「イケメンみっけ」
「…今日休みじゃなかった?」
「うん、今来たところ」
「重役出勤すぎんだろ」
スマホを見ると、もうすぐ十八時になるところだった。律儀に制服を着て登校した宗佑は勇人の隣に腰を下ろし、いつも通り一人分の間隔をあけてフェンスに寄りかかった。昼間は半袖で心地良い季節でも、さすがに十月の屋上は寒い。寒いとブレザーの袖を引っ張ると、指先に息を吹きかけた。
「風邪、悪化するぞ」
今朝、宗佑が風邪で休みと聞いた時、正直がっかりした。
最近は宗佑とばかりつるんでいる。自分で言うのもなんだが、自分は恵まれた容姿のせいで、得することもあれば妬まれることも多々ある。好意悪意に関わらず、うざい視線を向ける連中とは真逆。ただ懐いた犬のように尻尾を振って「遊ぼ」と近づいてくる宗佑は、とても心地よい相手だった。まぁ宗佑自身もベビーフェイスを兼ね備えた誰もが羨むイケメンだから、嫉妬なんてしないのだろうけど。
高三で初めて同じクラスになり、なんだかんだで放課後はこの屋上で一緒に受験勉強をするのが日課になっていた。
「テレビ見てたらさ、すごいこと知ったんだよ。だから勇人に教えてやろうと思って。でもさ…でも…急いで出てきたからゲームのセーブ忘れたんだよぉ…ぅあー!俺の五時間!ボス倒してあとは姫と話すだけだったのに」
宗佑は天を仰ぐと、ガックリと肩を落とした。
「それはご愁傷様。つうか寝るか勉強するかどっちかにしろよ受験生」
「ねぇ、気になるでしょ」
「別に」
本当は気になるが、そういう言い方をされると天の邪鬼な自分は素直にうんとは言えない。
言いたいなら言えよ、と突き放すと「ちぇっ」と口を尖らせてしまった。
「ほんと大型犬だな…」
「ん?」
「…いや、何でもない。で?」
「今日は何の日でしょうか」
言いたい!聞いて!が溢れ出ている。キラキラとした瞳がワクワク感を隠しきれていないし、なんなら尻尾が大きく揺れている幻覚さえ見える。
可愛いやつ。本当に同い年だよな?
もっと苛めたい気持ちをなんとか抑えつけ、「教えください宗佑様」と聞いてやった。
「すごいよ?」
満足そうに笑い、時計を確認して「もうそろそろかな」と立ち上がった。
「あの煙突の後ろだと思う」
自分も立ちあがり、宗佑と同じ空を見上げた。
「火葬場の煙突がどうかしたのか」
「違う、空見て」
「空?」
毎日絶え間なく煙を出す煙突。昔から何となく気味が悪い気がして目をそらしていたが、仕方なく同じ方向を見る。
空に伸びる無機質な一本の棒。
その後ろには、沈みかけの太陽と出番を待ちわびていた星がみごとな共演を果たしていた。濃い紺色とオレンジ色のグラデーション。鋭い光を放つ金星が、夜の始まりを知らせるように輝いていた。
「今日、西の空に彗星が見えるんだって」
普段よりも声が弾んでいる。
宗佑が宇宙好きとは意外だ。盗み見た嬉しそうな横顔に、つい目を奪われた。
「そういえば誰かが言ってたような…最近勉強ばっかりしてたから今日って知らなかった。でも…彗星とか流れ星とか割とよく来るよな。俺、ちょっと前にも見た気がする」
「違うって!今日のはすげえの!しかも今回の彗星は今日を逃すと次は八万年後らしいから。俺なんてすっかりじいさんだよ」
「生きてんのかよ」
シワシワだよと老人の真似をする宗佑にすかさず突っ込むと、「無理か」と笑った。
「肉眼で見える彗星自体、二年ぶりなんだって。更にスペシャルなやつだなんて、絶対見なきゃと思って。この屋上なら誰もいないし」
「俺だけの秘密の場所だったのになぁ」
「いいじゃん一人増えても。俺のこと好きでしょ?」
ニヤニヤしながら聞かれ、真顔で「俺は一人が好き」と横を向いた。
この場所は入学してすぐに発見した。屋上に続く階段に置かれた立ち入り禁止の看板。普通ならそこで引き返すが、ある日何気なく扉にぶら下がっている鍵を引っ張ってみた。すると、古びた南京錠は鈍い音と共に転がり落ちたのだ。
それからは、自習時間をここで過ごしたり、放課後昼寝をしたりするのに利用していた。誰にも邪魔されない一人だけの場所。面倒なクラスメイトもうるさい親もいない。ここで過ごす時間が一番好きだった。それが、高三のある日──扉のノブに手をかけた瞬間、肩をたたかれた。見つかってしまったのだと絶望的な気分で振り返ると、宗佑が笑っていた。「ここ、俺も好きなんだ」と。知っているやつがいたなんて少しがっかりしたが、意外にも二人でいる時の空気感は居心地がよかった。そしていつの間にか、この屋上は二人の秘密の場所になったのだ。
「なんでバレたんだろ…」
「ん?」
「いや…ってお前、汗すごくない?顔も赤い」
「そう?」
「熱下がってないだろ」
