鋭利な風が頬を掠めた。酷く冷たくって刃物のようだった。窓から空を見上げると雪がちらほら舞っていて、冬もいよいよ本番なのだと実感する。先生が近くにいないことを確認してスラックスのポケットに手を突っ込んだ。やっぱりこうするのが一番あったかい。
薄暗くなった廊下を通ると、一つだけまだ教室に電気がついている。俺の教室だ。まだ誰かが残っているのだ。その『誰か』は容易に想像がついた。そっとドアを開けたのだが、敏感な彼は音に気づいて顔を上げた。彼――由季弥《ゆきや》は俺に気づくと顔を綻ばせた。「よっ」と俺は手を上げて彼の席に向かう。
「雪、めっちゃ降ってる」
と報告すると
「帰れなくなっちゃうかもね」
と、由季弥が返した。彼は共テ対策のワークを解いているようだった。
「あれ、総合型で決まったって、この前言ってなかったっけ」
「うん、もう合格は決まってるけど。共テはこれまでの集大成として一応受けておこうと思って」
さすが、彼の真面目な性格が滲み出ている。私大の合格が決まって手放しに喜んでいた俺とは大違いだ。
「君、勉強してる?まさかとは思うけど、受けないつもり?」
図星をつかれて思わず目を逸らした。折角合格したんだから羽を伸ばしてもいいじゃないかと思って共テはパスしようと思ったのだ。
「受けた方がいいよ。君だけの為じゃない、皆の為でもあるんだよ。まだ決まってない奴だって大勢いるんだし、士気を下げないために受かった奴もちゃんと最後まで勉強しなくちゃ」
と彼に釘を刺された。考えとく、と曖昧な返事をすると、彼はふーんと合槌だけ打って、微妙な空気が流れた。気まずさのあまり、何か別の会話を引き出そうとする。えーっと、何かあったけ……。彼を真っ直ぐ見れず、手元の方を見ていた時。――そうだ、あのことでも言おう。
「そういやさ、学校の制服、変わるらしいよ」
と言うと、彼は勢いよく顔を上げた。目を見開いて、まじ?と聞いてきた。
「ほんとほんと。購買の前に、新制服着たマネキン置いてあったぜ」
と外を指差すと彼は立ち上がった。
「ちょっと見に行ってくる」
思い立ったらすぐ行動に移す。そういうところは、多分会った当初から変わってない。彼が小走りで教室を出ていこうとするので、
「待って、俺も行く」
と慌ててその後ろを追いかけた。
*
「これかー」
一階の購買前。マネキンを見て、由季弥はあからさまに落胆の声を上げた。
マネキンが着ていたのは、紺色のブレザーだった。胸元には校章の刺繍が施されている。赤のストライプのネクタイとマスタード色のベスト、それからチェックのスラックスと言った出で立ち。
正直言って、俺も微妙だと思った。何というか、我が校らしさを完全になくした制服というか……。こんなことを言っちゃ失礼だけど、どこかの私立高校にありそうな、何ら珍しくない、ありふれたデザインなのだ。それを公立高校がやってしまうと途端にチープなものに見えてしまう。『最新のトレンドを取り入れた人気制服』というプラカードを首からかけられたマネキンが哀れに思えてくる。
「僕的には学ランの方が好きだなー」
彼はその制服に対する批判めいたことは言わなかったけれど、ただそれだけ呟いた。
そう、うちの高校は開学して以来男子の制服はずっと黒い詰め襟だった。僕らの県では、学校のブレザー化が進んでいて、僅かな公立校だけが学ランだ。これがある種、我が校のブランド、古式ゆかしい伝統だったわけだけれど、生徒になにか意見を聞くわけでもなく、それがあっさりと変えられてしまった。それも、かつての名残も何一つない、ごくごくありふれたものになった。時代とは言え、何だか少し寂しいと思ってしまう。
「今は多様性の時代だもんね」
と彼はふと思い出したように言った。
