城の一階は、見通しのよい大広間となっている。
左手に階段が備えられているが、目立った調度品もなく、殺伐としている。
勿論、武者と来訪者の四人以外に人影はない。
四人は辺りを頻りに見回し、首をあちこちへ向ける。武者は気にする事なく、左手の階段から上へ昇っていく。
歌織は男のすぐ後ろについて、多くを尋ねる。
「このお城には、誰が住んでいるんですか?」
「住まひ人は、居りませぬ」
「あなたは、ここには住んでいないんですか?」
「一めに申し上げたように、初めての来訪となる御仁を案内する、ただそれだけの勤めにて」
「ここに来ているのは、私たちだけじゃないんですね。他の来訪者は、どこに?」
「一遍に客人が参ることはござらぬ」
武者は、問いに答えながら早速と階段を昇っていく。
歌織の次に残る三人も追いかけるが、何階であっても変わり映えのしない内観に惑わされる。
自分たちは今、何階の階段を昇っているのだろうか。
とある階段を昇り切ったところで、伊代が問いかける。
「このお城は、何という名前なんですか?」
現代日本の現存天守はすべて踏破している伊代は、聞き覚えのある答えを期待していた。
そうすれば、この摩訶不思議で不気味な世界のことを少しでも解明できると思ったからだ。
「呼ぶとするならば、『はじまりの城』でござろう」
「はじまりの、城?」
予想外の返答に戸惑う、伊代。
「そう焦らずともよい。上階へ上がれば、すべてお話し仕る」
天守の最上階は、二十畳程度あるかと思われた。四方は木の扉で閉ざされており、閉塞感を抱かせる。
武者は、来訪者の四人が最上階まで昇り切ったことを確認すると、四人の目をしっかりと見て、語り始めた。
「急な御来訪となり、驚かれていることと存じまするが、ご容赦を。全てを語る事は禁じられておりますが、語れるとすれば、為すべき事を果たすべく、貴殿方々には力添えを頂きたいのであります」
「為すべき事?」
と、歌織は聞き慣れない言葉で、眉間に皺を寄せる。
「左様。拙者等は謂わば、助けを求むる民が為に生きる者にござる。手軽い人助けと思って、頼まれて頂ければ良い」
ボランティアだと考えれば聞こえは良いが、未知の世界へやってきて頼まれてくれ、と言われるのは中々腑に落ちない。
それにつけ、武者の貼り付けた様な笑みに、信用を見出す事は尚更納得し難いものだ。
「あなたの仕事を手伝う為だけに、私たちはここに連れて来られたってこと?」
と、歌織が不信感を顕に言う。
「拉致されて来てるようなもんだよ、私たち。そんな冗談が通じると思ってる?」
「教えてください」
と、先ほどまで歌織の陰に隠れていた伊代が、勇気を出して尋ねる。
「この世界は、何処なんですか?私たちは、もとの場所に帰れるんでしょうか?」
「失礼ながら、前者の問いには答えることは叶いませぬ。貴殿方々がこの世界で生きる為には、他者が生きる手助けをすることは禁じられております。貴殿が、貴殿の力で考え、辿り着く事です。さすれば、必ずや望む世界へ帰れましょう」
まるで、試練を受けているようだと、ふと伊代は思った。
大学院で研究している歴史上の偉人たちが、自らの宿命と向き合い道を切り拓いたように、試練の場が与えられているのかもしれない。
もしくはこれが夢で、ベッドから転げ落ちたせいで頭がおかしくなり、通常では考えられない妄想を繰り広げているのかもしれない。
伊代は再び、頬を思いっきり抓ってみるのだが、夢から覚めるどころか、その感触すら無い。
「痛みを感じられぬでしょう」
武者は、何でも悟っているかのように告げる。
「五感が麻痺し、心の臓が浮いている、まるで死人であるかのような心地をしているとお思いでしょうが、それは僅かな間のこと。直ぐに生きた心地が舞い戻りますぞ」
「出来れば早く戻って欲しい」
と、無言で聞いていた太市が呟く。
「これ以上同じ感覚だと、ちょっと・・・・戻しちゃいそう」
武者は、城に響き渡る声で高らかに笑う。
太市が無言であったのは、この間気分の悪さを何とか堪えていたからだったようだ。
「戻したくとも、この世界では戻せませぬ。良き事か悪き事かは貴殿次第だが。血を流す事や、涙を流す事、病や怪我も、この世界では有り得ぬ事にござる」
