日曜日、ベスト4に残った自分を含めた四人が揃った。文英のテニス部の数名が応援に来ていたが、その中に幸生の姿はなく少し落胆した。
準決勝は6-4 6-2と問題なくストレートで勝利。決勝の相手は県ジュニアNo. 1である久保田海斗 《くぼたかいと》。過去の対戦成績は0勝5敗。中学の時から一度も勝てた事がない相手とは、この久保田海斗だった。全てのプレイにブレがなく弱点という弱点はない。そして、左利きだった。
試合が始まると、今まで苦手にしていた左利きのサーブが苦にならない事に気付く。
(幸生とした練習のおかげだな)
相手もいつもと違う太雅に少し戸惑っているように見えた。
そして、第1セットは太雅が6-4で先取。久保田相手にセットを奪ったのも始めてだった。
(いけるぞ!)
そう確信した。だが、相手も県ジュニアNo. 1だ。そう簡単にいくはずもない。第1セットはストロークの打ち合いだったが、相手は第2セットに入ると積極的に前に詰めてきている。相手は自分より多く引き出しを持っているのは、やはり強みだと感じた。2セット目はタイブレークの末落としてしまった。最終セットもお互いにサービスキープが続き、2セット目と同じくタイブレークへともつれ込んだ。太雅の足は限界に近かった。だが、それは相手も同じだろう。
6-6のチェンジコートを終え、相手のサーブから激しいラリー戦が続いた。果敢に前に出ていた久保田も、終始ストローク戦に持ち込む事にしたようだ。互いに相手のミス待ちと言ったところだろう。
その時、久保田がフォアの構えからグリップチェンジをしたのが目に入った。
(ドロップ!)
ドロップショットは、上手くボールの勢いを殺し、ネット際にボールを落とす技で、綺麗に決まってしまえば、それに触る事は至難の技だ。
太雅がそれに気付き、一歩前に出た瞬間、左ふくらはぎに激痛が走った。
(つ、つった……!)
太雅はボールを追うことができなかった。
タイブレーク6-7で相手のマッチポイント。
自分の目を疑った。まさかと思った。久保田は立て続けにドロップショットを放ったのだ。ネットを掠め、そのボールはポスリと太雅側のコートに力なく落ち、痙攣した足では反応する事すらできなかった。
「ゲームセット! ウォンバイ久保田!」
虚しく審判の声がコートに響き、とっさに浮かんだのは、
──幸生の側にもう、いられない──
その言葉だった。負けた悔しさより、幸生を諦めなければいけない悲しみが上回った。
お互い足は引きずりながらコート中央に向かい合う。久保田もどうやら足にきていたようだ。
握手を交わすとコートを後にした。
チームメイトから、お疲れ、惜しかったな、と声を掛けられるが、頭に入ってくる事はなかった。
着替える為、ロッカールームに足を踏み入れ荷物をベンチに放り投げると力なく腰を下ろした。
こんな事で諦められる程、幸生への気持ちは軽い物ではない。簡単に諦められるのなら、最初から同性である幸生を好きになどならない。
こんなにも大きくなってしまった想いの行き場は
これからどうして行けばいいのか、太雅の頭では到底思いつく事はなかった。
誰もいないロッカールームで太雅はタオルを頭から被り、静かに泣いた。
コンコンとロッカールームの扉をノックする音がし、太雅は慌ててタオルで顔を拭い、
「あ、はい……」
泣き顔を見られないよう太雅はじっと下を向く。入ってきた人物が通り過ぎるのを待ったが、視線の先に見覚えのあるスニーカーが目に入った。
「太雅、お疲れ様。いい試合だった」
ゆっくり顔を上げると、そこには薄っすらと笑みを浮かべる幸生が立っていた。
「幸生……来てたのか」
幸生の顔を見た瞬間、再び涙が溢れるのをグッと堪えた。
「久保田さんの足、今、両方痙攣してるって」
「そうか……」
「足にきてたからこれ以上、試合を長引かせたくなかったって。だからあの場面で無謀なドロップ打ったって言ってた。これ渡しておいてって」
そう言って幸生は、痙攣に有効である漢方薬の粉末とミネラルウォーターを手渡してきた。
「後でお礼言っておいてね」
「ああ……」
