暑さはまだ和らがないが、夕方の匂いをのせた風が吹き始めていた。

 柏台駅で心ゆくまで遊んだ俺と湯ノ原は、自宅へと続く道をのんびりと歩いていた。公園遊びを始めてから知ったことだが、俺と湯ノ原の自宅はわりかし近い場所にある。チャリを飛ばせば5分くらいで行き来できるんじゃないだろうか。だから柏台駅を出たあとも、別れ道までという暗黙の了解のもと2人で並んで歩く。

「けっこう遅くなっちまったけど大丈夫?」

 尋ねられて、俺は湯ノ原を見上げた。

「晩飯までには帰るって言ってあるから」
「そ、俺もだわ」

 まさか湯ノ原と丸一日遊び倒すことになるとは思わなかった。やることがなくなれば解散しようと考えていたのに、駅ナカを歩きながらおしゃべりするだけで時間が溶けていった。こんなに楽しかったのはお出かけは久しぶりだ。

「今日のことってさ。心晴ちゃんに何て言ってあんの?」
「普通に友だちと遊びに行くって言ってきたわ。湯ノ原と、とは言ってねぇよ? 『お兄ちゃん、さとくんとデートなんてズルい!』って言われるのが目に見えてるからなー」
「……デート?」
「心晴から見ればそうなるだろ」

 デートかー、とつぶやく湯ノ原は心なしか嬉しそうだった。おい、俺で満足するんじゃねぇ。デートはきちんと片思いの相手と行け。

「なぁ……佐倉。ちょっと変なこと聞きたいんだけど」

 湯ノ原が言いにくそうに切り出した。

「何?」
「もし俺の好きな相手が佐倉だとするじゃん?」
「何その面白い例え」
「まぁ聞けって。そうだとしたら、俺はどんなことをすれば佐倉に意識してもらえるようになる?」
「えー……」

 つまり友達関係の相手に、恋愛対象として意識してもらうためにはどうすればいいか、という話か。お昼時の話を掘り返してくるということは、湯ノ原なりに恋愛成就を目指して頑張るつもりになったのだろう。だからといって俺に助言を求めるのはどうかと思うけど。

「毎日あいさつをする、とか?」
「それはもうやってる」
「休み時間におしゃべりにいく」
「それもやってる」
「えー……遊びに誘う?」
「それもやってるなぁ」

 ん、待て待て。これは湯ノ原の片思い相手の話? それとも俺の話? わかんなくなってきたぞ。

「……さりげなく身体に触ってみるとか」
「どんな風に?」
「どんなって……肩をぽんってしてみるとか…偶然を装って手に触ってみるとか……」

 あれこれ考えていると、ふっと右手が温かくなった。驚いて見下ろしてみれば、湯ノ原が俺の右手を握っていた。

「こういう感じ?」
「ん、おお?」

 これは偶然じゃなくて故意だろ、っとツッコみたかったが、ドギマギしてしまって何も言えなかった。さりげなく手を離そうとしてみても、湯ノ原が強く握っているから離せない。指先を絡ませたまま夕暮れの住宅街を歩く。

 時間が経つにつれてそうしていることが恥ずかしくなってきて、俺はわざと大きな声をだした。

「まぁ俺と湯ノ原はそこそこ仲良いしな! 今さら手ぇ繋いだくらいじゃドキドキなんてしねぇわ。最低でもキスぐらいのことはしてくんないと」

 さすがに冗談でキスはできないだろ? だから俺を片思いの相手に見立てるのはそろそろ終わりにしようぜ?
 俺としてはそう伝えたかったわけなのだが。

 湯ノ原が歩みを止めた。俺もつられて立ち止まった。癪に触るくらい整った湯ノ原の顔が、すぐ目の前にあった。

「んむ」

 唇に温かくて柔らかな感触。人生で初めての感触。名残り惜しげに離れていく湯ノ原の顔がスローモーションのように見えた。

「佐倉がそういうなら、ちょっと頑張ってみようかな」

 夕焼けを浴びながら湯ノ原はいたずらげに笑う。何か言わないとと思うが言葉にならず、湯ノ原が夕陽に向かって駆け出す方が早かった。

「じゃあまた学校でな! 今日は楽しかったよ、ありがとう」
「……お、おー」

 俺が適当な相槌を返す頃には、湯ノ原の背中は遠ざかってしまっていた。残されたものは右手のぬくもりと、唇が触れ合った生々しい感触だけ。

 湯ノ原の姿が見えなくなったあとも、俺は呆然と立ち尽くしていた。どちらかといえば鈍感な類の俺だが、あそこまであからさまな態度をとられたら気付かないはずがない。

 湯ノ原の好きな人って……俺?

 
 銀河系一かわいい俺の妹。
 天界から生まれ落ちたプリティー・エンジェル。
 お兄ちゃんは大変なことをしてしまったかもしれない。……マジごめん。