[十話]
「はぁ……」
 思っていたよりも大きめの溜息が溢れた。うちは、深夜の誰も居ない公園のブランコを漕ぐ。
 少しだけ、衝動に駆られて家を出てきてしまった事を後悔していた。
 スマホとイヤホン、そして財布。必要最低限のもの……というよりかはズボンのポケットに入れていたという方が正しい。
 冬場の夜は当たり前のように冷え込む。そんな中、うちは薄着で外に出ている。
 薄手のパーカーを羽織っていたから良いものの、半袖であれば自殺行為だ。
 お気に入りの裏起毛のパーカーが、恋しい。カイロを持って来れば、もう少し寒さは凌げたかもしれない。
 いや、そもそもこんな夜に外に出るのは危険だから家に居るのが一番だとはわかってる。お巡りさんに見つかれば補導されるのがオチだろう。
 でも、過ごしづらい家に戻るのは嫌だった。いつも、お母さんやお父さんが決めた事に反対できないうちなりの反抗だ。何も考えず家出してしまった……いや、家出みたいな大層な物でもないか。
 こんな細かい事を考えることも、木々の揺れ、風の音が耳に入ってくる事すらも今は鬱陶しく感じてしまう。
 耳に入れたくなくて、細かい事を考えないように咄嗟にイヤホンを耳に挿す。周りの音が聞こえなくなってイヤホンから、いつも聴いているようなお気に入りの音楽が流れてくる。
 ふっと息を吐くと段々落ち着いてきた。
 これでいい、少しでも自分のご機嫌取りをしなければ。
 ブランコに乗って、公園を見渡していると昔の事を思い出してしまった。遊具のバリエーションが少なくて、日が昇ってる時でも騒がしくなさそうな公園に見える。偶然かもしれないけど、この公園は家に帰りたくない時によく家出していた場所に似ている。
 柚凪探索の時といい、家出する時といい、何も考えずに、足を運ぶと自然に良い場所に辿り着く仕組みにでもなっているのだろうか。
 幼い頃から帰りが遅かった両親がうちを見つけてくれる事はなくて、居なくなっていることにも気づいてもらえなかった。いつも一番に見つけてくれて、手を差し伸べてくれるのは柚凪だった。
 矢っ張りいつも柚凪が助けてくれていたのだと気付いてしまう。
 両親が離婚すると、何となく、柚凪とは離れ離れになってしまうような気がする。育ててくれた事を感謝してはいるけど、両親に深い思い入れは無い。だから、両親が離婚しそうなのはそこまで嫌じゃない。
 ただ、柚凪とだけは離れたくない……なんてこんな所で感傷に浸っていても、何も変わらない。結局、自分の気持ちがわかった所で口には出来ない。
 もう段々我慢できないくらいの寒さも近づいてきたしそろそろ動こう。
 うちは耳からイヤホンを外して、ポケットに突っ込む。
「なー……?」
 ブランコから立ちあがろうとした時、微かに名前を呼ばれたような気がして振り向く。
 そこにはジャケットを羽織り、重そうなリュックを背負った花城らしき人が立っていた。
「え、花城?」
「なー、だよな?」
 暗闇の中だったこともあり、お互いに確証は持てていなかった。
 人違いだったら困るし、少しだけ気まずい。ブランコから降りて、顔を近づけてみると花城本人だった。
「なんでこんな時間に……?」
「え、俺は塾帰りだけど」
 花城が、うちの座っていた隣のブランコに腰掛ける。うちもまた、ブランコに乗った。
 塾帰りなのか……こんな遅くまで大変だな。
 でも確かに前、花城が塾が終わるのが遅くて困るって愚痴を漏らしていたのを聞いた事がある。
 こんな深夜まで塾で勉強してるって考えると、そりゃあ小テストでも良い点数が取れるよなぁ。なんて一人で納得していると、「なーこそなんで?」と聞き返された。
 聞き返されるのは予想外で、何と返せば良いのか戸惑ってしまう。
「なんとなく、かな。」
 本当の事を言う訳にもいかないし、誤魔化すのが一番手っ取り早いような気がする。
「そうか……」
 誤魔化した結果、気まずい空間がその場に流れてしまった。
 でも、花城は深く聞いてこない。それが救いだった。深く聞かれて、話してしまうと泣いてしまうような気がするから。
 だけど、もしもここで相談したら楽になれるのかな、一人で抱え込むよりも気持ちは軽くなるのかな。
 少しだけ、花城にでも良いから相談したいと思ってしまった自分が居る。
「なー、大丈夫?」
 深く考えすぎて、つい俯いてしまっていたみたいだ。
「柚凪と離れたくない……」
「え?」