空を見上げる宗佑の頬はいつもより赤く、首筋にもうっすらと汗が光っていた。見慣れた整った横顔が、少しだけ辛そうにも見えた。
通常なら何もしないが、今日はなんだか心配になった。
いつも保っていた一人分の間隔が――邪魔に感じた。
一人分空いたその先の額に手を伸ばす。人差し指だけ着地したところで、宗佑がびくりと後ずさった。
「な、なにっ」
「何って、熱あるのかなって」
「ないよ、仮病だから」
「いや、やっぱりちょっと熱い──」
「本当に!だ、大丈夫だから。ちょっと走ってきた時の熱が残ってるだけ」
宗佑はブレザーのボタンを外し、第三ボタンまで外して空気を取り込んだ。パタパタと仰ぐとシャツの隙間から素肌が見え隠れする。ベビーフェイスとぴったりの華奢な身体が見え隠れする。白い肌と薄い胸板。そして――。
「…っ、寒いって言ったり暑いって言ったり…変なやつ」
見てはいけないものを見てしまった気がして、急いで目を逸らした。
見たい。もっと全部見てみたい。
そんな感情が湧き上がり、急いで思考を空へと飛ばした。
――無防備すぎんだよ。
俺は、宗佑が好きだ。もちろん友達としてじゃない、恋愛対象として。
初めはクラスメイトとして、いいやつだと思っていた。いつも機嫌が良くて、陽キャ代表みたいなやつ。大して苦労もせず、これからの人生も楽しく過ごしていくんだろう。そんなイメージだった。
屋上仲間になってからは、そのイメージは少しだけ変わった。二人だけの時はほとんど話さない。静かな時間が好きなんだといつも参考書を開いて昼寝をしていた。もちろんくだらないことで笑い合ったりゲームをしたりもしたが、一通り終わるといつも無表情で今日と同じ空を見上げていた。本人は気づいてないだろうが、その横顔は寂しそうで、悲しそうで、泣きそうな表情だった。そして俺は、そんな宗佑にすぐに心を奪わた。昼寝中の宗佑を真正面から見つめている時間は、至福以外の何者でもなかった。恋というものはこういうものなんだと、柄にもなく胸をときめかしていた。
好きだ。
そんな感情に蓋をしながら、いつも一人分のスペースを空けて隣にすわっていた。
油断すると熱い視線で見てしまいそうになる。ごまかすようにフェンスに身を乗り出して、本格的に暗くなり始めた空を見上げた。
「彗星、全然見えないな」
「うん…」
「なぁ、本当にこっちであってんの?西の空って本当の西?西南西とか西北西とか細かいこと気にしなくていいのか?」
「たぶん」
「たぶ…おい、お前はマジで見たいと思ってんのかよ」
彗星を見るために走ってきたくせに、いざ空を見上げたら本気で探す様子はない。
でもこういうことはよくある。あぁ静寂を求めてるのだなと口をつぐむと、しばらくして横から大きなため息が聞こえた。
「どっかで流れてるんだろうなぁ…見たかったな」
「いやそれならちゃんと探せよ。まだ時間あるんだろ」
「そうだけど」
人を巻き込んだくせにやる気のない宗佑に若干イラつき、自分で方角を調べて目的のものを探した。どうせなら見てみたい。宗佑に…好きなやつに笑ってほしいから。
「ねぇな…えっと、金星の右上…金星ってあれだよな。見え…ねぇな。くそ、もっと早く言ってくれれば家に望遠鏡あったのに」
水平線近くには雲がたまっているから、もしかして隠れてしまっているのかもしれない。
スマホで空を拡大してみても、それらしきものは見当たらない。光る物体を見つけたと思うと飛行機で、大きくため息をついて腕を下ろした。「見つけた?」と横を見ると、宗佑は実にやる気のない表情で、ただ笑って空を見ていた。
「おい、お前なんのために熱出しながらここ来たんだよ。死ぬ気で探せよ、八万年ぶりの客を」
宗佑はきっと、かなり熱がある。顔は赤いし呼吸も早い。いつもとどこか様子が違う。そんな状態で走ってきたのだから、何としてでも見つけてやろうと思うのが普通なんじゃないのだろうか。
再び名前を呼ぶと、「見えなくてもいいんだ」と想定外の言葉が返ってきた。
「は?」
「…ここで、勇人と彗星を探したって事実だけで…それでいい、満足」
「なんだそれ…」
急に真面目なトーンでそんなことを言われ、心臓がドクリと音を立てた。
――これしきのことで喜ぶな俺。こいつの人たらし発言はいつものこと。勘違いするな、これは違う。深読みするな。
数秒後なのか、数分後なのか。
宗佑は無言のまままっすぐと空を見つめ、そして重い口を開いた。
「勇人と彗星を見たかったんだ」
「え…うん」
「ここでこうやって肩を並べて、煙突の向こうを見たかった」
「…いや…突然何…」
「勇人は俺にとって特別な存在だから」