多分高校が突然制服を変更したのは、それも背景にあると思う。世に言うジェンダーレス制服、というやつだ。選択性にしたり、男女同じものにしたりして、マイノリティの子が制服を着るのが苦にならないように配慮する。配慮と言っても特別扱いするわけじゃなくて、皆同じにするというのは良案だと思う。最近は皆の意識も変わってきていて、彼らにとっては確実に生きやすくなっている。こういう考え方が浸透してきていて、俺としても嬉しい。
そういう意味では、この制服の変更もデザイン云々は置いといて前向きに受け止めないとな、とは思った。それでもやっぱり、時代が移り変わっていくことにはある種の寂寥感のようなものを感じた。
*
一階に降りてきたついでに自販機に寄った。アイツが最近好きなものは確かこれだった筈、とホットの缶コーヒーのボタンを押す。落ちてきた缶を彼に差し出す。
「いいって言ったのに」
と拗ねたように言いながらも、ありがと、と小さく呟いて缶を受け取った。
「相変わらず僕が飲んでるものをよく知ってるね」
まぁな、と得意げに言ってやる。こいつのことを一番よく知ってるのは俺だ。マウントの取り合いとなれば俺に叶うものはいない、筈だ。
俺も、彼と同じものを買った。じんわりと肌に温もりが広がる。悴んでいた指先が生き返る。自販機横のベンチに横並びで座って缶を開ける。
「あったけぇ」
隣の彼は両手で抱いてちまちま飲んでいる。小柄な彼の仕草はいちいち愛らしく見えてしまう。思わず、これまでのノリでふわふわの髪の毛を撫でたくなった。すんでのところで踏みとどまった。危ない危ない。そういう関係じゃないんだから。
「あのさ」
珍しく由季弥の方から話を切り出した。
「さっきの制服の話だけどさ、学ランだったら、その……第2ボタン渡すじゃん。ブレザーだったら、どうするのかな」
心做しか彼の耳がほんのり赤く色づいている気がする。単に寒さのせいだろうか。それとも、この手の話題を恥じらっているんだろうか。いじらしく感じた。
「それ、姉ちゃんに聞いたことある。姉ちゃんの高校はブレザーだったんだけど、ボタンあげるってよりかは、ネクタイとか名札とかが主流だったらしいぜ」
「へー。ネクタイってのは意外かも」
受け売りなので、知らんけど、と保険のために付け足すと、何だよ、と彼は笑ってくれた。
「だったら、第2ボタンの文化は学ランの高校だけのものってことか」
彼があまりにも真面目に考えていたので、俺は冷やかしの意味も込めて彼に聞いてみた。
「あげる相手できたのか」
すると、
「そんなに簡単にできるわけないじゃん。第一僕に興味がある人なんていないと思うよ。いたとしたら、とんだ物好きだよ」
と彼は笑った。隣にその物好きがいるんだよなーとは言わなかった。いまだにこの思いを吹っ切ることができずに引きずっている未練がましい自分が虚しくなる。そして、つい魔が差した。彼をからかってみたくなった。
「俺にちょうだい、それ」
彼の第二ボタンを指さした。瞬間、その表面の金色の光がゆらりと輝いた。彼の顔が、微笑みを貼り付けたまま固まった。動揺しているのが分かる。動作まで止まってしまって、真剣に思考を巡らせているようだった。それから暫くして彼はコーヒーを口に含み、やっと口を開いた。
「うん、あげるよ」
あぁ、やっぱり。思わず笑ってしまった。俺の為に考えに考えて彼が出したのは、最高に彼らしい答えだった。やっぱり、こいつは優し過ぎる。そこは断れよ、馬鹿。これはお前の為のものじゃないって。他に渡したい子がいるって。じゃないと、俺はいつまでもお前に未練たらたらのままじゃねぇか。酷く惨めじゃねぇか、俺。
いっつもこうだ。俺はろくに考えないままに突っ走るせいで人を傷つける。対して、こいつは、考え過ぎるせいでかえって人を傷つける。俺らはこれまで何度も同じことを繰り返してる。いい加減学習しろって。馬鹿みたいだ。いや、馬鹿なのは俺だけか。こいつを試すようなことばかりして、その結果勝手に傷ついている。ただの自傷行為だ。いくら待ったって芽生えるはずのないものを、今か今かとほんの少しの希望を持って見守っている。願ったところで、どうにもならないのに。ほんと、救いようのない大馬鹿だ。
