「うちの心春にさぁ、好きな人ができたんだって」
俺が悲痛な声で訴えれば、クラスメイトの橘はスマホの画面を眺めたまま相槌を打った。
「ふーん、相手は誰?」
「佐藤くんだって。多分、幼稚園の友達かなと思うんだけどさ」
「心晴ちゃん、何歳だっけ?」
「5歳」
「5歳で好きな人ができんの? 最近の子はマセてんなー」
それらしい感想を並べながらも、橘はスマホから視線を外さない。右手の親指が忙しなく画面をなでる。スピーカーから流れる戦闘BGMが、昼休みの賑やかさに飲み込まれていく。
橘がプレイしているのは最近はやりのバトルRPG。俺のスマホにもインストールされているが、今はとてもじゃないがゲームをプレイする気分にはなれない。
「やっぱりそう思う? 幼稚園児が恋なんて早すぎるよな?」
「早い早い。俺の初恋、小4だし」
「相手は?」
「クラスメイト。隣の席の小関さん」
「うわ、普通ー。おもんねー」
「初恋に面白さを求めんじゃねぇ」
橘は笑いながら俺の肩を小突いた。
幼稚園児が恋なんて早すぎる、という主張が受け入れられて安心した。俺だって初恋という初恋は小学生になってからだった。それ以前も「隣のクラスの愛奈ちゃんが可愛い」とか、「保健室の佐々木先生は美人」とか、そういうのはあったけど、恋愛感情をきちんと自覚したのは小学校高学年になってからだったんじゃないかと思う。
幼稚園の頃なんて、毎日、仮面ライダーとウルトラマンのことしか考えてなかったわ。
「何の話してんの?」
クラスメイトの林田が会話に割り込んできた。右手にはミルクティーの紙パックを持っているから、購買から戻ってきたところなのだろう。
俺、橘、林田。柏台高等学校2年3組の仲良し3人組だ。
「佐倉の妹に好きな人ができたんだって」
「へー」
「そんで幼稚園児に恋愛は早いよな、って話したとこ」
橘の説明に、林田は意外そうな表情を浮かべた。
「そう? 幼稚園児でも好きな人くらいいない? 俺、4歳のときに幼稚園の先生に告白したけど」
「マジ?」
「マジマジ。公園でタンポポの花を摘んでぇ、『結婚してください』みたいなこと言った気がする」
「うわ、漫画みてぇ。先生の返事は?」
「普通にありがと、だったかなぁ? よく覚えてないけど」
「ふーん」
幼稚園の先生だったらその辺の対応は慣れてそうだよな、橘がそう結論づけてその会話は終わりを迎えた。林田は近くの席から空いた椅子を引っ張ってきて、橘と一緒にスマホゲームを始める。
俺たちの休み時間はいつもこんな感じだ。教室の隅っこに目立たないように固まって、誰かが持ってきた漫画を読んだりゲームをしたり。陰キャグループ、と一部のクラスメイトからは呼ばれているらしい。
別にそう呼ばれたって構わないのだ。俺も橘も林田も、目立つことをするのは好きじゃない。クラスの人気者になりたいとも思わない。
だが陰キャの俺にだって許せないことはある。どこぞの男に心春を奪われることだ。
もしかして今頃、心春は幼稚園で俺の知らない男児とイチャイチャしてるのか? 道ばたでタンポポを摘んで「けっこんしよ♡」なんて言っちゃったりしてるのか? 挙げ句の果てにほっぺたにチューなんてしちゃったり? お兄ちゃん泣いちゃう。
「結婚……心春……殺意……殺戮」
「佐倉、耳元で物騒なことつぶやくの止めて」
昼休みも終盤にさしかかった頃、教室には数人の男子グループが帰ってきた。一口に男子グループと言っても、地味で目立たない俺たちのグループとは明らかに属性が違う。クラスの人気者たちが集まった、いわゆる陽キャグループだ。
「あっちー。誰か制汗剤持ってねぇ?」
「シートならあるけど使う?」
「俺にも一枚ちょーだい」
俺は教室の隅っこから彼らの様子を盗み見た。
明るく染めた髪に、適度に着崩した制服。メンバーの一人がバスケットボールを抱えているところを見るに、体育館で一汗かいてきたところなのだろう。貴重な昼休みを運動に使うなんて、陰キャにはほとほと理解が叶わない生態だ。
俺は特に深い意味もなく、彼らの会話に耳を澄ませていた。
「湯ノ原、何か落ちたよ」
「ん、何だろ」
湯ノ原は陽キャグループの主要メンバーの一人だ。爽やかイケメン、水泳部。
「折り紙? いや、手紙か?」
「あー、今朝もらったやつ」
「まさかラブレター?」
「どうだろ。何て書いてあるかわからなくてさ」
「誰から?」
「知らない子。弟を幼稚園に送って行ったとき、玄関にいた子がくれた」
……ん?
