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藁製の硬い床の上で眠りながら、少し昔の大学時代の思い出を夢見ていたのは歌織である。
懐かしい過去の記憶をなぞりつつも、今自分が過ごす時代はそれからさらに1700年も前である事を思い出すと、意識は覚醒し重い瞼が開く。
あれから数ヶ月の時間が経過した。
季節は極寒の冬となり、埋もれることは無いにしても雪が日々降り積もる。
歌織と伊代は、阿湯太那一家で寝泊まりしており、京平と太市は他の兵士の家で世話になっているという。同じムラの中で顔を合わせることも少なく無いが、冬は田畑を耕すこともなく、山や川で食べ物を探すこともない。つまり、外に出る機会が減る季節なのだ。
「今日、懐かしい夢を見たんだよね」
と、井戸の水を汲み顔を洗う伊代に、歌織は話しかける。
真冬の水は極端に冷え、ぼんやりとした寝起きの頭を覚ますのに丁度良いことを、この世界に来てから知った二人である。
「大学に入学した頃の夢。京平と初めて会った時さ、無人の教室に勝手に入ってピアノを弾いてたんだ。そしたら誰かが教室に入ってきて、もし教授とかだったら叱られるなって思ったんだけど、それが京平で。向こうも私が先輩だと思ってめちゃくちゃ礼儀正しかったの。今思えば猫被ってたんだろうけど、すんごい真面目そうでガリ勉っぽくてさ」
「・・・・歌織、朝からよく喋るね」
比較的すっきりと目が覚めた歌織に対して、伊代は冷たい井戸水で顔を洗った後も、何やら表情を曇らせている。
「あれ、伊代ってそんなに寝起き悪かったっけ?具合悪い?」
「いや・・・昨日あんまり眠れなくて」
「まぁ、たしかに最近すごく寒くなったもんね。伊代の床は出入口が近いから隙間風が辛いんじゃない?」
「それもあるんだけど・・・・」
伊代はこの夜だけでなく、ずっと拭えない不安を抱えていた。
弥生時代にやってきたのは秋の収穫前の季節で、今は厳冬。この時代にカレンダーは無いが、数ヶ月は経っているはずである。
その間これといった大事は起こらず、元の世界へ戻るための手がかりは何も掴めていない。
それどころか、奴国の人々に受け入れられ、自分達がこの時代の生活に慣れ、居心地の良さを感じ始めている。一生をこの世界で終えることになってもおかしくないのだ。
さらに伊代が一番抱えている不安の原因は、 "夢" だ。この時代に来てから度々見る夢では、亡き父親に導かれ、この時代に関する様々な知識と、今後起こりうる事の吉兆とその対策を講じる事が出来た。
しかしあの処刑騒動以来、伊代は一度も夢を見ていない。
毎日見るようなものでもなかったが、全く見ないとなると不安が押し寄せてくる。
一度、夢が見れるようにと枕元で真剣に祈り、強い決意のもとで就寝したこともあったが、それもまったく効果が無かった。
その内、夢を見ない不安が不眠へと繋がり、伊代の今朝の不調となったのである。
「・・・・私も見たいな、夢」
「え、夢?あんまり、夢を見たいって思って見れるものじゃないけどね。まぁ良い夢ならいつでも見たいよね。昔の楽しかった時の夢でもいいし、空を飛んだ夢とか、非現実的なのでもおもしろそうだし」
伊代はそれ以上何も話さず、住居の中へ戻った。
伊代だけが見る不思議な夢のことは、まだ誰にも話していない。
相談する機会はいくらでもあるのだろうが、時間が経つにつれて、ただの偶然だったのではないか、これから先見ることはないのだろうか、と不安だけがよぎる。
今朝も歌織の温度差があまりにも違い過ぎて、伊代は相談する気になれなかった。
大きくため息を吐くと、伊代の肩が優しく叩かれた。
振り向くとそれは、老婆の手だった。
老婆は手招きをして、伊代を住居の外へ連れ出した。朝の散歩がしたいと言って、杖をつく足の補佐が必要とのことだった。