「病や、怪我がない?」
伊代は、この武者の話に疑問を抱いた。
ボロを出してしまったかのように武者は、あっと口を押さえる。
武者の話が真実であれば、この世界は何とも不思議なものだ。死んではいないけれど、生きているとも捉えられない。病や怪我をすることが無いのであれば、不老不死、不死身の体を手に入れたとも考えられるが、それはこの世界のどんな作用がそうさせているのだろうか。益々四人は悩まされ、正面の男への疑わしさを増していく。
「それより、本題は?」
と、京平が切り出す。
「俺たちはこれから、何をすればいい訳?」
武者は、待っていたとばかりに不適な笑みを浮かべる。
そして、部屋の奥の床間へと歩いていき、備えられている巻物を手にする。併せて、男は手を合わせる。
「貴殿方々へのお願い事は、すべてこの、『守り絵巻』に記されておる」
と、その巻物を畳の上に大きく広げる。
四人は巻物の内容を食い入る様に見つめる。
「第一に・・・・『民に日の出を見せむべし』これよりお連れする国の民たちに、日が出づる光景を見せて頂く」
武者は、絵巻物の中央を指し示す。
「日の出?たったそれだけ?」
と、歌織は拍子抜けする。
「そんなの、いつでも見ることが出来るじゃん。私たちの手伝いなんか要るの?」
「民等は、助けを欲しております」
「もしかして、天候が悪い地域とか?」
と、太市は考えを巡らせる。
「地下に住む民族とか?そんな特殊な民族、いるのかな」
「とにかく、国の人たちに日の出を見せれば、私たちは家に帰れるんだよね?」
と、強く確認を取る歌織。
「成果によっては、そうもなりましょう」
「信じられないね。ちゃんと約束してよ、じゃないとここから動かないからね」
と、歌織は畳の上に胡座を掻く。
「申し伝えておりませなんだ、貴殿は否と言うことは叶いませぬ」
「は?」
「この城へ足を踏み入れたからには、否応なく従って頂く。さもなくば、貴殿方々に待ち受けるのは、死のみ。それも、何をする事も許されず、ただただ寿命を待つのみの、抜け殻の様な生にござる。応じれば、無駄な死を避ける事が出来、家に帰る機会を得る事も出来る」
絵巻物をさらに広げると、その “無駄な死”を選んだ者の末路が描かれている。
暗闇の中に独り閉じ込められ、発狂し苦しみながら死んでいく、骸骨の絵である。
歌織は、腹立たしげに畳を叩く。
伊代は歌織の肩を持って摩る。彼らに与えられた選択肢は、無いに等しかった。
「するべき事はわかった」
京平は乗り気であるのか、被ったままのフードを外し、硬い眼差しが顕になる。
「してはいけない事は、あるの?」
「良き問いにございますな。先ず当然として、死んではなりませぬぞ。命を落とせば、それは永遠の死を意味します。生き返る事は勿論出来ませぬからな。次に、訪れた国で争いを起こしてはなりませぬ。隣国等との戦は、必ず避ける事。でなくば、国に日が出づることは叶いませぬ」
「戦争をしないことと、太陽の入り沈みは関係のない事だと思うのですが」
と、伊代が問いかける。
「見るところ、貴殿は聡明でいらっしゃる。私の一言一言を、謎を解明すら武器とされよ」
武者は、伊代を温かく見つめる。
「期限はあるのか?」
と、今度は太市が尋ねる。
「いつまでに、という明確な時はございませぬ。貴殿方々の自由に動かれても構いませぬが」
「それってつまり、仕事が済まなければ、永遠に帰ることは出来ないってこと?」
「如何にも。命尽きるまで、居て頂くも良し」
人生を賭けた、サバイバルゲーム。
彼らの言葉に置き換えれば、そう言えるだろう。
武者が外来語を知っているかは分からないが。
「一つ、貴殿方々に良い話をお伝え申し上げる。民が望む日の出を国にもたらす方法は、 “金”なり。金色の宝物が、世に格別なる日の光をもたらすと、巻物に記されておりまする」
と、絵巻物に描かれた金色の宝物を指差す。
その宝物は丸い形をしており、人の手によって掲げられ、それが日輪を表しているように見える。
「『金色の宝物』は、丸い形なのか?」
と、太市は尋ねる。
