電車が大好きな朝陽くんと、電車のことがまるでわからない俺。正直どうなることかと思ったが、30分が経つ頃には俺はすっかり朝陽くんと打ち解けていた。
 クラスでは陰キャで通っている俺だが、幸いにも幼児との話し方は熟知している。朝陽くんも人見知りが激しいタイプではないから、コツさえつかんでしまえば会話を成り立たせることはむずかしくない。

「朝陽くんはさー。いつも家で何して遊んでるの?」

 木の枝で電車っぽい何かを書きながら、俺は朝陽くんに尋ねた。
 
「プラレール」
「あ、青い線路のやつ? あれ、難しくない?」
「さとにいが作ってくれる」
「さとにい、優しいんだ」
「やさしい。いつもあそんでくれる」
「へー……」
 
 いきなり血の繋がってない幼い弟ができたら、面倒くさいと思ってしまうことも多そうだけど、湯ノ原はきちんとお兄ちゃんをやっているようだ。俺は少しだけ湯ノ原のことが好きになった。
 だからといって心春をたぶらかした罪を許すわけではないけどね!

「おにいちゃん。お茶、ちょうだい」

 俺と朝陽くんのまわりが電車と新幹線でいっぱいになった頃、心春と湯ノ原が戻ってきた。心春はひたいにうっすらと汗を浮かべる程度だが、湯ノ原は派手にTシャツを濡らしている。どうやら散々、心春のブランコ遊びに付き合わされたらしい。(湯ノ原は主に押す側で)

「湯ノ原……あの、すまん」
「いーよいーよ。佐倉も朝陽の相手、ありがとな」

 本当にいいやつだな、湯ノ原。
 俺はまた少し湯ノ原のことが好きになった。

 そこそこ気温も高くなってきたので、日陰のベンチで休憩タイムとなった。左から俺、心春、朝陽くん、湯ノ原。ぱたぱたと足を揺らす心春と朝陽くんに、湯ノ原がパウチゼリーを手渡した。りんご味。
 
「りんごゼリーだ! さとくん、ありがとう」

 心春はきらきらと目を輝かせてパウチゼリーを飲み始めた。朝陽くんも嬉しそうだ。そいうえば俺も小さい頃、パウチタイプのゼリーが好きだったなと思い出す。家族でお出かけをしたときしか買ってもらえなかったから、特別な感じがしてすごく良かった。
 
「はい、これ佐倉の分」
「え? 俺にもくれんの?」
「4人分買ってきたんだ。ぶどうとみかん、どっちがいい?」
「んー……みかん」

 4人並んでゼリーを吸う。汗ばんだ背中に初夏の風が吹き抜けていく。いい気分だ。
 俺がのんびりみかんゼリーを吸っていると、一足早くパウチを空にした心晴がさっと立ち上がった。

「あさひくん、すなばで遊ぼ!」
「うん」

 2人は砂場道具を抱えて駆けていく。湯ノ原じゃなくて朝陽くんを誘うんだ、と目を丸くしてしまった。心晴の中で「さとくんと遊ぶ時間」はもう終わり、次は「朝陽くんと遊ぶ時間」なんだろう。
 さとくんが好き、なんてマセたことを言いながらも、心晴の中で湯ノ原の優先度はそこまで高くない。結局は、同年代の友だちと遊んでいた方が楽しいのだ。そう思えば心晴の初恋相手が湯ノ原だということもそこまで腹が立たない……気はする。

 残り少ないみかんゼリーをちびちびと吸いながら、俺は湯ノ原の横顔を盗み見た。整った顔立ちだと認識はしていたが、見れば見るほどイケメンだ。ほどよく筋肉質で背も高い。友人たちから「悪くはないけど良くもない」と評価される俺の顔立ちとは雲泥の差。

「佐倉はさー。大学、どこ行くの?」

 ぶどうゼリーを口にくわえながら、湯ノ原が尋ねてきた。社交辞令の会話だな、とすぐに理解した。
 
「今のところ県大が気になってる。湯ノ原は?」
「迷い中。うち、長いこと片親だったからさ。大学行かないで働こうと思ってたんだよね。でも義父が、お金は出すから大学は行きなさいって」
「へー、いい人じゃん」
「いい人だよ。いい人だけど、そこまでお世話になっていいのかなって思ってさ。どう思う?」

 え、俺に聞くの?

「……出してくれるって言うんだから、甘えればいいんじゃないの。どうしても気が引けるなら入学金だけお世話になって、授業料は奨学金を借りるとか?」
「奨学金かー」
「俺も今年に入ってから調べたんだけどさ。奨学金ってめちゃめちゃ種類あるんだよな。医療系の学校だと返済免除の奨学金とかもあるし。新聞配達をすればもらえる奨学金てのもあったなー」
「マジ? そんなのあんの?」
「詳しくは自分で調べてくれ」

 湯ノ原のあいづちを最後に会話は途切れてしまった。居心地の悪くなった俺は懸命に話題を探す。そのうちに、湯ノ原のことをほとんど何も知らないことに気がついた。知っているのは水泳部だってことと、歳の離れた義弟がいるってことと、進路に悩んでいるということ。趣味も、好きな食べ物も、家族構成も、何も知らない。

「湯ノ原ってさー……朝陽くんの他にもきょうだいいる?」
「いる。中二の弟」
「実の弟?」
「そうそう。ゲームばっかしてて部屋から出てこないんだよね。義父も距離をはかりかねてる感じ」
「……ゲームって何のゲーム?」
「食いつくのそこ?」

 俺と湯ノ原がわいわい話しているところに心春と朝陽くんが戻ってきた。2人とも手が砂だらけだ。朝陽くんに至ってはほっぺたにも砂がついている。

「さとくん、いっしょにおままごとしよう」
「いいよ」

 心春の誘いに、湯ノ原はすぐに立ち上がった。

「すなばでおうちを作ってるの。こはるがお母さん、さとくんはお父さん、あさひくんが赤ちゃんね」

 ちょっと待て、それは聞き捨てならん。おままごとはいえ、心春と湯ノ原が結婚している設定ということだろう? 俺は大慌てで心春に質問した。
 
「心春、お兄ちゃんがお父さんじゃダメ?」
「ダメ。お兄ちゃんはかびん」
「生き物ですらねぇの!?」

 その後、花瓶の配役を与えられた俺は、タンポポを片手に延々と立ち続ける羽目になった。「お父さん、もうすぐごはんですよ」「今日のご飯はなぁに?」「カレーライス。あさひくんの分もありますよー」「わーい」楽しそうな家族の会話を目の前にしながら。

「心晴ー。お兄ちゃん、せめて生き物になりたい」
「かびんはしゃべらないで」
「……はい」

 湯ノ原が盛大に吹き出した。やっぱり嫌いだ、お前。