「湯ノ原、そんな歳の離れた弟、いたっけ」
「最近できた。母親が再婚してさ、義父の連れ子なんだよね」
「義理の弟ってこと? 気まずくねぇ?」
「いや別に。普通に可愛いし、向こうも懐いてくれてる」
「ふーん」
確かに、湯ノ原は小さい子に好かれそうなタイプだよな。イケメンだし、ハキハキしゃべるし、いつも笑顔だし。……じゃなくって。
俺は人目も忘れて湯ノ原のことを凝視した。
まさか湯ノ原が心晴の初恋の相手? いやそんなはずはない。だって心晴は相手のことを『さとくん』と呼んでいた。たとえあだ名だとしても、湯ノ原が佐藤なんて呼ばれるはずが――
「……橘。湯ノ原の下の名前、なんだっけ?」
俺が唐突に質問すると、橘はゲームの手を止めて考え込んだ。
「湯ノ原……紗斗」
「っ……『さとくん』じゃねぇか!」
「うぉ、いきなりどうした」
この瞬間、湯ノ原は俺の殺したい奴No.1になった。
俺が悲痛な声で訴えれば、クラスメイトの橘はスマホの画面を眺めたまま相槌を打った。
「ふーん、相手は誰?」
「佐藤くんだって。多分、幼稚園の友達かなと思うんだけどさ」
「心晴ちゃん、何歳だっけ?」
「5歳」
「5歳で好きな人ができんの? 最近の子はマセてんなー」
それらしい感想を並べながらも、橘はスマホから視線を外さない。右手の親指が忙しなく画面をなでる。スピーカーから流れる戦闘BGMが、昼休みの賑やかさに飲み込まれていく。
橘がプレイしているのは最近はやりのバトルRPG。俺のスマホにもインストールされているが、今はとてもじゃないがゲームをプレイする気分にはなれない。
「やっぱりそう思う? 幼稚園児が恋なんて早すぎるよな?」
「早い早い。俺の初恋、小4だし」
「相手は?」
「クラスメイト。隣の席の小関さん」
「うわ、普通ー。おもんねー」
「初恋に面白さを求めんじゃねぇ」
橘は笑いながら俺の肩を小突いた。
幼稚園児が恋なんて早すぎる、という主張が受け入れられて安心した。俺だって初恋という初恋は小学生になってからだった。それ以前も「隣のクラスの愛奈ちゃんが可愛い」とか、「保健室の佐々木先生は美人」とか、そういうのはあったけど、恋愛感情をきちんと自覚したのは小学校高学年になってからだったんじゃないかと思う。
幼稚園の頃なんて、毎日、仮面ライダーとウルトラマンのことしか考えてなかったわ。
「何の話してんの?」
クラスメイトの林田が会話に割り込んできた。右手にはミルクティーの紙パックを持っているから、購買から戻ってきたところなのだろう。
俺、橘、林田。柏台高等学校2年3組の仲良し3人組だ。
「佐倉の妹に好きな人ができたんだって」
「へー」
「そんで幼稚園児に恋愛は早いよな、って話したとこ」
橘の説明に、林田は意外そうな表情を浮かべた。
「そう? 幼稚園児でも好きな人くらいいない? 俺、4歳のときに幼稚園の先生に告白したけど」
「マジ?」
「マジマジ。公園でタンポポの花を摘んでぇ、『結婚してください』みたいなこと言った気がする」
「うわ、漫画みてぇ。先生の返事は?」
「普通にありがと、だったかなぁ? よく覚えてないけど」