「大きさ、形、重さ等、全て判っておりませぬ。丸く描かれているのは、表現にございましょう」
「それ以外に、禁止事項は?」
「特段はござらぬ。今着ている物、手に持っている物、すべてそのままに、国へお連れ致しまする」
四人は、京平の部屋にいた時の服装、持ち物のままこの城に来ていた。
歌織のライブ機材等、それぞれの手荷物は部屋に置いてきてしまっている。
スマートフォンは持ち合わせているが、時刻は零時零分のまま止まっており、電波も立っていない。
「使えるかどうか、わからないけど」
と、京平は呟いた。
「その他、判らぬ点はござらぬか。であれば、そろそろ出立して頂きましょう」
武者は畳に広げた巻物を片付ける。
「従うしか、方法はないみたいだ」
と、太市が三人に呼びかける。
「本当にムカつく。好きでこんな事する訳じゃないし」
と、相変わらず不満を口にする、歌織。
「みんな一緒だよ。離れなければ、何とかなるよ」
と、自分に言い聞かせるように呟く、伊代。
京平は何も言わなかったが、逃げ出そうとする姿勢がないところを見れば、その決意は一目瞭然だった。
武者は四人の決断をしっかりと見定め、大きく頷く。
「好し。では皆々様、逸れませぬようにお気をつけて、行ってらっしゃいませ」
その武者の合言葉を皮切りに、今まで音の響かなかった世界に風の音が鳴り響く。
隙間風のような小音から、徐々に嵐のように轟々と激しさを増す。
風と共に肌寒さを感じ、四人はこれから起こる事に脅威を予感する。
体の中の臓器が一瞬、いつもの重力を感じたかと思ったその時、一斉に四方の扉が開かれる。
城内に強い風が立ち込め、四人の体は宙に浮き、城の外へ吹き飛ばされる。
突然の事態に悲鳴をあげながら、四人は真っ逆様に落ちてゆく。
暗闇かと思われた城の外は打って変わり、そこは大きな雲が立ちゆく大気圏であった。
真っ黒い空の上を、果てしなく下へ落ちてゆく。
宇宙は暗い紫色から徐々に白く、そして赤くなり、地平線から陽の光が注がれる。
四人は絶景に息を呑む余裕もなく、ひたすら絶叫している。
しかし四人は、互いに目の届くところに仲間がいる事を常に確認していた。
これから未知の脅威が襲って来るとしても、仲間が必ず側にいる事を信じていた。
再び、闇が訪れる。
何かが鼻をくすぐり、瞼を開けた。
伊代は、ぼやける視界に目を凝らし、自分は叢の上で眠っていることを知った。
我に帰りようやく目が覚めた伊代は、飛び起きる。
陽光を浴びて輝く、黄金。それは収穫を間近に控える田園の風景だった。
見渡す限り一面が黄金色に染まり、光を放っているかのような美しさである。
空には、住んでいる都会では見たことも無いような数の蜻蛉や雀が飛び交っている。
伊代は辺りを一望出来る小高い丘に倒れており、すぐ近くに歌織たち三人の仲間も倒れて眠っている。
「みんな、起きて。起きてよ」
伊代は急いで仲間たちを揺り起こす。彼らも同じく起き上がり、目の前の輝く光景を目の当たりにする。
「すごい数の、稲だな。すごい田舎まで来たらしいな」
と、太市は目を丸くする。
「それよりもさ、私たち空に投げ出されて、落ちて来たはずだよね」
と、歌織が自分の体を確認する。目立った傷や、痛むところは全くない。仲間を見回しても怪我人はおらず、京平は身軽に立ち上がっていた。先程まで自分たちがいたはずの空の上から、真っ逆さまに落ちているはずだが、地上に落ちた記憶はすっかり消え去っている。
試しに伊代は、何度目かの頬を抓ってみる。今度はぐっと痛みを感じ、赤い跡が残った。
「痛みは、感じるみたい」
「よかった。もとの世界に戻って来れたみたいだな」
と、太市は安堵する。
「安心するのは早いぞ。まずは、ここがどこだか調べないと」
と、警戒心を絶やさない京平。
「そうだな。まあ、俺たちに与えられた時間に制限は無いんだし、一旦家に帰ってもいいよな?」
と、太市は余裕の表情を見せている。
「帰れるんだったらな」
京平は辺りを見渡した後、一人田園へ降りていく。
「おい、勝手に動くなよ!」
太市が呼び止めるも、応じない。
「いいよ、あんなヤツ放っておいて。一人で行動するの好きそうだし」