ほらまた。やめろよ。いつもそうやって俺の心を乱して、すぐに何事もなかったかのように笑って去っていくのに。
俺達の関係は友達で、きっと今後もこの関係は変わらない。失わないように、なくならないように。俺は必死で自分の気持ちを隠してお前に接してるって言うのに…。
お前に好意を寄せる相手だっているのに、そうやって思わせぶりな発言はいい加減やめろ。
今日こそは言ってやろうと冷たくなった手を握りしめた。
「はいはい。お前、そうやって勘違いさせるような発言控えたほうがいいよ。イケメンにそんなこと言われたら勘違い女が大量発生して、そのうち殺し合いが始まるぞ」
わざと茶化すように事を言ってやる。すると、鋭い声で「違う」と否定された。
「別にそんなんじゃない」
「あ…そう。…ならいいけど」
真剣な顔と声色につい怯んでしまった。
「特別なのは世界中で勇人だけだから」
「え…あ、どうも」
「俺は勇人さえいれば他に何もいらないって、何度も言ってるじゃん」
「あぁ…確かにそんな口癖あったような」
人たらしの常套句。俺をいつも喜ばせて、その後自己嫌悪に陥らせる悪魔の言葉だ。
「いつになったら伝わるんだろ。こんなに好きなのに」
「え…は?」
「勇人鈍感すぎるでしょ。これだから陰キャは」
「え、悪口?つうか…今告った…?え、なに」
わけが分からない。本気なのか冗談なのか。
冷静でいられなくて、思わず腕を掴んだ。
「お前…俺のこと好きなの?」
「ははっ」
「いや、なに笑って──」
「あっ!見て!ほら!」
どういう意味なんだと問い詰めようとした瞬間。掴んでいたすらりとした腕が空へとまっすぐに伸びた。指差す方角を見ると、太陽が沈んだ空に見事なほうき星が光っていた。
「あ…えっ、すげぇ」
「な!やばいな!うわ…マジで見られるんだ…」
「すげ…おい、見れたじゃん!あ、写真!…は無理か、うわぁ…なんか感動するな」
冷たい柵を握りしめる。
遙か遠く、西の空にゆっくりと落ちていく彗星。
八万年ぶりに訪れた奇跡の瞬間を目に焼き付ける。今後、二度と目にすることのできないその姿を。
しばらくすると、隣から鼻水を啜る音が聞こえた。
「…っ、すご…うぅっ、…本当に、八万年ぶりに地球に来たんだ…」
「え…なに泣いてんの!?お前そんなに宇宙オタクだったのか!?つうか情緒やばいだろ」
「ごめんっ…なんか、感動して…ぐぞっ、はだみずが」
「ばか。ほら、ティッシュ」
「あびばど」
子供みたいに泣きじゃくる宗佑がとてつもなく愛おしくて、ティッシュを差し出した後、震える手で頭を撫でた。
一瞬睫毛を揺らした宗佑だが、すぐに鼻をかんで、そしてもう一枚取り出して雑に目元を拭き取った。目の縁と鼻の頭が赤くて、いつもより幼く見える。
「はぁーっ、なんか…すごい最高の気分だ」
「確かに、彗星と宗佑のぐちゃぐちゃの顔最高だわ」
「うざっ。仕方ないだろ、この日を待ってたんだから」
「明日みんなに教えてやろうっと。宗佑は宇宙オタクで彗星見て泣くやつですって」
「やめろ、せっかく作り上げたクラス一の陽キャのイメージが壊れる」
「本当は陰キャだもんな」
「お前もだろ。学校一のモテ男なのに根暗で毒舌なくせに」
やるかぁとガンを飛ばし合い、堪えきれなくなりプッと吹き出した。
暗闇の中、二人で腹を抱えて笑った。
笑って笑って、気づいたら彗星は消えていた。
いつも通りに戻った空を、また肩を並べて見上げる。いつも通り、一人分空けて。
「つうかさ、彗星ってなんで来るんだろうな。運悪けりゃ地球滅亡だろ?わざわざこんな銀河系の果てに来なくていいのに。もっと大都会行けよ」
迷惑じゃね?と横を向くと、宗佑はきょとんとした顔でこちらを見ていた。そして、夢がねぇなと吹き出した後、穏やかな顔で前を見た。
「そんなの決まってるよ」
「ん?」
「八万年かけてかき集めたパワーを地球に届けてくれたんだよ。久々に来たサンタ的な?」
「お前は詩人か。つうかサンタさんな」
「ロマンだよねぇ。この歴史的瞬間に生きていられることが幸せだよ」
「大袈裟」
「あとは」
「お、また出るか、詩人宗佑」
「まぁ…勇気のない弱虫に告白のチャンスを作るためじゃね」
視界の隅で、宗佑が項垂れるのが見えた。「今のちょっとダサいな」と呟くと、大きくため息を漏らした。
「…やっぱ告ったんだ」
「告ったよ。一世一代の大勝負」
「俺なんかの…どこか好きなの」
自分で言うのもなんだけど、取り柄なんて顔くらいしか思いつかない。
性格は悪いほうだと自覚してるし、勉強だってそこそこだ。好きになってもらえる要素がない。
万が一見た目で好きと言われたら…いくら宗佑でもそれは少し考える。
こんな田舎で同性カップルになるのは、それなりの覚悟がいる。
