなキラキラした笑顔と愛嬌を持ち合わせている。佐藤の礼儀正しさと、佐藤のお母さんのパッと花が開く時のような明るさと無邪気さがある。少しホッコリする。
 急に佐藤のお母さんに「奈音ちゃん、今から用事あったりする?」と聞かれた。
 特に何の用事も無い。受験だって終わっているし、暇を持て余している。わざわざ嘘をつく理由も無いからうちは素直に「いえ、特に無いです」と返した。
「じゃあ、良ければ家に来ない?」
「えっ、どうして……?」
 突然家に誘われて、うちは戸惑った。誘われる理由なんてないと思う。どうしてそんな丁度良いタイミングで誘われるだなんてミラクルが起こるんだろうと、
 でも誘われる理由はちゃんとあったのだ。うちが想像しているよりずっと重い理由が。佐藤のお母さんはうちに「湊のお見舞いに来てくれないかなって思って」と言った。「佐藤、何かあったんですか⁉︎」
 お見舞いって、どうして?
 何があったのか全く想像がつかない。もしかしたら持病があったのか、それとも大怪我でもしたのか、風邪を拗らせたのか。それくらいしか思いつかない。
 お邪魔させてもらうのは申し訳ないけど、佐藤の状態は心配だ。お見舞いに行かせてもらおうと決めた。
「うーん、まぁ色々ね」
 焦るうちとは対照的に、佐藤のお母さんはそこまで焦っている様には見えなかった。軽く、うちの息子は馬鹿だからと呆れた様に苦笑していた。
 そんな笑いのネタに出来るくらいなら、そんなに悪い事では、大きい物では無いのかもしれない。いや、そう信じるしかないのだとブンブン頭を横に振って自分に言い聞かせる。
 部活が始まるチャイムが校内に鳴り響いて、さっきまでたむろしていた生徒が一気に居なくなる。それに気付いた佐藤のお母さんは「じゃあ行こうか」と笑った。
 つくづく、佐藤のお母さんがいつも笑っているなと感じる。いつも楽しくて笑っているのか、それともうちの様に偽って笑っているのか。真偽はわからないままだ。
 うちはまた靴を履き替えて、さっきまでは手に持っていた鞄を肩にかける。二人が駐車場に向かい、うちはそれに着いていく。
 車に乗り込んだ時、渚ちゃんが「そういえば」と口を開いた。
「奈音さんってお兄ちゃんの事、苗字で呼んでるんですね」
 何かと思ったら、苗字呼びについての疑問か。
「向こうもずっと苗字呼びなので……タイミングも無いですし!」
 以前、一度だけ名前で呼ばれかけたけれど、それ以外は一度も無い。佐藤だって、うちに名前を呼んで欲しいという願望も無いだろう。だから苗字呼びのままで良いと思っていた。
 でも確かに渚ちゃんの身からすれば、苗字は同じ佐藤だから、自分が呼ばれているような気持ちになって複雑なんだろう。
「えっ?でもお兄ちゃん奈音さんの事普通に……」
 そこまで言いかけて、渚ちゃんは「いや、なんでもないです!」と手をブンブンと振る。
「そこで止められたら気になるんですけど⁉︎」
 渚ちゃんがキリの悪い所で口を止めた所為で、かなり気になってしまう。
「まぁ、これは兄本人から聞いて下さい」
 渚ちゃんはニコッと笑った。どうせそこまで言ったなら全部言って欲しかった。何を言おうとしていたのか、全くわからない。想像がつかない。
 微笑んだままの渚ちゃんに「それと……奈音さん、先輩なんですから敬語外して下さいよ」と言われてしまった。初対面の上に、佐藤の妹だ。敬語は簡単には外せない。でも渚ちゃんも外してくれるなら、頑張って敬語を外せるかもしれない。だからうちは渚ちゃんに「じゃあ渚ちゃんも外してね」と言った。
「え、でも……。いや、わかりました!」
「敬語外れてないよ?」
「あっ、すみませ……ごめん!」
「やっぱり敬語外すのって慣れないよね」
 渚ちゃんは、うちの言葉にうんうんと頷いて強く共感してくれた。そこから急に渚ちゃんはうちにかなり懐いてくれたようで、さっきよりも話すスピードが早まった。うちへの呼称も『奈音ちゃん』に変わった。
 うちは佐藤の家に着くまで、渚ちゃんのマシンガントークをひたすら聞いていた。

「お邪魔します」
 広めの一軒家で、シンプルな住まい。佐藤の家はそんな感じだった。玄関の靴箱の上には鍵や鏡が置いてあってそして一枚、四人で撮ったらしい写真が飾ってある。
 写真の中の四人は皆笑顔で楽しそうに見える。佐藤はいつも、学校で撮る写真でも笑顔は作っていない。いつでも大体真顔で写っている。
 玄関に飾られている写真は本当に楽しい時の顔で、それを見ているとうちまで少し顔が緩んでしまう。うちは靴を揃えて、どうすれば良いのか戸惑っていると佐藤のお母さんが気付いてくれた。
「湊の部屋、二階なの。渚、案内してあげて」
「はーい!」
 うちは、渚ちゃんに着いて行った。二階には三つの部屋があって、もしかしたらあとの二つはお兄さんと渚ちゃんの部屋なのかなぁとこっそり想像する。案内されたのは階段を登ってすぐ横の部屋だった。
 渚ちゃんはコンコンコンコンと佐藤の部屋を何度も連続で叩いた。
「お兄ちゃーん?」
「ん、渚?」
 部屋の向こうで佐藤が問い返す。
「そうだよ!」
 渚ちゃんがそう言うと、ようやく佐藤の部屋のドアが開いた。
「どうかした……うぇ⁉︎」
 佐藤は、右腕を三角巾で吊っていた。え、と声が出てきた。骨折していただなんて、想定外だ。
 うちが驚いているのは勿論だけど、佐藤も同じ様に驚いていた。何故か、佐藤は「な、何で……え、夢?」とボソボソ呟いていた。
 驚いて硬直するうちと佐藤を見て、渚ちゃんは「夢じゃ無いよ、ほらほら奈音ちゃん入って入って!」と強引にグイグイ佐藤の部屋に押し込んだ。
「待て渚、ここは俺の部屋だ」
 真面目な顔をしてそんな事を言う佐藤を渚ちゃんはまぁまぁ、と軽く宥めた。
「お茶とお菓子持ってくるから、ゆっくりしてて!」
 渚ちゃんは、佐藤の部屋のドアを閉めて、バタバタと騒がしく下に降りて行った。
「取り敢えず……椅子座りなよ」
 机に入れられた椅子を引いて、どうぞと言う佐藤の言葉に甘えてうちは引かれた椅子に座った。佐藤は、ベッドの上に腰掛けて「何でわざわざ家まで来たの?」とうちに聞いた。
 その言い方はどこか苛立っている様な雰囲気もあった。
佐藤のお母さんに偶然学校で会って、そこからお見舞い来てって言われて」
「うわ、母さんなら言いそう……。てか部屋綺麗じゃ無いのに来られても……」
 佐藤の部屋は綺麗に整頓されていて、強いて言うならば机の上が勉強道具で埋め尽くされているというくらい。
 でも他には埃ひとつ見えない佐藤の部屋は、嘘でも綺麗じゃ無いとは言えなかった。
 全然、うちの部屋よりもずっと綺麗だよ?と言おうと思った時、佐藤のドアが勢いよく開いた。