と、強く言い放つ歌織。歩き去ろうとする京平にも聞こえるように、大きな声で話す。
「ダメだよ、知らない土地で一人になるのは危険だよ。帰路がわかるまでは、逸れないように四人で行動した方がいいんじゃないかな」
と、提案する伊代。
太市は、伊代がうっすらと抱えている不安を感じ取る。四人の中で一番臆病な伊代であるが、それは人一倍空気を感じとる力に長けているからであり、かつ知識が豊富で聡明である故だということを、太市は知っていた。
「伊代の言う通りだ。手分けして調べるのは、土地勘が無い間は複数人で行動しよう。おれは京平についていくから、心配しないで。二人はここで待っててよ」
と、太市は軽やかに丘を下り、京平を追いかけて行った。
太市の行動力と、仲間を思い一つにまとめる協調性は、学生時代も幾度となく発揮されていた。性格も趣味嗜好も正反対な四人が、在学中の四年間、行動を共にしていたのは、彼の技量の賜物だったことを否定する人はいない。
「すごいよね、太市は。あれで嫌味一つ言わないんだから、頼りたくなっちゃうよね」
と、歌織は呟いた。
伊代も同意する。しかし、いつもあのように気を配ってばかりでは、気疲れも出てくるだろう。彼が不満を口にしたり、鬱憤を発散するような姿を見たことが無いからこそ、心配するべきは彼自身ではないだろうか。と、伊代は感じていた。しかし感じているばかりで、なかなか行動に移せない伊代は、心の中で自身を臆病者だと罵った。
「にしても、すんごい田舎だね」
歌織は、目の前に広がる田園風景を眺める。
「一面田んぼ。どこを見ても、田んぼ。こんなところ、今まで来たことある?」
「無いかな。実家も東京の住宅街の中だったし」
「そうだよね。田舎のおばあちゃん家に似てる、とかだったらさ、手がかりが掴めたかも知れないけどね」
歌織は試しに、スマートフォンを取り出して画面を確認する。相変わらず電波は通っていない。それどころか、充電残量が尽きようとしていた。
「ヤバい、どこかで充電出来ないかな」
「バッテリー持ってないの?」
「路上ライブで動画撮っててさ、スマホの電源入れっ放しで、バッテリーも使い切っちゃったんだよね」
「お店とかあったらいいね。まあ、あっても圏外だから意味ないかもしれないけど」
「確かに」
と、二人は呑気に会話をしている。
二人が現在いる世界において、スマホもバッテリーも何の意味も成さない。その事に気付くのは、もう少し先の話になるのだが。
ふと、歌織は視線の先に動く影を発見する。
田んぼの中を、小さな黒い影が右へ左へ動いている。
「ねえ、あれ、人かな?」
「え、嘘!」
と、伊代も目を凝らす。
「身長的に、子供かも」
「第一村人じゃん!話を聞いてみようよ」
二人は丘を足早に下り、子供の影が見えた方向へ向かう。
近づくと、甲高い笑い声が聞こえてくる。小さな子供の影と、すぐ近くに母親と思われる女性の姿を捉えた。女性は赤ん坊を背負いながら、走り回る子供の様子を見ている。
普通の母子に見えるが、どこか異変を感じる。母親の服は麻色の質素なワンピースのようなもので、髪も整えず大雑把に伸ばしたまま。あまり見かけない格好だが、田舎だとこんな服装もあり得るのだろうか、と二人は特段気に留めなかった。
「悪い人じゃなさそうだし、道を聞いてみようよ」
歌織は足を早め、母親に近づく。
声をかけようとしたその時、母親は二人の登場に驚き、恐れるような顔をする。子供を抱え、一目散に反対側へ駆け出した。
「あ、あれ?・・・・すみません!お話、聞いてもらえませんか?」
母親は耳も貸さず、どんどん距離を離し、姿が見えなくなってしまった。
「どうしたんだろう。不審者に思われちゃった?」
「歌織が不審者?そんなわけないよ」
母子の行方を追うのは憚られるため、二人は仕方なく、先ほどの丘の上へ戻る。
偵察に出ている京平や太市が戻るまで、わかりやすいように丘の上で待つことにした。
女子二人組と別れた後、偵察隊の男子二人は長々と続く田んぼ道を歩いていた。
場所を示す看板や地元民を見つけられればと探索するものの、現在まで稲と山しか見ていない。それだけでなく、普通であればあって可笑しくない電線やガードレール、電灯すら見当たらない。道も舗装されておらず、歩くたびに砂が舞いスニーカーを汚す。