自分はどうしようもなく宗佑に惚れているし、いつかはこの田舎を出ていくつもりだ。
だけど宗佑は違う。ここでずっと暮らすつもりかもしれないし、息子が男と付き合ってるなんて知ったらご両親だって悲しむだろう。
生半可な気持ちで付き合うべきではない。
なぜ上から目線なのかと言われるかもしれないが、好きなやつだからこそ笑っていてほしいと思った。後ろ指刺されないで生きていけるのなら、そっちの人生の方がずっといいだろう。
宗佑に好きと言われるなんて本当は飛び上がりたいほど嬉しいはずなのに、妙に冷静な自分がいて驚いた。
女を好きになれないどころか、こうやって何事にも熱くなれない自分は、やっぱり欠陥品なんだと最近思うようになった。
「顔かな」
胸の中にさっきの彗星がぶつかったような衝撃を受けた。ズシンと大穴を開けて全てをなぎ倒して…。
「嘘。…『迷ったら進め。でも疲れたらちゃんと休め。死ぬな』」
「…え?」
予想外の言葉に、胸に落ちた彗星が幻となる。
「忘れた?」
「え、一体何のこと…」
「勇人が言ってくれた言葉」
「俺が…言った…?いつ?」
覚えてないよね。宗佑は懐かしむように煙突を見つめた。
「俺の母さん、二年前に死んだんだけど」
「え…」
「そんな顔しなくていいよ。もう大丈夫だから」
「…ごめん、知らなかった」
「別に言う事でもないでしょ。みんな暗くなっちゃうし」
「あ、そうか。だからお前一人暮らし…」
「うん。元々片親だったから自然と」
「なんか…ごめん」
「だから大丈夫だって。東京に住んでるばあちゃんとは連絡取ってるし寂しくないから」
「そっか」
「でも、葬式の日さ…俺、もう心がついていかなくて…火葬場を飛び出したんだ。ほら、すぐそこの。それでここの非常階段の所に座って泣いててさ…」
「待てよ、もしかして」
「思い出した?」
「…私服だったから…そうか、あれって宗佑だったのか」
「あの時は正真正銘の陰キャだったからね。俺、もう死んじゃおうかなって思ってたんだ。なんか…急に全てがどうでもよくなって」
「…うん、だよな」
「で、男に会ったわけよ。あぁ、あの噂になってたイケメンだなって俺はすぐに気づいてどんな励ましの言葉かけんだろって待ってた」
「…」
「それなのに、そいつは今にも死にそうな俺を屋上に案内するし、俺のぐっちゃぐちゃの顔見ても何も言わない。挙句の果てにはフェンスに登ろうとしても何も言わなかったんだ。ただ隣に座ってゲームして。やばいだろ」
「…」
「なんだこいつって思ったよ。ちょっとは気の利くこと言えよって。でもいつまで経っても何も言わないんだよ。あぁ、俺は本当にこの世にいらないのかなって煙突の煙見上げてたら、今日みたいにちょうど彗星が通ったんだ。小さい尾を引いて。それで、最期に見る景色としては最高すぎるなって目を閉じた」
身体が動かなくなった。なぜか忘れていた記憶が鮮明に蘇った。
あの時、線香臭い今にも死にそうな男にどんな声をかければ良いのか、必死で言葉を探していた記憶がある。
自分の一言が人の生死を決めてしまうような恐怖を感じ、中々言葉が出なかったのだ。
何も言えずにいると、次の瞬間、身体の片側が温かくなった。更に身体が固まる。いつも一人分空いていたスペースが、初めてゼロになる。息もできずにフリーズしていると、うつむいたままピタリと身体をくっつけた宗佑が、泣き声で続ける。
「ありがとう。あの時止めてくれて」
「…」
「言ってくれたよね。次の彗星はもっとすごいらいしぞ、見なくていいのかって」
「…」
「生きたよ、今日まで。ちゃんと生きた。大変だったけど、迷っても一歩踏み出して、疲れたらちゃんと休んで」
そこまで言うと、宗佑の両目から大量の涙がこぼれ落ちた。コンクリートに落ちる涙の音がやけに鮮明に聞こえた。
「勇人のおかげで生きてる。俺を生かしてくれてありがとう」
「そんなこと…言われても…」
「うん、困るよね。勝手にこんな風に思われてるなんて気持ち悪いと思う。でも言わせて?この言葉を勇人に言うためだけに、今日まで生きていたから」
水分を含んだ瞳が、いつの間にか空に浮かんだ月の光を反射させ輝いていた。
そういえば今日はスーパームーンでもあったなとふと思い出した。
バカな宗佑。
この世の終わりみたいな顔しやがって。
言い終わったら飛び降りようみたいな顔してるの、気づいてるか?
またお前は俺に生死を決めさせようとするのか?
でも残念だったな。
今回はこの前とは違う。
俺だってお前のこと好きなんだよ。大好きなんだよ。
今すぐ抱きしめてキスして、今夜お前に家に押しかけて、お前と重なり合いたいって妄想までもうしてる。
なぁ、宗佑。
二人で東京に行かないか?