「やっぱやめた」
俺はそう言って、とっくに中身のなくなってるのに、缶コーヒーに口をつけて啜る真似をした。
「べ、別にいいのに。思い出になるじゃん」
焦ったように彼は言った。こちらの顔色を窺うような態度。思慮を巡らせた上の彼なりの最善手だったのかも知れないけど。思い出になんて、したくない。そんなの苦いコーヒーをずっと啜っとけって言ってるようなもんだぞ。俺が苦いの嫌いなこと、お前知らないだろ?色々ぶち撒けたくなった。だけどそれは傲慢だ。彼が俺のものでもないのに、ただの友達なのに、そんな束縛をしてしまうのは駄目だ。そう思って、全部一旦飲み込んだ。
「いいよ、あと3ヶ月で彼女できたらどうするんだよ、お前」
「そんなに僕がモテるわけないでしょ」
と、彼はまた自虐をかました。それから話を逸らすように、窓の方を指差す。
「雪、酷くなってる」
確かに――。さっき見たときよりは勢いを増しているように見えた。
「積もるかなー」
「かもなー」
「まじで帰れなくなっちゃうかもしれないじゃん」
そろそろ帰らなきゃ、彼がそう言って立ち上がった。
このまま猛吹雪にでもなってしまえばいいのに。そう思った。二人で、ずっと此処に閉じ込められてしまいたい。くだらない話をして、ひたすら笑っていたい。叶わない願いだとは分かっている。分かってるけど。せめて、今だけは――。
咄嗟に、立ち上がった由季弥の制服の後ろの裾を掴んだ。
彼が振り返る。
その瞳は、揺らいでいた。
なんで、と言いたげで、それでもどこか分かっていたことのように、俺を見つめる。
彼の第2ボタンの行方を探した。丁度、俺からは見えない位置にあった。分かってる。それが俺のものじゃないってことくらい。どれだけ手を伸ばしたって、届かないかもしれない。だとしても、それでもいいから――。もう少しだけ、あと、もう少しだけ――。帰れなくなったっていいから。
「由季弥――」
お前といたい。
【了】
薄暗くなった廊下を通ると、一つだけまだ教室に電気がついている。俺の教室だ。まだ誰かが残っているのだ。その『誰か』は容易に想像がついた。そっとドアを開けたのだが、敏感な彼は音に気づいて顔を上げた。彼――由季弥《ゆきや》は俺に気づくと顔を綻ばせた。「よっ」と俺は手を上げて彼の席に向かう。
「雪、めっちゃ降ってる」
と報告すると
「帰れなくなっちゃうかもね」
と、由季弥が返した。彼は共テ対策のワークを解いているようだった。
「あれ、総合型で決まったって、この前言ってなかったっけ」
「うん、もう合格は決まってるけど。共テはこれまでの集大成として一応受けておこうと思って」
さすが、彼の真面目な性格が滲み出ている。私大の合格が決まって手放しに喜んでいた俺とは大違いだ。
「君、勉強してる?まさかとは思うけど、受けないつもり?」
図星をつかれて思わず目を逸らした。折角合格したんだから羽を伸ばしてもいいじゃないかと思って共テはパスしようと思ったのだ。
「受けた方がいいよ。君だけの為じゃない、皆の為でもあるんだよ。まだ決まってない奴だって大勢いるんだし、士気を下げないために受かった奴もちゃんと最後まで勉強しなくちゃ」
と彼に釘を刺された。考えとく、と曖昧な返事をすると、彼はふーんと合槌だけ打って、微妙な空気が流れた。気まずさのあまり、何か別の会話を引き出そうとする。えーっと、何かあったけ……。彼を真っ直ぐ見れず、手元の方を見ていた時。――そうだ、あのことでも言おう。
「そういやさ、学校の制服、変わるらしいよ」
と言うと、彼は勢いよく顔を上げた。目を見開いて、まじ?と聞いてきた。
「ほんとほんと。購買の前に、新制服着たマネキン置いてあったぜ」
と外を指差すと彼は立ち上がった。
「ちょっと見に行ってくる」
