音side
凄い、凄い……!
胸がこんなに高鳴るの、何年ぶりだろう。
息がうまく整わない。あるはずないのに、ハンドバッグの中で小説の原稿が熱を持っている気がする。
普段なら落ち込んでしまうような事も、もう今はどうでもいいぐらいに。早く会いたくて、早くこれを見せたくて。
今日は金曜日じゃ無かったけれど、明日は学校行事の振替休日だからバーに行ける。仕事が終わってすぐ、夜凪さんの元へと向かった。
恐る恐る、「こんばんは」とドアを開けて挨拶する。
良かった、店には誰もいない。お客さんは誰もいないし、いつもの白髪のバイトの人もいない。夜凪さん一人だけだ。
私的には、この状況は都合が良かった。私が今夜この店に来たのは、夜凪さんに新作を読んでもらうためだったから。
「あれ? 朝波さん、今日は静かですね」
夜凪さんに、そんな事を言われてしまって恥ずかしくなる。
いつもそんなにうるさくしてるだろうか、逆に今日は指摘されるほど静かなのか。よくわからなくなって、私は夜凪さんの指摘には答えなかった。
その代わりに「新作、読んでくれませんか……?」と印刷してきた小説を夜凪さんに差し出す。夜凪さんはそれを受け取ってくれたけれど、「新作見せるの僕で良いんです?」と眉を下げて笑った。
私は深く頷いた。
当たり前だ、これを読んで理解してくれるのはきっと夜凪さんだけ。絶対、気付いてくれると思った。
そうすると、「じゃあ、カーディナルでも飲んで読み終わるの待っててください」とカーディナルを用意してくれた。
そして夜凪さんは「今日はこれが代金で良いですよ」と私の小説を指差す。
少し考えて、私はお言葉に甘えることにした。
カーディナルを口に含んで、夜凪さんが小説を読み終わるのを待つ。今も昔も、目の前で読まれるのが恥ずかしいのは変わらないままだ。
私が新作にしたのは、“私”の物語だ。
物語の始まりは幼少期。
幼い主人公と、主人公と仲の良い六つ上の男の子が登場する。主人公と仲の良かった男の子はどこか遠いところへ引っ越していってしまう。
ずっと主人公は男の子を探し続けている。また会えると信じて。
そして、時は流れ二十年後。二人はバーで再会する。男の子は主人公が主人公であることに気付いていない。ただ、主人公だけが知っている。
そこで物語は終わらせた。続きは、これから始まるから。
読み終えた夜凪さんは、しばらくの間、言葉を探すように沈黙した。
そして、小さく微笑みながら—— 「朝波さん……いや、音?」
気付いてくれた。そう思うと胸がぎゅっと痛くなる。嬉しいのに、痛いなんて不思議だ。
私が「ふぅちゃん、だよね?」と聞き返すと夜凪さん……ふぅちゃんはくしゃりと笑う。やっぱり、夜凪さんはふぅちゃんだったんだ。二十年前私が初めて好きになった人。ずっとずっと忘れられなかった人。
違ったら、凄く申し訳なかったからこれは一種の賭けだったのかもしれない。
「二十年ぶり? なんだよなきっと」
嬉しそうに言う君に、一つ聞いておきたい事がある。
「“優しい嘘”」
突然私が呟いたそのワードに、ふぅちゃんはぎくっと固まる。
「カーディナルのカクテル言葉。これだけが、どう考えてもわからなかった。」
あの時、作ってくれたカクテルがこれ。きっと、カーディナルの意味を知っていて私に作ってくれたんじゃ無いかと私は思った。カクテルが好きなふぅちゃんが、このカクテル言葉を知らない訳がないのだから。
やっぱり音は違う視点から物事を見るのが得意なんだね、なんて笑って「……あの時、引っ越すっていったのが嘘」と続ける。
「え?」
「あの時は丁度十歳、だったよね」
「うん」
「引っ越すって言ったのは心配かけたくなかったから」
意味がわからず、聞き返そうとするとふぅちゃんは「心臓が弱くて悪くなったから入院するためだったんだけど……心配かけたくなくてね、ちっちゃい子に」と続けた。
それは、想像していたよりも、ずっとずっと重い真実だった。
「今は……?」
恐る恐る、そう聞くと「今は大丈夫」とふぅちゃんは笑った。ふぅちゃんの笑い方は優しくて、あの時と変わらない笑顔だった。どうしようもなく、愛おしくなって我慢ができなかった。
次の金曜日に、と私は決めた。
凄い、凄い……!
