かなり複雑な出会いではあったけれど、その日から美優は私達の家に泊まることになった。期限はない。莉子が気持ちが落ち着くまで好きなだけいていいと言ったからだった。だが、一つだけ条件があると莉子は人差し指を突き立てた。

──電話でもLINEでもそれはどっちでもいいから今の状況をちゃんと親御さんに説明して。私達に説明を求めてくるようなら私が受け答えするから。

 結果、美優はその旨をLINEで送ることになったのだが、返信が返ってきたのはその三日後だった。それも〈分かりました。〉というたった一文だった。それで親に縁を切られたという事にも嘘はないことが分かった。

 美優が私達に話したことが全て嘘だったという可能性は勿論あったが、その可能性が消えたという事だ。私と莉子自身も、この子はもしかしたら本当に行く宛がないのかもしれない、と覚悟を決めた瞬間だった。今、私達が突放せば、この子はどうなるのだろう。仕事は、食べ物は、住む場所は、お腹の子は。その事実が現実として押し寄せてきた瞬間でもあった。

 美優は二十歳を超えている。年齢でいえば大人とみなされるし、他人がそこまで構う必要はない。いい大人を甘やかすな。などと、外側から今の私達をみた人たちからは、そんな言葉を投げつけられるかもしれない。勿論、その言葉はご(もっと)もだとは思う。でも、私達には無理だった。出会ってしまったのだ。複雑な出会いではあったが、人生が交差してしまったからには、少なくとも美優の子が産まれ、美優自身も一人で立てるようになるまでは私達で面倒をみよう。それは、美優が私達の家に住むようになってから数日で決めた。

「小春さん、お客さんにおしぼりを提供する時の位置なんですけど、この角度でいいですか」

 おしぼりを手にしている美優は、私をお客さんに見立てて練習しようと丸い目を向けてくる。私達が美優の面倒をみようと決めた最大の理由が、これだった。一緒に住み始めてから分かったことだが、美優はとにかく何事にも真面目に取り組み、本当にいい子だったのだ。私達のお店の事に関してもそうで、どれだけ私達が「妊娠してるんだから家でゆっくり休んでていいよ」と声を掛けても、「いえ、せめてお家に泊めさせて頂いている家賃分だけは働かせて下さい」と頭を下げられ、それでも大丈夫だよと声を掛けると「動ける内に少しでも小春さんと莉子さんに恩返しをしたいんです!」と涙ながらに説得され、私達は折れるしかなかった。

 幸い私達の仕事には力仕事という力仕事はないし、買い出しは私か莉子がいけばいい。お客さんへの提供やテーブルの清掃とかならいいよ、という条件で働いて貰うことになった。実際私達のお店は雑誌の影響で連日満席で、そろそろ私達二人だけで店を回すには限界がきているかもしれないと感じているところだった。それに、美優は顔が整っているうえに愛想もよく、お客さんからの評判も良かった。

 ゆかりさんは「あら、可愛らしい子が入ったわね」と頬を緩め、アパートの大家さんに説明しにいくと「三姉妹になったのかい? 綺麗な子がこんなに揃うとアパートが華やかになるね」と庭先で植えていたハイビスカスの花をぷつりとちぎり、美優の頭にさしてあげていた。

 美優と私達との生活が3ヶ月も経つ頃には、私と莉子の人生の一部に美優は完全に溶け込んでいた。

「小春さん、莉子さん! 起きて下さい!」

 朝は美優に起こされる事にも慣れた。身体を起こすと、ガラス製の円形のテーブルには豪華な朝食が出来上がっていた。鮭の西京焼きに、だし巻き玉子。ほうれん草のおひたしとお味噌汁。私と莉子で二人で住んでいた時は、朝食を摂らなかった。元々食べるタイプでは無かったし、お腹が空いたらカレリアパイを味見という体で食べたらいい。美優は、そんな私達の朝を一変させたのだ。

「うわっうま! なにこれ、どうやったらこんなに美味しいだし巻き作れんの? 美優、あんた天才だわ。シェフになったら?」

 だし巻きを口に運んだ莉子の声は、興奮のせいか高くなっている。私もそれに続いた。箸を通しただけですっとほぐれただし巻き卵は、口に入れるとふわりと出汁の香りが広がり、卵の甘みと旨みがそれに溶け合うように広がっていく。

「待って、めちゃくちゃ美味しいんだけど」

 思わず、そう声をあげていた。

「ほんとですか?」

 美優が私の手を取ってくる。目を輝かせていた。

「うん。もう、プロの域。あー朝からこんなご飯食べられるなんて幸せ」
「練習、したんです。他に出来ることもないから。私、少しでも二人の役にたちたくて」

 妊娠六ヶ月にもなると、美優のお腹は大きく膨らみ始めていた。出会った当初は目立たなかったお腹が今はしっかりと目で確認することが出来る。新しい命が、美優のお腹に宿っているという事を。

 お腹が目立つようになる少し前から美優には店に出るのを止めて貰っていた。外ではいつ何が起きるか分からない。美優の身体や、お腹の子に何かあってからでは遅いのだ。だから、私と莉子で決めた。美優は、そんは私達に負い目を感じているのかもしれなかった。

「私、家にいるだけで」

 美優の声は、少し前から潤んでいた。

「美優、おいで」

 莉子が肩に手を添え、そっと抱き締めた。その姿をみていると私もたまらない気持になり、すぐに駆けよった。

「美優は何も考えないでいい」
「でも」
「美優とお腹の赤ちゃんが元気でいてくれたらそれでいいの。私も莉子も同じ気持ち」
「そうだよ。ゆかりさんもさ、大家さんも言ってたじゃん。姉妹みたいだって。私達の血は繋がってないけどさ、本当の姉妹みたいに思ってる」

 莉子がそう声をかけると、美優は声を上げて泣いた。