「えーと、つまりは、電話でアルバイトの申し込みがあった時、なぜか僕がフロアで、アニーちゃんが電話のとこにいたと。で、僕の声を使って、それを引き受けたわけだね?」
『セイ! カー…い』
「それ使って返事しないで! なんで引き受けたの、そういうのは僕にまず報告してくれないと困ーー」
『ウメル…ゾ!』
ダーシャの喋りに、唐突に音声が割り込む。
ダーシャはビクッ、と体が強張った。
「すいません、誤作動です」
アニーが謝罪するが、本当に誤作動か? と、ダーシャはドキドキと疑心暗鬼になる。
「もっとアルバイトの人数がいれば、店長も休み取れるって思ってやったことなんじゃないですか? 多めに見てあげましょうよ」
と、静観を決め込んでいたビロルが入ってくる。悪ノリをすることもあるが、基本的にはまとめ役で、下の子達への配慮もできる子だ。一歩引いたところから、物事を見ることができる目を持っている。
『ビロル、くぅぅん……キミ、は! ジ、キュウ……アップ、だ、ァー!』
「よしてくださいよ店長、当然のことをしたまでです」
「僕じゃないよそれ」
前言撤回。色々節穴だ。
嘆息しつつも、せっかく来てもらった面接の方は、一応やってみようとダーシャは切り替える。人数が多くいて困ることはない。ちゃんと働いてくれるなら、むしろアニーのファインプレーになるかもしれない。そしたら儲け物だ。
「まぁ、とりあえず事務所まで案内してもらえる? このまま帰すわけにもいかないでしょ」
店外の入口で待っているらしいので、カッチャに伝えて移動する。できればフロアかなぁ、でもビロルくんの負担も大きいしキッチンもできる子だと嬉しいね、と面接の会話をシミュレーションする。とりあえず、ヤバすぎなければ採用してから考えよう。
「じゃ、まずは志望動機をお願いするっス」
「バッカ、そんなもん遊ぶ金欲しさ以外にあるわけないだろ。出れる時間帯はどこ? フロアとキッチンどっちがいい?」
「うん、なんでいるのキミ達」
事務所には、面接希望の子ひとりに対して、店側が三人という圧迫面接のような見た目になっている。小さな木製テーブルとイス四脚。三方向から質問が飛んでくる。
「なんでって、だってめっちゃ美少女っスよ! 店長が警察に連れていかれるの見たくないんです」
机を叩いて立ち上がりアニーは主張する。
「なんで手を出す前提なのかわからないけど、キミ達、今はバイト中だからね」
この間にも給料は発生している。店の方は比較的空いているとはいえ、ホールはカッチャひとりでなんとかなるわけではないだろう。せめてどっちかだけでも戻ってほしい。
「なんか困ったことがあったら、俺を頼ってくれ。ビロルだ、よろしく」
と、ビロルは少女に握手を求める。女子供には甘い、と自負してはいる。これだけ可愛ければ、色々と周りからも甘やかされてきたはずだ。でも兄貴ぶんとして、可愛い子でも働くときは厳しくする。よく言うだろ? 『甘いものは別腹』って。
「いや、なんの話!?」
「? なんスか店長、いきなり」
誰もなにも言ってないのに、いきなりツッコミだした店長の不安定な情緒をアニーは心配した。
「あ……いや、ゴメン」
あまりにも彼らに翻弄され続けすぎて、心の声が幻聴として聞こえてきている。ダーシャは、言われた通りやっぱりちょっと休みが必要なのかもしれない、と頭の隅に考え始めた。
「いやー、よかったっスね。『代返くん』があるおかげで、店長が休んでもなんとかなりそうです」
と、アニーはICレコーダーを手に、自慢げにかざす。数百時間の録音と編集を重ね、生み出された仮の店長『代返くん』。別にアニーが面接の電話を引き受けてもいいはずだが、なにかあったときに責任は取りたくない。
ダーシャはよく考えたら、体調を気づかったのも彼らだが、心身の疲労の原因も彼らだ。感謝するのは間違っている気がする。
「あの……」
少女そっちのけで会話をしてしまい、アニーは、しまった、と謝罪した。
「申し訳ないっス。いやー、それにしても本当に可愛いっス。眼福、ってこのことですね。ビロルさんを見てからだと、より遠近法が狂ったのかってくらい顔も小さいですし」