胸がこんなに高鳴るの、何年ぶりだろう。
息がうまく整わない。あるはずないのに、ハンドバッグの中で小説の原稿が熱を持っている気がする。
普段なら落ち込んでしまうような事も、もう今はどうでもいいぐらいに。早く会いたくて、早くこれを見せたくて。
今日は金曜日じゃ無かったけれど、明日は学校行事の振替休日だからバーに行ける。仕事が終わってすぐ、夜凪さんの元へと向かった。
恐る恐る、「こんばんは」とドアを開けて挨拶する。
良かった、店には誰もいない。お客さんは誰もいないし、いつもの白髪のバイトの人もいない。夜凪さん一人だけだ。
私的には、この状況は都合が良かった。私が今夜この店に来たのは、夜凪さんに新作を読んでもらうためだったから。
「あれ? 朝波さん、今日は静かですね」
夜凪さんに、そんな事を言われてしまって恥ずかしくなる。
いつもそんなにうるさくしてるだろうか、逆に今日は指摘されるほど静かなのか。よくわからなくなって、私は夜凪さんの指摘には答えなかった。
その代わりに「新作、読んでくれませんか……?」と印刷してきた小説を夜凪さんに差し出す。夜凪さんはそれを受け取ってくれたけれど、「新作見せるの僕で良いんです?」と眉を下げて笑った。
私は深く頷いた。
当たり前だ、これを読んで理解してくれるのはきっと夜凪さんだけ。絶対、気付いてくれると思った。
そうすると、「じゃあ、カーディナルでも飲んで読み終わるの待っててください」とカーディナルを用意してくれた。
そして夜凪さんは「今日はこれが代金で良いですよ」と私の小説を指差す。
少し考えて、私はお言葉に甘えることにした。
カーディナルを口に含んで、夜凪さんが小説を読み終わるのを待つ。今も昔も、目の前で読まれるのが恥ずかしいのは変わらないままだ。
私が新作にしたのは、“私”の物語だ。
物語の始まりは幼少期。
幼い主人公と、主人公と仲の良い六つ上の男の子が登場する。主人公と仲の良かった男の子はどこか遠いところへ引っ越していってしまう。
ずっと主人公は男の子を探し続けている。また会えると信じて。
そして、時は流れ二十年後。二人はバーで再会する。男の子は主人公が主人公であることに気付いていない。ただ、主人公だけが知っている。
そこで物語は終わらせた。続きは、これから始まるから。
読み終えた夜凪さんは、しばらくの間、言葉を探すように沈黙した。
そして、小さく微笑みながら—— 「朝波さん……いや、音?」
気付いてくれた。そう思うと胸がぎゅっと痛くなる。嬉しいのに、痛いなんて不思議だ。
私が「ふぅちゃん、だよね?」と聞き返すと夜凪さん……ふぅちゃんはくしゃりと笑う。やっぱり、夜凪さんはふぅちゃんだったんだ。二十年前私が初めて好きになった人。ずっとずっと忘れられなかった人。
違ったら、凄く申し訳なかったからこれは一種の賭けだったのかもしれない。
「二十年ぶり? なんだよなきっと」
嬉しそうに言う君に、一つ聞いておきたい事がある。
「“優しい嘘”」
突然私が呟いたそのワードに、ふぅちゃんはぎくっと固まる。
「カーディナルのカクテル言葉。これだけが、どう考えてもわからなかった。」
あの時、作ってくれたカクテルがこれ。きっと、カーディナルの意味を知っていて私に作ってくれたんじゃ無いかと私は思った。カクテルが好きなふぅちゃんが、このカクテル言葉を知らない訳がないのだから。
やっぱり音は違う視点から物事を見るのが得意なんだね、なんて笑って「……あの時、引っ越すっていったのが嘘」と続ける。
「え?」
「あの時は丁度十歳、だったよね」
「うん」
「引っ越すって言ったのは心配かけたくなかったから」
意味がわからず、聞き返そうとするとふぅちゃんは「心臓が弱くて悪くなったから入院するためだったんだけど……心配かけたくなくてね、ちっちゃい子に」と続けた。
それは、想像していたよりも、ずっとずっと重い真実だった。
「今は……?」
恐る恐る、そう聞くと「今は大丈夫」とふぅちゃんは笑った。ふぅちゃんの笑い方は優しくて、あの時と変わらない笑顔だった。どうしようもなく、愛おしくなって我慢ができなかった。
次の金曜日に、と私は決めた。



