マイ・プリティー・エンジェルの心を奪った湯ノ原、許すまじ。
 12歳も年下のけなげな幼女をたぶらかしてんじゃねぇ。

 ……と文句を言いたい気持ちは山々だが、俺はとりあえず事実確認をすることにした。湯ノ原に対してさんざん文句を言ったあとに、「心春の好きな『さとくん』と湯ノ原は別人でした」では洒落にならないからだ。
 心春のかよう幼稚園に、別の『さとくん』がいる可能性は十分にある。そして今朝、湯ノ原に手紙を渡した相手が心春だという確証もない。冤罪を避けるためにも事実確認は必須だ。

 ホームルームが終わった直後、俺はリュックを背負いさっと席を立った。いつもなら橘たちとダラダラおしゃべりをしながら教室を出るのだが、今日はそんな余裕はない。水泳部の湯ノ原は、いつもホームルームが終わるとすぐに部室へと行ってしまう。教室内で湯ノ原に話しかける勇気がなく、かといって部室に突撃する勇気もない俺にとって、湯ノ原の移動中が唯一のチャンスだった。

 橘と林田に目線だけで別れを告げ、湯ノ原の後を追う。
 
「ゆ、ゆの……湯ノ原!」

 俺が精一杯の声量で呼び止めると、湯ノ原はすぐに振り返った。

「佐倉じゃん、どうした?」
「ちょっとお願いしたいことがあるんだけどっ……」
「俺に? 何?」

 湯ノ原は不思議そうな顔だ。
 俺は湯ノ原とまともに話した経験がない。同じクラスになって数ヶ月が経とうとしているに関わらず、だ。今、この瞬間が初めてのこと。

「て、手紙を見せてもらえないかな」
「手紙?」
「昼休み、教室で話しただろ? 幼稚園で手紙をもらったって」
「ああ、別にいいけど」

 湯ノ原はさらっとした調子で答えると、制服のポケットをまさぐり、例の手紙を俺の方へと差し出した。2つに折りたたまれたピンク色の便箋だ。
 便箋を見ただけでは、それが心春の書いた物かどうかはわからない。俺は心春が手紙を書くところを見ていないから(だって見てたら発狂する)、どんな便箋を使ったのかを知らないのだ。

 緊張で震える手で便箋をひらく。そこに書かれた文字にさっと目を通す。

「おのれ湯ノ原ァ……」

 思わず低い声が出た。湯ノ原が驚いた顔をした。

「え、何? その手紙に何かあった?」

 湯ノ原の質問には答えずに、俺は何度も手紙を読み返した。かわいいピンク色の便箋には、赤いクレヨンで大きな文字がつづられている。大きさも書き順もめちゃめちゃなその文字は、素人が見ればなんと書いてあるかわからないだろう。
 だが俺にはわかる。『さとくんえ』で始まるその手紙は、幼稚園児らしい愛の告白を経て、『こはる』の記名で締めくくられている。ぱっと見『こけろ』とも読めてしまうが、間違いなく『こはる』だ。この俺が心春の字を読み間違えるはずがない。

 心春の初恋相手は、俺のクラスメイトである湯ノ原紗斗。兄である俺を差し置いて、心春からラブレターを貰いやがった糞野郎。俺は我を忘れて湯ノ原に迫り寄った。

「ゆーのーはーらー……お前のその整った(ツラ)は幼女をたぶらかすためにあるのかこの野郎」
「え……何だって?」
「天使からラブレター貰って浮かれてんじゃねぇぞ、心春の一番はこの俺なんだよ。わかったら今後は心春の目に留まらないよう鼻眼鏡つけて生活しやがれ」

 我ながら支離滅裂で散々な罵倒だと思いながら、止めることはできなかった。
 心春は俺の天使だ。心春が初めて「にぃに♡」と呼んでくれた日のことや、クレヨンで似顔絵を描いてくれた日のことがつい昨日のことのように思い出される。あの可愛い心春が、たった5歳で初恋を経験するなんて考えたくもない。しかもその初恋相手が俺のクラスメイトだなんて。

 怒りでブルブルとこぶしを振るわせる俺の手前、湯ノ原は平然と尋ねてきた。

「あの手紙をくれた子、佐倉の知り合い?」
「知り合いもなにも妹だわ!」
「へーそうなんだ。言われてみれば目の辺りが似てる……か?」
 
 湯ノ原は俺の顔をしばし見つめたあと、心春の手紙に視線を落とした。

「佐倉佐倉。この手紙なんて書いてあんの? 頑張ったんだけど読めなくてさ」
「……『さとくんへ、だいすきだよ、いっしょにこうえんであそぼうね こはる』……って俺に読ませんなボケ!」

 素直に手紙の内容を伝えてしまったことを後悔し、手紙を突き返した。本音を言えば心春のラブレターを湯ノ原に渡したくはない。しかし心春が湯ノ原を想って書いた手紙を、俺の独断と偏見で取り上げてしまうというのは違うだろう。癪だけど、むかつくけど、認めたくないけど、この手紙は湯ノ原の物なのだ。

 手紙をポケットにしまった湯ノ原がふっと破顔した。馬鹿にされているような気持ちになって、俺は湯ノ原を睨みつけた。
 
「何だよ」
「いや……佐倉、めっちゃしゃべるなと思って。静かにゲームしてるイメージしかなかったからさ」

 何だよそれ、俺だって普通にしゃべるっつぅの。誰に対しても気さくな湯ノ原から見れば、無口な根暗野郎に見えるかもしれないけどさ。

 湯ノ原がスマホを差し出してきた。なんだろうと思って画面を見ると、友達申請用のQRコードが映し出されていた。

「俺の連絡先、登録しといて」
「何で」
「心春ちゃん、俺と一緒に遊びたいんじゃねぇの? 俺、土曜は部活だけど日曜は基本空いてるからさ。都合のいい日連絡してよ」

 俺はうろんげに湯ノ原をねめつけた。
 
「お前、まさか本気で心春とどうこうなるつもりじゃ……」
「んなわけあるか。普通に公園で遊ぼうぜって話。うちの弟、引っ越してきたばかりだから友達少ないんだよね。心春ちゃんが一緒に遊んでくれたら喜ぶと思うんだけど」

 そういえば両親が再婚したのは最近だって話してたっけ。

「そういうことならまぁ……いいけど」

 俺は湯ノ原と連絡先を交換した。連絡待ってるなー、と笑顔で去って行く湯ノ原を眺めながらはたと気づいた。

 何で俺、湯ノ原と友達になってんの?