「さらっと失礼なこと入れるな」
彼女の名前はユリアーネ・クロイツァーというらしい。白く透けそうな透明感のある肌、ミルクティー色の艶のある髪、ぽってりとした桜色の唇、色素の薄いグレーの濡れた瞳。モデルか芸能人の仕事と間違えて応募してきたのではないかと怪しむほど、完璧すぎる容姿だった。
アニーが指で写真フレームを作り、片目でユリアーネを覗いている。
「ふむふむ」
「……なにしてんの?」
たまらずダーシャが疑問を問いかける。
作業を続けたまま、アニーは眉を顰めて唸る。
「いや、視界にビロルさんが入り込んでくるので、うまく消しながら良い構図を探してるんです」
「俺、なんかした? さっきから」
収拾がつかないため、ダーシャが先に進める。この二人がいるとなにもかもが台無しになってしまう。ひとつ咳払いし、場を正した。
「申し訳ない。ダーシャ・ガルトナーです。えーと、ユリアーネ・クロイツァーさん。まず志望動機をお願いします」
と、会話を促す。アニーとビロルはなんだかんだ戻りそうにないので、放置しておくことにした。そのうちカッチャが迎えにくるだろうと予想。渡された履歴書を見ながら、話をすすめていく。
声をかけられ、静かにユリアーネは口を開いた。
「はい、コーヒーが好きで、将来は自分のお店を持ちたいと思い、その勉強として応募させていただきました」
「紅茶はどうっスか?」
結局、横からアニーが入ってくる。美少女ということでウキウキしているようだ。満面の笑みで問いかける。肯定的な返答を期待していたが、
「紅茶はあまり。ほとんどコーヒーです」
と、ユリアーネに否定され、アニーは少ししょんぼりとする。
「もう採用でいいんじゃないですかー? 人数いた方がいいのは本当だし、接客とかもよさそうだし」
それに可愛いし、という言葉もつけたそうとしたが、ビロルは一瞬で引っ込めた。あまりほいほいと可愛いを言うと、軽い男に思われる可能性がある。焦らせるくらいのほうがちょうどいい。この子は責任感のあるアニキが好きだ。そうに違いない。そうであってくれ。
「そうっスよ。どうせボクの店に引き抜くつもりなんで、ボクが教育したいです」
さらっと邪な考えを流しながら、アニーはユリアーネの背後にまわり両肩を軽く叩く。 予め確保しておこうという魂胆のようだ。
隠そうとしないアニーにダーシャは乾いた笑いを浮かべる。
「そういうのは心の中で思っててくれる? でもどうしてウチの店に? ベルリンにはたくさんカフェはありますよね?」
とりあえず、ありきたりな質問をする。だが実際にベルリンにはかなりの数のカフェがあり、それぞれコンセプトがあるお店も多い。理由を問うてみる。
しかし、その間にアニーが割って入る。
「そんなもん、どうだっていいじゃないっスか。採用です、採用」
ふくれっ面で強引に話を進めようとする。
少し恥ずかしそうにしたユリアーネは、はにかみながら口を開いた。
「コーヒーの……導きです」
「え?」
「お?」
なにやら聞き慣れない会話の流れになり、ヴァルトの面々は発言の内容を反芻して飲み込む。が、うまく消化できず、ユリアーネが次に発現するまで待つことになった。
タイミングを見計らって、肩をこわばらせながらユリアーネは続けた。やはりそういう反応になりますよね、と前置きをしつつ。
「趣味でコーヒー占いをやっているのですが、それでここしかない、と出ました」
数秒、自身で思案してみたが、埒があかないのでアニーはダーシャの方に顔を向ける。うわ、美少女からのおじさんはキツい。
「店長、コーヒー占いってなんですか? 四〇なんだから詳しいでしょ」
「なんだからって何よ。まだ三八だし。たしか、トルコとか中東あたりで、昔から伝わる占いだったかな。飲み終わったカップに沈殿した模様で占うとか」
うろ覚えだが、たしかに聞き覚えがあるダーシャは、脳裏にある情報をまとめてみる。しかし実際にやったことも、見たこともない。聞いたことあるだけ。
「はい、正確には飲み終わったカップに願い事をしながら回し、カップを逆にして液体と粉が分離するまで待ち、底に残った粉の形から占う、となっています。その形から、どこに応募しようか、決めていただきました」
