「伊代殿にとっての、神とは何だい?」
「私にとっての、神?」
「この世のありとあらゆるものには、八百万の神が存在している。儂ら人間はそれらに生かされ、恩恵を受けているのだよ。それをわかっていれば、毎朝の祈祷に参加しようと思えるだろうし、この何もない祭壇に来ても礼を欠かさないだろう。そなたの中には、"神”がおられぬように思う」
伊代はハッとする。この祭壇に登ってきた時、老婆は一礼をした。そして雪の季節になる前まで祈祷をしていた場所に立ち、日の昇る方角を望んだ。
伊代はそれを後ろからただ見つめるだけで、共に祈ろうとは少しも考えていなかったのである。
「ごめんなさい、うっかり・・・・ここの祭壇に来た時は、必ず祈るべきという事ですね?」
「いや、何も強いている訳では無いし、責めてもおらぬ。お前さんは・・・・巫女ではないのであろう」
伊代は肩を強張らせる。あの一件からいくら "姫巫女” だと崇められても、本物の巫女にはすべてを見抜かれていたらしい。
嘘をついた事で罰せられないだろうか、しかも奴国の救世主とまで言われている者が偽物だったとすれば、最悪の場合、処刑の対象にならないか。
深刻な表情で黙ったままの伊代を見て、老婆は叱るどころか面白がった。
「案ずるな。そんな事は初めから気づいておった。巫女だと言うのに祈祷の仕方も知らず、東国の巫女だから祈り方が違うだなんて、見え透いた誤魔化し様で内心笑いが止まらなかったわ」
「え?え・・・・どうして、気づいていたのに言わないでくれていたんですか?」
老婆は空を見つめる。
どんよりとした雲で見えないが、そこには太陽があるはずの位置である。
「お前さんは、今は巫女ではなかろうが・・・・いずれそうなる器だと思ったのじゃ」
「・・・・それは、期待してくださったのですか?」
「いや、儂にはわかる。そう、教えられたからな」
「教えられたって、誰に?神様でしょうか?」
「お前さんは、日ノ巫女様のことを存じておるか?ここ奴国より遥か遠く、"邪馬台国” というクニで政を治めておられる偉大な巫女様じゃ」
「邪馬台国って・・・・それは卑弥呼、様のことですか?」
「そう呼ぶ者もおる。そのお方は太陽の如く民を護り、クニを和平へ導かれた。それも女子の身でな。これまでは男がクニを治めるしきたりだったが争いが絶えず、多くの民が巻き込まれて命を落とした。日ノ巫女様が女王となられ、神の声の下にクニを治められてから、争いは全く無くなった。儂らの葉李菜様が姫巫女かつ女王となられたのも、日ノ巫女様が先駆となり各地に女王が現れたからでもあるのじゃ」
「本当に素晴らしい方なんですね。とても有名ですもんね」
「なんじゃ、お前さんも知っておるではないか」
「そりゃあ、もう。私の故郷で名前を知らない人はいません」
なぜなら、歴史の教科書に必ず名前が載っていますからね。伊代は心の中でそう付け加えた。
現代の日本で知らない人がいないように、この時代でも卑弥呼の存在は伝説的に広まり、崇められている存在なのかもしれない。
古代から男尊女卑が根付いていた訳ではなく、女性の権力者が存在していた事実に伊代は嬉しくなった。
「儂ら巫女は皆、神に仕える身。その筆頭である日ノ巫女様とは、どうも強く心がつながっているように思えてならぬのじゃ。儂の魂がいずれ行き着く場所は、日ノ巫女様のおわす邪馬台国なのであろう、と」
「そんなに大事な方なんですね・・・・私もいつかお会いしてみたいです」
「お前さんなら会えるよ。神がそう思し召しだからな」
「え?そうなんですか?それは、お告げで?」
「そうじゃ。初めからお前さんには特別なお告げがあったじゃないか。全て神の思し召しの通りだよ。お前さんは奴国だけに止まらず、倭の国全てを導く者になる。儂もそれを信じ、お前さんを支えたんだよ」
「そんな・・・・私にそんなすごい力はありません。第一、巫女だと偽っていたのに」
「そのような些細な事を気にすることはない。この後に及んでまだ自分を小さく見ておるようだな。だが、もう既に種は蒔かれている。お前さんが何かをせんでも、いずれ芽吹き、実り、その正体を見せるだろう。迷う事は何も無い。収穫の時は必ずやって来るさ」
老婆が蒔いた "種”は、時を待たずに姿を見せた。
邪馬台国から来たという使者二人が、女王の代理として奴国王へ面会を求めているという。
葉李菜が王座について以降、最初の外交の機会が設けられようとしていた。