彗星はもう見えないかもしれないけれど、この田舎よりはきっと自由に生きられる。
俺は、全てを失ってもお前と生きていきたいよ。
俺にとっても、お前はとっくに特別な存在だから。
だから、約束しよう。
八万年後にまた同じ彗星を見るって。
形はないかもしれないけれど、どこかの空の下、肩を寄せ合って。
「…今日休みじゃなかった?」
「うん、今来たところ」
「重役出勤すぎんだろ」
スマホを見ると、もうすぐ十八時になるところだった。律儀に制服を着て登校した宗佑は勇人の隣に腰を下ろし、いつも通り一人分の間隔をあけてフェンスに寄りかかった。昼間は半袖で心地良い季節でも、さすがに十月の屋上は寒い。寒いとブレザーの袖を引っ張ると、指先に息を吹きかけた。
「風邪、悪化するぞ」
今朝、宗佑が風邪で休みと聞いた時、正直がっかりした。
最近は宗佑とばかりつるんでいる。自分で言うのもなんだが、自分は恵まれた容姿のせいで、得することもあれば妬まれることも多々ある。好意悪意に関わらず、うざい視線を向ける連中とは真逆。ただ懐いた犬のように尻尾を振って「遊ぼ」と近づいてくる宗佑は、とても心地よい相手だった。まぁ宗佑自身もベビーフェイスを兼ね備えた誰もが羨むイケメンだから、嫉妬なんてしないのだろうけど。
高三で初めて同じクラスになり、なんだかんだで放課後はこの屋上で一緒に受験勉強をするのが日課になっていた。
「テレビ見てたらさ、すごいこと知ったんだよ。だから勇人に教えてやろうと思って。でもさ…でも…急いで出てきたからゲームのセーブ忘れたんだよぉ…ぅあー!俺の五時間!ボス倒してあとは姫と話すだけだったのに」
宗佑は天を仰ぐと、ガックリと肩を落とした。
「それはご愁傷様。つうか寝るか勉強するかどっちかにしろよ受験生」
「ねぇ、気になるでしょ」
「別に」
本当は気になるが、そういう言い方をされると天の邪鬼な自分は素直にうんとは言えない。
言いたいなら言えよ、と突き放すと「ちぇっ」と口を尖らせてしまった。
「ほんと大型犬だな…」
「ん?」
「…いや、何でもない。で?」
「今日は何の日でしょうか」
言いたい!聞いて!が溢れ出ている。キラキラとした瞳がワクワク感を隠しきれていないし、なんなら尻尾が大きく揺れている幻覚さえ見える。
可愛いやつ。本当に同い年だよな?
もっと苛めたい気持ちをなんとか抑えつけ、「教えください宗佑様」と聞いてやった。
「すごいよ?」
満足そうに笑い、時計を確認して「もうそろそろかな」と立ち上がった。
「あの煙突の後ろだと思う」
自分も立ちあがり、宗佑と同じ空を見上げた。
「火葬場の煙突がどうかしたのか」
「違う、空見て」
「空?」
毎日絶え間なく煙を出す煙突。昔から何となく気味が悪い気がして目をそらしていたが、仕方なく同じ方向を見る。
空に伸びる無機質な一本の棒。
その後ろには、沈みかけの太陽と出番を待ちわびていた星がみごとな共演を果たしていた。濃い紺色とオレンジ色のグラデーション。鋭い光を放つ金星が、夜の始まりを知らせるように輝いていた。
「今日、西の空に彗星が見えるんだって」
普段よりも声が弾んでいる。
宗佑が宇宙好きとは意外だ。盗み見た嬉しそうな横顔に、つい目を奪われた。
「そういえば誰かが言ってたような…最近勉強ばっかりしてたから今日って知らなかった。でも…彗星とか流れ星とか割とよく来るよな。俺、ちょっと前にも見た気がする」
「違うって!今日のはすげえの!しかも今回の彗星は今日を逃すと次は八万年後らしいから。俺なんてすっかりじいさんだよ」
「生きてんのかよ」
シワシワだよと老人の真似をする宗佑にすかさず突っ込むと、「無理か」と笑った。
「肉眼で見える彗星自体、二年ぶりなんだって。更にスペシャルなやつだなんて、絶対見なきゃと思って。この屋上なら誰もいないし」
「俺だけの秘密の場所だったのになぁ」
「いいじゃん一人増えても。俺のこと好きでしょ?」
ニヤニヤしながら聞かれ、真顔で「俺は一人が好き」と横を向いた。
この場所は入学してすぐに発見した。屋上に続く階段に置かれた立ち入り禁止の看板。普通ならそこで引き返すが、ある日何気なく扉にぶら下がっている鍵を引っ張ってみた。すると、古びた南京錠は鈍い音と共に転がり落ちたのだ。
それからは、自習時間をここで過ごしたり、放課後昼寝をしたりするのに利用していた。誰にも邪魔されない一人だけの場所。面倒なクラスメイトもうるさい親もいない。ここで過ごす時間が一番好きだった。それが、高三のある日──扉のノブに手をかけた瞬間、肩をたたかれた。見つかってしまったのだと絶望的な気分で振り返ると、宗佑が笑っていた。「ここ、俺も好きなんだ」と。知っているやつがいたなんて少しがっかりしたが、意外にも二人でいる時の空気感は居心地がよかった。そしていつの間にか、この屋上は二人の秘密の場所になったのだ。