思い立ったらすぐ行動に移す。そういうところは、多分会った当初から変わってない。彼が小走りで教室を出ていこうとするので、
「待って、俺も行く」
と慌ててその後ろを追いかけた。
*
「これかー」
一階の購買前。マネキンを見て、由季弥はあからさまに落胆の声を上げた。
マネキンが着ていたのは、紺色のブレザーだった。胸元には校章の刺繍が施されている。赤のストライプのネクタイとマスタード色のベスト、それからチェックのスラックスと言った出で立ち。
正直言って、俺も微妙だと思った。何というか、我が校らしさを完全になくした制服というか……。こんなことを言っちゃ失礼だけど、どこかの私立高校にありそうな、何ら珍しくない、ありふれたデザインなのだ。それを公立高校がやってしまうと途端にチープなものに見えてしまう。『最新のトレンドを取り入れた人気制服』というプラカードを首からかけられたマネキンが哀れに思えてくる。
「僕的には学ランの方が好きだなー」
彼はその制服に対する批判めいたことは言わなかったけれど、ただそれだけ呟いた。
そう、うちの高校は開学して以来男子の制服はずっと黒い詰め襟だった。僕らの県では、学校のブレザー化が進んでいて、僅かな公立校だけが学ランだ。これがある種、我が校のブランド、古式ゆかしい伝統だったわけだけれど、生徒になにか意見を聞くわけでもなく、それがあっさりと変えられてしまった。それも、かつての名残も何一つない、ごくごくありふれたものになった。時代とは言え、何だか少し寂しいと思ってしまう。
「今は多様性の時代だもんね」
と彼はふと思い出したように言った。
多分高校が突然制服を変更したのは、それも背景にあると思う。世に言うジェンダーレス制服、というやつだ。選択性にしたり、男女同じものにしたりして、マイノリティの子が制服を着るのが苦にならないように配慮する。配慮と言っても特別扱いするわけじゃなくて、皆同じにするというのは良案だと思う。最近は皆の意識も変わってきていて、彼らにとっては確実に生きやすくなっている。こういう考え方が浸透してきていて、俺としても嬉しい。
そういう意味では、この制服の変更もデザイン云々は置いといて前向きに受け止めないとな、とは思った。それでもやっぱり、時代が移り変わっていくことにはある種の寂寥感のようなものを感じた。
*
一階に降りてきたついでに自販機に寄った。アイツが最近好きなものは確かこれだった筈、とホットの缶コーヒーのボタンを押す。落ちてきた缶を彼に差し出す。
「いいって言ったのに」
と拗ねたように言いながらも、ありがと、と小さく呟いて缶を受け取った。
「相変わらず僕が飲んでるものをよく知ってるね」
まぁな、と得意げに言ってやる。こいつのことを一番よく知ってるのは俺だ。マウントの取り合いとなれば俺に叶うものはいない、筈だ。
俺も、彼と同じものを買った。じんわりと肌に温もりが広がる。悴んでいた指先が生き返る。自販機横のベンチに横並びで座って缶を開ける。
「あったけぇ」
隣の彼は両手で抱いてちまちま飲んでいる。小柄な彼の仕草はいちいち愛らしく見えてしまう。思わず、これまでのノリでふわふわの髪の毛を撫でたくなった。すんでのところで踏みとどまった。危ない危ない。そういう関係じゃないんだから。
「あのさ」
珍しく由季弥の方から話を切り出した。
「さっきの制服の話だけどさ、学ランだったら、その……第2ボタン渡すじゃん。ブレザーだったら、どうするのかな」
心做しか彼の耳がほんのり赤く色づいている気がする。単に寒さのせいだろうか。それとも、この手の話題を恥じらっているんだろうか。いじらしく感じた。
「それ、姉ちゃんに聞いたことある。姉ちゃんの高校はブレザーだったんだけど、ボタンあげるってよりかは、ネクタイとか名札とかが主流だったらしいぜ」
「へー。ネクタイってのは意外かも」
