「蒼ちゃんもう友だちできとうけえ。良かったじゃんねえ」
にこにこと微笑んでいるのは俺のばあちゃんだ。畑からの帰り、庭の入り口でどうやら俺の帰りを待っていたらしい。
「蒼ちゃんのその頭、最初はびっくりしたけど、遠くからでも良くわかっていいわ。とうもろこしのひげみたいで」
とうもろこしのひげみたい、というのは果たしてプラス情報なのかマイナス情報なのか。わからん、と思っている間に原田はばあちゃんがふちに腰かけていた、野菜の入ったコンテナをひょいと持ち上げて、敷地の中へどんどん入っていく。
「こんちは。これ、台所に運んじゃっていいですか?」
「ありがとねえ。ええと、あんたは確か、先生のとこに住んでる……」
「悠人ゆうじんです。原田悠人」
一瞬で身元の特定が終わった。田舎こええ。
デートしよう、と言われて「どこで?」とうっかり訊いてしまったのは、かりそめにもその気になったとかではもちろんなく、単純な興味からだった。
電車の駅は隣町まで出ないとなく、そこに至るバスも、電車も、一時間に一本しかないようなここで、はたして高校生はどこで遊ぶのか。ジャ〇コあんのか。今はイ〇ンか。
原田の答えは「まあだいたい家かな」だった。
冗談じゃない。会って初日でセックスを迫って来るような男の家に訪ねていくなんて、アウェーが過ぎる。かといって俺はまだこの辺りのことも全然知らないし……ともたついている間に「じゃあ天ヶ瀬の家で」ということになってしまったのだった。
結局おうちデートになんのかこれ。初回から。
しかも身内公認? と戸惑っている間に、原田はなぜかばあちゃんと並んで台所に立っていた。
「ばあちゃん、さつまいも薄く切る?」
「そうねえ、今日は玉ねぎと人参とでかき揚げにしようかねえ。さつまいもは細めに切ってね」
「りょーかい」
かき揚げ? かき揚げって天ぷら? あいつ料理できんのか、すげえな……っていうか、ここ、仮にも今「俺んち」なんだった。
つっぷしていた居間の座卓からのっそり体を起こして、台所に向かう。
「……俺もなんか手伝う」
「おお、じゃああとこれ揚げるだけだから」
申し出ると、具材の入ったボールを渡された。
揚げる。
だけ。
「…………」
取り敢えずボールを傾けて、中身を油に流し込んでみた。
とたん、ぶしゅわーーーーっと間欠泉みたいに油がはね上がる。
「あっつ、あっっつ……!!!!!」
「蒼ちゃん!」
「天ヶ瀬!」
原田が叫び、コンロの火を止める。ばちっと乱暴にスイッチをひねる音で、ああ、そうだまず火を、とも俺は思いつかなかったと思った。
ぐっと腕を掴まれ、水道から勢いよく流れ出る水に指を突っ込まれる。その間に、揚げ鍋はばあちゃんが始末してくれていた。焦げと油のにおいが不快に辺りに充満する。
油のはねた指は冷やしてもらっているのに、じんじんと、体のどこかがひどく痛むのを俺は感じていた。
失敗した。
余計なことした。
怒られる――
そう思ったのに、原田は俺以上に動揺していた声で訊ねてくる。
「あとどっか飛んでないか? 顔とか」
「え――」
「腕のほうとか、――天ヶ瀬?」
「……怒らねえの?」
恐る恐る訊ねると、原田はまるで、初めて鏡を見た子犬みたいな顔をして首をかしげた。
「怒るって、なんで?」
それからまた、さっき下駄箱で見たみたいにしゅうんと眉尻を下げるのだった。
「俺こそちゃんと教えなくてごめんな。でもできないならできないって言って良かったんだぞ」
――どうしてこんなこともできないの。あたしの子供なのに。
原田の顔と、全然関係ない記憶がフラッシュバックして、俺はうつむいた。
結局そのあと天ぷらは原田が揚げなおし、俺はそうめんをゆでた。
「いただきまーす」
「はい召し上がれ」
っていうか、そもそもなんでナチュラルに飯になってるんだろう。確かに、ばあちゃんの夜は早くて、帰宅してすぐ夕飯になるのは珍しくない流れではあったけど。
ばあちゃんが西瓜を取りにひとり台所にむかったタイミングで「おい、これってデートか?」と俺は訊ねていた。
「デート……」
口いっぱいに頬張ったそうめんをもぐもぐさせながら、原田は呟く。
ああこれ、完全に忘れてるやつだな。
いやいいけど。デートなんてもちろんしたかったわけじゃないけど。
原田はもぐもぐを飲み込む。
「おまえそうめんゆでるのうまいな」
「そういうのいいから。……こんなの、誰がやったって一緒だろ」