「なんでバレたんだろ…」
「ん?」
「いや…ってお前、汗すごくない?顔も赤い」
「そう?」
「熱下がってないだろ」
空を見上げる宗佑の頬はいつもより赤く、首筋にもうっすらと汗が光っていた。見慣れた整った横顔が、少しだけ辛そうにも見えた。
通常なら何もしないが、今日はなんだか心配になった。
いつも保っていた一人分の間隔が――邪魔に感じた。
一人分空いたその先の額に手を伸ばす。人差し指だけ着地したところで、宗佑がびくりと後ずさった。
「な、なにっ」
「何って、熱あるのかなって」
「ないよ、仮病だから」
「いや、やっぱりちょっと熱い──」
「本当に!だ、大丈夫だから。ちょっと走ってきた時の熱が残ってるだけ」
宗佑はブレザーのボタンを外し、第三ボタンまで外して空気を取り込んだ。パタパタと仰ぐとシャツの隙間から素肌が見え隠れする。ベビーフェイスとぴったりの華奢な身体が見え隠れする。白い肌と薄い胸板。そして――。
「…っ、寒いって言ったり暑いって言ったり…変なやつ」
見てはいけないものを見てしまった気がして、急いで目を逸らした。
見たい。もっと全部見てみたい。
そんな感情が湧き上がり、急いで思考を空へと飛ばした。
――無防備すぎんだよ。
俺は、宗佑が好きだ。もちろん友達としてじゃない、恋愛対象として。
初めはクラスメイトとして、いいやつだと思っていた。いつも機嫌が良くて、陽キャ代表みたいなやつ。大して苦労もせず、これからの人生も楽しく過ごしていくんだろう。そんなイメージだった。
屋上仲間になってからは、そのイメージは少しだけ変わった。二人だけの時はほとんど話さない。静かな時間が好きなんだといつも参考書を開いて昼寝をしていた。もちろんくだらないことで笑い合ったりゲームをしたりもしたが、一通り終わるといつも無表情で今日と同じ空を見上げていた。本人は気づいてないだろうが、その横顔は寂しそうで、悲しそうで、泣きそうな表情だった。そして俺は、そんな宗佑にすぐに心を奪わた。昼寝中の宗佑を真正面から見つめている時間は、至福以外の何者でもなかった。恋というものはこういうものなんだと、柄にもなく胸をときめかしていた。
好きだ。
そんな感情に蓋をしながら、いつも一人分のスペースを空けて隣にすわっていた。
油断すると熱い視線で見てしまいそうになる。ごまかすようにフェンスに身を乗り出して、本格的に暗くなり始めた空を見上げた。
「彗星、全然見えないな」
「うん…」
「なぁ、本当にこっちであってんの?西の空って本当の西?西南西とか西北西とか細かいこと気にしなくていいのか?」
「たぶん」
「たぶ…おい、お前はマジで見たいと思ってんのかよ」
彗星を見るために走ってきたくせに、いざ空を見上げたら本気で探す様子はない。
でもこういうことはよくある。あぁ静寂を求めてるのだなと口をつぐむと、しばらくして横から大きなため息が聞こえた。
「どっかで流れてるんだろうなぁ…見たかったな」
「いやそれならちゃんと探せよ。まだ時間あるんだろ」
「そうだけど」
人を巻き込んだくせにやる気のない宗佑に若干イラつき、自分で方角を調べて目的のものを探した。どうせなら見てみたい。宗佑に…好きなやつに笑ってほしいから。
「ねぇな…えっと、金星の右上…金星ってあれだよな。見え…ねぇな。くそ、もっと早く言ってくれれば家に望遠鏡あったのに」
水平線近くには雲がたまっているから、もしかして隠れてしまっているのかもしれない。
スマホで空を拡大してみても、それらしきものは見当たらない。光る物体を見つけたと思うと飛行機で、大きくため息をついて腕を下ろした。「見つけた?」と横を見ると、宗佑は実にやる気のない表情で、ただ笑って空を見ていた。
「おい、お前なんのために熱出しながらここ来たんだよ。死ぬ気で探せよ、八万年ぶりの客を」
宗佑はきっと、かなり熱がある。顔は赤いし呼吸も早い。いつもとどこか様子が違う。そんな状態で走ってきたのだから、何としてでも見つけてやろうと思うのが普通なんじゃないのだろうか。
再び名前を呼ぶと、「見えなくてもいいんだ」と想定外の言葉が返ってきた。
「は?」
「…ここで、勇人と彗星を探したって事実だけで…それでいい、満足」
「なんだそれ…」
急に真面目なトーンでそんなことを言われ、心臓がドクリと音を立てた。
――これしきのことで喜ぶな俺。こいつの人たらし発言はいつものこと。勘違いするな、これは違う。深読みするな。
数秒後なのか、数分後なのか。
宗佑は無言のまままっすぐと空を見つめ、そして重い口を開いた。
「勇人と彗星を見たかったんだ」
「え…うん」
「ここでこうやって肩を並べて、煙突の向こうを見たかった」
「…いや…突然何…」
「勇人は俺にとって特別な存在だから」
ほらまた。やめろよ。いつもそうやって俺の心を乱して、すぐに何事もなかったかのように笑って去っていくのに。
