村の中央辺り、小高い丘の上にある神社から笙の音が聞こえてくる。
今日は穂高先生の結婚式。
空は快晴だ。
花嫁さんや参列者の為にはむしろ涼しいほうが良かったんじゃ……と思わなくもないが、珍しく俺の天性が意図して役に立ったというべきだろう。
たぶん、このあとは先生の家か村の集会所かで宴会だろうから、俺はもう帰ってもいいかな。見つからないうちに――神社の拝殿のほうにばかり気を取られていたから、踵を返した途端鼻っ柱をなにかに打ち付けた。
「てっ、――なんだよ」
こんなところに木なんかあったか、と毒づこうとして、それがぬくもりを持っていることに気づく。
「――天ヶ瀬」
「原田……どうして」
「人影が見えた気がして……。天ヶ瀬、もしかして、晴らすためにわざわざ来てくれたのか?」
俺は固く口を閉ざしたけど、それは逆に肯定であるとさすがの原田も察したようだった。
「そっか。俺の天性の周期がずれたのかな、とか――いろいろ考えてたんだけど、おまえのおかげか。昨日、怒ってたのに……それでも来てくれてありがとな。」
怒ってた?
そうか、おまえはあれをそう受け止めるわけか。肝心なところで鈍感な原田にいらだって、俺はてのひらを握りしめた。爪が食い込むほどそうしていないと、冷静に話せる気がしなかった。
「だから来たんだよ。……俺は、特異晴れ男なんだ。昔からそうだった。悲しいときに、晴れる。嬉しいときには雨が降る。そういう天性」
「え……?」
「おまえさ、なんで俺が晴れ男なのに天性喪失したいのかって訊いたよな。……これが原因で俺はこんなクソ田舎に来るはめになったからだよ」
俺の母親、つまりばあちゃんの娘だけど、彼女は田舎を嫌って都会に出ていった。
必死で勉強していい大学に入っていい仕事について、父親と結婚し、俺が生まれた。
彼女は自分の能力に自信があったから、結婚出産してもすべてをうまく回すつもりだった。会社も、それを見越して子育てに理解のあるところを選んでいた。第一子で男である俺が生まれ、なにもかもが計画通りだったらしい。
そこまでは。
いざ仕事に戻ろうと思ったとき、目をかけてくれていた上司はグループの別の会社に出向になっていた。ときを同じくして、大幅な業務再編があり、彼女のいた部署そのものもなくなってしまった。
俺を生み、乳離れするまでのわずか数年の間の出来事だ。
行き場を失った彼女のエネルギーは、すべて俺ひとりに向かうことになった。
「幼稚園からお受験させられて……まあその頃はまだ俺もわけもわからず、頑張れば母さんが喜んでくれるって程度だったんだけどさ……だんだん締め付けがエスカレートしていって……」
学校に持っていくハンカチ一つ、ティッシュひとつまで、彼女の選んだものでなければ許されなかった。文房具はもともと学校で柄付きの派手なものは禁じられていたが、子供のことだ。カラフルなものがだめなら地紋のようにひっそり模様の入ったものを持ってきていたが、当然小遣いも厳しく管理された俺にはそれを買うことも出来なかった。
大人への隠し事の共有は、子供同士が仲良くなるための最強カードだ。
それを持たない俺は、クラスでもだんだん孤立していった。
俺の天性が晴れ男だとわかったとき、彼女は喜んだ。
あってもなくても困らない能力だが、その中でも天候系、特に晴れ男は絶対数が少なく、イメージ上ランクが上だったからだ。
子連れでママ友との外出、学校の遠足、それらが快晴になる度、彼女は俺を自慢した。
うちの子の天性は特別だから。希少価値だから。
私の息子だから、と。
「……でも俺はその頃にはもう、なにかがおかしいって気がついていた。だって自慢大会なママ友たちとのお出かけも、友だちがいない遠足も、俺には苦痛でしかなかったんだからな」
それで気がついた。俺は特異な晴れ男なんだと。
普通とは反対に、悲しかったり不愉快だったりすると、空は晴れる。
「むしろ表向きはそのほうが都合が良かった。母さんは俺が学校でうまくやってると思いたがってたから――それ以外は、許せないみたいだったから」
せっかく大学までエスカレーターの学校に入ったのに、高校は外部を受け直せと言い出したのは、彼女の尊敬する――その実敵対視しているカリスマママ経営者の家がそうさせているからだった。
中三の夏にそんなことを突然言い出されて、当然俺はたまったもんじゃなかった。
勉強は出来なくはなかったけれど、そんなにこうしないさい、ああしなさい、やっぱりこっちと言われて、簡単に対応できる子供なんているんだろうか。
『あなたは出来るはず。だってママの息子なんだから』
幼稚園受験の頃は力強く思えていたそんな言葉も、その頃にはもう呪いにしか聞こえなくなっていた。
お母さん。
お母さんには、俺がちゃんと見えてる?
お母さんの理想の中の俺じゃなくて、目の前にいる、現実の俺が。
もしも人生がやり直せるとして、俺が生まれない未来を選べたとしたら、どうする――?