「あ、いや……」
 大丈夫、そう言おうとしたのにうちの口は本音を呟いてしまった。
 花城は「何か、聞いちゃいけないかもしれないから詳しくは聞かないけどさ」と口を開く。
「俺、弟居てさ。でもあんまり仲良くないんだ」
 弟が居たのも、兄弟不仲なのも、初耳だった。そうなんだ、では何か足りないような気がするし、大丈夫?は煽っているように聞こえるかもしれない。
 良い返しが思いつかなかったから、初めて聞いた事にびっくりしていても、反応は返せなかった。
 花城は黙っているうちを気に留めず、「だから、ゆずとなーが仲良いの凄い羨ましい」と付け足す。
 いつも無表情なのに、少し口許を緩めている花城は本当に柚凪とうちの仲の良さを羨ましいと思っているように見えた。
「そうなんだ……」
「ゆずもなーもお互いを信用しきってるっていうかさ……」
 お互い好き同士、ならまだわかる。柚凪からの愛情は本物だと思うし、うちも柚凪への愛情はあるから。だけどお互いを信用し切ってる、はまた別の話だ。
 本当に、そうなのかわからない。学校でも、家でも、いつも笑いを絶やさない柚凪だけど、本当にいつも楽しくて面白くて、嬉しくて笑っているのか。うちにもわからない。
 本音を聞いたことが無い。弱音を一切吐かない。いつも明るくて馬鹿みたいな雰囲気のある柚凪は、暗くなったりしない。だけど記憶喪失になっていた時の柚凪は様子が違った。
 本当はあれが素なのかもしれない。
 段々頭の中がこんがらがってきて、ぐるぐる回り出す。
「良い家族だよな」
「……ありがとう」
 楽観的に語る花城に聞いてしまいたくなった。
 良い家族の定義って何?今、両親が離婚しようとしてるんだ。それに、うち柚凪の事も疑い始めてきてるの。これでも良い家族なの?なんて聞けるわけもないか。
 何も言えなかった。
 また無言。
「あ、てか、今日話せなくてごめん」
「え?あぁ……全然良いけど」
 今日のうちに色々ありすぎて、というか両親の離婚の事を考えすぎて。もう、今日の朝クラスメイトに無視されて一人で過ごしてた事を完全に忘れていた。
「杉田、苦手なんだよな……怖いじゃん」
 花城でも苦手な人種ってあるんだな。
「そう……だね」
 皆、杉田さんに苦手意識があるのかと思うと、少し可哀想に見えてくる。取り巻きからも然程慕われていない事も、強気でいるだけという事にも気付いてしまった。
 強いのか、弱いのかよくわからない人だ。
 でも、杉田さんの事なんて別に興味はないし、理解しようとも思わないけど。
 もう少しうちが強ければ杉田さんにも堂々と向き合ってあげれたかもしれない。ずっとやられっぱなしは、向こうも調子に乗っちゃうし、自分は傷つくだけだし。
 杉田さんが反省せず、ずっとあのままだったら、きっと皆離れて行ってしまうような気がする。
「……なー?聞いてる?」
「え、ごめん!聞いてなかった!」
 考え事をしていると、周りのことが見えなくなる癖を治したい。花城は「そろそろ帰んないと、親御さん心配するんじゃない?って言った」と改めて言い直してくれた。
「あぁ……まぁ……」
 両親共に……今は誰も家に居ないから別にどれだけ遅く帰ったとしても心配なんてされないけど、説明するのも面倒で、曖昧に返した。
 花城はそれを肯定と取ったらしく「送ってくよ」と言ってくれた。でもわざわざ、家まで送ってもらうのは申し訳ない。
「え、そんな送ってもらわなくても……」
「いや、ちゃんとなー守っとかないと、ゆずが激怒するじゃん」
「確かに」
 それは確かに、柚凪だったら「ちゃんと奈音の事守れ!」とか花城に怒鳴り散らしそうだ。話を聞いてもらっていたのはこっちなのに花城が怒鳴られるのはお門違いだ。仕方ない、お言葉に甘えて送ってもらう事にしよう。
 誰ともすれ違わず、花城とも何も話さずで、家に着くまで花城とは何も言葉を交わさなかった。家に着いて、花城は「明日から絶対杉田からもなーの事守るから!」と強く断言した。
 今日あれだけ、柚凪に絞られた杉田さんが今後何か嫌がらせを仕掛けてくる事は無さそうだけど、味方が少しでも増えてくれるのは、心強かった。
 花城と話してから、考えが変わった。
 いつも、何も両親に出来てないうちには離婚に賛成する事しか出来ない。お母さんとお父さんがそれで良いならうちは反対しない。
 例え、柚凪と離れるとしても。うちは受け入れる事にする。
 そう決めた。