さらに歩みを進め、十日程で(実際は休憩も多く摂った為数日超過して)隣国の不弥国へ入った。
温和なムラ長や民達から歓迎を受け、寝る場所を提供してもらい、数日ぶりに屋根のあるところで眠った。
しばし体を休めつつ港へ向かい、ここからは舟に乗り水路となる。
舟といいつつも弥生時代の水路手段は、木製のボートほどの大きさのものだ。
もちろん現代のフェリーのような快適な船旅が送れるとは思っていなかったが、二つの舟に十人が座って乗る程度の大きさで、横になって眠るスペースはほとんど無い。
このまま乗りっぱなしで交代で睡眠を摂るということを聞き、歌織なんかはとうとう困惑の表情を隠せなくなっていた。
しかも陸路の行程が予定より遅れた為か、雨季が思ったより早く訪れたのか、出航日から空は暗く澱んでいた。
幸いにも雨は降っていないが、いつ降り始めてもおかしくはない。
京平はいち早く天気の悪さに気づき、不安を抱いていた。
「難斗米さん。このような天気の日でも、舟は問題なく出せるのでしょうか」
「ううむ、雨季にはまだ早いと思うのですが・・・・まあ、このような時の持衰ではありませんか」
と、案外楽観的である。
"持衰" の役目の為に同行してもらった加真次を探しに行くと、浜辺で一人膝をつき、海を眺めていた。
加真次の姿を発見した京平が近づくと、何やら異臭がした。
衣服は汚れ、髪はパサつきフケに塗れている。
小さなハエがたかり、嫌な羽音が耳に入ってくる。
十数日共に旅をして様子を見ていたが、加真次は水辺に立ち寄っても身を清めることはせず、着替えも持参していなかった。
気を遣って太市が麻の服を貸そうとしたが、何故か難斗米や都心牛利がそれを制した。
本人も全く気に留めておらず、頭皮や身体中を掻くことが癖になりつつあった。
京平は異臭に目を瞑り、加真次の横に立ち声をかけた。
「天気が良くないですね」
と、加真次の視線の先の曇天を見つめる。
「波は荒れていないようですけど、舟は出せそうですか?」
「・・・・なぜそれを、俺に聞くんだい?」
「なぜって、持衰だと伺ったので舟の操縦に詳しいかと」
「・・・・そうか。京平っつったか?お前、持衰を見るのは初めてか」
「え?はい・・・・」
「あの太市っつうヤツもだろ。大人の見た目して、まだまだ子供ってところかな」
小馬鹿にするような物言いにも関わらず、加真次の言い方は覇気がなく、空中に掻き消されそうだった。
京平は今まで薄らと抱いていた違和感が、段々と胸中で不安に変わるのを感じた。
「太市は・・・・あなたに何と言って、この度に誘ったんですか」
「『持衰として舟に乗ってくれ。その方が皆も心強い』だとか、何とか」
「勘違いしていたら申し訳ない。・・・・持衰というのは、舟を操縦する役割の事では?」
「それみろ、何もしらねぇ子供だ。大きな、大きな子供だ」
加真次は浜辺に膝をつき、曇天の東の空に向かって手を合わせ、祈り始めた。
何度も何度も頭を下げ、砂浜に額をつける。
その姿を見た京平は、見えない神に縋っている弱者のように見え、そのあまりにも必死な姿に恐ろしさを覚えた。
持衰とは、言わば生贄である。
造船や航海技術の発達していない時代では、いつ嵐や海難事故に見舞われてもおかしくなかった。
舟に乗り長旅をする人々としては、幸運にも無事に岸へ辿り着くことを祈るしかない。
そこで罪人や身分の低い者たちが生贄として舟に同乗し、船旅の間ずっと空へ向かって祈りを捧げる。
彼らは航海の準備前から身を清めてはならず、酒や肉を摂る事を禁じられる等、様々なしきたりの中で生活することを余儀なくされた。
嵐が来て舟が転覆するような事があれば、たとえ生き延びたとしても彼らは責任を取らされて処刑の対象となった。
「・・・・くっそ。奴国に来て、誰も俺のことを持衰だと知る人もいなくて、囚人ではあっても並の人生を送れると思ってたのによ。結局牢屋から解放されても、いつ死ぬかわからない宿命からは解放されないのか」
砂浜に頭を打ち付けてそう呟いた加真次の言葉を、京平は確かに聞き取った。
持衰に推薦した無知な仲間と、違和感を覚えながらもそれを声に出さなかった自分に苛立ちが募る。
「・・・・本当に申し訳ない。知らなかったんだ、持衰の役目のことは。今からでも、役目を降りられるよう駆け合ってくる!」
「無駄なことはするもんじゃねえ」
「大丈夫だ。俺たちから難斗米さん達に伝えれば、客人の頼みであれば嫌でも頷いてくれるはず」
「俺がいなければ誰かが持衰になる。お前は自分の命が惜しくはないのか?」
加真次の瞳は恨みがましさで満ちていた。
京平は後悔の念に駆られ、すぐに難斗米のもとへ行き加真次を持衰から下ろすよう伝えるも、聞き入れられなかった。
持衰無しの航海は絶対にあってはならないし、今から代わりの生贄を探す気か、と責められた。
京平と難斗米らが言い争う光景を、太市や伊代、歌織も目の前で見ていた。
「申し訳ない、謝っても謝りきれない。俺の勘違いで加真次さんを危険な目に遭わせた。知らなかったでは済まないな」
「私も持衰のことを知らなかったし、何のために私がいるのか、ちゃんと役割を果たせていなかった」
太市と伊代は酷く後悔し、しばらくその場から動けない。
「落ち込んでいても仕方がない。知らなかったんだからどうしようも出来ないし、まだ加真次が殺されるって決まったわけじゃない。船旅の間に天気が荒れないことを祈ろう」
と、京平は曇天を見つめる。