過去に行ったコーヒー占いを思い出し、ユリアーネは力強く頷く。占いという、信憑性の怪しいものではあるが、彼女にとっては信頼に値するものらしい。
「それ、最初にやった人、なんでそんなことやったんだろうな」
あまりにも面倒かつ時間のかかる占い方に、ビロルが率直な意見を述べる。自分だったら、どんなに酔っ払って正常な判断ができなくても、そこまで面倒なものは思いつかないのに、と内心で思った。
「それ言ったら、カニ味噌を最初に食べた人にも言えるっスよ」
前々から気になっていたことを、この場でアニーも吐露する。甲殻類をパカっと開けて、中身を吸うなんて原始人かと最初思った過去。しかし食べてみると美味い。最初に食べた人には、秘蔵のサバラガムワ茶葉をあげよう。
「ともかく。それでどんな形だったんですか?」
相変わらず話の腰を折るふたりを止め、ダーシャは先に促す。コーヒー占いに少し興味が出てきた。一体、どんな形になればこの店だと思えるのか。今後の話のネタにもなるかもしれない。
しかし、浮かない顔でユリアーネは拳を強く握った。
「それが……わからなかったんです」
そして、申し訳なさそうに唇を噛む。
「え? じゃあなんでウチに?」
期待値を高めていたダーシャは、肩透かしをくらう。だが、それはそれでなぜこの店になったのか、違う興味が出てきた。
俯いていた顔をクイっと上げ、そのビー玉のような輝きを放つユリアーネの瞳は、ダーシャを捉えた。
「適当です。わからなかったので、その時、最初に目に入ったお店にしようと」
「いや、占いの意味」
と、控えめにビロルはツッコミを入れる。本当はもっと鋭くツッコみたいのだが、騒がしい男だと彼女に思われても困る。だが、なにもしないのもつまらない男。本当は「バカ……それじゃ意味ないだろ?」と優しく頭を撫でたい。
そんなビロルの妄想をかき消すように、まぁまぁ、とアニーが間に入る。
「いいじゃないっスか。理由なんてなんでも。店長だってどうせコネ入社でしょ?」
ね? と、ダーシャに笑みを浮かべた。このヒゲ独身がまともに職につけるなんて、どうせ裏でよくないことをやっているからに違いない。いつかレコーダーで録音してやるっス。
そのダーシャは嘆息する。
「いや、『ね?』と言われても。どうせってなによ。普通にアルバイトから声かけてもらっただけだから」
失敬な、とわざとらしく不満を表現する。
すぅ、っと深呼吸したユリアーネは突拍子もないことを突然発言する。
「それで、いつ頃こちらのお店は譲っていただけますか?」
え?
ヴァルトの三人は互いに顔を見合わせる。なにがというわけでもないが、互いに指を差し合い、よくわからないが顔を振って否定する。
「譲る!? え、なんでそんな話になっちゃってんの?」
口火をダーシャが切る。
困ったようにユリアーネは口元に手を当てる。
「ですが……占いに『この店を自分のものにせよ』と出てしまいましたし……一度出た結果を覆したら、どんな災いが起きるか……」
「いや、占いは適当って言ってたよね? あんま信仰してなくない?」
冷静にダーシャは物事を整理する。
迷うような素振りを見せながらも、ユリアーネは自分の主張を貫く。
「ですが、一度決めた店で生涯貫くと、その後の占いで出てしまっているので、ここのお店を私の店にするしか……」
このままだと堂々巡りになりそうだと判断し、ダーシャは場を落ち着かせる。
「ちょっと何言ってるかわかんないけど、アルバイトってもっと気楽に考えていいんじゃない? 占いは占いだよ?」
ひとまず鎮静させようとするが、
「いえ、占いは絶対です。ここのお店を譲っていただけないのであれば、オーナー様を海に沈めてでも、許可を得ます」
と、最近どこかで似たようなことを言ってた店員がいた気がダーシャはした。その時は山だったか。
「怖いこと言ってるっスよ。オーナーは生きて、色々な法を全て被ってもらわなきゃなので、沈めちゃダメっス!」
「身代わりで出頭するみたいな言い方になってるけど、沈めたら開業の法とかより先に、普通に罪になるからね」