機械的に漢方薬を飲み一息つくと、自分の手に目を落とした。ポタリとその手に水滴が溢れ、自分が泣いているのだと気付く。
「俺……負けた事より、おまえの側にいられなくなる事の方が嫌だなって思ったよ……でも、約束通り、おまえを好きでいる事、やめるよ」
口にしてみると、現実味が帯び無意識に手が震えた。
こんなにも幸生を好きになっていた。こんなに好きなのに報われない恋をした。幸生を好きでいる事をやめなければならないと、そう自分で決めたのだ。
太雅の小刻みに震える手に、幸生の手が重なった。
「やめちゃうの?」
幸生のかき消されそうな小さな声は僅かに震えていた。
「え?」
「俺を好きでいるの、やめちゃうの?」
幸生の目を見ようと顔を上げると、幸生は泣きそうな顔をしていた。
「ずっと、考えてた。この試合に太雅が負けたら太雅は俺の側にいてくれなくなるんだって。俺を好きな事、やめるんだなって。そう考えたら……」
幸生は言葉を切り、涙を浮かべた目で太雅を見ると、
「嫌だなって思った。鉄郎の隣にいられなくなって、俺の心に大きな穴が開いたけど、それを太雅が少しずつ埋めてくれたんだよ。少しずつ少しずつ、その穴が埋まっていくのを凄く感じた。太雅のおかげで、何度も救われた。悲しみに溺れていきそうだったけど、それを太雅が救ってくれたんだ。太雅がいてくれて良かったって思う」
そう言って、幸生は照れ臭そうに笑った。
「俺……幸生の事、好きなままでもいいのか?」
太雅は幸生の手を握り返すと、そう言った。
少し困ったように、幸生は歯に噛んだような笑みを浮かべている。
「正直、鉄郎への気持ちは完全に断ち切れてないし、太雅への気持ちも自分でも良く分からない……でも、一緒にいてほしいと思う。なんとなくだけど、ちゃんと太雅を好きになれそうな気がするんだ」
幸生のその言葉を聞いた瞬間、太雅は幸生を抱きしめていた。
「いきなり好きになってほしいなんて言わない。幸生の隣にいさせてくれ。鉄郎の代わりにでもいい。俺といて気が紛れるなら、なんでもいいから利用してよ」
「代わりにとか利用とかじゃなくて……太雅を好きになりたいって思ったんだよ」
その言葉に太雅へ幸生を更に強く抱きしめた。
「た、太雅……苦しいよ……」
「……死にそう……」
太雅は幸生の肩口に顔を埋めると、震える声でそう呟いた。
「え? な、何?」
「その言葉だけで、嬉し過ぎて死んでもいい……」
「大袈裟だよ!」
「だって、もうダメだと思ってたから……」
幸生は太雅の頭を軽く撫でると、
「好きになってくれて、ありがとう」
そう告げた。
太雅の体が幸生から離れると、
「好きだ。好きだ、幸生」
いつものあの射抜くような目をした太雅の顔が近付いてきたかと思うと、触れるだけのキスをされた。
一瞬幸生は驚きで体が固まったが、幸生からもキスをしかけた。チュッとわざと音を立ててキスをし、すぐ唇を離すと太雅の顔は今までに見た事がない程真っ赤になり、それが堪らなく可愛いく見えてクスリと笑うとまた抱きしめられた。
太雅に愛されている自分はとても幸せだ。近い未来、太雅を好きになる自分が容易に想像できる。
これから先、太雅の隣が自分の居場所なのだとそう思うだけで幸せな気持ちになり、自分は思いのほか単純にできているのだと感じた。
人に愛される事が、こんなにも幸せな事なのだと太雅が教えてくれた。
(幸せをくれてありがとう、太雅)
太雅の腕の中で幸生はそう心の中で呟いた。
準決勝は6-4 6-2と問題なくストレートで勝利。決勝の相手は県ジュニアNo. 1である久保田海斗 《くぼたかいと》。過去の対戦成績は0勝5敗。中学の時から一度も勝てた事がない相手とは、この久保田海斗だった。全てのプレイにブレがなく弱点という弱点はない。そして、左利きだった。
試合が始まると、今まで苦手にしていた左利きのサーブが苦にならない事に気付く。
(幸生とした練習のおかげだな)
相手もいつもと違う太雅に少し戸惑っているように見えた。
そして、第1セットは太雅が6-4で先取。久保田相手にセットを奪ったのも始めてだった。
(いけるぞ!)