俺達の関係は友達で、きっと今後もこの関係は変わらない。失わないように、なくならないように。俺は必死で自分の気持ちを隠してお前に接してるって言うのに…。
お前に好意を寄せる相手だっているのに、そうやって思わせぶりな発言はいい加減やめろ。
今日こそは言ってやろうと冷たくなった手を握りしめた。
「はいはい。お前、そうやって勘違いさせるような発言控えたほうがいいよ。イケメンにそんなこと言われたら勘違い女が大量発生して、そのうち殺し合いが始まるぞ」
わざと茶化すように事を言ってやる。すると、鋭い声で「違う」と否定された。
「別にそんなんじゃない」
「あ…そう。…ならいいけど」
真剣な顔と声色につい怯んでしまった。
「特別なのは世界中で勇人だけだから」
「え…あ、どうも」
「俺は勇人さえいれば他に何もいらないって、何度も言ってるじゃん」
「あぁ…確かにそんな口癖あったような」
人たらしの常套句。俺をいつも喜ばせて、その後自己嫌悪に陥らせる悪魔の言葉だ。
「いつになったら伝わるんだろ。こんなに好きなのに」
「え…は?」
「勇人鈍感すぎるでしょ。これだから陰キャは」
「え、悪口?つうか…今告った…?え、なに」
わけが分からない。本気なのか冗談なのか。
冷静でいられなくて、思わず腕を掴んだ。
「お前…俺のこと好きなの?」
「ははっ」
「いや、なに笑って──」
「あっ!見て!ほら!」
どういう意味なんだと問い詰めようとした瞬間。掴んでいたすらりとした腕が空へとまっすぐに伸びた。指差す方角を見ると、太陽が沈んだ空に見事なほうき星が光っていた。
「あ…えっ、すげぇ」
「な!やばいな!うわ…マジで見られるんだ…」
「すげ…おい、見れたじゃん!あ、写真!…は無理か、うわぁ…なんか感動するな」
冷たい柵を握りしめる。
遙か遠く、西の空にゆっくりと落ちていく彗星。
八万年ぶりに訪れた奇跡の瞬間を目に焼き付ける。今後、二度と目にすることのできないその姿を。
しばらくすると、隣から鼻水を啜る音が聞こえた。
「…っ、すご…うぅっ、…本当に、八万年ぶりに地球に来たんだ…」
「え…なに泣いてんの!?お前そんなに宇宙オタクだったのか!?つうか情緒やばいだろ」
「ごめんっ…なんか、感動して…ぐぞっ、はだみずが」
「ばか。ほら、ティッシュ」
「あびばど」
子供みたいに泣きじゃくる宗佑がとてつもなく愛おしくて、ティッシュを差し出した後、震える手で頭を撫でた。
一瞬睫毛を揺らした宗佑だが、すぐに鼻をかんで、そしてもう一枚取り出して雑に目元を拭き取った。目の縁と鼻の頭が赤くて、いつもより幼く見える。
「はぁーっ、なんか…すごい最高の気分だ」
「確かに、彗星と宗佑のぐちゃぐちゃの顔最高だわ」
「うざっ。仕方ないだろ、この日を待ってたんだから」
「明日みんなに教えてやろうっと。宗佑は宇宙オタクで彗星見て泣くやつですって」
「やめろ、せっかく作り上げたクラス一の陽キャのイメージが壊れる」
「本当は陰キャだもんな」
「お前もだろ。学校一のモテ男なのに根暗で毒舌なくせに」
やるかぁとガンを飛ばし合い、堪えきれなくなりプッと吹き出した。
暗闇の中、二人で腹を抱えて笑った。
笑って笑って、気づいたら彗星は消えていた。
いつも通りに戻った空を、また肩を並べて見上げる。いつも通り、一人分空けて。
「つうかさ、彗星ってなんで来るんだろうな。運悪けりゃ地球滅亡だろ?わざわざこんな銀河系の果てに来なくていいのに。もっと大都会行けよ」
迷惑じゃね?と横を向くと、宗佑はきょとんとした顔でこちらを見ていた。そして、夢がねぇなと吹き出した後、穏やかな顔で前を見た。
「そんなの決まってるよ」
「ん?」
「八万年かけてかき集めたパワーを地球に届けてくれたんだよ。久々に来たサンタ的な?」
「お前は詩人か。つうかサンタさんな」
「ロマンだよねぇ。この歴史的瞬間に生きていられることが幸せだよ」
「大袈裟」
「あとは」
「お、また出るか、詩人宗佑」
「まぁ…勇気のない弱虫に告白のチャンスを作るためじゃね」
視界の隅で、宗佑が項垂れるのが見えた。「今のちょっとダサいな」と呟くと、大きくため息を漏らした。
「…やっぱ告ったんだ」
「告ったよ。一世一代の大勝負」
「俺なんかの…どこか好きなの」
自分で言うのもなんだけど、取り柄なんて顔くらいしか思いつかない。
性格は悪いほうだと自覚してるし、勉強だってそこそこだ。好きになってもらえる要素がない。
万が一見た目で好きと言われたら…いくら宗佑でもそれは少し考える。
こんな田舎で同性カップルになるのは、それなりの覚悟がいる。
自分はどうしようもなく宗佑に惚れているし、いつかはこの田舎を出ていくつもりだ。
だけど宗佑は違う。ここでずっと暮らすつもりかもしれないし、息子が男と付き合ってるなんて知ったらご両親だって悲しむだろう。