受け売りなので、知らんけど、と保険のために付け足すと、何だよ、と彼は笑ってくれた。
「だったら、第2ボタンの文化は学ランの高校だけのものってことか」
彼があまりにも真面目に考えていたので、俺は冷やかしの意味も込めて彼に聞いてみた。
「あげる相手できたのか」
すると、
「そんなに簡単にできるわけないじゃん。第一僕に興味がある人なんていないと思うよ。いたとしたら、とんだ物好きだよ」
と彼は笑った。隣にその物好きがいるんだよなーとは言わなかった。いまだにこの思いを吹っ切ることができずに引きずっている未練がましい自分が虚しくなる。そして、つい魔が差した。彼をからかってみたくなった。
「俺にちょうだい、それ」
彼の第二ボタンを指さした。瞬間、その表面の金色の光がゆらりと輝いた。彼の顔が、微笑みを貼り付けたまま固まった。動揺しているのが分かる。動作まで止まってしまって、真剣に思考を巡らせているようだった。それから暫くして彼はコーヒーを口に含み、やっと口を開いた。
「うん、あげるよ」
あぁ、やっぱり。思わず笑ってしまった。俺の為に考えに考えて彼が出したのは、最高に彼らしい答えだった。やっぱり、こいつは優し過ぎる。そこは断れよ、馬鹿。これはお前の為のものじゃないって。他に渡したい子がいるって。じゃないと、俺はいつまでもお前に未練たらたらのままじゃねぇか。酷く惨めじゃねぇか、俺。
いっつもこうだ。俺はろくに考えないままに突っ走るせいで人を傷つける。対して、こいつは、考え過ぎるせいでかえって人を傷つける。俺らはこれまで何度も同じことを繰り返してる。いい加減学習しろって。馬鹿みたいだ。いや、馬鹿なのは俺だけか。こいつを試すようなことばかりして、その結果勝手に傷ついている。ただの自傷行為だ。いくら待ったって芽生えるはずのないものを、今か今かとほんの少しの希望を持って見守っている。願ったところで、どうにもならないのに。ほんと、救いようのない大馬鹿だ。
「やっぱやめた」
俺はそう言って、とっくに中身のなくなってるのに、缶コーヒーに口をつけて啜る真似をした。
「べ、別にいいのに。思い出になるじゃん」
焦ったように彼は言った。こちらの顔色を窺うような態度。思慮を巡らせた上の彼なりの最善手だったのかも知れないけど。思い出になんて、したくない。そんなの苦いコーヒーをずっと啜っとけって言ってるようなもんだぞ。俺が苦いの嫌いなこと、お前知らないだろ?色々ぶち撒けたくなった。だけどそれは傲慢だ。彼が俺のものでもないのに、ただの友達なのに、そんな束縛をしてしまうのは駄目だ。そう思って、全部一旦飲み込んだ。
「いいよ、あと3ヶ月で彼女できたらどうするんだよ、お前」
「そんなに僕がモテるわけないでしょ」
と、彼はまた自虐をかました。それから話を逸らすように、窓の方を指差す。
「雪、酷くなってる」
確かに――。さっき見たときよりは勢いを増しているように見えた。
「積もるかなー」
「かもなー」
「まじで帰れなくなっちゃうかもしれないじゃん」
そろそろ帰らなきゃ、彼がそう言って立ち上がった。
このまま猛吹雪にでもなってしまえばいいのに。そう思った。二人で、ずっと此処に閉じ込められてしまいたい。くだらない話をして、ひたすら笑っていたい。叶わない願いだとは分かっている。分かってるけど。せめて、今だけは――。
咄嗟に、立ち上がった由季弥の制服の後ろの裾を掴んだ。
彼が振り返る。
その瞳は、揺らいでいた。
なんで、と言いたげで、それでもどこか分かっていたことのように、俺を見つめる。
彼の第2ボタンの行方を探した。丁度、俺からは見えない位置にあった。分かってる。それが俺のものじゃないってことくらい。どれだけ手を伸ばしたって、届かないかもしれない。だとしても、それでもいいから――。もう少しだけ、あと、もう少しだけ――。帰れなくなったっていいから。
「由季弥――」
お前といたい。
【了】