「ふーん」
幼稚園の先生だったらその辺の対応は慣れてそうだよな、橘がそう結論づけてその会話は終わりを迎えた。林田は近くの席から空いた椅子を引っ張ってきて、橘と一緒にスマホゲームを始める。
俺たちの休み時間はいつもこんな感じだ。教室の隅っこに目立たないように固まって、誰かが持ってきた漫画を読んだりゲームをしたり。陰キャグループ、と一部のクラスメイトからは呼ばれているらしい。
別にそう呼ばれたって構わないのだ。俺も橘も林田も、目立つことをするのは好きじゃない。クラスの人気者になりたいとも思わない。
だが陰キャの俺にだって許せないことはある。どこぞの男に心春を奪われることだ。
もしかして今頃、心春は幼稚園で俺の知らない男児とイチャイチャしてるのか? 道ばたでタンポポを摘んで「けっこんしよ♡」なんて言っちゃったりしてるのか? 挙げ句の果てにほっぺたにチューなんてしちゃったり? お兄ちゃん泣いちゃう。
「結婚……心春……殺意……殺戮」
「佐倉、耳元で物騒なことつぶやくの止めて」
昼休みも終盤にさしかかった頃、教室には数人の男子グループが帰ってきた。一口に男子グループと言っても、地味で目立たない俺たちのグループとは明らかに属性が違う。クラスの人気者たちが集まった、いわゆる陽キャグループだ。
「あっちー。誰か制汗剤持ってねぇ?」
「シートならあるけど使う?」
「俺にも一枚ちょーだい」
俺は教室の隅っこから彼らの様子を盗み見た。
明るく染めた髪に、適度に着崩した制服。メンバーの一人がバスケットボールを抱えているところを見るに、体育館で一汗かいてきたところなのだろう。貴重な昼休みを運動に使うなんて、陰キャにはほとほと理解が叶わない生態だ。
俺は特に深い意味もなく、彼らの会話に耳を澄ませていた。
「湯ノ原、何か落ちたよ」
「ん、何だろ」
湯ノ原は陽キャグループの主要メンバーの一人だ。爽やかイケメン、水泳部。
「折り紙? いや、手紙か?」
「あー、今朝もらったやつ」
「まさかラブレター?」
「どうだろ。何て書いてあるかわからなくてさ」
「誰から?」
「知らない子。弟を幼稚園に送って行ったとき、玄関にいた子がくれた」
……ん?
「湯ノ原、そんな歳の離れた弟、いたっけ」
「最近できた。母親が再婚してさ、義父の連れ子なんだよね」
「義理の弟ってこと? 気まずくねぇ?」
「いや別に。普通に可愛いし、向こうも懐いてくれてる」
「ふーん」
確かに、湯ノ原は小さい子に好かれそうなタイプだよな。イケメンだし、ハキハキしゃべるし、いつも笑顔だし。……じゃなくって。
俺は人目も忘れて湯ノ原のことを凝視した。
まさか湯ノ原が心晴の初恋の相手? いやそんなはずはない。だって心晴は相手のことを『さとくん』と呼んでいた。たとえあだ名だとしても、湯ノ原が佐藤なんて呼ばれるはずが――
「……橘。湯ノ原の下の名前、なんだっけ?」
俺が唐突に質問すると、橘はゲームの手を止めて考え込んだ。
「湯ノ原……紗斗」
「っ……『さとくん』じゃねぇか!」
「うぉ、いきなりどうした」
この瞬間、湯ノ原は俺の殺したい奴No.1になった。