邪馬台国という国が存在したことについては、古代中国の官僚が著した "三国志” の一編である "魏志倭人伝” 等の史書の記述で明らかになっている。
しかしその場所や規模については曖昧な表記が多く、史書によって相違がある為、詳細については識者の間でいつも議論の的となっている。
日本史を専攻する伊代が唯一わかるのは、奴国と邪馬台国の距離はとにかく長いということだ。
出発前、邪馬台国の外交大使である難斗米と副使の都心牛利から仰々しい挨拶を受け、その時に旅路について説明されたのだが。
都心牛利の滑らかな説明は意図的なのかそうでないのか、四人にとってはその距離や行程を想像しづらいものだった。
「我々の住まう邪馬台国は、奴国から見ると東南に位置しております。東へ百里ほど陸路を進み、途中舟に乗り海を渡ります。邪馬台国はたいへん大きな国でございまして、入国しましても女王のおられる都までさらに距離があり、舟を乗り継ぎ、陸路を進み、都に着く頃には菖蒲の花が見頃を迎えておりますかと。ぜひ楽しみにお待ちください」
距離の単位である "里” 、そして馴染みのない花の名前を使った到着予定日の案内。
四人は内心困惑しながらも、それを見せぬように大使の挨拶に笑顔で頷く。
「そうなんですか。それはとても・・・・遠いんですかね、どうでしょうね」
と伊代は曖昧に返事をする。
「たしかに多少は長い道のりかと存じます。しかし道中に訪ねる不弥国、投馬国は友好的で温和な国ですし、水路も荒れにくく安全でございます。聞くところによると、貴方様の故郷の国はさらに東だと聞き及んでおりますから、それに比べれば長くはないのではございませんか?」
「・・・・え。あ、そうですよね!私たちはもっと東の国から来たので、これくらい何ともないです!」
と伊代は不自然なくらい笑って誤魔化す。
大使らが挨拶を終えて下がると、四人はようやく困惑を顔に出した。
「やばい、全然わからなかった。百里って何?遠いってこと?」
と、歴史の知識に心底疎い歌織が訊ねる。
「たしか記憶だと、一里は4km弱だったんじゃないかな。それだと、百里は約400kmってところかな・・・・」
と、頭の隅にある知識を捻り出す伊代。
「皆、忘れてないか?この時代には、新幹線も高速バスもないんだぜ・・・・」
と、太市は場を和ませたいのか、絶望させたいのかわからない冗談を言う。
「つまらないこと言うな。それに百里は、最初の陸路だけの長さだ。そこから水路と、邪馬台国の都に着くまでの距離は含まれていない。菖蒲の開花の時期なんて・・・・誰も知らないよな?」
京平の問いかけに、三人は首を捻る。
花菖蒲の見頃は雨季、現代の暦上の六月頃にあたる。
邪馬台国への移動に三ヶ月以上かかることは、この時の四人は想像していなかった。
「・・・・ちょ、ちょっと待ってください!きゅ、休憩を、ください!」
半年近く世話になったムラを出発し、二日ほどが過ぎた。
日の昇る時間は常に歩き続け、日の入りと共に休息を摂る。
ここまで長い時間歩き続けることに慣れていない為、すぐに足に疲労が見られ、筋肉痛に悩まされた。
特に運動に対して苦手意識のある伊代は早い段階から息が上がり、足の裏や脹脛に痛みを訴えた。四人のいずれかが休憩を主張した段階で、木陰や川辺に腰を下ろした。
四人に比べれば、邪馬台国の大使やその侍従達、綺那李、加真次に疲労の色はなく体力に余裕があった。
女王の客人達がこれほどまでに体力がないことに、難斗米と都心牛利は疑問を持った。
「これは驚いた。あまり旅に慣れていらっしゃらなかったのですね!」
と、都心牛利は大らかに笑う。
歌織は苦笑いで返すが、
「綺那李さん、私なんかよりずっと体力あるね。さすが、兵士の特訓の成果が出てるのかな」
「いえ、これくらい普通ですよ。小麻李でも歩ける距離かと」
と、綺那李は木陰の周囲を駆け回り、兵士の訓練と比べれば物足りないようだ。
太市は伊代や歌織ら女子の体力の消耗具合を見て、都心牛利に相談する。
「すみません。もう少し速度を落として歩いてもらえませんかね?足を引っ張ってしまって申し訳ないんですけど、女の子達は特に体力も少ないし、怪我にも注意したいんで」
「我が女王の客人の仰せであれば、勿論そういたしましょう!」
「ありがとうございます。・・・・あの、そんなに畏まった言い方じゃなくていいですよ?ぜひ、太市って呼んでください」
「そうですか。太市様」
「"様" も付けなくていいです。俺も、"ゴリ" さんって呼んでいいですか?」
「は、はあ。なぜ、"ゴリ" だけでしょうか?」
「都心牛利さん、ってちょっと長いし、言いづらいって言うか。まあ、愛称だと思ってもらって!」
「愛称、ですか・・・・良いかもしれませんね。愛称というものは、初めていただきました」
こうして太市は、都心牛利ならぬ "ゴリ” の懐に入り込んで行った。
学生時代も人付き合いがよく、会社でも営業マンとして活躍していた太市の手腕が弥生時代でも光っていると、伊代はその姿を見て思った。
仲間の背中を見て元気を補給した伊代は腰を上げ、旅を先に進めることを提案した。