「そういえば、俺たちスニーカー履いてるな」
と、太市がぽつりと言う。
「え?」
「もともと京平の部屋にいたじゃん。玄関で靴を脱いでるはずで、それから履いた記憶がない」
「そうだな」
京平はそれだけ言って、また黙々と歩き続ける。
学生時代は会話の絶えなかった二人であるが、再会してからというもの、京平は口数が減っている。
太市は少し寂しさを感じつつ、更なる話題を模索する。
「どんだけ田舎でもさ、電線くらいはあるよな、普通。人も見当たらないし、なんか変だよな。てか、さっきからずっと同じ風景だし、道覚えられなくね?もとの場所に戻れるかな」
京平は特に返事をせず、太市の独り言に終わる。
ふと、何かに気づいた京平は足を止めた。
「ん、どうした?」
「あれ」
京平の見る先には、遠くに細々と煙が上がっている。一本かと思いきや、どうやら複数の煙がまとまって上がっているようだ。
「え、火事?」
と、怯える太市。
「いや、あの下に集落があるかもしれない」
「人がいるかもしれないってことか?行ってみよう」
二人は歩くスピードを早め、煙を頼りに村人を探す。しかし歩いているうちに、京平が訝しむ。
「あんなにたくさん火を焚くことって、普通あるのか」
「野焼きでもしてるんじゃね?」
「それにしても、煙の出所はまとまってる。てっきり炊事の煙かと思ったけど、もしそうならガスや電気で料理をしてないことになる」
京平の胸騒ぎは、さらに大きな驚きとなって現れる。
辿り着いた二人が目にしたものは、コンクリートのビルや木造住宅ではない。太い丸太によって建てられた柵、謂わば砦だった。
煙の出所は、その砦の敷地内から出ている様子だった。
「キャンプ場とか?キャンプファイヤーしてたりして」
と、太市は考えられる冗談を呟く。
しかし冗談だったとしても、それくらいしか考えられることがなかった。丸太の砦も、どこまでも続く田園風景も、二人には疎遠な世界だった。
「様子がおかしい気がする。中を探ろう。道を尋ねている場合ではなさそうだ」
と、京平が言う。
二人は砦に近づこうと試みる。人の道には木の枠のような門が建てられているが、その先もさらに柵が続いているため、中の様子は確認できない。
門を潜らず、砦の横に回ってみる。砦の周りは堀となっていて、地面よりも一段盛り上がっている。さらに堀の周りは、先の尖った杭が無数に埋められており、砦を囲んでいる。
まるで外部からの侵入を警戒しているようだ。これでは、柵に近づいて中の様子を見ることも難しい。
砦は左右に広がっており、その規模も目視では判断できない程に大きかった。
「お城みたいだ。古代の要塞みたい」
と、京平は呟く。
「なんだよ。それじゃ、ここは古代なのかよ」
と、冗談まじりに言う太市。
しかし京平は、まんざら冗談ではないような反応だ。
「せめて、日本であることを祈るわ」
「なんだよ、それ」
「俺たち、ずっと現実ではあり得ないようなことばかり体験してるだろ」
「今この世界も、あり得ない世界だって言いたいのか?」
「まだ確信はできない。この地に住む人間とか、人の営みを見ないと判断は難しい。だけど、この砦と田んぼだけ見ると、昔訪れた東南アジアの国によく似てるんだ。電気もまだ通っていない、その土地の部族の村だ。それに近いものを感じるよ」
「ここは、日本じゃないのか?」
「その可能性も考えられる。もしそうだった場合・・・・歌織や伊代を二人だけにしておくのは、かなり危険だ」
田園があったことから日本だと判断したのは、時期尚早だった。日本であれば、見知らぬ旅人にも村人は優しく接してくれるか、そうでなくても身の危険はないだろうと鷹を括っていた。しかし、現地人の常識や文化が全く違う場合、不審者を見境なく襲うようであれば、真っ先に被害を受けるのは女性だ。
「一度、戻るか?やっぱり、別行動はやめた方がいいだろ」
と、太市は提案する。
「いや、もう少し様子が知りたい」
「京平!」
「もう少し観察すれば、何かわかるかもしれない」