もちろん俺は賢い子供だったから、それは訊いてはいけないことなのだとわかっていた。
消化できない思いを抱えたままの受験はまんまと失敗した。
ネットで結果を確認できるのに、わざわざきちっと化粧をして現地まで合格発表を見に連れて行かれた。俺の番号がないのを確認した母さんは紙みたいに真っ白な顔になって、そして言ったのだ。
『お母さんの望む学校に落ちたっていうのに、どうしてこんなにお空が晴れてるの?』
今日は穂高先生の結婚式。
空は快晴だ。
花嫁さんや参列者の為にはむしろ涼しいほうが良かったんじゃ……と思わなくもないが、珍しく俺の天性が意図して役に立ったというべきだろう。
たぶん、このあとは先生の家か村の集会所かで宴会だろうから、俺はもう帰ってもいいかな。見つからないうちに――神社の拝殿のほうにばかり気を取られていたから、踵を返した途端鼻っ柱をなにかに打ち付けた。
「てっ、――なんだよ」
こんなところに木なんかあったか、と毒づこうとして、それがぬくもりを持っていることに気づく。
「――天ヶ瀬」
「原田……どうして」
「人影が見えた気がして……。天ヶ瀬、もしかして、晴らすためにわざわざ来てくれたのか?」
俺は固く口を閉ざしたけど、それは逆に肯定であるとさすがの原田も察したようだった。
「そっか。俺の天性の周期がずれたのかな、とか――いろいろ考えてたんだけど、おまえのおかげか。昨日、怒ってたのに……それでも来てくれてありがとな。」
怒ってた?
そうか、おまえはあれをそう受け止めるわけか。肝心なところで鈍感な原田にいらだって、俺はてのひらを握りしめた。爪が食い込むほどそうしていないと、冷静に話せる気がしなかった。
「だから来たんだよ。……俺は、特異晴れ男なんだ。昔からそうだった。悲しいときに、晴れる。嬉しいときには雨が降る。そういう天性」
「え……?」
「おまえさ、なんで俺が晴れ男なのに天性喪失したいのかって訊いたよな。……これが原因で俺はこんなクソ田舎に来るはめになったからだよ」
俺の母親、つまりばあちゃんの娘だけど、彼女は田舎を嫌って都会に出ていった。
必死で勉強していい大学に入っていい仕事について、父親と結婚し、俺が生まれた。
彼女は自分の能力に自信があったから、結婚出産してもすべてをうまく回すつもりだった。会社も、それを見越して子育てに理解のあるところを選んでいた。第一子で男である俺が生まれ、なにもかもが計画通りだったらしい。
そこまでは。
いざ仕事に戻ろうと思ったとき、目をかけてくれていた上司はグループの別の会社に出向になっていた。ときを同じくして、大幅な業務再編があり、彼女のいた部署そのものもなくなってしまった。
俺を生み、乳離れするまでのわずか数年の間の出来事だ。
行き場を失った彼女のエネルギーは、すべて俺ひとりに向かうことになった。
「幼稚園からお受験させられて……まあその頃はまだ俺もわけもわからず、頑張れば母さんが喜んでくれるって程度だったんだけどさ……だんだん締め付けがエスカレートしていって……」
学校に持っていくハンカチ一つ、ティッシュひとつまで、彼女の選んだものでなければ許されなかった。文房具はもともと学校で柄付きの派手なものは禁じられていたが、子供のことだ。カラフルなものがだめなら地紋のようにひっそり模様の入ったものを持ってきていたが、当然小遣いも厳しく管理された俺にはそれを買うことも出来なかった。
大人への隠し事の共有は、子供同士が仲良くなるための最強カードだ。
それを持たない俺は、クラスでもだんだん孤立していった。
俺の天性が晴れ男だとわかったとき、彼女は喜んだ。
あってもなくても困らない能力だが、その中でも天候系、特に晴れ男は絶対数が少なく、イメージ上ランクが上だったからだ。
子連れでママ友との外出、学校の遠足、それらが快晴になる度、彼女は俺を自慢した。
うちの子の天性は特別だから。希少価値だから。
私の息子だから、と。
「……でも俺はその頃にはもう、なにかがおかしいって気がついていた。だって自慢大会なママ友たちとのお出かけも、友だちがいない遠足も、俺には苦痛でしかなかったんだからな」
それで気がついた。俺は特異な晴れ男なんだと。
普通とは反対に、悲しかったり不愉快だったりすると、空は晴れる。
「むしろ表向きはそのほうが都合が良かった。母さんは俺が学校でうまくやってると思いたがってたから――それ以外は、許せないみたいだったから」
せっかく大学までエスカレーターの学校に入ったのに、高校は外部を受け直せと言い出したのは、彼女の尊敬する――その実敵対視しているカリスマママ経営者の家がそうさせているからだった。
中三の夏にそんなことを突然言い出されて、当然俺はたまったもんじゃなかった。
勉強は出来なくはなかったけれど、そんなにこうしないさい、ああしなさい、やっぱりこっちと言われて、簡単に対応できる子供なんているんだろうか。
『あなたは出来るはず。だってママの息子なんだから』
幼稚園受験の頃は力強く思えていたそんな言葉も、その頃にはもう呪いにしか聞こえなくなっていた。
お母さん。
お母さんには、俺がちゃんと見えてる?
お母さんの理想の中の俺じゃなくて、目の前にいる、現実の俺が。
もしも人生がやり直せるとして、俺が生まれない未来を選べたとしたら、どうする――?
もちろん俺は賢い子供だったから、それは訊いてはいけないことなのだとわかっていた。
消化できない思いを抱えたままの受験はまんまと失敗した。
ネットで結果を確認できるのに、わざわざきちっと化粧をして現地まで合格発表を見に連れて行かれた。俺の番号がないのを確認した母さんは紙みたいに真っ白な顔になって、そして言ったのだ。
『お母さんの望む学校に落ちたっていうのに、どうしてこんなにお空が晴れてるの?』