生半可な気持ちで付き合うべきではない。
なぜ上から目線なのかと言われるかもしれないが、好きなやつだからこそ笑っていてほしいと思った。後ろ指刺されないで生きていけるのなら、そっちの人生の方がずっといいだろう。
宗佑に好きと言われるなんて本当は飛び上がりたいほど嬉しいはずなのに、妙に冷静な自分がいて驚いた。
女を好きになれないどころか、こうやって何事にも熱くなれない自分は、やっぱり欠陥品なんだと最近思うようになった。
「顔かな」
胸の中にさっきの彗星がぶつかったような衝撃を受けた。ズシンと大穴を開けて全てをなぎ倒して…。
「嘘。…『迷ったら進め。でも疲れたらちゃんと休め。死ぬな』」
「…え?」
予想外の言葉に、胸に落ちた彗星が幻となる。
「忘れた?」
「え、一体何のこと…」
「勇人が言ってくれた言葉」
「俺が…言った…?いつ?」
覚えてないよね。宗佑は懐かしむように煙突を見つめた。
「俺の母さん、二年前に死んだんだけど」
「え…」
「そんな顔しなくていいよ。もう大丈夫だから」
「…ごめん、知らなかった」
「別に言う事でもないでしょ。みんな暗くなっちゃうし」
「あ、そうか。だからお前一人暮らし…」
「うん。元々片親だったから自然と」
「なんか…ごめん」
「だから大丈夫だって。東京に住んでるばあちゃんとは連絡取ってるし寂しくないから」
「そっか」
「でも、葬式の日さ…俺、もう心がついていかなくて…火葬場を飛び出したんだ。ほら、すぐそこの。それでここの非常階段の所に座って泣いててさ…」
「待てよ、もしかして」
「思い出した?」
「…私服だったから…そうか、あれって宗佑だったのか」
「あの時は正真正銘の陰キャだったからね。俺、もう死んじゃおうかなって思ってたんだ。なんか…急に全てがどうでもよくなって」
「…うん、だよな」
「で、男に会ったわけよ。あぁ、あの噂になってたイケメンだなって俺はすぐに気づいてどんな励ましの言葉かけんだろって待ってた」
「…」
「それなのに、そいつは今にも死にそうな俺を屋上に案内するし、俺のぐっちゃぐちゃの顔見ても何も言わない。挙句の果てにはフェンスに登ろうとしても何も言わなかったんだ。ただ隣に座ってゲームして。やばいだろ」
「…」
「なんだこいつって思ったよ。ちょっとは気の利くこと言えよって。でもいつまで経っても何も言わないんだよ。あぁ、俺は本当にこの世にいらないのかなって煙突の煙見上げてたら、今日みたいにちょうど彗星が通ったんだ。小さい尾を引いて。それで、最期に見る景色としては最高すぎるなって目を閉じた」
身体が動かなくなった。なぜか忘れていた記憶が鮮明に蘇った。
あの時、線香臭い今にも死にそうな男にどんな声をかければ良いのか、必死で言葉を探していた記憶がある。
自分の一言が人の生死を決めてしまうような恐怖を感じ、中々言葉が出なかったのだ。
何も言えずにいると、次の瞬間、身体の片側が温かくなった。更に身体が固まる。いつも一人分空いていたスペースが、初めてゼロになる。息もできずにフリーズしていると、うつむいたままピタリと身体をくっつけた宗佑が、泣き声で続ける。
「ありがとう。あの時止めてくれて」
「…」
「言ってくれたよね。次の彗星はもっとすごいらいしぞ、見なくていいのかって」
「…」
「生きたよ、今日まで。ちゃんと生きた。大変だったけど、迷っても一歩踏み出して、疲れたらちゃんと休んで」
そこまで言うと、宗佑の両目から大量の涙がこぼれ落ちた。コンクリートに落ちる涙の音がやけに鮮明に聞こえた。
「勇人のおかげで生きてる。俺を生かしてくれてありがとう」
「そんなこと…言われても…」
「うん、困るよね。勝手にこんな風に思われてるなんて気持ち悪いと思う。でも言わせて?この言葉を勇人に言うためだけに、今日まで生きていたから」
水分を含んだ瞳が、いつの間にか空に浮かんだ月の光を反射させ輝いていた。
そういえば今日はスーパームーンでもあったなとふと思い出した。
バカな宗佑。
この世の終わりみたいな顔しやがって。
言い終わったら飛び降りようみたいな顔してるの、気づいてるか?
またお前は俺に生死を決めさせようとするのか?
でも残念だったな。
今回はこの前とは違う。
俺だってお前のこと好きなんだよ。大好きなんだよ。
今すぐ抱きしめてキスして、今夜お前に家に押しかけて、お前と重なり合いたいって妄想までもうしてる。
なぁ、宗佑。
二人で東京に行かないか?
彗星はもう見えないかもしれないけれど、この田舎よりはきっと自由に生きられる。
俺は、全てを失ってもお前と生きていきたいよ。
俺にとっても、お前はとっくに特別な存在だから。
だから、約束しよう。
八万年後にまた同じ彗星を見るって。
形はないかもしれないけれど、どこかの空の下、肩を寄せ合って。