歌いながらトモカちゃんは立ちあがって、振りまでつけはじめた。

「あぶないから、座ってて!」

 運転手さんが声をはりあげた。

「へへ、怒られちゃった。どう? あたしの歌」

 席についたトモカちゃんが、通路側からのぞきこんだ。
 一度も話したことはないのに、親しげににこにこしている。
 その笑顔がかわいくて、まぶしくて、だけどいつもうるさい癪に障るトモカちゃんだから、私はなんにも言い返せなかった。
 じっと私を見つめた彼女は、

「あたしね、アイドルになるの!」

 唐突に大声をだした。私はまじまじと、その顔を見てしまった。

「アイドルになるの!」

 大きな声でもう一度言うから、こんどはうなずいてみせた。

「応援してくれる?」

 私はまた、うなずいた。きっと困ったように笑った顔をしていただろう。

「よかったー! じゃ、これあげる。あたしのファン、第一号のしるし。食べて」

「……うん……」

 さしだされたチョコレートを、おずおずと手に取った。

「食べて、食べて」

「……いただきます…………っ!?」

「どう? おいしいでしょ?」

 目を白黒させるということも、あのときがはじめてだった。
 だけど、せっかくの好意を無にするのは悪いと感じ、あわてて水筒の麦茶で流しこんだ。
 口の中いっぱいが甘いのに、ほわんほわんして、気持ちの悪い味で、その強烈なまずさと格闘しているうちに、咳きこんでしまった。

「ね、おいしいよね? お父さんの持ってきちゃったんだけど……ウイスキーボンボン」
 
 その言葉に、頭がぐるんぐるんした。
 
 
 トモカちゃんという子は、そんな子だった。
 いたずら、というわけではないけれど、突拍子もないことをしでかす。
 おもちゃ箱をひっくり返したような彼女は、私とは対極にいた。
 
 ウイスキーボンボンを食べさせられてから、私たちはなぜかよく話すようになった。
 バスの中で、隣どうしに座るようになった。
 
 トモカちゃんは隣の小学校に通う、同じ学年の子だった。
 ザリガニとハムスターを飼っていると聞かせてくれた。
 カマキリの卵を、自宅のトイレのドライフラワーに隠していたことも教えてくれた。
 春には、トイレがカマキリの赤ちゃんだらけになったらしい。
 
 話しながら見せるとびきりの笑顔に、私はいつも勇気づけられた。
 気づくと、バスの中では手脚の震えもおさまるようになっていた。