都合よく記憶を消すアニーを制しつつ、最もな一般論を説く。
「それで、合否はいつ頃いただけますか?」
急かすようにユリアーネが前のめりに聞いてくる。
一瞬躊躇し、ダーシャは考え込んだ。
「うーん、さっきまでは全然お願いしようかと思ってたんだけど、ちょっと悩むなぁ。お店も乗っ取られちゃ困るし」
「そんな! 正気っスか! 店長の家のコーラを全部、醤油に変えるけどいいンスか!」
「やめなさい」
乗り気じゃないダーシャに、アニーは地味な嫌がらせを提案する。
ビロルも聞く耳は持たないようで、なにかメモ書きをしている。
「でもそれを補って余りあるくらい華がありますよ。もういいでしょ、はい決定。じゃあユリアーネちゃん、好きな時間に好きなように来ていいからね。あとで、個人的に俺のシフト渡しておくから」
「は、はぁ……」
書いたメモを、戸惑うユリアーネに渡し、ビロルは厨房に戻る。
待ってくださいよー、とアニーもそれに続くが、一度振り返るとユリアーネに笑顔を向け、再度店に戻っていった。
二人の声が遠くなっていく。
イスに深く腰掛け、ダーシャは深く息を吐いた。
「で、本当の目的は? オーナーはなんて?」
「あ、もう帰るんスか!?」
ホール内で接客をしていたアニーが、帰り際のユリアーネに声をかけ、手を握る。これから一緒に働くことを想像しているのか、尻尾が生えていたらブンブン振り回しているであろうくらいに興奮している。
驚きつつも、ユリアーネは笑みを浮かべ、返答する。
「いえ、面接だけですから。ありがとうございます」
しかし、笑顔のまま離さないアニーは、近くのテーブル席を軽く払い、そこに促した。
「座って座って! せっかくだから、コーヒー党のユリアーネさんに一杯、紅茶をご馳走したいです」
お近づきの印ということであろう、ヴァルトの味を知ってもらいたいということもあり、一杯提案する。
「いえ、そんなおかまいなく」
「いいからいいから」
店内は現在、そこまで混んでいるわけではないが、なにか特別扱いされることに申し訳なさを感じ、丁重にユリアーネは断るが、半ば無理やりアニーにソファに座らされた。
身を縮めて座るユリアーネに、変わらずニコニコとして美少女をアニーは眺める。男多めの職場において、これくらいの眼福は許されていいはずだと考える。
「ちょっと待っててください」
と言うと、厨房へ向かっていき、なにかを伝えると、すぐに戻ってきた。
「今、作ってもらってます。ちょっとお待ちください」
と言うと、バイト中にも関わらず対面のソファにアニーは座った。
キョトン、としつつもユリアーネは少し間を置いて、言葉を切り出した。
「……ひとつ、お聞きしたいんですけど、えーと……」
「アニエルカ・スピラです。アニーと呼んでください」
テーブルに手をつき、身を乗り出してアニーは自己紹介。会話できることが嬉しい。
真っ直ぐ目を見つめ、ユリアーネは問いかける。
「アニーさん。どうしてカフェで働いているんですか?」
「え?」
見つめられ、ドキっとしつつも、アニーは自分の未来予想図を広げる。
「ボクっスか? そりゃお店持ちたいですから。ここの店はボクが数年以内に紅茶専門店にするっス」
と、テーブルをバンバンと叩く。
少し笑みを浮かべ、一瞬俯いた後、ユリアーネは応援をする。
「そうなんですか。楽しみにしてます」
「へへ。ありがとうっス」
照れながら感謝をして、思い出したように厨房へアニーは向かった。足取りは軽く、楽しそうなステップで踊るように、去っていく。気まぐれな風のようだ。
少し空いた間に、ユリアーネはひと息つき、天井を見上げる。間接照明にのみ照らされ、華やかなカフェというよりは、少し薄暗いが雰囲気のある落ち着いたカフェ、というほうが正しい気がする。休憩というより『安らぎ』、そんな森の印象を受けた。そう考えると、入ってくるお客さんは心が疲れ、退店するお客さんは癒されて出ていくのだろうか。
ユリアーネがそう思考を巡らせていると、急ぎ足でアニーが戻ってくる。トレーの上には、なにやら賑やかなものが乗っているようだ。
「はい、お待ちどうさまっス」