家に着くなり、そこに座ってて、と莉子はテーブルに指を指し、女の子は居心地悪そうに座った。少しでも気が紛れたらと思い私がテレビをつけてから十分程で、三つの木製の器を載せたトレイを手にした莉子がテーブルに腰を下ろした。

「簡単なやつだけど」

 莉子が視線を送ると、女の子は目の前に置かれた器に目をやった。玉ねぎとベーコンの入ったコンソメスープだった。

「どうぞ食べて?」

 白い湯気が立ち昇るそれを、ゆっくりと口に運んでいる内に、女の子の纏っていた緊張が少しずつほぐれていくのが分かった。それから、ぽつりぽつりと話してくれた。

 女の子の名前は、美優(みゆ)といった。三年ほど付き合った彼氏がいたそうだが、彼女が妊娠したことを告げると一方的に別れを告げられたらしい。身も心も一瞬にしてずたずたに引き裂かれた美優は精神が不安定になり、親からは妊娠をきっかけに縁を切られ、通っていた大学も辞めた。全てがどうでも良くなった。だから、以前から訪れてみたいと思っていた沖縄の景色を最後に目に焼き付けようと、この地に降り立ったそうだった。ひとしきり海辺を歩き、それから観光地として有名な国際通りを一目をみようと歩き続けているとお腹が空き、そこから少し離れた場所にある私達の店に行き着いた。

 私はそれを聞きながら思い当たる節があった。美優が私達のお店に来てくれた時はお客さんが帰ったばかりだった為にベンチに座ってて待ってて下さいと声を掛けると、彼女はおへその下辺りに手を添えながら腰を下ろしたのだ。まだお腹が膨らんではいなかったけれど、あの瞬間もしかしたらこの子は、と私の頭にも過った。だからこそ、彼女が店で涙を流していた時、なにか力になってあげられたらという気持ちが強く芽生えたのだ。

 「何ヶ月?」

 全てを聞き終えたあと、莉子が美優に目を向けた。

「3か月です」

 そう答えながら、お腹には優しく手が添えられていた。私がそれをみたのはたった二回だった。だが、それで十分だった。恐らくこの子は本気で死のうとしていた訳なんかじゃないと気付いた。そう感じたのは私だけでは無かった。

「あんた、嘘つきだね」 

 莉子が向けるつめたい眼差しの先には美優がいる。

「えっ?」
「誰かに対してじゃなくて、自分にね。嘘ついてる。本気で死ぬ気なんてなかったんじゃないの? いや、少しはあったのかもしれないけど、今のあんたはそのお腹の子をどうやって幸せにしてあげようかって考える気持ちの方が強いんじゃない?」

 瞬間、美優の顔がふっと歪んだ。その美優の目をみつめながら、莉子が畳み掛けるようにして続ける。

「妊娠が分かった瞬間逃げ出したあんたの男が一番のクソ野郎って事は確かだけどさ、自分の気持ちをみないようにして死のうとしたあんたも同じくらいクソ野郎だよ」
「莉子っ! 言い過ぎだって」

 咄嗟に口を挟む私の前に、莉子が手を突き出してくる。

「逃げんなよ。自分の人生から、逃げんなって。誰かが手を差し伸べる事は出来ても、本当の意味で自分の人生を救えるのは自分だけだよ? たった一回きりの人生をさ、悲しんで、苦しんで、そんな風に終わらせていいの? しかもそんな男のせいで。あんた、悔しくないの? 辛いなら抗えよ。苦しいなら誰かに助けを求めろよ。それで、誰よりも幸せになってやるって、お腹の子に誓えるくらい強い女になれよ!」

 莉子の放ったその言葉が、美優の心には強く響いたようだった。そしてそれは、私にも響いた。まるで過去の私に向かって言われているかのような心地に駆られ、ずきりと胸が痛んだ。確か似たようなことを私も言われた。美優はきっと、それまで堪えていたのだろう。なにかのスイッチが入ったかのように、声を上げて泣き始めた。そんな美優の背中を莉子が優しく擦る。

「頼る場所がないなら、私達を頼りな。あんたとこうやって出会ったのも何かの縁かもしれない。嫌なら好きにしたらいい。別に無理強いはしないよ。でも、ほんの少しでも、誰かに手を差し伸べられる事をあんたが望んでいるなら、私達といたらいい。ここで、好きなだけいたらいい」

 窓の向こうから鈍い鐘の音が聴こえてきた。街のどこかにある神社のものだろう。日付けが変わったという知らせだった。それと同時に、私と莉子の人生と美優の人生、その三つの連なりが、人生が、運命によって交差したことを表すものだったのかもしれなかった。