「一緒じゃねえよ。ゆで加減ちょっと固めで最高だしいつのまにかわさびとかしょうがとかしそとかみょうがとか海苔とかごまとかいろいろ用意されてるし。俺はそういう細かいところには気が回らないから」
「だろうな」
いろいろすっとばしてセックスしようって言ってくるくらいだからな。
そんな嫌味も通じないらしく、原田は「逆に東京でデートってなにしてた? どこ行ってた?」と訊ねてくる。
「……そりゃ、もっといろいろ? どきどきするようなとことか」
嘘だった。――そんな余裕はなかった。休みの日は塾、また塾、そして塾、塾、塾。
幸い細かいところに気が回らない原田は、俺のふわっとした返答にも違和感を覚えなかったようだ。「どきどきするようなとこかあ……」と腹をさすりながら思案する。
「そうだ」
なにか思いついた様子で笑みを浮かべる。悪巧みでもするように、口元をちょっと歪めて。そんな顔をすると、案外整った顔が大人びて見えることに俺は気がついた。
うっかり目を奪われている間に、原田の声がすぐ近くにある。
耳元に囁き入れられた。
「明日連れてってやるよ。――どきどきするとこ」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
原田が帰り、風呂から出てもまだ、囁きが耳の中に残ってるような気がした。それがいたたまれなくて、わさわさーっと闇雲に頭を拭いたりしてみる。
「どうしたでえ、蒼ちゃん」
濡れ縁に置いた蚊取り線香をかたしているばあちゃんに、不審な動きを気づかれてしまった。
「なんでもない。……ばあちゃん」
「んー?」
「ばあちゃんの作った野菜、無駄にしちゃってごめん」
「なあにいってえ。ほんなこん言っちょし。――ほら、蒼ちゃんが来てくれたからかねえ、今日も晴れて、お星さまがよく見えるよ」
「……ん」
ばあちゃんに促されて、俺は濡れ縁に出るとしばらく一緒に夜空を見上げた。東京では考えられないくらい一面の星空だ。
周期上、俺の天性が影響するのは偶然にも原田と同じ今週末辺りからだから、今日の晴れはあんまり関係ないとは思う。
だけどばあちゃんだって、ほんとうはそんなことどうでもいいんだろう。この人は、俺がここにこうしているだけでいいんだと、たぶん思ってくれている。
ごめんね、ばあちゃん。
そんなばあちゃんにも、俺、話していないことがある。
にこにこと微笑んでいるのは俺のばあちゃんだ。畑からの帰り、庭の入り口でどうやら俺の帰りを待っていたらしい。
「蒼ちゃんのその頭、最初はびっくりしたけど、遠くからでも良くわかっていいわ。とうもろこしのひげみたいで」
とうもろこしのひげみたい、というのは果たしてプラス情報なのかマイナス情報なのか。わからん、と思っている間に原田はばあちゃんがふちに腰かけていた、野菜の入ったコンテナをひょいと持ち上げて、敷地の中へどんどん入っていく。
「こんちは。これ、台所に運んじゃっていいですか?」
「ありがとねえ。ええと、あんたは確か、先生のとこに住んでる……」
「悠人ゆうじんです。原田悠人」
一瞬で身元の特定が終わった。田舎こええ。
デートしよう、と言われて「どこで?」とうっかり訊いてしまったのは、かりそめにもその気になったとかではもちろんなく、単純な興味からだった。
電車の駅は隣町まで出ないとなく、そこに至るバスも、電車も、一時間に一本しかないようなここで、はたして高校生はどこで遊ぶのか。ジャ〇コあんのか。今はイ〇ンか。
原田の答えは「まあだいたい家かな」だった。
冗談じゃない。会って初日でセックスを迫って来るような男の家に訪ねていくなんて、アウェーが過ぎる。かといって俺はまだこの辺りのことも全然知らないし……ともたついている間に「じゃあ天ヶ瀬の家で」ということになってしまったのだった。
結局おうちデートになんのかこれ。初回から。
しかも身内公認? と戸惑っている間に、原田はなぜかばあちゃんと並んで台所に立っていた。
「ばあちゃん、さつまいも薄く切る?」
「そうねえ、今日は玉ねぎと人参とでかき揚げにしようかねえ。さつまいもは細めに切ってね」
「りょーかい」
かき揚げ? かき揚げって天ぷら? あいつ料理できんのか、すげえな……っていうか、ここ、仮にも今「俺んち」なんだった。
つっぷしていた居間の座卓からのっそり体を起こして、台所に向かう。
「……俺もなんか手伝う」
「おお、じゃああとこれ揚げるだけだから」
申し出ると、具材の入ったボールを渡された。
揚げる。
だけ。
「…………」
取り敢えずボールを傾けて、中身を油に流し込んでみた。