そう確信した。だが、相手も県ジュニアNo. 1だ。そう簡単にいくはずもない。第1セットはストロークの打ち合いだったが、相手は第2セットに入ると積極的に前に詰めてきている。相手は自分より多く引き出しを持っているのは、やはり強みだと感じた。2セット目はタイブレークの末落としてしまった。最終セットもお互いにサービスキープが続き、2セット目と同じくタイブレークへともつれ込んだ。太雅の足は限界に近かった。だが、それは相手も同じだろう。
6-6のチェンジコートを終え、相手のサーブから激しいラリー戦が続いた。果敢に前に出ていた久保田も、終始ストローク戦に持ち込む事にしたようだ。互いに相手のミス待ちと言ったところだろう。
その時、久保田がフォアの構えからグリップチェンジをしたのが目に入った。
(ドロップ!)
ドロップショットは、上手くボールの勢いを殺し、ネット際にボールを落とす技で、綺麗に決まってしまえば、それに触る事は至難の技だ。
太雅がそれに気付き、一歩前に出た瞬間、左ふくらはぎに激痛が走った。
(つ、つった……!)
太雅はボールを追うことができなかった。
タイブレーク6-7で相手のマッチポイント。
自分の目を疑った。まさかと思った。久保田は立て続けにドロップショットを放ったのだ。ネットを掠め、そのボールはポスリと太雅側のコートに力なく落ち、痙攣した足では反応する事すらできなかった。
「ゲームセット! ウォンバイ久保田!」
虚しく審判の声がコートに響き、とっさに浮かんだのは、
──幸生の側にもう、いられない──
その言葉だった。負けた悔しさより、幸生を諦めなければいけない悲しみが上回った。
お互い足は引きずりながらコート中央に向かい合う。久保田もどうやら足にきていたようだ。
握手を交わすとコートを後にした。
チームメイトから、お疲れ、惜しかったな、と声を掛けられるが、頭に入ってくる事はなかった。
着替える為、ロッカールームに足を踏み入れ荷物をベンチに放り投げると力なく腰を下ろした。
こんな事で諦められる程、幸生への気持ちは軽い物ではない。簡単に諦められるのなら、最初から同性である幸生を好きになどならない。
こんなにも大きくなってしまった想いの行き場は
これからどうして行けばいいのか、太雅の頭では到底思いつく事はなかった。
誰もいないロッカールームで太雅はタオルを頭から被り、静かに泣いた。
コンコンとロッカールームの扉をノックする音がし、太雅は慌ててタオルで顔を拭い、
「あ、はい……」
泣き顔を見られないよう太雅はじっと下を向く。入ってきた人物が通り過ぎるのを待ったが、視線の先に見覚えのあるスニーカーが目に入った。
「太雅、お疲れ様。いい試合だった」
ゆっくり顔を上げると、そこには薄っすらと笑みを浮かべる幸生が立っていた。
「幸生……来てたのか」
幸生の顔を見た瞬間、再び涙が溢れるのをグッと堪えた。
「久保田さんの足、今、両方痙攣してるって」
「そうか……」
「足にきてたからこれ以上、試合を長引かせたくなかったって。だからあの場面で無謀なドロップ打ったって言ってた。これ渡しておいてって」
そう言って幸生は、痙攣に有効である漢方薬の粉末とミネラルウォーターを手渡してきた。
「後でお礼言っておいてね」
「ああ……」
機械的に漢方薬を飲み一息つくと、自分の手に目を落とした。ポタリとその手に水滴が溢れ、自分が泣いているのだと気付く。
