大声で女性は周りに助けを呼んだ。迫真の演技で「こいつ、逃げるな!」と抱きついて確保しようとしてくる。

 その声を聞いた、ほとりを歩いていた近所に住むおじいさんは、チワワを抱えながら、何事かと慌てふためいた。驚きで心臓に負担がかかり、寿命が二秒ほど縮む。その他、毎朝日課のランニングをしていた男性が「ちょっと待ってろ!」と、急いで携帯を取り出す。

「え、ちょ、え、え!?」

 刻一刻と変わる状況に理解が追いつかず、目を白黒させたブランシュは周りを見渡しながら口を開いた。

「どういうことですか!?」

 相変わらず「抵抗するな!」と演技を続けながら女性は、ブランシュの耳元でそっと囁いた。

「いいのかな? このままだと警察が来るよ。懲役二○○年、死刑ってこともあるかもね」

「窃盗で!? いや、窃盗もしてません!」

 冷静にツッコミつつも、今、自分はおかしなことに巻き込まれていることは理解した。故郷でもこんな心臓が早く鼓動したことはなかった。

 「なるほど」と、わざとらしく頷いた後、これまたわざとらしく「閃いた!」と女性は案を出した。

「てことは、私が強盗じゃなかったってもう一回叫んで、勘違いを伝えればいいんだよね? それで丸く収まる」

 めちゃくちゃな理論ではあるが、パニックに陥ったブランシュには正常な判断が今現在できない。この場をなんとかしないと、警察に捕まると死刑に……という、普段なら間違えない考えがよぎった。

「な、なんでもいいから、早くしてください!」

 今にも泣き出しそうな声で、すがるようにブランシュは女性に助けを求める。逃げないように輪を作ろうとしているのか、近くの人々が寄ってきている。恐怖さえ感じた。

 立場が逆転しているような気もするが、それを聞いた女性はニヤリと笑った。

「よし、貸しひとつだ。すまない! 間違えた! よく見たら私のお金じゃなかった! 警察はなし! ストップ! 悪い悪い!」

 先ほど同様、大きな通る声で周りに女性は呼びかけた。「すまない! 申し訳ない!」と大きく謝ることで、周りの人々も「気をつけなよ」と、優しく許してくれた。

 そして場には女性と、腰を抜かしてへたり込んでしまったブランシュ。先ほどとは違った意味で紅潮している。女性を見上げながら、息を切らして問いかける。

「……はぁ……はぁ……なんなんですか……一体……!」

 さらに一段と不敵にニヤリと笑った女性は、屈んでブランシュと目線を合わせた。そして満面の笑みにチェンジ。

「言ったよね? 貸しひとつだって。で、今から返してもらいたいんだけど」

 心臓を鷲掴みにされたような気がして、ブランシュは一瞬で緊張が走った。ブルブルと小型犬のように震え出し、背筋が凍る。全身から汗が噴き出るのを感じた。体温が上がったことで、無駄に花と柑橘の香りが一段と強まる。

(こ、これが恐喝というやつでしょうか……! パリはやはり、怖いところです……!)