とたん、ぶしゅわーーーーっと間欠泉みたいに油がはね上がる。
「あっつ、あっっつ……!!!!!」
「蒼ちゃん!」
「天ヶ瀬!」
原田が叫び、コンロの火を止める。ばちっと乱暴にスイッチをひねる音で、ああ、そうだまず火を、とも俺は思いつかなかったと思った。
ぐっと腕を掴まれ、水道から勢いよく流れ出る水に指を突っ込まれる。その間に、揚げ鍋はばあちゃんが始末してくれていた。焦げと油のにおいが不快に辺りに充満する。
油のはねた指は冷やしてもらっているのに、じんじんと、体のどこかがひどく痛むのを俺は感じていた。
失敗した。
余計なことした。
怒られる――
そう思ったのに、原田は俺以上に動揺していた声で訊ねてくる。
「あとどっか飛んでないか? 顔とか」
「え――」
「腕のほうとか、――天ヶ瀬?」
「……怒らねえの?」
恐る恐る訊ねると、原田はまるで、初めて鏡を見た子犬みたいな顔をして首をかしげた。
「怒るって、なんで?」
それからまた、さっき下駄箱で見たみたいにしゅうんと眉尻を下げるのだった。
「俺こそちゃんと教えなくてごめんな。でもできないならできないって言って良かったんだぞ」
――どうしてこんなこともできないの。あたしの子供なのに。
原田の顔と、全然関係ない記憶がフラッシュバックして、俺はうつむいた。
結局そのあと天ぷらは原田が揚げなおし、俺はそうめんをゆでた。
「いただきまーす」
「はい召し上がれ」
っていうか、そもそもなんでナチュラルに飯になってるんだろう。確かに、ばあちゃんの夜は早くて、帰宅してすぐ夕飯になるのは珍しくない流れではあったけど。
ばあちゃんが西瓜を取りにひとり台所にむかったタイミングで「おい、これってデートか?」と俺は訊ねていた。
「デート……」
口いっぱいに頬張ったそうめんをもぐもぐさせながら、原田は呟く。
ああこれ、完全に忘れてるやつだな。
いやいいけど。デートなんてもちろんしたかったわけじゃないけど。
原田はもぐもぐを飲み込む。
「おまえそうめんゆでるのうまいな」
「そういうのいいから。……こんなの、誰がやったって一緒だろ」
「一緒じゃねえよ。ゆで加減ちょっと固めで最高だしいつのまにかわさびとかしょうがとかしそとかみょうがとか海苔とかごまとかいろいろ用意されてるし。俺はそういう細かいところには気が回らないから」
「だろうな」
いろいろすっとばしてセックスしようって言ってくるくらいだからな。
そんな嫌味も通じないらしく、原田は「逆に東京でデートってなにしてた? どこ行ってた?」と訊ねてくる。
「……そりゃ、もっといろいろ? どきどきするようなとことか」
嘘だった。――そんな余裕はなかった。休みの日は塾、また塾、そして塾、塾、塾。
幸い細かいところに気が回らない原田は、俺のふわっとした返答にも違和感を覚えなかったようだ。「どきどきするようなとこかあ……」と腹をさすりながら思案する。
「そうだ」
なにか思いついた様子で笑みを浮かべる。悪巧みでもするように、口元をちょっと歪めて。そんな顔をすると、案外整った顔が大人びて見えることに俺は気がついた。
うっかり目を奪われている間に、原田の声がすぐ近くにある。
耳元に囁き入れられた。
「明日連れてってやるよ。――どきどきするとこ」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
原田が帰り、風呂から出てもまだ、囁きが耳の中に残ってるような気がした。それがいたたまれなくて、わさわさーっと闇雲に頭を拭いたりしてみる。
「どうしたでえ、蒼ちゃん」
濡れ縁に置いた蚊取り線香をかたしているばあちゃんに、不審な動きを気づかれてしまった。
「なんでもない。……ばあちゃん」
「んー?」
「ばあちゃんの作った野菜、無駄にしちゃってごめん」
「なあにいってえ。ほんなこん言っちょし。――ほら、蒼ちゃんが来てくれたからかねえ、今日も晴れて、お星さまがよく見えるよ」
「……ん」
ばあちゃんに促されて、俺は濡れ縁に出るとしばらく一緒に夜空を見上げた。東京では考えられないくらい一面の星空だ。
周期上、俺の天性が影響するのは偶然にも原田と同じ今週末辺りからだから、今日の晴れはあんまり関係ないとは思う。
だけどばあちゃんだって、ほんとうはそんなことどうでもいいんだろう。この人は、俺がここにこうしているだけでいいんだと、たぶん思ってくれている。
ごめんね、ばあちゃん。
そんなばあちゃんにも、俺、話していないことがある。