京平はそのまま、さらに砦の向こう側まで進んでいく。
太市は友達を一人にはできず、やはり京平の後を追うしかなかった。
しかし、二人は気付いていない。この砦の内側に住む人々は、二人よりも格段に視力が良く、遠方に建てられている物見櫓から、二人の不審な様子は既に察知されていたのだ。
「そこで何をしている!」
まず二人に接触してきたのは、若い女子だった。小学生程の背丈だったが、木製の鎧のような物を胸のあたりに掛けている。柵の間から顔を出して、こちらを睨みつけている。
「不審な奴め、何者だ?」
大きな声で威嚇をしているつもりのようだが、子供の、しかも女子の言葉には覇気が足りていないように聞こえる。
太市たちは初めての村人の登場に驚いたものの、可愛らしい女子で、かつ日本語を話していることに胸を撫で下ろした。
「驚かせてごめんな、お姉ちゃん。俺たち、道に迷ってしまったんだ」
と、太市が落ち着かせるように話しかける。
「俺たち、旅行中でさ」
「・・・・リョコウ?」
と、その女子は首を傾げる。
「道を教えて欲しいんだ。近くに、駅はあるかな?」
「・・・・エキ?」
京平は太市を制する。あまり軽々と話すのではなく、言葉を選んだ方が良い。
相手は日本語話者ではあるが、柵越しから見えるその様相は、何とも貧相である。木製の手作りのような鎧の下には、麻のような見窄らしい服を着ている。髪型も後ろに一つにまとめるのみで、歌織たちのようなおしゃれとは程遠い。
これは貧富の格差等ではなく、時代の違いとも考えられる。先程仮説を立てた、"古代" の日本である可能性が高いのではないか、と京平は思った。
さらに情報を得るべく、この小さな兵士から聞き出すことにした。
「お姉ちゃん、名前は何て言うの?」
「人に聞く前に、まず自分から名乗るべきだ」
この答えから、自分たちと同じ礼儀をこの女子も弁えていることがわかる。
「ごめんな。俺は京平、こっちは太市。俺たちは、自分たちの家に帰りたいだけなんだ。君や君の家族に危害を加えるようなことはしない」
「信じられない。見たこともないような服を着て、旅の荷物も何も持たないでいる。髪も変だ、生まれたばかりみたいに短い」
女子は警戒を強めているようだが、この女子の他の村人や兵士がこちらに来る様子はない。
京平は、少し踏み込んだ話をしようと試みる。
「俺たちは、こういう格好をする所から来たんだ」
「どこから来たんだ?」
「東京って、聞いたことあるか?」
「トーキョー?そんな所、知らない」
東京を知らない。それでは間違いなく、現代の人間ではないだろう。東京が存在する日本であれば、東京を知らない日本人がいるはずがない。
"東京” という呼び名が生まれる前の時代だと確信できるが、それでは江戸か。京平の知識では、日本の過去の地名に関する引き出しが少なく、話を広げることが難しい。
「じゃあ、京都は?」
と、太市も口を挟む。
「さっきから何の話をしてる?私はクニの名前を訊いているんだ」
「日本だけど」
「ニホンなんか知らない。だから、クニの名前だって!なんとか国とか、あるだろ!」
小さな子供兵士は、話の通じない異邦人の為に癇癪を起こす手前まで来ている。
しかし、知識の乏しい二人にはこれが限界だった。京平は高校生で日本史を勉強しているが、大学に入ってからその知識をかなり飛ばしてしまっている。
太市はもっと悪く、そもそも日本史の授業を真面目に受けていた記憶がないのだ。
これでは、二人でこの世界に関する情報を集めるのは難しいだろう。せめて日本史専攻の現役大学院生がいれば、話は変わってくるのだろうが。
「京平、どうしよっか。伊代をここに連れてくる?」
「馬鹿、危ねぇだろ」
「そうだけどさ、俺たちじゃこれ以上は話ムリだよ」
「何をコソコソ話している?さては、大陸の人間だな!父さまの兵に報告して、捕えさせるぞ」
小さな女兵士は、周囲に響き渡るような大音量で騒ぎ立てる。
その声を聞きつけて、柵の内側から大人たちが集まってきた。慌てて退散を試みる二人だが、時は既に遅く、砦の外側から兵士たちが二人を取り囲み、槍を突きつけた。二人はなす術なく、大人しく従うしかなかった。