「俺……負けた事より、おまえの側にいられなくなる事の方が嫌だなって思ったよ……でも、約束通り、おまえを好きでいる事、やめるよ」
口にしてみると、現実味が帯び無意識に手が震えた。
こんなにも幸生を好きになっていた。こんなに好きなのに報われない恋をした。幸生を好きでいる事をやめなければならないと、そう自分で決めたのだ。
太雅の小刻みに震える手に、幸生の手が重なった。
「やめちゃうの?」
幸生のかき消されそうな小さな声は僅かに震えていた。
「え?」
「俺を好きでいるの、やめちゃうの?」
幸生の目を見ようと顔を上げると、幸生は泣きそうな顔をしていた。
「ずっと、考えてた。この試合に太雅が負けたら太雅は俺の側にいてくれなくなるんだって。俺を好きな事、やめるんだなって。そう考えたら……」
幸生は言葉を切り、涙を浮かべた目で太雅を見ると、
「嫌だなって思った。鉄郎の隣にいられなくなって、俺の心に大きな穴が開いたけど、それを太雅が少しずつ埋めてくれたんだよ。少しずつ少しずつ、その穴が埋まっていくのを凄く感じた。太雅のおかげで、何度も救われた。悲しみに溺れていきそうだったけど、それを太雅が救ってくれたんだ。太雅がいてくれて良かったって思う」
そう言って、幸生は照れ臭そうに笑った。
「俺……幸生の事、好きなままでもいいのか?」
太雅は幸生の手を握り返すと、そう言った。
少し困ったように、幸生は歯に噛んだような笑みを浮かべている。
「正直、鉄郎への気持ちは完全に断ち切れてないし、太雅への気持ちも自分でも良く分からない……でも、一緒にいてほしいと思う。なんとなくだけど、ちゃんと太雅を好きになれそうな気がするんだ」
幸生のその言葉を聞いた瞬間、太雅は幸生を抱きしめていた。
「いきなり好きになってほしいなんて言わない。幸生の隣にいさせてくれ。鉄郎の代わりにでもいい。俺といて気が紛れるなら、なんでもいいから利用してよ」
「代わりにとか利用とかじゃなくて……太雅を好きになりたいって思ったんだよ」
その言葉に太雅へ幸生を更に強く抱きしめた。
「た、太雅……苦しいよ……」
「……死にそう……」
太雅は幸生の肩口に顔を埋めると、震える声でそう呟いた。
「え? な、何?」
「その言葉だけで、嬉し過ぎて死んでもいい……」
「大袈裟だよ!」
「だって、もうダメだと思ってたから……」
幸生は太雅の頭を軽く撫でると、
「好きになってくれて、ありがとう」
そう告げた。
太雅の体が幸生から離れると、
「好きだ。好きだ、幸生」
いつものあの射抜くような目をした太雅の顔が近付いてきたかと思うと、触れるだけのキスをされた。
一瞬幸生は驚きで体が固まったが、幸生からもキスをしかけた。チュッとわざと音を立ててキスをし、すぐ唇を離すと太雅の顔は今までに見た事がない程真っ赤になり、それが堪らなく可愛いく見えてクスリと笑うとまた抱きしめられた。
太雅に愛されている自分はとても幸せだ。近い未来、太雅を好きになる自分が容易に想像できる。
これから先、太雅の隣が自分の居場所なのだとそう思うだけで幸せな気持ちになり、自分は思いのほか単純にできているのだと感じた。
人に愛される事が、こんなにも幸せな事なのだと太雅が教えてくれた。
(幸せをくれてありがとう、太雅)
太雅の腕の中で幸生はそう心の中で呟いた。