「今日も疲れた疲れた」

 その言葉とは裏腹に、莉子は楽しげに笑みを浮かべている。すっきりとした細い手の先には缶ビールがあり、ようやくそれにありつけたからなのかもしれない。反対の手には後数本が入った袋があり、風に揺られる度に、かさり、と音を立てている。

 私達はお店から徒歩で三十分程の距離にあるアパートを借りており、本当はゆいレールという名前のモノレールをつかえば早く家に着くことが出来るのだけれど、仕事終わりは二人で海沿いの道を歩いて帰るのが日課だった。

「飲む?」

 私の目がそれに向いていたからなのか、莉子が缶ビールを手にしている腕を持ち上げる。

「いや、いいや」
「なんで? 飲んだら?」
「太るからいい」
「小春細いじゃん」
「莉子に比べたら全然だよ。っていうかさ、なんで莉子って毎日そんだけビール飲んでて太らないの?」

 私達は月曜日以外の毎日、仕事が終われば海沿いの道を歩いて帰るが、莉子はこの二年毎日歩きながらビールを飲み続けている。多い時は家に帰るまでに二本飲むこともある。私はお酒で太りやすい体質だから極力飲まないようにはしているが、莉子はそんな私の前で「仕事終わりのビールって最高だわ」とどこかのおじさんみたいなセリフを吐きながら美味そうに飲む。しかも、モデルのような体型を維持しながら。神様は、不平等だ。

「ねぇ、なんで? 莉子の身体に入ったビールってどこに消えてんの」
「さあ、分かんない。もしかしたら私の中って四次元なのかもね」
「意味わかんないだけど」
「あんじゃん。ドラえもんの四次元ポケット」
「あー」

 私達の会話は、時折意味不明なところに不時着する。そんな時は少しの間静寂が降りて、どちらかが別の話題を切り出すまで無言で横並びになって歩くのが常だった。すぐ傍にある車道を、車が風のような速さで通り過ぎていく。お店の営業は19時までだが、店を閉め終える頃には20時を過ぎており、辺り一帯は既に夜が溶け落ちている。車が通る度にライトが闇を切り裂き、それから少し遅れて風が運ばれてくる。私の胸元まで流した髪が、優しく服を打ち付けている。昼間はまだ暑いけれど、日が落ちた今のような時間は沖縄でも涼しくなる。風が気持ちいい。

「ただいま」

 家に着いたのは、夜の21時前だった。莉子は帰ってくるなりダークブラウンの革製のソファに飛び込みテレビのリモコンを押した。すぐに画面の向こうから笑い声が聴こえてくる。私はそれを背に聞きながら白の木目調の壁に掛けられたラックにカバンを掛け、お風呂、とだけ莉子に声をかけお風呂場に向かった。

 まだ湿り気を帯びた髪にバスタオルだけ巻き部屋に戻ると、莉子は二本目を開けているようだった。円形のガラステーブルの上にはスナック菓子まで広げられている。缶ビールを手にしたままテレビに視線を送り、口を大きく開け笑っている莉子をみていると、もう我慢出来なくなった。隣に腰を下ろし、缶ビールを手に取った。莉子が嬉しそうに、おっ、と声を上げる。

「飲むんだ」
「飲むよ?」
「飲むの我慢して結局今の時間に飲むんだったら最初から飲んどけばいいのに」
「ねぇ、その正論むかつくんだけど」
「そのイライラを、私を倒す力に変えてみたら?」
「何? 今日もやんの?」

 私達は最近、一昔前に流行っていた有名なキャラクター達を操作して行うすぐろくゲームにハマっている。ターンの始めに頭の上で回転するサイコロの目を止めボードを進んでいき、盤上にある星を沢山集めた人が勝ちというテレビゲームだ。毎ターンの終わりにミニゲームがあるのだが、莉子はとにかくそれが強い。聞くところによると莉子はお兄ちゃんがいて幼少期からこのゲームで遊んでいたらしい。対して私は一人っ子でゲーム自体ほとんどやったことが無かった。

 「私はいつでもやってあげるよ。どうせ、小春には負けないし」
「あったまきたっ! 早くシャワー浴びてきなよ。準備しとくから」

 そして、私は負けず嫌いだ。たとえそれがゲームであっても、勝負で負けたままではいられない。いつか絶対、莉子に勝つ。スキンケアよりも先に私はキャビネットからゲーム機を取り出し用意を始めることにした。けたけたという笑い声が鼓膜に触れたのはそんな時だった。お風呂場に向かったはずの莉子が、通路のところから顔だけをひょこっと出し覗きみていた。

「早く!」

 声を張り上げると、怖っ、と笑いながら莉子はお風呂場へと消えていった。程なくして水の滴る音が鼓膜に触れ、ゲーム機のコントローラーを机に置きながら自然と笑みが溢れていた。たかがゲームで私何ムキになってんだろ。そんな風に自分を俯瞰でみると可笑しくてたまらなかった。莉子と一緒に過ごしていると、時折十代に戻ったような気持になる。でも、そんな時間が心地良かった。